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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
瑠璃の森
32/118

8

それから時は流れ、閃光の日から幾度も平穏な夜と朝を迎え、皆の記憶と恐怖心が薄れた爽やかな朝のこと。


ジークの家から離れた赤い屋根の小さな可愛い家。


薬草とハーブの植えられた庭。


朝の澄んだ空気の中、そこからジークの恋人であるフレアの鼻歌が聞こえてくる。


綺麗な手が籠の中から布を取り出しては物干しにかけ、顔に比べて大きめの耳がぴくぴくと動き、唇は緩やかに弧を描いている。


その様子は、何だかとても嬉しそうだ。


その表情を作った元。


ジークの家の方から、二人の女の子の楽しげな話し声が耳に届いてくる。


それは聞いているだけで心がほんわかとして、気分が楽しくなるものなのだ。


「ふふふ…随分頑張ったものね。良かったわ、ホント。一時はホントに心配したもの」



フレアが薬を届けるたびに目にした痛々しい姿。


早く治るようにって祈らずにはいられなかった。


こんなに楽しげな声が聞こえるまでになるなんて、心底嬉しくなってしまう。


可愛い二人の声の合間に、野太い声がたまに加わる。


ジークの声だ。


「あらあら、ジークったらもう、心配し過ぎだわ。……でも、まるでお父さんみたいね。一体どんな顔をしてるのかしら」


フレアは心配げに眉を寄せるジークの顔を想像して噴き出し、声を立ててひとしきり笑った。


「今日はお天気もいいもの。二人とも、楽しんでくるといいわ」


フレアは空になった籠を抱え、ジークの家の方を見た。


今日も瑠璃の森は穏やかだ――――





***





「ね、ユリアさん。ちょっと遠いけど、頑張ろうねっ」


「そうね。休みながらゆっくり行けばいいわよね?とても楽しみだわ」


「おいおい、二人とも……俺は、本当は不本意なんだぞ?」


「だーいじょうぶ!」


リリィが胸を叩いて、任して!とばかりにウィンクをする。


「リリィ、一体、何処からその自信が来るんだ」


ジークはうんざりした声を出し、半ば呆れつつリリィを見た。


リリィは自信たっぷりに胸を張っている。バルの代わりにユリアの世話を全部してきて、何処が痛くて、どう対処すればいいのか、知りつくしていた。


ユリアの怪我も随分治り体力もつき、懸命な練習の賜物で、支えが必要ながらも長い距離を歩けるようになっている。


頑張ったご褒美に外に行こうと言いだし、昨夜何度かの粘り強い交渉の末ジークの許可を勝ち取り、早速それを実行しようとしていたのだ。



ここに来て初めてと言っていいほどの、とびきりの笑顔を見せるユリア。


嬉しそうに屈託なく笑うリリィ。


ジークは眉間のしわを伸ばし肩の力を抜いた。



「あぁ、まぁ、仕方ないなぁ。リハビリにもなるし……」


昨夜から何度も繰り返しているこの言葉で、もやもやとした気持ちをなんとか納得させ、頭をガシガシと掻きながらぎこちなく笑った。


バルの責めるような厳しい瞳がふと思い浮かび、思考から追い出そうと、あわてて頭をふる。


が、一度思い浮かんだものは、そうそう退散してくれない。


“無責任だ”と声が聞こえてくるよう。


―――もし、バル様がこの場に居られたら、俺は叱られるかもしれんな……。


苦笑しつつも、嬉しげな二人の笑顔を見る。



―――おっと、そうだ。バル様に治ったことを報告せにゃ―――



「じゃあ、リリィ頼んだぞ。ザキが仕事を片付けたら、弁当持たせて向かわせるから。くれぐれも、無理するなよ。場所は―――――っと、確か、瑠璃の泉の傍の、草原だったな?」


