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2

青空に映える白い壁、空に溶け込むかのような屋根の色。


風にひらひらとはためく三角形の旗には、狼の絵が描かれている。


ここは王都。ラッツィオの王が住む城がある都街。


そこに建つバルの住む城宮の一室で、ユリアは戸惑いの声を上げていた。



「え?…ここは、どこ?」


目が覚めたら見慣れた無機質な黒い天井ではなく、何だかとても煌びやかな装飾が施された金色の天井が目に入った。


それは四隅で細い支柱で支えられていて、おまけに天井から薄い透けたカーテンのような布が垂れ下がっていて、ベッドの周りをぐるりと囲っている。


それは今まで全く見たこともないものだ。



「なんだかとても立派なベッド……何でこんな場所にいるの?もしかして、夢を見てるのかしら?」



独りごちつつベッドの上に体を起してみれば、透けたカーテンの向こうに、テーブルやソファなどが置いてあるのが見える。


広そうな部屋の中はしんと静まり返っていて、人の気配は全く感じられない。


「…リリィ、いるの?」


声をかけた一瞬の後、ハッと気付く。



そういえば。


もしかして、やっぱり、あのまま青年に連れ去られたのかもしれない。


そして、ここはどこかのお屋敷で。


だとしたら、ここにリリィはいないはず。



ユリアはベッドから降りて部屋の中をぐるりと見廻して、「え……?」と、小さな驚きの声を漏らした後絶句してしまった。


目に入るものすべてが立派で豪華に思える。


壁に並べられた調度品には飾り彫りが施され、花柄の壁、天井から下がった小さなシャンデリア、革張りのソファ、振り返れば天蓋付きの立派なベッド。


それはルミナの屋敷にいた時よりも立派な部屋で。


自分の姿を見れば、薄青色の肌触りのいいすべすべした布地の夜着を着ている。


大きな窓の外には青い空が広がり、地面は遥か下の方に見え、数人の人が規律正しく並んで歩くのが見えた。


外に出られるのかと思いドアを見れば、四隅、上部、真ん中、下部、と四角く区切られ、それぞれに立派な彫刻がされていてドアノブも優雅な曲線を描いている。


それを恐る恐る握り捻ると、カチャ…と軽い音を立てて苦もなく動いた。


鍵は掛けられてなく、どうやら監禁というわけではないよう。



そっと開けて様子を窺うと、石造りの壁があり、誰もいないようで物音一つしない。


途端に孤独を感じ、不安で堪らなくなる。


あの、冷たくて暗い窓のない監禁生活を思い出してしまったのだ。


あの時のように、今は頼れる人が誰もいない。


リリィもいない、知らない人ばかりの場所。



「あの、すみません……誰か、いますか?」


不安に震えた声が石造りの壁に反響し、びりびりと奥の方まで伝わっていく。


すると、遠くの方で、ぎぃ…ぱたん…とドアの開け閉めするような音がし、パタパタと走るような音が聞こえてきた。


それはだんだん近づいてきて大きくなり、やがて目の前にリリィよりも少し背の高い侍女のような姿をした女の子が走り寄ってきた。


相当遠くから走ってきたのか、息を少し切らしている。


その後を同じ姿の二人の女の子が同じ様に走ってきた。


同様に息を切らしながら後ろに立つ。



「遅いわよ、あなたたち。私より先に着かなきゃだめじゃないの」


後ろに向かってそう叱りつけ、ユリアの方に向き直りにこりと微笑んだ。


「……申し訳ありません。ユリア様、目覚められたのですね。貴女様のような方が、そのようなお姿で廊下に出るなどなりません。まずはお着替えをなさいませんと。さぁ、早くお入りください」



部屋の中に入ると三人の侍女がテキパキと動きまわり、あっという間にユリアに豪華なドレスを着せ、髪に首に耳に腕に装飾品を着けていく。


「待って。こんなに豪華なのは、私、困ります。もう少しシンプルなのはないんですか?」


「ユリア様は王子様のお妃候補だと伺っております。これでも足りないくらいですわ」


「そうですわ。もっと着飾るべきですわ」


「…はい?王子様??」



―――って、やっぱりあの青年のことなのかしら。


確かに上品そうな物腰と容姿をしていたけれど、王子様があんなところに一人で来るのかしら。


それになによりそれよりも。お妃候補ってどういうこと?


“我が元に来い”


あれって、そういう意味だったの―――??



