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9

夕暮れ迫る静かなユリアの部屋。


テーブルの上に突っ伏し、いつの間にか規則正しい呼吸音が始まっていた。


まどろみつつ自分の出す音に耳を傾けていると、ふわふわとした感覚に陥っていった。


頭の隅でぼんやりと思う。


またあの夢が、始まる―――




―――…窓はぴっちりと戸が閉められ灯りもない何一つない暗闇の部屋の中、独りで耳を塞いで蹲る小さな体。


服装は黒のままで着替えた様子はない。



また、夜が来た。


鳥の声も聞こえない独りきりの寂しい夜が。


隣の部屋に大人たちが集まっている音が聞こえてくる。


ガタガタと椅子を動かす音。


どんなに塞いでいても聞こえてしまう声。


『厄介者』


『困りもの』


何処に行っても聞いてしまう言葉。



―――わたしには、いばしょがない。



「どうして?わたしの何がいけないの?」



そう問いかけても、誰も何も教えてくれない。


ただ歪んだ笑みを向けてくるだけ。



「わたし、いい子にしてるからここにおいて」


いくら頼んでも目を逸らして首を振って逃げてしまう。



――だれも、わたしを見てくれない―――




「お前はいい子だよ。だけど、ほんの少し特別なんだよ。大人たちはそれを嫌うんだねぇ。きっと怖いのさ」


髪を丁寧に梳きながら、おばば様はしわくちゃな顔を歪めて辛そうに微笑んだ。


「とくべつ?それってなぁに?こわいって、何で?おばば様はだいじょうぶなの?」


「何言ってんだい、平気さ。こんな可愛い子を怖がるもんか。だけどね、特別なことは今は知る時じゃないのさ。お前はまだ小さいからね。その時が来れば自然にわかるから、その時まで待っておいで」


おばば様のしわくちゃな手がいつまでも頭を撫でてくれた。



―――やさしかったおばば様。


いつも味方をしてくれたおばば様。


でも、いまはもういないの。


さみしい。


おばば様に、あいたい―――




ふら…と立ち上がり、大人たちが集まっている部屋を通り抜け外に出る。


月明かりも届かない、うっそうと枝を伸ばした木の下をふらふらと歩いて行く。


大人たちは誰も後を追いかけて来ない。


誰も止めない。


部屋の中を通る姿を見ても、みんな固まったように動かなかった。



―――ひるま見た、きれいなちょうと、はなのむれ。


あの男の子が、よびよせてくれたことを知ってる。


元気づけてくれて、あたまをなでてくれて「またな」って言ってくれた。


笑ったかおが、とてもやさしかった。


さいごにもういちど、あの子にあいたい。


けど、きっとむりだ。


あの子がだれかもわからないもの。


わたしにはさがし方もわからないもの。


だから、さよならも言えない。


わたしは、だれも、たよれない。


だから、いなくなっても、だれも気にしない――――



幼い瞳に川の流れが映る。


さらさらと流れる綺麗な水。


月に照らされてキラキラ光ってる。


この中に入れば、きっとおばば様に会える。


きっと、おばば様のところにつれて行ってくれる。


そしたら、やさしくあたまをなでてくれる。


よく来たねぇってやさしく笑って言ってくれる……。



ちゃぷん…


水音が聞こえた。


迷いなく引き込まれるように、どんどん入っていく。


ひんやりとした感触に体が包まれる。


冷たくて体の感覚が無くなる。


指先が痺れ、服が水を吸ってとても重い。



息も出来なくて苦しい。


だけど抗うことはない。



そのまま底まで沈みながら、ごぼごぼと口から泡が出るのをただ見つめていた。


上がやけに明るくて。


ゆらゆらときれいにゆれてる。



―――おばば様、まってて。今、いくから―――



薄れ行く意識の中、ゆっくり目を閉じる。



――これでいいの。


このままわたしは消えてなくなるの。


みんなあんしんして。


『やっかいもの』はいなくなるから。


『こまりもの』はなくなるから―――



突然、腕を強く掴まれた気がした。


体が揺れる感じがする。


ざぶざぶという音があちこちから聞こえる。


叫ぶ声も聞こえる。


「貴様ら。何故このような……覚悟は……」


途切れ途切れに聞こえる男の人の怒声。


女の人の金きり声。


許しを懇願する声。


「ぉ、お許し下さい。…我らはその様なつもりはっ――」


いろんな声が混じって何を言ってるのかよく分からない。


けど、抱えてくれてる人がすごく怒ってるのが分かる。


金の髪が揺れてるのがぼんやり見える。


目の前で唇が動いてる。


何かわたしに言ってる。けれど…。


だめだよ。


あらそっちゃ、だめ……――――――






―――…おいっ、聞こえるか。起きろ……起きてくれ―――


誰?誰かが私の体を揺らしてる。


私を起こすのは誰?


あ、この声は知ってる……でも、お願い。


このまま眠らせて。


辛いの…寂しいの。


苦しいの。駄目なの。


私は生きていてはいけないの。



「おい。目を覚ますんだ」



―――何?…頬に、何かがペちぺちと当たってる。


駄目、起こさないで。



…ぺちぺち……ぺちぺち……ピシッ!