「うん、そう。あの綺麗なところ。じゃ、ジークさん、行ってくるわ。……あっ!ザキ、後で来てね!」


手に袋を下げてどこかに向かうザキを見つけ、リリィは思い切り手を振った。


ザキは振り返り「あぁ、待ってろ」と、めんどくさげに手を上げてそれに答えた。そのままだるそうに裏手の方へ歩いて行く。



「じゃ、行こ。ユリアさん」


ユリアはリリィの手に掴まり、ゆっくりと歩き出した。


「おい!まだ無理するんじゃないぞ。治ったといっても、完全じゃないんだ。走ったりすると痛むかもしれん。いいな!!」


後から追いかけるようにジークの声がいつまでも聞こえてくる。


ユリアが立ち止まって振り返ると、ジークが不安そうに顔を歪めていた。


返事の代わりに“心配しないで”の想いを込めて笑顔で手を振った。



――――いつも窓から眺めていた景色。


変わりなくある沢山の木々。


この先に何があるのか、どんな景色が広がっているのか、いつもいつも気になっていた。


毎日リリィが話してくれる森の中の風景は美しくて、言葉の端端から色彩の豊かさを想像することができた。


同じ景色を見てみたいと思った。


歩きたいと思った。


だから、一生懸命たくさん食べて、歩く練習も頑張った。



「治ったら、ピクニックに行こ」


リリィのこの言葉を励みにして。



ジークの家で目覚めた当初は、痛くて息をするのも苦しかった。


動かすと痛みが走る手脚に、何度も涙が滲んだ。


苦しくて辛くて、いっそのこと、あのまま天に召されていれば楽だったのにとも思った。


もう二度とベッドから起き上がれないかも、と思ったこともある。


それが、こんな風に歩けるようになるなんて。


こんな風に綺麗な景色を見られるなんて。


こうしてもう一度健康な体を取り戻せたことに、感謝の念が湧きあがる。


すべての人に“ありがとう”って叫んで抱き締めたくなる。


木漏れ日の中を、リリィに手を引かれながらゆっくりと歩いて行く。


心地いい甘い風が通り抜けていく。


ざわざわと風に揺れる枝。所々に咲いている小さな花。


見るもの触れるものすべてが愛しい。


足を前に出すたびに土と草を踏みしめる音がする。


少し柔らかい感触が足に当たる。歩いてるって実感する。


私、生きてるんだなって、実感する―――



「ユリアさん、平気?疲れてない?ここ、段差があるから気をつけて」


道の所々に岩が埋まっていて、段差を作っている。


長年の行き来で自然に形作られた獣道。


何も手を加えられてないため、自然のままだからとても歩きづらい。


リリィに支えられながら段差をゆっくり下りていく。


途中の岩場や水場で休憩しながら進んでいると、後ろからハスキーな声が聞こえてきた。



「なんだよ、お前ら。まだこんなとこにいるのか。もう、とっくに着いてると思ってたぜ」


振り返ると、手に大きな包みを下げてザキが立っていた。


少し髪が乱れているのは、急いできたからに違いない。


「リリィ、それをかせ」


ザキはリリィが持ってる籠を目に止め、手を差し出した。


籠にはユリアの薬と少しばかりのおやつと飲み物が入っている。


「重いだろ。俺が持つ」


リリィが籠を渡すと「さ、早く行かねぇと昼になっちまうぜ」と急かしてきた。その言葉にユリアは戸惑う。



―――昼になるって、冗談でしょ?そんなに遠いの?私、そこまで行けるのかしら―――



少し痛くなってきた脚に視線を落として、不安になった。


「リリィ、草原はまだ遠いの?」


「ううん、あと少し。ユリアさん、疲れたの?大丈夫よ、いざとなったらザキに背負ってもらえばいいもん。ね?ザキ」


にっこりと笑って提案するリリィを見つめるザキの顔が、どんどん変わっていく。


日頃から不機嫌そうにしているのに、さらに輪をかけてむっすりとした表情になっていく。


無言で抵抗するザキに、リリィが追い打ちをかけた。


「ね、ザキ、いいでしょ?」


「―――っ……仕方ねぇな」


ため息をつき渋々返事をするザキの態度は、リリィ以外には触れたくないと見えた。


それが、とても分かりやすくて、何だか可愛くて、ユリアはつい笑ってしまった。


―――ザキは、ホントにリリィが好きなのね――


「ごめんなさい。背負う必要がないよう、私頑張るわ」


「っ、べつにいいけど……兎に角、早く行こうぜ」


少しばつの悪そうな顔になるザキ。



――本当に嘘がつけない人なのね。


いつも不機嫌そうでぶっきらぼうだけど、性格はまっすぐで一途なんだわ。


この人なら、リリィを幸せにしてくれそう。リリィは、どう思ってるのかしら―――



そう思い、手を引きながら前を歩いているリリィを見るユリア。


優しくて明るくて、いつも一生懸命なリリィ。幸せになって欲しいと、心から思うのだった。


「リリィ、大好きよ。いつもありがとう」


「え??何?ユリアさん、どうしたの?急に。私も、ユリアさんが大好きだよ」


ユリアの口から思わず出た言葉を聞いて、リリィが振り返ってはにかむように笑った。



