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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
瑠璃の森
29/118

5

それから数日の時が流れ。


爽やかな風が吹き込む部屋の中、ユリアは体を動かすことを試みていた。



「よし、これでいいな。うん、大分治ってきたぞ。どうだ、痛くないか?気をつけて……そう、ゆっくりだ―――」


起きてみたい、と言ったユリアに対しジークが怪我の様子を確認したあとに体をそろそろと起こしてくれていた。


寝てばかりいた体は平衡感覚がおかしくなっているのか、少しふわふわと揺れる感じがする。


「ありがとうございます…平気です」


起こしたままずっと支えてくれている腕を遠慮しつつ押すと、ジークはゆっくり腕を離して治療器具を片付け始めた。


少しふらつく体を自力で支えようと力を入れてなんとか背筋を伸ばすも、衰えた筋力がそうさせてくれない。


一分もたたないうちに疲れてしまい、ユリアの体は前のめりに倒れ込んでいく。


折れている方の腕で咄嗟に支えようとしたら「何をしてる、無理をするんじゃない」と焦った声がし、背中側にクッションをあてがわれ肩を押され、ユリアはそっとベッドヘッドに倒された。


その延びている腕の先には、いつの間に来ていたのかバルが眉根を寄せた表情で立っていた。


その厳しい光を持ったブラウンの瞳が、医療机に向かって立っている広い背中に向けられる。


「ジーク、無責任に離れるな」


「すみません、バル様がこちらに来られたのが分かったもんですから。お任せした方がいいと、そう、思いまして」


ジークはピンセットを消毒液の中に突っ込み、バルの顔を眺めながら、その方がいいでしょう?とばかりにニンマリと笑った。


「せめて一声かけろ。焦っただろう」



「あ、バル?ありがとう。もう、平気よ」


肩を掴んだままの大きな手を、ユリアはやんわりと退けるが、もう片方の手は肩を掴んだままだ。


「いいのか?本当に平気なんだな?」


そう言って何度も確認したあとにやっと手が離れていく。


「大丈夫よ」と返事をしつつ、相変わらずだなと思い苦笑してしまう。


ここ数日間バルと接した中で、ユリアには一つ分かったことがあった。


それは、バルはとても心配性だということ。


少しでも顔をしかめたり、痛くて声を漏らしたりすると、ジークが治療してる途中でも、すかさず「何処が痛い」とか「大丈夫か」とか聞いてくるのだ。


そのたびに治療が止まるので「バル様はお下がりください。というか部屋から出てください」と、ジークは半分呆れながらも窘めている。それが常だった。



「そんなに気にしなくてもいいのに。大丈夫よ。あまり心配しないで」


「俺は心配してるんじゃない。気を配っているだけだ。お前は怪我をしてるんだぞ。俺に遠慮するな。何でも言ってくれ」


一般的にはそれが心配してるって言うんだが、バルにとっては違うらしい。


あれから食事の介助もずっとバルがしてくれていて、何かと気にしてくれてることに感謝しなければならないと、ユリアは改めて思った。


「バル、いつもありがとう」


心を込めてお礼をいうと、バルは、頭を掻きながら照れたように唸り声をあげた。



ユリアは部屋を見廻してみた。


こうして座ると景色が違って見え、新鮮な気分になる。


不思議なことに、ずっとここにいるのに、まるで初めての場所に来たみたいに思えるのだ。


視点が変わるだけで違った部屋に見え、すぐ傍にある窓の外も、今まで見ていた木の葉と空だけの世界に地面と花が加わり、映る景色が一気に華やかになった。


少し先の木の根元に、楽器のような形をしたピンク色の花がたくさん咲いているのが見え、その先にも点々と白や黄色の花が群生していた。



―――とても綺麗な森……。


澄んだ空気に甘い風……。


この香りはきっと、あのピンクの花から漂ってくるのね―――



気分良く眺めていると、ザキとリリィの姿が見えた。道の向こうから不機嫌そうに話すザキと、薬草の入った籠を持って屈託なく笑うリリィが、仲良さげに森の向こうから歩いてくる。


