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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
瑠璃の森
33/118

9

ユリアにとって、初めてのピクニック。



楽しげな話声と不機嫌そうな声。


他愛のないお喋り、コロコロと響く笑い声。


穏やかなまったりとした時が流れ、お腹の虫が主張を始めた頃、ザキが包みを開けてお弁当を広げた。


ジークの家のコックが作ったお弁当だ。


5個もある箱の中に、色彩豊かに作られたおかずがぎゅうぎゅうに詰められている。


蓋つきの籠の中には柔らかいパン。


久しぶりに長い時間体を動かしたユリアはお腹がペコペコだった。


お弁当が美味しくないはずがない。


大量にあった箱の中身は、物の数分の間に、三人してぺろりと平らげてしまった。



すっかり満腹になったお腹を苦しげに摩っていると「腹ごなしに歩くぞ」とザキが言いだしたので、ユリアは丁重に断った。


帰りもたくさん歩くのだ。体力を温存しておかないといけない。



リリィは少し離れたところで蜜を吸ってる蝶を見つめている。


そのリリィにザキが近づき話しかけていた。


それが、何やら言い争いになり始めた。


耳をすまして聞いていると、ザキがどうしても何とかの泉を見せたいと迫ってて、リリィは「ユリアさんが一人になっちゃうから」と言って渋っていた。


リリィは困ってはいたけれど、その言葉の影に“行きたい”という気持ちが見え隠れしている様な気がした。


「リリィ、私は平気だから行ってくるといいわ」


でも…、と渋っているリリィの手を強引に握り、ザキが引きずるようにして連れていった。


ユリアが笑顔で手を振って見送ると、リリィも笑顔で手を振り返してきた。


「やっぱり、行きたかったのよね。ゆっくりしてくるといいわ…」そう呟き、視線を草原に戻す。



賑やかな二人がいなくなり、草原を渡る風の音と鳥の囀りだけの時が訪れた。


こうして何も考えず一人の時間を楽しむのもいいものだ。


―――なんて気持ちいいのかしら―――


目を閉じて森の空気を胸いっぱいに吸い込んでみる。


優しい風が頬を撫で、花の香りがふわりと鼻をくすぐる。


まるで、森の空気に体を包まれたような感覚になる。


なんだか森に祝福されてるように思える。


“治って良かったね”って―――



ユリアが幸せな気持ちにひたっていると、サクサクと、草を踏みしめる音が耳に届いた。


―――――?早いわね。リリィたち、もう帰って来たのかしら……。



「探したぞ……ここに、いたのか」


耳慣れない声に振り返ると、そこには青年が立っていた。


肩まである波打つ癖のある髪。それは夜の闇を映したように黒く、同色の瞳はキラキラと輝いている。


逞しい体躯に乗せられた顔は小さめで、各パーツがバランス良く配置され、整った顔を作っている。


すぅと通った鼻梁、意志の強そうな瞳、薄い唇。


ラヴルと同じく、間違いなく美形の部類に入る青年だ。



優しく微笑みながら立つその青年の体がすーと沈み込み、ユリアと目線を合わせた。


不思議と、警戒心が湧いてこない。


「あの―――誰、ですか……」


「……覚えていないか?」


「…会ったこと、あるんでしょうか。ごめんなさい、私、記憶がなくて」


「っ!?記憶が、ないのか……。それに、これは何だ……体を、どうした?」


「――はい?」


何のことを言ってるのか分からず、ユリアは青年の顔をまじまじと見つめた。


微笑みが沈み、眉根を寄せ口を引き結び、とても辛そうな顔になっている。



青年の大きな手が気遣わしげにユリアの頬に触れ、サラサラの髪をそっと指で掬った。


その青年の瞳を見ていると、まるで魔法にかけられたように動くことが出来ず、されるがままになってしまっていた。


切なそうな瞳に引き込まれてしまうのだ。


―――貴方はどうしてそんな顔をしているの?貴方は、私が誰だか知ってるの―――?


