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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
瑠璃の森
26/118

2

楽しげな顔付きのバルが、今まさにバケツの水をザキに浴びせようとしている頃のこと。


家の中では、少し前に目覚めたばかりのリリィが彷徨っていた。


不安げな表情で、ドアというドアを片っ端から開けて歩いている。



キッチン、書斎、寝室……。


いままで開けたドアの中には求める者はおらず、この家の使用人たちが作業途中そのままに眠ってしまったのか、ある者はペンを持ったまま、またある者は皿を持ったまま、それぞれが変な場所変な態勢で眠りこけていた。



「ここの人たち、変なの……。みんなおかしな格好で寝てるわ」



首を傾げて不思議な思いで眺め、また違うドアに向かう。求めるのはただひとつ、ユリアの姿だ。


あの時ラヴルに託されたユリアの身の安全。


リリィがカルティスと一緒に屋敷に来た時には、ラヴルは金髪の男性とその仲間らしき者数名と結界の境で対峙していた。



“リリィ、嫌な予感がする。ユリアを頼む。私が行きたいが、ここを離れられない”



そうラヴルに言われ、急いで走り込んだ屋敷の中のユリアの部屋。


ドアを開けて名を呼びながら見廻しても、手をつけられていない食事がそこにあるだけで、ユリアの姿は何処にも無かった。



“もう!何処に行ったの?”そう叫び焦りつつも、甘い残り香を追いかけると階段の上の方に向かったことが分かり、急いでかけ上った。


休まず走り続けて息も荒いリリィの瞳に、ヨタヨタと重そうにドアを開けて外に出ていくユリアの姿が映った。


何かに操られているのか、ふらふらと柵の向こうに行こうとしている。


あっちには何もないはずなのに。一体何処に行こうとしてるのか。


“大変だわ。あのままじゃ落ちちゃう!”


急いでドアの前に走り込んで外を見たリリィは、ハッと息を飲んだ。


華奢な体の向こうに、巨大な掌が見える。


あんな大きな掌を出せるなど、そんなとてつもない魔力を持った人物は、リリィには一人しか思い浮かばない。


名を呼び、ありったけの声で叫び、懸命に手を伸ばしてなんとか細い腕を捕まえ、捉えようと不気味に動くそれから逃れるのに必死だった。



“えーと、兎に角どこでもいいわ!あの手の届かない所へ!”