最近、リリィはザキととても仲が良いようで、「ザキがいろんなこと教えてくれるの」と、仕入れた情報をよく話してくれるのだ。



―――そういえば、この間はこの森のことを言ってたっけ。


確か、瑠璃の泉の力が外側からの魔力を遮断するとかなんとか。


だからここは隠れ住むのに最適な場所だって。


ということは、ここにいる人たちは―――



「何を見てるんだ?」


不意に掛けられた声と、目の前に現れた腕によって、ユリアの思考が停止された。


バルの両腕が頭を挟むようにして伸び、窓の桟に掴まっていた。


はからずも腕の中に閉じ込められた形になり、バルの体が上に覆いかぶさっている状態になっている。


すぐ脇にバルの逞しい胸があり、少し動けば頬が触れてしまいそうに感じ、バルの息遣いまでも聞こえてきそうな状況で。


ラヴル以外の男性にここまで近付かれたことがないユリアにとって、どうにも居心地が悪い。治療をしてくれるジークでさえも、ここまでは近付かないのだ。



「ん?あれは、ザキとリリィか……あいつら、いつのまに。そうか――」



バルが意外そうにボソリと呟いた。


その静かな低い声が、ラヴルの声と少し似ているように感じ、ユリアはドキドキしてしまう。


逃れたくて動こうにも自力ではまだ難しい上に、却ってバルの腕とか胸に触れてしまいそうになる。


純粋な乙女心を持つユリアにとっては、やっぱりそれは避けたいのだった。



リリィとザキは家の中に入ったのか、声も聞こえてこない。なのに、バルは覆いかぶさったまま動こうとしない。


なぜだろう。


そう疑問に思いながら目の前にある逞しい腕を見つめていると、じり…と近づいた気がした。


―――え?今、動いたわよね??――



触れないよう緊張しつつ座ってることに、だんだん疲れてきてしまった。


そろそろこの状態から解放して欲しい。そう思いつつ慎重に頭を動かして見上げると、何を思っているのか、バルは無言のまま外をじっと見ていた。


外から吹き込む風に髪がサラサラと揺れている。


表情は見えないけれど、深い考え事をしているように感じた。


声を掛けるのも憚るような雰囲気に戸惑いを感じつつ視線を元に戻すと、腕は、さらに近付いてるような気がした。


よく見てみると、頭を巻き込むような感じでじりじりと動き続けていた。


このままでは、腕の中に閉じ込められていしまう。今でも身動きできない状態なのに。そう焦りつつもう一度バルを見上げてみれば、さっきと変わらない雰囲気のまま窓の外を見ている。



―――一体何を考えているのかしら。


やっぱりこの腕は無意識に動いているのかしら。


考え事の邪魔をしてはいけないような気がするけど……でもでもやっぱり、このままじゃ、困るわ―――



躊躇しながらも取り合えず「バル?」と呼び掛けてみるが、遠慮しすぎたためか、声が小さくなってしまっていた。


聞こえないらしく、バルは何の反応もしない。なので、今度は頑張って声を張ってみた。


「バル」


「ん、何だ?」


「…あの、腕が。もう少し離して下さい」


「ん―――…っ!?あー、考え事をしていて…つい、その。あー、すまん。悪かった」


ユリアを包み込もうとしている自分の腕を見て心底驚いたのか、バルは暫く固まった後パッと離れてガシガシと頭を掻いた。


俺は、何てことを……そう呟きながら腰に手を当てて俯くバルに「気にしないで」と声をかけると、ぱっと顔を上げた。そのブラウンの瞳が金色に輝きながら揺れている。


それを隠すように掌で押さえながら独り言のように何かを呟いたあと、バルはジークの方に向き直った。


「あぁ、どうもいかん……。―――――ジーク、あとを頼む。俺は…俺は、暫く外に出てくる」


「はい。バル様、どうぞごゆっくり。俺は、一向に構いませんので」


足早に外に出ていく背中を見送ったあと、ジークはユリアの傍に来た。


「お前はもう横になった方がいい。疲れただろう。ほら、薬だ。コレを飲んで……」


「…はい。あの、バルは?」


「バル様は風に当たりに行っただけだ。……まぁ、お前が気にすることじゃない。ほら、少し眠れ」



ユリアは促されるままに薬を飲み、バルの様子を気にしつつも横になった。


飲んだ薬の効果か、窓の外の揺れる木の葉を見つめているうちに瞼が重くなり、いつしか眠りに落ちていった。




***





一方外に出たバルは、木の根元に腰を下ろし、空を見上げて深い溜息をついていた。


「……参ったな。こんなことは、初めてだ……」


そう呟く背後から、微かな足音が耳に届いてきた。それはこちらに向かっているようで、だんだんに音が大きくなってくる。瞳を閉じていても分かる。この、だるそうに引き摺るような足音は、ザキのものだ。