そう聞きたくても、喉が詰まったようになっていて、言葉となって出てこない。



「そうか…あのときのせいか――」


「…え?今、何て―――――っ、あの?放して下さい」


急に青年の体が屈みこんだかと思えば、脚に腕が差し入れられ背中をがっしりと支えられ、ユリアの体はぐいっと上に引き上げられた。


ユリアの瞳に空と優しい微笑みが映る。


「我が元に、来い」



囁くような声と優しい物腰に抵抗する気を奪われてしまう。


感情の波の中に沈み込んでいくそれを、懸命に引っ張り上げ拒絶の気を何とか言葉に乗せた。


「あの、何処に行くんですか。待って下さい。困ります」


「―――黙れ」


ユリアの体で足元が見えないはずなのに、青年は軽々と足を運び、すいすいとでこぼこの獣道を進んでいく。


このままだと、思うがままに連れていかれてしまう。


―――なんとか、しないと―――


ユリアは出来る限り手脚を動かして暴れてみた。


体に絡まっている青年の腕を引き剥がそうと押したり引いたり、胸を叩いたり、いろいろしてみた。


けれど、当然ビクともしない。


「無駄だ」


「―――っ、でも私は行きたくありません。下ろして下さい」



ユリアが強くそう言うと、青年の歩みが少し緩まった。その時に、遠くの方から獣の遠吠えが聞こえてきた。


オークションのとき聞いたような伸びやかな声だ。


森中に響き渡り、それに呼応するようにあちこちから遠吠えが聞こえてくる。


それは、狼のものだとすぐに分かった。



「チッ、気付かれたか――――」


青年が悔しげに舌打ちしたあと、体を支えている腕の力がぐっと強まった。


「口をしっかり閉じていろ。舌を噛むといけない」


そう青年が呟いたかと思ったら、流れる景色が急に早くなった。


獣道を走り始めたのだ。


飛んでいるのかと思うほどに上下せず、ユリアの体に振動が全く伝わってこない。


森の中を走りに走り、木々の向こうに建つ家が後ろに流れていく。


やがて向かう先に開けた空間が垣間見えるほどになった時、行く手に一つの影がサッと飛び出してきた。



息も荒く金色の目を光らせ、両手を広げて立ち塞がっている。


その姿を見止めた青年がぴたと止まった。


あれだけ走ったのに、息一つ乱れていない。瞳は真っ直ぐ前を見据え、怖い顔をしていた。


腕の力はますます強まり、ぐいっと胸に寄せられ、ユリアを離してくれそうにない。



「お前!何処に行くつもりだ!?」


聞いたことのある声に驚いて、なんとか振り向いて見ると、見慣れた人が青年を睨んで立っていた。


すぐには信じられなくて、ユリアは口をパクパクさせてしまう。


――いつの間に帰ってきたの?もしかして、私を助けに来てくれたの?


