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6

その翌日。


朝日が射し込む部屋の中。


食後のコーヒーを飲み終えたユリアがソファで寛いでいると、コン…コンとドアを叩く音がした。


いつも通りの時間。


最初の音から一拍置いて次の音。


この独特な叩き方は、ユリアの主治医として一緒に城に来たジークのもの―――




“―――ジークも一緒に来たのね、家の方は大丈夫なの?”


ジークがいることに驚いて、ユリアがそう聞いたとき


“あぁ、フレアがいるからな。任せておける”


と言ってにっこりと笑った。


留守を任せられるほどに、二人の間には信頼関係が成り立っていて、羨ましいと思う。


だけど「俺は、出たくなかったんだがな…」とぼそりと言った表情は一転して少しむっすりとしていた。


きっとフレアと離れたくなかったに違いない。


やっぱり、寂しいのだ。


毎回フレアが薬を届けに来るたびに、ジークの顔が蕩けるように崩れていたのだから。


――早く森に帰れるといいけれど――




「ジーク様。どうぞお入りください」


侍女がドアを開けて、それでは御願いします、と言って入れ替わりに退室していく。


「おはよう。今朝の具合はどうだ?」



お決まりの台詞でそう訊ねてにこやかな笑みを浮かべたジークは、大きな鞄をゴトンと床に置いた。


王妃から、妃候補の体と心の健康を毎日チェックするよう命じられているジークは、朝食の後はこうして部屋にやってくるのだ。



“ユリアさんは異国の地に来たばかりで気疲れしてるはずですわ。


きちんとケアして差し上げて”



と。特に心の健康については気をつけるようにと言われている。


なので、ユリアが少しでもむっすりとしていたり沈んだ表情なんかをしていると、ジークから侍女たちに連絡がゆき、たちまちにあれやこれやと気遣いが始まってしまう。


ユリアにとっては、それがなんとも居心地が悪い。


だから、極力普段どおりにするように気をつけているのだけれど、ジークはずっとユリアを診てきたせいか、少しの表情の変化でも敏感に反応するので、気の抜けない相手なのだ。


昨日から、少し虫の居所が悪いと自覚しているユリアは、今朝は勤めて笑顔を作るようにしているのだけど―――




「うん、良し。異常はないな。以前怪我したところで痛む箇所はないか?」


ユリアが、特にないです、と答えるとニコリと笑って書類に何やら書きこんでいる。


テキパキと書類を書き終え普段通りに診療を終えたところで、今朝はジークの様子がおかしいことに気が付いた。


いつも変わらずに落ち着いてるジークが、さっきから口を開きかけては俯き、考え込んでは僅かに首を振る、それを2回くらい繰り返している。


「…どうしたんですか?何か、問題があるんですか?」


その挙動不審な様子に、もしかしてどこか悪いところを見つけたのかも…と、不安になって訊ねたユリアの顔をちらりと一瞥してすぐに顔を逸らし、頭をバリバリ掻きながら、いや違う、と言って唸った。


ジークはそのまま黙り込んでしまったので、普段は聞こえない掛け時計の音がカチカチと耳に届いてくる。


この雰囲気に何だか緊張してしまい、ユリアが息をつめて見つめていると、ジークはハハハと笑い声を上げた。



「お前は何を緊張してんだ。体には何も問題はないぞ」


体には、というと他の何かがあるのかしらと余計に勘繰ってしまってると、それを察したのか、いや、お前のことじゃないんだ、と言った。


「…すまんな――――バル様のこと、許してやってくれないか」


「え?」


何のこと?と聞こうとしたユリアの頭の中に、昨日の出来事がふわりと浮かび上がった。


あの時の会話を思い出すと、またどうにもむっとしてしまって、口を固く結んでしまう。


虫の居所が悪い原因でもあるのだ。


すると、ジークは何かを納得したように小刻みに頷いた。



「ふむ、その様子だと、当たらずとも遠からずってとこか…俺も案外勘が良いな……」


ジークは聴診器を首から外してテーブルの上に置いたあと正面に向き直り、さぁ、教えてもらうぞ、とばかりにゆったりと構えた。


全部見透かすような、鋭いけれどあたたかい瞳がユリアを真っ直ぐに見つめる。



ジークと話してると、ユリアはたまに思うのだ。


お父さんってこんな感じなのかも――…と。



「昨日、バル様と何かあったんだろう?」


―――あったって言えば、あったけれど…でも―――


「喧嘩、したのか?」


「喧嘩は、していません」


「うむ、そうか……。実は、昨夜からバル様の様子がおかしくてな。今朝はお前も表情が少し硬いし。だから、二人で喧嘩でもしたのかと思ったんだが。そうか、違うのか―――……」






