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どんよりとした雲が広がるロゥヴェルの空を、一羽の美しい鷹が飛んでいく。
鋭い瞳、鋭利なくちばし、大きな翼を優雅に広げ、今にも雫が零れそうなほどの灰色の空を滑空している。
黄土色の瞳に映るのは三方を山に囲まれ、海を望める小さな街。
なだらかな斜面に黄色い壁と赤い屋根の家が立ち並び、僅かな平地には大きなお屋敷がいくつも建っている。
貴族の別荘が多く建ち並ぶこの緑多き景観の美しい街は、ゾルグ・ウィル・ロヴェルトが管理している街、ナルタだ。
鷹が目指しているのは斜面の頂点にある小さな城。
その中の一室で一人の女中が、窓の外を眺めホッとしたように微笑んだ。
外は雨がポツポツと降り始めている。
久しぶりに降るこの雨は、女中にとってはまさに天の助け、恵みの雨だった。
今のなんともまずい状態から解放される口実となるのだ。
「ゾルグ様、とうとう降ってきましたわ」
「―――ん?」
「ほら…雨、ですわ。私、洗濯ものを、取り入れなければなりませんの。ですから―――」
幼さの残る顔立ちと新品に近い濃紺のワンピースは、まだ来たばかりの新米を思わせる。
女中は自らの胸元に埋まってる頭をなんとか剥がし、はだけたワンピースの襟元を合わせて、そのままソファから立ち上がろうとした。
それをゾルグの体に阻まれてしまう。
「ゾルグ様……いけません」
「駄目だ。許さん」
ゾルグは女中の小さな手をしっかりと掴み、襟元から離して唇を使って再びはだけさせると、胸元に顔を埋めた。
女中の体がソファの上に沈み、ゾルグの出すリップ音が窓を叩く雨の音にまじる。
かなりの強い降り具合。洗濯ものはもうびしょびしょに濡れているだろう。
女中は年配の女中頭の厳しい顔を思い出し身震いした。
ここに勤め始めてからというもの、毎日叱られない日はない。女中の目に涙が滲み出た。
ゾルグはその瞳に口づけをし、妖艶に微笑んだ。
「泣くな。そんなことは他の者にやらせばいい。私が許すんだ、構わんだろう。いいから、今は私のことだけを考えろ」
首筋から胸の頂きにかけて、ゆるやかにゾルグの唇が這っていく。
女中は初めて受ける行為に体を固くし、懸命に逃れようと体をよじっていた。
「あ、あの、ゾルグ様……そんな、駄目です……あ、あの、お許しください」
「ん?私に逆らうと言うのか?いいからその可愛い口を閉じろ。今から許すのは、甘い喘ぎ声だけだ」
「そんな――――こんなこと、私、女中頭に叱られてしまいますわ。ですから……あの、お止めください」
「……黙れ」
ゾルグの唇が次々と伝える熱に、女中は次第に浮かされていく。
漏れそうになる声を我慢し、なんとか理性を保ちつつ懸命に逃れようとする。
「あの…お願いです……お止めください」
なんとか言葉を絞り出し必死に懇願していると、窓の方から――ガタン――と大きな音がした。
その音に反応し、自分への拘束が緩まったので、自由になった手で胸元を合わせながら見ると、一羽の美しい鷹が窓の桟にとまっていた。
羽を広げて、ついた水滴を振り払っている。
「ち、いいところで――――帰ったか」
ゾルグが呟きながらソファから体を起こした。
ふわりと桟から離れた鷹が、すー…と一人の男性の姿に変わっていき、ブラウンの長髪の従者の姿になった。
まだ僅かに残る水滴を掌で払いのけ、ゾルグに対し跪き礼をとる。
「―――お取り込み中のところ、大変申し訳ありませんでした。ゾルグ様、只今戻りました。急ぎ報告したいことがありまして、失礼を承知で窓から参じました」
従者は女中のほうを見ることもなく、淡々と話して頭を下げる。
「……うむ、仕方がない。続きは夜だ。いいな、逃げるなよ?」
女中の頬に掌を当てて妖艶に微笑み、ゾルグはソファから離れた。
女中は、恥ずかしいやら怖いやらで真っ赤になって半泣きになりながら急いで身なりを整え、ぺこりと頭を下げ小走りでドアに向かった。
とにかく、一刻も早くこの部屋の中から出たかったのだ。
その背中に向けてゾルグが思い出したように声をかける。
「―――あぁ、そうだ。女中頭にはあとで私が言っておくから心配するな。それから、必ず夜にまた来い。これは命令だ、貴女は従わねばならん。分かったな」
「…はい、畏まりました」
女中は一瞬拒否の言葉を口にしかけたが、主人の命を断れるはずもなく、諦めたような声を出して膝を折って部屋を出た。
ドアのしまる音を確認し、従者が窘めるような声を出す。
「ゾルグ様、また悪い癖を――――かわいそうに、まだ生娘でしょう」
「ホーク、貴様が口をはさむことではない」
明らかに不機嫌になり苛立ちを含んだゾルグの声にハッとし、ホークは慌てて居住まいを正して頭を下げた。
額に汗が滲みでている。
「は、これは、大変申し訳ありません」
「―――で、報告とは何だ。あちらに何か進展があったのか?」
ゾルグはテーブルの上の葉巻を手に取り、火を付けた。
煙を吐きつつホークの顔を観察するように見る。
長い指の間から煙が綺麗な線を描いて天井に立ち上っていく。
「はい、例の者が侵入を果たすも失敗し、彼の者は移動致しました」
「何!?あそこに侵入した、だと?……一体、どうやって―――」
緩やかな曲線を描いていた煙が一瞬ふわふわっと乱れた。
唖然とした様子のゾルグの指の間から灰皿へと煙が移動し、火がぐりぐりと消される。
「はい、ご存じの通り、自身は入ることは出来ません。したがって、分身を作り外部より操作した模様です」
「そう、か……そんなことが。奴でないと出来んことだな……。これは、恐らくアイツでも無理だろう。で、彼の者はどこに?」
「王都、です。恐らく城に匿うのではないかと思われます」
ゾルグは窓の外を見やり、にやりと笑った。
―――なるほど、王都、か―――
「―――ジンを呼べ」