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―――コンコン…「ユーリーアさんっ」
いつもの通りの時間に、リリィがぴょこんと顔をのぞかせた。
相変わらずの花が咲くようなこの笑顔は、元気にさせてくれる。
今日はドアを開けて覗き込んだまま部屋の中に入ってこない。
しかも、ウフフフと意味ありげに笑っている。
「どうしたの?リリィ。なんだか楽しそうね」
「そうなの。今日はね、バルさんが侍女見習いのお仕事のお休みをくれたの」
後ろ手に何かを隠してるのか、そろそろと部屋の中に入り、慎重に足を運んで近付いてくる。
休みなため最近身に着けている侍女服ではなくて、今は明るいレモンイエローの服を着ててとても可愛らしい。
やっぱり、この明るい色のほうがリリィに似合ってる。
リリィが入ってきた途端に、甘い香りがほんわりと漂ってきた。
――懐かしい香り。
それはジークの家で良く嗅いでいたものだわ。
でも、リリィ。一生懸命隠してるようだけど、何を持ってるのかばれてるわよ――?
零れそうになる笑みを我慢しつつ平静を装って、リリィに付き合うユリア。
「どこかに出かけてきたのね?」
「そうなの。休みだって言ったら、ジークさんにお使いを頼まれたの。フレアさんの薬と瑠璃の泉の水を取ってくるようにって。だから、勉強を頑張ってるユリアさんには悪いと思ったけれど、ザキと一緒に行って来たんだ。でね、ついでに貰って来たの。はいっお土産っ」
ほらぁ、綺麗でしょ?と言って、ピンク色の花がユリアの前に差し出された。
「フレアさんの家の庭で咲いていたのを強引に貰って来ちゃった。ね、ユリアさん、その額どうしたの??」
「これは…ちょっとぶつけちゃって。そそっかしいでしょ。それより、ありがとう。いい香りだわ。ねぇ、フレアさんは元気にしてた?」
「うん、とても元気だったわ。それに相変わらずとても綺麗で、羨ましいくらいに。私とザキが行ったらあからさまに残念そうな顔して…。ジークさんに会いたがっていたわ。って、私、ジークさんにそう言わなくちゃ―――――あ…あった。ちょっと待っててね、ユリアさん」
リリィは話しながらも、棚の開き戸を片っ端から開けて覗き込みを繰り返したあと、目的の物を見つけたのか、抱えて足早に部屋を出ていった。
チラリと見えたのは、小ぶりの花瓶。
多分水を淹れに行ったのだろうけれど、部屋の中にも洗面室があるのにどうしてかしら、とユリアが思っていると、一瞬開いたドアの向こうに、見覚えのある姿が見えた気がした。
再び閉められたドアの向こうから話し声も聞こえてくる。
――何だか不機嫌そうなこの声は…。
リリィはほどなく戻ってくると花瓶に花を差し入れて、いつも通りに話を始めた。
今日は出かけた話。
ジークの家にも寄って来たようで、お喋り材料がたくさんあるらしく当分は止みそうにない。
笑いを交えて面白おかしく話してくれて、沈み込んでいたユリアの心を軽々と引き上げていく。
楽しい時間を過ごしながら、リリィが一緒にいてくれて良かった、と心から思うのだ。
暫くすると、遠慮がちに叩かれたノック音の後、そぉっと…といった感じでゆっくりとドアが開かれた。
「あ、悪りぃな、邪魔して。…おいリリィ、もういいか?俺、いい加減腹が減ったぜ」
うんざりとした顔つき。
不機嫌そうな口調。
だるそうにドアに寄りかかる、いつものザキが顔を見せた。
―――もしかしてずっと廊下にいたの?一緒に入ってくれば良かったのに―――
「ザキ、久しぶりね。どうぞ、入って。お腹空いてるのならお菓子あるわよ」
アワアワしながらもテーブルの上にある菓子器を示して声をかけると、ザキは大きな両手をぶんぶんと振って言った。
「構わねぇでください。ジークやバル様と違って俺はここには入れないんすから」
そう言って、ドアを開けたままで決して部屋の中には入ってこようとしない。
「リリィ、もう行くぜ?」
「っ、そうだったね。ごめんね、ザキ。今行くわ。ユリアさん、私たちご飯まだなの。食べてくるね」
急いで立ち上がってザキの傍に駆け寄っていくリリィ。
「ザキ、ごめんね。つい夢中になっちゃった」
申し訳なさそうに見上げるリリィを、いつものことだろ、と言って目を細めて見下ろすザキ。
うんざりしていた顔が、見る間に優しげに変わっていく。
声も違うように聞こえるのは、気のせいだろうか。
「まぁ、俺は、いいけど。お前が腹減ってるだろ、と思ってな。明日も早いんだろ?早く寝んとな」
「うん、そうだけど。でもこれでも、少しの夜更かしくらい平気なんだよ」
そか、と短く呟いたザキの手が自然にリリィの腰に当てられる。
「ご飯食べたら部屋に戻るね。じゃ、おやすみなさい。ユリアさん」
「おやすみ。また明日ね」
部屋の中にとびきりの笑顔を残したリリィは、ザキと仲良く去っていった。
どうやら二人の間は上手くいっているよう。
――私はこの先、どうなるのかしら……。
…ううん、今は考えるのは止そう。
分からないし、しょうがないことだもの――――
ユリアは再び襲ってきた不安な気持ちを打ち消すように頭を振り、ジークが置いていった水薬を飲み、ベッドに潜った。
灯りの消えた部屋の中で想う。
―――出来れば、出来ればでいいの。
今晩はラヴルの夢を見させて。
夢でいいから、貴方に会いたいの。
お願い。
おねがい―――――……