***





ジークは診療器具を鞄に仕舞いながら、再び、うーん…と唸った。



―――あのいらいらした様子は、そうかと思ったんだがな……。


そうでないとしたら……はっ、まさか、あれか?とうとう手を――……


あー、いやいやいや。


いくら強く想いを寄せておられても、その様に暴走されるお方ではない。


今までも手を出す寸前になられたことは何度かお見かけしたが、理性を総動員して抑えておられた。


第一、そんなことがあれば、俺が問いかけた時に彼女の瞳がもっと激しく揺らぐはずだ。


見たとこ、そんなことはないしな……。



ジークは自分が想像した事を打ち消すよう強く頭を振った。


すると、急に頭の中に一つのひらめきが走り「おぉそうだ」と自然に言葉が出て、パシンと自らの膝を叩きながら顔を上げた。



―――うーむ。やはりこれが一つの原因かもしれん……。


ここは、言っておくべきだろう。


大体、他の者の承諾は得ていたのに、肝心な本人が知らんのが一番いかんのだ。



ジークはそう考え至り「うん、そうに違いない」とぼそぼそ呟きながら再度向き直ると、ユリアはその一連の動作を不思議な物でも見るかのようにじっと見つめていた。


少し気恥ずかしくなり、照れ隠しで頭をバリバリと掻きむしる。



「あぁ、すまん。変なとこ見せちまったな…。お前は多分誤解してるだろうから言っておくことにする。多分、バル様は言わないだろうからな。いいか、ここにお前を連れてくるように進言したのは俺だ。バル様じゃない」


「え、バルじゃないの?」



ジークだったの…?と問いかける瞳が見開かれている。


やはりかなり驚いたのだろう。


バル様も言葉が足りないところがあるからな。


女性の心に疎いというべきか。


二人の間に何かあったことは間違いないが、この様子だと、どうやら些細なことのようだ―――



「やはり聞いてないか。俺が城で保護した方がいいと提案したんだ。あのまま森にいれば、次も守れる保証はなかったからな。ここなら、統率された衛兵もいるし、人の目も多い。相手がいくらあの方でも、ここまではそうそう来られない筈だ」


「それなら、妃候補のこともジークの進言なの?」


「俺は、していない。そりゃまた別の話だな……。すまんが、バル様に伺ってくれ」


くしゃりと顔を歪めて苦笑してみせると、俯いてしまった。


想像するしかないが、きっと、小さな胸の中でいろんな感情を処理しているのだろう。


こんな場所に来て、不安なこともたくさんあるはずだ。


俺は、一つづつ取り除けるよう努力せんと―――



暫くそのままでいた彼女はふいっと顔を上げて俺を見つめてきた。


その瞳はまだ少し揺れている。



「そう、なんですか。あの…バルがおかしいって。どんな風に?」


「そうだな。昨夜は、目に見えて機嫌が悪かった。態度も声も荒かった。まぁ荒いと言ってもバル様は穏やかな方だから、そんなに激しくはないんだが。慣れないことで、若い侍女が泣き出してしまったんだ。さいわい近くにリリィがいたから、おおごとにはならんかったがな」


「昨日そんなことがあったなんて、知りませんでした。リリィはいつもの通りに部屋にお喋りに来たけれど、そんなこと一言も言ってなかったわ。侍女見習いのことと、ザキの話を楽しげに話してただけだもの」


「こりゃぁまずいなと思ってたんだが―――、今朝はそれが一転してたんだ。まぁ…一言で言えば、元気がない。俺が話しかけても上の空。見た目で分かりやすく言えば、バル様の周りだけ、こう、空気が沈み込んでる。どんよりとよどんでるんだ」


「それは、侍女を泣かせてしまったから、でしょう?」


「まぁそうかもしれんが。俺は、それだけじゃないと思うぞ?」


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