頭の中にいろんな疑問符が浮かびあがり、パニックに陥りそうになる。



―――えっと。とりあえず、落ち着かないと……整理しないと……。


「あの、すみません。ここはどこですか?」


ユリアの身体の周りを目まぐるしく動いていた侍女たちは、その問いかけを聞いて、ピタと動きを止めて顔を見合わせた。


が、ユリアの質問に答えることなく、再びテキパキと動き始めてしまう。


「あ…あの?」


最初に駆け付けた侍女が、ユリアの首元を整えながら「…ここは王都です」と囁くように言った。


「え、王都って……」


「ユリア様、口を閉じて下さい。紅が塗れません」


ぴしりと言われ「どこ?」と聞こうと開きかけた口を閉じさせられた。


そのあとも何か聞こうとするとギロと睨まれて、無言の圧力が掛けられる。


それは、何も聞かないでくれ、と言っているように思え、ユリアは侍女たちに訊ねるのを諦めた。


数分後、体の周りを動き回っていた侍女たちが大人しくなり、三角形の陣形を取って横に下がった。


「では、ユリア様。お呼びして参りますので、このままお待ち下さい」


丁寧に膝を折り挨拶をして、侍女たちは下がっていく。


「お呼びするって、誰を…」



侍女たちが消えた数分後、コンコンとドアを叩く音がした。


「はい、どうぞ」と返事をすると、ドアを開けて入ってきたのは王子ではなく、執事のような服を着た年配の男性だった。


ユリアと目が合うと、白い口髭を揺らしニコリと微笑む。


優しそうな人柄に見え、ユリアは少し安心した。



「失礼致します。私は王子さま付き執事の、パッドと申します。ユリア様、ご案内いたします。こちらへどうぞ。みなさん居られますよ」


ドアを開けたまま立っているので、自然と脚がそちらに向かう。


「みなさん?」


「えぇ、お元気な姿をご覧になればお喜びになられます」



パッドは楽しげな声を出し、スタスタと歩いて行く。


ユリアはまだ動かしにくい脚を懸命に前に出し、なんとかあとを着いて行く。


「あの、パッドさん、何処に行くんですか?」


「いけません、パッドで宜しいです。階下の広間で御座います。階段を下りていきますが、高いところは平気ですか?」


「高いところは……苦手ではないですけど……」



パッドが指差した先に、何処までも続くようなくるくると回る螺旋階段がある。


暗い中、所々に光が差し込んでいるのは、それぞれの階の入口なのだろうと思える。


それに、今いる場所から上には階段がないため、ここが最上階だと言うことが分かった。


遥か下に床があるのか見え、ユリアはこくりと息を飲む。


「これを、下りていくんですか?」


「はい。そうでございます。さ、どうぞ―――」


パッドが手を差し出すので、ユリアはそっと手を乗せてドレスのすそを持ち、後に続いた。


コツン…コツン…と、靴音が階段の中に響く。


高いところは怖くない筈なのに、体の芯がふわふわと揺れ、何故か脚が震えて止まらない。


でも立ち止まるとふらっと体が揺れ、転がり落ちそうな感覚に陥るので、なんとか勇気を振り絞って脚を動かし続ける。



今更下りられないとは言えない。



――横にパッドがいて、支えてくれてるから、大丈夫。


きっと大丈夫――



そう自らに暗示をかけ、なるべく下を見ないようにして震える体を叱咤していると、ヒールがコツンと階段の角に当たりバランスを崩してしまった。


ユリアの瞳に揺れる階段が大きく映る。


「きゃぁぁぁぁっ!!」


「危ない!!」



パッドがぐいっと手を引っ張りあげ、落ち行く体に素早く腕をまわしてしっかりと支えた。


転がり落ちることはなんとか免れたが、恐怖のため、とても動けそうにない。


「大丈夫で御座いますか?」


「ぁ…ぁ……あ…の・…」


恐怖のあまり舌がよく回らない。


口をパクパクさせていると、下から、ばあぁぁん…と何かが爆発するような音が聞こえてきた。


その音に、どきりと心臓が撥ねあがってしまい、ドキドキして怖くて何が何だかますます分からなくなった。


「きゃぁっ、嫌っ」と叫んで目を瞑ってその場に座り込むユリア。


支えている都合上、パッドも付随し一緒に座りこんだ。



「おい、大丈夫か!?」


「いいか、そこを動くな!!」


叫び声が届いたのだろう、下からも声が聞こえてきた。


それが何だか聞き覚えのあるものの気がする。


けど、その人がこんなところにいるはずがない。


だってここは、あの青年の国なのだ。


知ってる人は誰もいないはず。