「……ザキ、か」


「…っ!あぁ、びっくりした――――何してんすか。こんなところに座り込んで」


「ちょっと、な……」



閉じていたバルの瞳が開かれ、木漏れ日を受けてキラキラと光る。


それを見たザキは、バルの隣に腰を下ろした。


「何があったんすか。目、金色になってますよ」


ザキの問いに対しバルは「まだ治らんか」と言って唸りながら再び掌で瞳を隠し、ごしごしと擦った。


ザキは足もとの草を引っこ抜きながら、様子を窺うようにチラチラとバルを見た。


「……俺でよけりゃ、いくらでも聞きますぜ。これでも口は軽くねぇっすよ」



バルは瞳から手を離し、無言のまま自分の手と腕を見つめた。


手を握ったり開いたり、まるで自分の意思で動くかどうか確認するように、何度か動かす。


やがて息を一つ吐いて唇を歪めた後、ザキの方を向いた。


「まさか、お前に気遣われる日がくるとはな……。何でもない、気にするな。それよりもだ。ザキ、さっき見ていたぞ。随分リリィと仲がいいんだな?」


「あーっ、見てたんすか」


いきなりザキの手のスピードが速まり、片手だったのが両手になり、足元の草がどんどん引っこ抜かれていく。珍しく動揺しているのか、ハスキーな声が少し上ずっていた。


「リリィはいい娘だ、俺は反対しないぞ?」


「や、反対しないって……それ、一体どういう意味っすか」


手を止めて振り向くザキのダークブラウンの瞳に、意味ありげにニンマリと笑うバルの顔が映る。


さっきまで金だった瞳の色は、すでに落ち着いたブラウンに戻っていた。


「あ……、いやいやいやいや、何言ってんすか!俺こそ、何でもねぇっすよ――――アイツは…妹みたいなもんっす」


ザキは動揺しつつも足元に山となった草を手際良く纏め、籠の中にポイポイと放りこんだ。


そして再び草を引っこ抜き始める。柔らかく生い茂っている草がどんどんなくなっていき、徐々に土が露わになっていく。


「…アイツは、いつも平気そうな顔してっけど、違うんすよ。アイツは、すげぇ無理してんですよ」


何かを思い出しているのか、草を引っこ抜く手を時々止め、言葉を途中で切りながらザキは続けた。



「こんな遠いとこまで来ちまって不安でたまんねぇだろうに……。初日に泣いた、あれっきりで。あとずっと泣いてないんすよ。もしかしたら、陰で泣いてっかもしれねぇけど、少なくとも、みんなの前では泣いてないんす。……主人を気遣って、泣きごと一つ言わねぇで。いろんなことに一生懸命で、いつも笑ってて――――だから、俺、ほっとけないんすよ。それだけっすよ……」