ジークの家を出て、かなりの時が経っていた。


目的地にはまだ着かないのか、相当な距離を歩いているように感じる。


次第に、ユリアの足の痛みが増してきた。



―――やっぱり遠出は無謀だったかしら。ジークの言う通りにしてれば良かったかも。


やっぱり、お医者様の言うことはきちんと聞くべきね―――



そう反省しかけた頃、リリィが嬉しそうな声を上げた。


「ほら!ユリアさん、着いたわ。ここよ!見て!」


満面の笑顔で振り返ったリリィの体の向こうに、その草原はあった。


何度も話に聞いていた場所。


やっと辿り着いたという達成感と湧きあがる感動で、ユリアの瞳に涙が滲む。


口から零れ出たのはありふれた言葉だった。


「すてき……」


「でしょ?今が見頃なんだって。ね、綺麗でしょ?」


「……ほんとね」


あまりにも素晴らしくて美しくて言葉にならない。



一面に咲き誇る花。


純白と薄紅色と濃桃色の花が見事にグラデーションを描き、その上を瑠璃色の蝶がひらひらと舞っている。


澄み渡った青い空と周りを囲む緑の木々が額縁となり、それはまるで神が描いた絵のよう。



「本当は夜に来た方がいいみたいなんだけど、ユリアさんにはまだ無理だから……」



ユリアが見惚れたままぼんやりと立っていると、不機嫌そうな声が聞こえてきた。


「おい、こっちに来て座れ。まず、休憩した方がいいんだろ」


その声の方を向くと、いつの間に準備したのか平らな場所に敷物が敷かれていた。


ユリアが座り込むとリリィが靴を脱いだ方がいいわと言って脱がしてくれ、ジンジンと痛む足がすーと楽になっていった。


「ありがとう。リリィ」


一息ついていると、ザキがガサゴソと包みの中を弄り、小瓶を取りだした。


「これ、痛み止めだ。着いたら飲ませろって、ジークに言われた」


ぶっきらぼうに、ん、と差し出された薬湯を受け取り口に含む。


相変わらずの苦みに顔を顰めた。


――効くのは良いけれど、もっと美味しいと良いのに――





***




ユリアが苦笑しつつ苦い薬湯を飲み干し、足の痛みが薄らいでホッとしてる頃。


その時、森の外には一人の男が立っていた。


焼けた荒野と化した地に立ち、後ろにはうつろな瞳をした娘を一人連れている。


男が前方にすーと手を伸ばし森の方向を指し示すと、娘がふらふらとした足取りでそちらに向かって歩き出した。


さくさくと草を踏み、森の中に生えている丈の長い草花を数本むしり取り、またふらふらと歩いて森から出て戻ってきた。



無表情のまま男に草花を差し出す。


男はにやりと唇を歪め、受け取ったその手でそのまま抱き寄せ、首筋に顔を埋めた。


娘の体がぴくんと痙攣し、白い手が男の背中を掴む。


暫くの後、男は埋めていた顔を上げ、首筋を指でなぞり体を離した。



腕を頭上に上げ、指をパチンと鳴らすと、男の姿があとかたもなくパッと消えた。


その一瞬後、娘はハッとしたように瞳を見開き、キョロキョロと周りを見回した。



「へ?私、何でこんなとこにいるの?確か、仕事してたはずなのに」


そうだ、さっきまで店でお茶を出してたはずなのに。


美形の凛々しい男の人に手招きされて、ドキドキしながら「ご注文は?」と聞いたことまでは覚えている。それから、どうしたっけ――――?


怪訝な表情で首を傾げ、暫く佇む娘。


どんなに考えても何も思い出せない。


「んもう、いいわ。分かんないもの。不気味だけどしょうがないじゃない。ていうか、早く帰らなくちゃ!マスターに叱られるわ」



誰に向けるというわけでもない悪態をつきながら、若い娘は足早に去っていった。


再びパチンと指を鳴らす音がし、男の体が何もない空間に現れる。



「…ふむ。御苦労だった」


歩き去っていく娘の背中に小声で言うと、男は手の中の草花に、ふー…と息を吹きかけ、それを前方に投げた。


すると、周りの塵を集め草花がむくむくと肉を付けていき、どんどん形が変わっていく。


花の部分が頭部に、葉が腕に、草が手脚に、変わっていく。


やがてそれは小さな人型となって地面に横たわった。



「―――起きろ」


一声かけるとそれがぶるぶると震え、ぴょこんと立ち上がり、するすると大きくなっていく。


逞しい体躯を作り顔が出来あがり髪が生え服を身に纏い、元が草花とは思えないほどに男の容姿と寸分違わぬ者となり、無表情で前に立った。



男が人型の額部分に指を当てると、その先端が光り、気のようなものが人型の中に流れ込んでいく。


人型に束の間の魂が宿り、次第に表情が現われ、ニコリと笑い頭を下げた。


「ご主人様、何なりとご命令を」


「森の中へ行け。あとは私がやる」


「――――承知」


人型は頭を下げたあと、森の中にサクサク入っていった。



「ふむ。ひとまず、ここまでは成功、だな……」


見送る漆黒の瞳は不敵に輝いていた。



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