「……バル!?」


沢山の人が木の陰から飛び出してきて、気付けば廻り中を囲まれていた。


青年の動きを封じ込めるようにジリジリと近寄っている。



緊迫した空気。


遠くに聞こえていた鳥の声も止んでいる。


静まり返った中に青年の唸るような、脅すような響きを持つ声が響いた。


「そこを、退け」


「それは、出来ん」


「では、押し通るまでだ」


不敵な笑みを浮かべる青年が一歩、また一歩とバルのいる方へ近付いて行く。


その後を追うように背後からの包囲が、じり、じり、と狭まってくる。



皆青年からただならぬ気配を読みとっていた。


瑠璃の森が受け入れたということは魔の力は弱いはず。


だが、何かが違う。底知れぬ不気味な気を放っているのだ。


それは、青年自身からではなく、どこか遠くから来ているような。


バルを始め、この場にいる者全員がそう感じていた。


ただ一人、ユリアを除いて―――



「…バル、助けて」


手を伸ばし助けを請う。


不思議と恐怖は感じていないけど、これ以上知らない場所に行くのは嫌だ。


何よりも、大好きなリリィを残して行けないのだ。



「お願い、バル……」


「む…貴女は動かず黙っていろ」


自分に向けられた言葉に反応し、上を見上げると漆黒の瞳と視線が合った。


それが赤く光り、途端にふわふわとした感覚に陥る。


――…待って、嫌…気を失いたくない……――


ユリアの抵抗も空しく、目の前の赤い瞳がぐるぐると周り、頭がくらくらして何も考えられなくなり、やがて、ふぅ…と闇に陥った。


伸びていた細い腕がぐったりと下がり、頭がカクンと、力なく垂れた。


「悪いな…暫くそのままでいろ」


青年の優しい瞳が、青ざめたユリアの顔を見つめる。



「お前は何者だ!?」


「知る必要はない。だが、この姿、貴様は知っていると思ったが、考え違いか―――」


「何――――?」


青年の顔を改めてじっくりと見たバルの表情が、見る間に強張っていく。


それは一度だけ遠くから見た姿。


戴冠の儀に招かれた時に見ただけ。


「お前は、まさか…セラヴィ王、なのか―――――何故、ここに入れるんだ」



呆然と呟くバルの様子を見ていた包囲網の一人が、奇声を上げつつ横から飛び出した。


ユリアの体を上手に避け、脚に鋭い爪を当てて思い切り引き裂いた。


セラヴィの衣服が破れ、皮膚に何本もの線が走り、ぱっくりと裂けた。


だが、血は一滴も出てこず、セラヴィも全く痛みを感じていない様子。


そのまま何事もなかったようにスタスタと歩き続けた。



「やはりそうか、そういうことか。どういう仕組みかは分からんが、お前は、偽物だな」


「ふむ…だと、したら?」


「彼女は助けを求めた。この俺に。セラヴィ王ではないなら、遠慮は、せん」



バルの姿が変わっていく。


鋭い光を放つ金色の瞳、ふわりと逆立つ金色の髪、鋭く尖った爪。


体の周りの空気がゆらゆらと揺れ、高まる気に煽られ、周りの草が千切れて宙に舞う。


鳥がバタバタと飛び立ち、森の木がざわめき始めた。


「彼女を渡して貰おう」


「ふむ―――成るほど、貴様も、か」


シュン――――と風を切る音がし、バルの体が瞬時にセラヴィの背後にまわり、広い背中を鋭い爪が二度引き裂いた。金色の爪がギラリと光る。


「む…これで終わるとは思うな……」


不敵な笑いを含んだ声を最後に、セラヴィの瞳から光りが消えていく。


…パシッ…


小さな破裂音がしたあと、セラヴィを形作っていた塵が粉々に割れ、ぼろぼろと崩れていく。


中心にあった草花が千切れてひらひらと舞い落ちた。


支えが無くなり、落ちていくユリアの体をバルの逞しい腕がしっかりと受け止め、安堵の息を漏らした。


―――もう少しで連れ去られるところだったな。この森の向こうに、セラヴィ王がいるのだろう―――


「ジーク、急ぐぞ」


「はい、バル様」



セラヴィを形作っていた塵が核の草花の残骸を残し風に乗って方々に散っていく。


「残骸をなるべく集めて森の外に捨てろ。それから、奴は一体だけではないかもしれん。手分けして見廻ってくれ。お前が指示を出せ」


「はいっ」


バルは一番近くにいた年嵩の者に素早く命じ、ジークとともに家への道をひた走った。


―――兎に角、一刻も早くこの場から離れなくては。



その一心で走り続ける。


相手はセラヴィ王だ。


あの塵をも利用し、何かを仕掛けてきそうな気がしてならない。


森の境界近くにいるだけで力の影響を受けかねない。


間際に放たれた言葉、体は無残に崩れ落ちていくのに、声は力強く自信にあふれていた。


本体は森の意思が撥ねてくれるが、どうにも不安感が拭えない。


言いようのない焦燥感に支配される。


安全だと思っていた森の盲点をつき、しかも病の身であんなことが出来るとは、流石、最強と呼び声の高い“魔王”だと言うべきか――――


こんなときは二本脚で走るのがもどかしく思える。



「起きていれば背に乗せるんだがな」


誰に言うとでもなく独りごちる。


意識のない体はほんの少しの揺れで大きく撥ねてしまう。


長い髪がサラサラと揺れ、頭がぐらぐらと動く。


慎重に走っているのも遅くなる原因の一つだ。


「―――仕方ない。少し苦しいかも知れんが、我慢してくれ」


聞こえるとも思えない声をかけ、体が揺れないようしっかりと抱え込み直し、バルはスピードをあげた。


―――急がなければ。


兎に角早く―――







「―――っ、これは、バル様―――ようこそお戻り下さいました」


玄関に飛び込むように入り込むと、留守番の使用人がびくっと体を揺らしながら丁寧に挨拶をした。


揺れるシルバーの瞳が腕の中のユリアを映し、後ろで息も荒いまま立っているジークと見比べ玄関先でかたまった。