「そうか、そうだな。リリィは頑張ってるからな。ザキは優しいんだな」


「そんなことねぇっす。俺は―――」


足もとの草がすべて無くなり、ザキの手がぴたと止まった。


「俺なんかよりも。それよりも……」


ハスキーな声がワントーン下がり、真剣さを孕む。


「バル様こそ、いいんすか」


「ん?何のことだ」


「見てりゃ分かるってもんっすよ。言ってくれたら、俺、運びますよ」



落ち着いたブラウンの瞳がザキの顔をまじまじと見つめる。


いきなり何を言い出すのかと、バルはすぐには理解できないでいた。


ザキはそんなバルを睨むようにして見、ずいっと近付いて声を潜めた。


「俺なら、手の届かねぇとこに仕舞いこんで絶対離さねぇ。協力しますよ」



「―――っ、な、何言ってるんだ。そんなこと出来るわけないだろう。それに、勘違いするな。そんなんじゃない」


暫く固まったように動かないでいたバルは、動揺を隠すように早口で言い、ザキの瞳から逃れるように視線を外した。


ザキはそんなバルの正面に移動して見据え、俺は真剣だと訴えながら、前々からもどかしく思っていることを、無遠慮に口にしていた。


「そんなことねぇっすよ、貴方様はそうしたいと思ってるはずです。やる前から諦めるって、貴方様らしくねぇなぁ」


「違う。そうではない。そんなことを憶測で口にするな。誤解を生む」


「誤解されてもいいじゃねぇか。それに、憶測じゃねぇっすよ。さっきの金目の原因は―――」


「黙れ!違うと言ってるだろう!」


なおも言い続けようとするザキに対し、声を荒げて制したバルの瞳が再び金に染まり始める。


ざわざわと心が騒ぎ始め、制御出来ずに、握った拳を地面に叩き付けた。


落ち着き始めていた心が再び高揚し、狼の血が荒ぶる。


滅多に気持ちを乱すことのないバルの反応に、ザキは怯み、口を噤んだ。


目の前のバルは、どんどん昂っていく気持ちを落ち着かせようとしているのか、瞳を閉じて胸を抑え深呼吸を始めている。


「すいません。でも俺は―――間違ったこと言ってるつもりはねぇっすよ」


「……」


「…貴方様がいいってんなら、仕方ねぇけど。コレだけは覚えておいて下さい。俺は、貴方様のためなら何でもするってことを。その気になったらいつでも言って下さい」


あ、ジークも同様っすよ、と言葉を継ぎながらザキは立ち上がって服についたほこりを払い、籠を持った。その動きを止め、籠の中を不思議そうに眺める。


「――ん?……俺、いつのまにこんなに草取ったんだ?」


すっかり土がむき出しになり草一本なくきれいになった足元と、大量に草が入っている籠の中を見て首を傾げた。


そして、しまった、こんな草取りするはずじゃねぇのに、と唸るようにぶつぶつ言いながらザキはバルから離れていく。



そのだるそうに引きずるような足音が遠ざかっていくと、バルは息を吐きつつ天を仰ぎ見た。


瑞々しく葉の茂った枝の隙間から見える青い空が、金色に光る瞳に映る。


流れる白い雲の下を二羽の鳥が仲良く飛んでいく、平和な森の空。


「全く、ザキの奴……お節介にも程があるぞ」



そう呟いた一瞬後のこと。


程良い厚みの、形のいい唇がキュッと結ばれ、微かな物音に反応した耳がピクッと動いた。


誰かが近付いてきているのだ。


視線を下げると見なれた人物が跪いている姿がバルの目に映った。


それは普段なら影のように傍に控えている者で。


今この場にはいないはずの者。



―――全くなんて日だ。落ち着きたいのに、一人になることが出来んとは―――


「――――何の用だ。俺が呼ぶまで、ここには来るなと言っておいただろう」


バルは跪いた姿を観察するように眺めた。


ザキが去ったあとすぐに現れたということは、さっきの話を聞いていただろうに。


少なくとも今、普通の精神状態ではないことは分かってるはずだ。


なのに、この男は冷静に眉一つ動かさず無表情のままでいる。


どんな時でも動じず冷静沈着。


こういうところが、最も信頼を寄せ側近として置いている要因のひとつでもあった。


肩まで伸びたダークブラウンの髪を一つに束ねたこの男は、側近中の側近、アリだ。


「申し訳ありません。ですが、緊急な事で御座いまして。マークベン様より伝言をお預かりいたしております」


思わぬ名前を聞いてバルの双眉が上がり、木にもたれさせていた体をがばっと起こした。


「王から?何だ、言ってみろ」


「はい。“至急戻るように”との仰せです」


「っ、何かあったのか――――?」


「はい“漆黒の翼”がバル様を訪ねて来られました。今現在滞在中で御座います」


アリは無表情のままそう言うと再び頭を下げた。


「……分かった。すぐに帰る。支度してくる、少し待ってろ」



バルはアリを待たせ、ジークに瑠璃の森を離れることを伝えるべく家に入った。


軽く荷を纏め、家を出る間際に暫く留守にすることを伝えようと、ユリアの顔を見に医療室を訪れた。


青いドアを開けると静かな寝息が耳に届く。


ジークも中にいて、机に向かい書きものをしていた。その手を止め振り返り、纏められた手荷物に目を止め立ち上がる。