……、イタイ……



「…頼む、目を覚ましてくれ」


頬がすごく熱くてじんじんする。


何だか腕まで痛い気がする。


右腕に、ぎりぎりとした、ねじられるような圧迫感を感じる。


気のせいではなくて、どんどん強くなってて……。



「んん…ィ…イタイ…いたいっ」


「っ、それについては後で何度でも謝る。だから頼む。起きているのなら目を開けてくれ。頼むから」


焦ったような、懇願するような声。


早口な言葉と一緒に腕の痛みがぐぐっと増した。


でも、目を開ける気にならない。


瞼がとても重い。


このまま眠っていたい。



「そんなにしなくても大丈夫ですよ。ほら、もう起きてますから…。あぁ、もう、全く。知らないですよ…、後で嫌われても」


宥めるような落ち着いた野太い声。


――この声はジークだわ…だったら、これはやっぱりバルの声…。



「いい。起きてくれるのなら、この際嫌われても構わん」


「いっ、痛いわ」


頬に再び感じた痛みに顔をしかめ薄く目を開けると、バルの顔がすぐそこにあった。


眉間にしわが寄ってて眼光が鋭くて、怒ってるように見える。



――何で?怒ってるのは私の方なのに。


貴方がそんな顔をするなんて、おかしいわ――



腕も頬も、何故か背中までもが痛い。


腕から圧迫感が消えたので、イタタ、と呟きながら体を起こそうとしたら、背中に手が添えられた。


「体中痛いのは当たり前だ。あんなところで寝てればな」


「―――あんなところ?……きゃぁっ」


完全に体が起きたところで、一旦体が持ち上げられ、そのままふわりとソファに戻された。


そのバルの謎の行動を不思議に思ってると、気になるんだろう、と言いながらドレスの裾の位置を直してくれていた。



「バル様、それじゃぁ言葉が足りません。すまんな、俺が説明しよう。侍女の知らせを聞いて俺たちが来たときには、お前がそこの床に倒れていたんだ。呼びかけても反応がなくて、心配したんだぞ」


そう言いながら、ジークがテーブルの傍の床を指し示した。


「侍女の話と考え合わせるに、課題をやってて眠ってしまったんだろう。で、椅子から転げ落ちた、と思うんだ。もちろん覚えていないだろうが。あちこちが痛いはずだ、頭を打ってないといいが。どうだ、痛みはないか?」


失礼、と言って体の前に来たジークが頭に触れながら確認している。


時間が経つにつれ、ぼんやりとしていた思考が徐々にはっきりとしてきた。



―――私、椅子から落ちたの?


そういえば。


お茶の時間の後課題に取り組んでて、なんとか全部答えを書き終わってホッとして。


で、それから急にすごく眠くなったことまでは、覚えてる。


それでそのまま眠ってしまったんだわ……。



「何か、夢を見ていただろう。あまりに辛そうで、どうにも起こさずにはいられなかった。すまんな。痛むだろう。すまん」


そう言って、バルの大きな掌がそっと頬を撫でた。


温かさを感じて、心の中にあった想いが、夢の中の想いが、せり上がってきた。


どうしようもなく、哀しい。



――そうなの、辛かったの。とても苦しかったの――



涙が知らずに溢れてくる。


泣くつもりなんてないのに。


あの夢に出てきたのは、多分、幼いころの私。


どうしてあんな状況になってるのか、わからない。


でも、きっとあれは実際にあったこと。



「夢の内容。この涙の訳を、無理に聞こうとは思わない。俺に話す気になったら、教えてくれ。いいな?」



親指が優しく頬の涙を拭っている。


バルの瞳が辛そうに細まっている。



―――ごめんなさい、今は何も話せない。


あまりにも分からないことが多すぎて。


文字が読めたことも、夢の話も。



バルの言葉に無言で頷くしかできない。



「ジーク、あとを頼む」


「はい、バル様。畏まりました」




床に落ちた時額をうったみたいで、少したんこぶが出来ていた。


腫れているぞ、と指摘されて意識した途端に、ずきずきと痛みだした。


ジークは鞄から小瓶を取り出して、中の液体をガーゼに含ませて貼ってくれた。


ひんやりとして気持ち良くて、すぐに痛みが引いていった。


あれはきっと、フレアさんの薬ね。



狼の人達は基本的にみんな優しい。人情に厚いというか。


種族が違うのに、リリィにもわけ隔てなく接してくれる。


中にはマリーヌ講師みたいな方もいるけれど。



“見てるのは記憶の夢か?俺たちは話を聞くことしか出来ん。何でも聞くし相談にも乗る。だから一人で悩むなよ。いいか?”



治療の後ジークはそう言ってくれた。


王妃様に心の健康を見るよう言われてるからというのもあるのだろうけど、言葉をもらえるだけでありがたいと思う。


心の中が楽になった。


私には、支えてくれる人たちがいる。


一人で悩まなくてもいいんだって、そう思えた。



記憶を解きほぐすのは、まだまだ難しい。


今までに見た夢は全部場面が違っていて、何処がどう繋がるのか分からない。


しかも、この城に来てからは見る内容が濃い気がする。


だからもしかしてある日突然に、すっぱりと全部思い出せるのかもしれない。


名前も国も、生い立ちも……―――



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