一緒に野太い声も聞こえてきて、あの顔が思い浮かぶけれど、似た声なんてたくさんある。


期待しちゃいけない。


それに、さっきから何か言ってるみたいだけど、階段の中に木霊して全く理解できない。


一緒にダダダダと重い音が階段の中に響いている。


それはだんだん近づいてきてユリアの前でピタリと止まり、息を乱した低い声が聞こえた。



「パッド、これはどういうことだ?私は、駄目だと言っておいたはずだが―――」


「も、申し訳御座いません。うっかり、しておりました」


怒りを含んだその声に、オロオロと謝罪する声が隣から聞こえてくる。


「きゃぁっ」



急に体に襲った浮遊感で思わず叫び声が漏れる。


パニックに陥っていて訳がわからず手足をばたつかせていると、耳元で落ち着いた声で囁かれた。


「落ち着け、大丈夫だ。絶対にお前を落としたりしない。大丈夫だ」


「…バル?バルなの?」


「あぁ、俺だ」


落ち着いて見ると見慣れたブラウンの瞳が優しく見下ろしていて、見知った顔に会えたことと安心したのと独りじゃなかったことが嬉しくて、ユリアはバルの首にしがみついて顔を埋めた。


――怖かった…とても怖かったの――



それに呼応してバルの腕も力が増し、ぎゅうとユリアを引き寄せる。



「バル、私、怖かったの。起きたら全く知らない場所なんだもの。まわりに誰もいなくて、独りきりになったと思ったの。階段が怖くて、でも知らない人にわがまま言えなくて……」


ユリアが堰を切ったように話すと、バルは歩きながら“うん”とか“そうか”とか相づちをうっていた。



ドアを開け閉めする音のあと体にふわりとした感触が伝わってき、元の部屋のソファの上に座っている事に気がついた。


目の前に立っているバルはいつもと違っていて、とても上質の服を着ている。


それはいつもラヴルが着てるものに似ていて、なんというか、まるで王子様のように見える。



――この国の偉い人だとは知ってたけど…何者なのかしら。



そう思いながら、ユリアがじっと見つめていると、バルは困ったように顔を歪めて頭を掻きながら俯いてしまった。


何かブツブツ言ってるようだけれど、ユリアの耳には全く届いてこない。


「バル、あの…ここは?」


様子を窺うように覗き込んで声をかけると、バルはユリアの前に跪き、膝の上に置いていた小さな手にそっと自分の手を重ねた。


「独りにして、すまなかったな。気をつけてはいたんだが―――」


そう言う瞳が、少し金色がかってるよう。


たまに見るそれはとても綺麗で、ユリアはつい魅入ってしまう。


ぼんやり見ていると、どんどん金が濃くなっていき、それがくるっと一周して「綺麗だな…」と呟いた。



バルは無意識なのか何なのか、重ねられていただけの手に指が絡まり始めている。


ユリアは、振り解いた方がいいかも、と考えつつ自らの恰好を眺めた。


確かに衣装は綺麗だ。


「あ、これ?……ありがとう。でも、私には身に余るドレスでしょう?断ったんだけど、許してくれなくて……」


「そんなことないぞ。とても似合ってる」


バルの金の瞳が眩しそうに細まる。


それは全く逸らされることなくじっと見つめたまま。


服装が違うせいか立派に見えて、いつもと雰囲気が違っていて、何だか緊張してしまう。


気付くと大きな手が顔の傍に伸びてきていた。


バルの周りの空気が熱を帯びているような気がして、どうにも居た堪れない。


――な、何か話さないと。えっと――


「あ、あの、バル?その、聞きたいことが……ある、の」



適当に声を出すと、伸びてきた手がピタリと止まり、下に降りていく。


が、手は強く握られたままだ。


「…何だ?何でも聞いてみろ」


「あ、そう言えば、身支度してくれた侍女の人達が変なことを言っていたわ。私のこと、王子様のお妃候補とかって……。どういうことなのかしら?バルは知ってるの?」


「あぁ、それか…それは、ここにお前をおくための口実だ。だから、気にするな」


握られていた手が離れ、金の瞳がすー…とブラウンに戻っていく。


それを不思議な気持ちで見ていると、バルはバツの悪そうな顔になってこう言った。


「あぁ、それと。ここにいる間、妃教育だの、礼儀作法だの、いろいろうるさくしてくると思うが、適当に話を合わせて受けてくれ」


すまんな、王妃が煩いんだ、とぼそりと付け加えた。


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