「寝てるのか……」


「はい、薬が良く効いております」


「……そうか」


優しいブラウンの瞳がベッドの中を見つめる。


―ここで最初に見たときよりも随分良くなったな。あのときは色がなく、生きているのが不思議なくらい白かったというのに。


それが今は血色のいいピンク色になっている。この調子なら、時期に体力が戻り動けるようになるだろう。


小さな顔に程良く配置された整った顔立ち。10人に問えば10人が美しいと評する。


長い睫毛、薄紅色の唇、サラサラのストレートの髪。


バルは、全てを目に焼き付けるように、順番にゆっくりと瞳を動かした。


今度来るときは、きっとこの怪我は治っているだろう。


一度帰ると、簡単にここには戻って来れないことは分かっていた。



「出来れば完治するまで居たかったが、そうもいかんな。全く、不便極まりない身の上だ―――」


「バル様、お帰りになるんですね?」


「あぁ“戻れ”との仰せがあってな」


「―――そうですか。ご心配なく、後のことはお任せ下さい。ザキもいますから」


「ザキか……」


バルは思わず唸り、眉根を寄せた。


早まったことをしでかさなければいいが、と、少しの不安が頭を掠める。



「ジーク、何かあれば使いをよこせ。何を置いても速やかに対処する。分かったな。それから、ザキを見張ってろ。何をしでかすか分からん」


「はい、バル様。承知しました」



バルはジークに見送られ、アリと一緒に瑠璃の森から出た。


広場に止まる馬車に乗り込む。


瑠璃の森は、ロゥヴェルの国境と王都との中間ほどの距離に位置している。


国土の広さ的に言えば、とても小さな国ラッツィオ。


目指す王都は国の中ほどに位置し、馬車であればものの半日あれば着いてしまう。


流れる車窓の景色を見ながら呟く。


「久しぶりに帰るな。まさか、俺が呼ばれるとは、な」




***




その頃、ザキは森の中を歩いていた。


籠の中の草を捨てた後、ザキは本来の目的を果たすべく瑠璃の泉に向かっていた。


籠の中には小さな瓶が数本入っている。バルと話す前から入っていたそれは、土に汚れていたのでさっきまで丁寧に洗っていたのだ。


「何で、俺、草なんか取ってんだ」


余計な仕事をしてしまったことに腹を立て、未だ不機嫌そうにぶつぶつと呟いていた。



だるそうに歩きつつも目的地に着き、ダークブラウンの瞳に、どーんとそびえる大きな岩が映る。


何処にも突起のない滑らかな岩肌。


見た目滑りやすく、少しでも気を抜けば転がり落ちてしまいそうだ。


これを、ジークは毎度すいすいと登っていくのだ。


俺だって負けてられない。遥かに若いのだから。そう気合を入れ、籠を落とさないようしっかり抱え直し、意を決し大きく息を吸い込み、一息に駆け上がる。



「くそ…、相変わらず登り難いところだぜ」


息を整えつつ前を向けば、木立に囲まれた深く碧い泉が日の光を受けてキラキラと輝くのが見える。


周りにあるのは瑠璃色の岩と緑の木立。何度来てもここは息をのむほどに美しい。



「リリィにも見せてやりてぇな」


この泉の深い蒼は、形作っている鉱石がそう見せているだけのもので、実際に水自体が碧いわけではない。


覗き込めば透明な水をとおし、碧い岩肌がゆらゆらと揺れて見える。


ずっと見ていると意識を奪われ、吸い込まれそうな感覚に陥る。



「おっといけねぇ…早いとこ水取って帰らねぇと」


ザキは首を振って岩の間から湧き出てる水に小瓶を当てた。


すべての小瓶を満杯にすると、家に急ぎ帰り医療室にいるジークに渡す。


「あぁ、御苦労さん」


ジークは労いつつ受け取り、保存庫の中に丁寧に仕舞う。


そのうちの一本を残し、調合した薬を入れて溶かし始めた。


黒から茶色と徐々に小瓶の中身の色が薄くなっていき、やがて透明になり、ぽぅ…と一瞬光りを放った。


「ジーク、バル様は?」


「バル様は帰られた。暫くは戻られないそうだ」


「チッ……何だよ、逃げたのか」


「ザキ、何言ってるんだ。バル様は忙しい身なんだぞ。なのに、2週間以上もここに居られたんだ。これは奇跡に近いことだぞ」


「そりゃ、そうだけど――――てっきり治るまでいるって思い込んじまってたぜ。……くそっ」


「何だ?バル様に何か用だったのか?」


出来あがった薬瓶に日付を書き込み、保存庫に仕舞ったジークがザキを振り返り見る。


大事な用ならば使いを出さなければいけないのだ。


「―――なんでもねぇよ」


ザキはもごもごと声を出し、ふぃっと目をそらした。



「あの、すみません……バルは、帰ったんですか?」


「あぁ、起きていたのか。そうだな、お前の怪我が治る頃また来られるんじゃないか?……そう、だ。リリィとの約束もあるしなぁ」


「――――――約束?」


「そう、約束だ。バル様は必ず守られる」


そう言ってジークはニンマリと笑った。

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