バルをよく見れば、金の髪に金の瞳、どう見ても普通でないことに気付きオロオロとあちらこちらに視線を這わせる。


「あぁ、これは、どうされたのですか――――今朝はお元気に出かけられましたのに……ジーク様?」


「ちょっとした術にかかって気を失ってるだけだ。大事には至らん」


よくあることだ、すぐに気付く、と呟きながらジークは抱えられたままのユリアの様子を用心深く診た。


「そうですか。なにやら外の様子も騒がしくて、何があったのかと女たちが怯えております。一体何の騒ぎだったのです?」



使用人の顎に蓄えている髭が震えてるのが分かる。


怯えるのは女たちだけではないようだ。


家に入り少しはホッとしたが、それでも何故か気が急く。


今はそんなことを話してる場合ではない。


「悪いが、後で説明する。今はベッドに運ぶのが先だ」


バルが早口でそう言うと、使用人は顎髭を揺らして頭を下げ行く手を塞いでいたことに気付き、ささと体を大きく避けた。


「これは気が利かず申し訳ありません」


「気にするな」


返事もそこそこに視線もろくに合わさず青いドアをバルは目指した。


ドアノブを回すのももどかしく、開いたと同時にジークと一緒になだれ込むようにして入り込む。


「カーテンを閉めろ」


ユリアの体をベッドの上にそっと下ろしながら、バルはジークに命じた。


カーテンを閉めたからといって、何が変わる訳ではないが、少しでも外界からの気配を遮断したかったのだ。


出来れば、今は外を見たくない、そんな気分だった。


ジークも同様なのだろう、ふーと大きく息を吐いて壁にもたれている。


毛布をかけ寝顔を見ていると、バルの肩から次第に力が抜けていった。


―――俺としたことが……。何をこんなに焦ってるんだ。少し、落ち着かなければならんな―――


そう感じ、ふと自らの手に視線を落とす。


そこには久々に出した戦闘用の爪がある。


これは訓練以外で出すことは滅多にないものだ。


緊張と興奮から冷めず、未だ鋭く尖り金色にきらりと光っている。


「しかし、間にあって良かった。俺は、責任を持って、お前を帰さんとならんからな…」


バルは眠るユリアに話しかけながら、傷つけないよう細心の注意を払い、指の背でそっと額に触れた。


あたたかな感触が伝わってくる。


――とりあえず、お前が無事で良かった――



「―――――バル様、提案があるのですが」


強めな声を出したジークの体が、ずいっとバルに近寄った。


瞳は真摯な色を宿しまっすぐにバルの顔を見ている。


「何だ?」


「ここから連れ出しましょう」


「連れ出す?」


「はい、バル様、覚えておられますか。あの時、リリィが言っていたこと。ここに来てしまったワケを」



“私、夢中で飛んだの…。だって、逃げなくちゃと思って、必死で…”



「うむ、覚えている。話したがらないので詳しくは聞いていないが、逃げて来たんだったな」


「――――あの、“逃げなければならない相手”とは、あのお方なのではありませんか?お話しした先日の閃光も、あの方の仕業かもしれません」


「……うむ。私も、そう考えているところだ」


―――閃光に関しては、違う意見を持っているが……―――


「ならば、です。ここにいては、危険なのでは?さっきのようなことが起こらないとは言えません。ここを離れた方がいいのです」


「しかし、知っているだろう。今の俺の状況を。連れていけば彼女に迷惑がかかるぞ」


「バル様、彼女のため、なのです。それに、いいですか。これは、保護です。深い意味などありません。俺の言ってること、お分かりでしょう?」


意見を言い終えたジークはバルの足元に跪き、片手を床に置いて恭しく頭を下げた。


「どうかご決断下さい、バルリーク王子殿」



バルは瞑目して腕を組んだ。


ジークの言うことはもっともなことに思える。


“これで終わると思うな”


頭の中で、奴の捨て台詞が何度も再生される。



――――賢明なセラヴィ王のことだ、同じ手は使わん。


次回は違う手段を講じるだろう。


しかも、今度こそ確実に成功する手立てを、だ。


―――保護、か――――


“バル、助けて―――お願い”


あの時伸ばされた腕。すがるような瞳。か細く小さな手。


守るべき、か弱き者。


お前が頼り求めてくるのであれば、俺はその手を掴み取り、この腕で守り通そう。


この身が尽きるまで―――



「―――ジーク、支度しろ」


「では、バル様……」


「連れて行く。お前もだぞ」


「しかし、バル様。俺は…あの、ご存じでしょう?」


「お前は、彼女の主治医だろう。お前以外にだれが診ると言うんだ。大丈夫だ、皆に文句など言わせん。分かったな」


「……分かりました」



森の中から連絡を取り合う皆の遠吠えが聞こえてくる。


合間にザキの声も混じる。時期にリリィと一緒にここに戻ってくるだろう。


行く前に、まず、リリィの許可を貰わんとな。


おっと、フレアもだ。


あぁ、ザキの許可もいるか。



バルの頭の中に次々と顔が表れ消えていく。


最後に不機嫌な顔をさらに歪めるザキの表情が容易に思い浮かび、バルは頭を掻きつつ苦笑した。


その後順番に一人ずつ説明したら不機嫌な声で「俺も行く」と言い張り、ダメだと渋るジークの了解を勝ち得たザキが機嫌よく呟いた。



「良かったっす。やっぱり仕舞い込むことにしたんすね」


「っ、勘違いするな、断じて違うぞ。……ジーク―――お前ら、何を笑っているんだ」



ジークの家に、バルの慌てた声と笑い声が大きく響き渡った。


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