―――……と。


あの時、自分の中にあるありったけの力を出して飛んだら、こんな見知らぬところに来てしまった。


おじい様ならもっと上手く飛んだんだろうな。こんな大変なことは、もうきっと二度と出来ない。


おかげで長い時間寝ていたみたいだし、感覚的にもとっても遠くに来た気がする。


疲れちゃって、地面に落ちていくユリアさんの体を柔らかな草の上に誘導するのが精いっぱいで、気遣ってあげることもろくに出来なかった。


ぁ……っ…、もしかしたら、もう―――――



最悪の事態がリリィの頭を掠め、顔がスっと青ざめていく。


「どうしよう……ラヴル様に叱られちゃう……」



叱られて済むならまだいい。


もしも、このまま見つけることも出来なかったら、そのときは――――



リリィの小さな喉がごくりと音を立てる。考えるだけで恐怖に身が竦む。


「ヤダヤダ!そんなことありませんように!きっと、ユリアさんは無事なはずよ!」


廊下を歩きながら、自らを励ますようにぶつぶつと呟く。


1階にあるドアはあと一つだけ。奥に見える青いドアのみ。



―――あそこにいなければ、もしかしたら、ここにはいないのかも。そして……。


あーん、うぅん、ダメダメ。どうか。どうか、いますように――――



祈るような気持ちで、リリィは青いドアをそっと開けた。


恐る恐る覗き込んだ部屋の中は、微かに薬品のにおいがする。


一番奥の窓際にあるベッドの上で、スゥスゥと寝息を立てるユリアの姿を見つけた。



大きな安堵の息を吐いてドアに寄りかかり天を仰ぎ見れば、瞳に無機質な天井が映る。


リリィは、少しの間動くことが出来ずにそのままの姿勢で留まっていた。



目が覚めた時、一番最初に頭に浮かび口から出た言葉は“お腹空いた”でもなく“ここはどこ?”でもなく“ユリアさんはどこ!?”だった。


起きぬけから、ずーっと探していた姿。やっとこ見つけて、すっかり力が抜けてしまったのだった。



「あぁ、もう、良かったぁ」


――これで何とかお仕置きを受けることは免れたわ。でも、あの頬のガーゼは、やっぱり、怪我をしてるんだ――



傍に近寄り、布団をそっとめくると痛々しい姿が瞳に映る。包帯があちこちに巻かれ、薬品の匂いがツンと鼻についた。


「ユリアさん。私のせいだわ……ごめんなさい、私の力が足りなくて……」



―――でもでも。これくらいなら。これなら、ラヴル様なら、きっとすぐに治せるはずだわ。なんとかルミナの屋敷まで運べないかしら―――



ユリアの顔を見ながら、どうしたらいいのかと、思案を巡らせるけど、リリィにはここがどこかも分かってはいない。


窓の外を見ると、何処までも木立が続いていて、深い森の中に来てしまったことだけは分かる。


ここからラヴルの待つルミナの屋敷まで近いのか遠いのか。



「―――おじい様、私どうしたらいいの?―――はっ……!?」


――誰か来た。ここの家の人かしら――



リリィの耳が微かな物音を拾う。


三人くらいの足音と笑い声、それに不機嫌そうな声が聞こえてくる。


それがどんどんこの部屋のドアに近付いてきてるようだった。


リリィの心に警戒心が湧く。



――もしも悪い人たちだったらどうしよう……。


世の中には珍しい魔物を攫って売買をする組織があるって、おじい様に聞いたことがある。


知らない人には気をつけなさいって、おじい様に言われてる。もしも、そんな悪い人たちだったら―――


「―――大変!ユリアさんを連れて逃げなくちゃ―――」



ドアの向こうから、野太い声と少し低めの落ち着いた声が聞こえてくる。


――早くしないと―――



『・・・怪我人がいるのか』


『はい、先日この先で倒れているのを発見しまして・・・ここです』



リリィの背後でドアが開かれる。


リリィの姿に心底驚いたのか、二人が息を飲んで固まっている気配が伝わってくる。


それに構うことなく、リリィはありったけの力を出していた。


まだあどけなさの残る、少女と言ってもいいくらいの体つきのリリィ。


相手は小柄とはいえ大人の女性。しかも怪我を気遣いながら抱えるのは至極大変なことだった。


なかなかうまくいかない。



―――なんとか抱えて運ばないと。ここから出ないと。ルミナに帰らないと―――



リリィは必死な思いでユリアを抱えようとしていた。



「おいっ、何をしてるんだ!やめろ!」


焦りの色を含んだ野太い声が部屋の中に響く。


素早くリリィの傍に駆け寄ったバルが、抱えようと差し入れている細い腕をしっかり掴み、静かな声を出してたしなめた。


「何処に連れて行く気だ。彼女は怪我をしてるんだぞ?やめた方がいい」


掴まれた腕を振りほどこうと懸命なリリィだが、大人の男には到底かなうはずもない。


「いや、離して下さい!怪我をしてることは、ちゃんと分かっています。でも、あなたたちは知らない人たちだし、信用できないもの」


「待ってくれ。森で倒れていたお前たちを運んで、手当てしたのは他でもない俺だぞ。特に彼女の怪我は、放っておけば命が無くなるほどの重傷だった。悪い奴がそんな面倒なことするか?頼むから信用してくれよ」


それを聞いたリリィは動きを止め、ジークをじっと見つめた。


―――確かにそうかもしれない。だけど……。


「ラヴル様が待ってるんだもの。ルミナに……屋敷に、早く……早く、帰らないと―――――」


「……ん?ラヴル……って、言ったか?まさか、あの、吸血族のラヴル・ヴェスタか?」



バルの問いかけに無言で頷くリリィ。


驚き固まった様子のバルの後を継ぎ、すかさずジークがリリィに問いかける。


「今、ルミナって言ったか?」


その問いにも無言でリリィは頷く。


「お前、ここが何処の国か分かってないのか?」


「え?ここ、ロゥヴェルじゃないの?」



それを聞いたバルとジークは、互いに顔を見合わせ「バル様、これは……」「あぁ、そうだな」と言葉を交わした。


互いに頷き合った後、静かにリリィに向き直った二人は眉を寄せ、なんだか辛そうな表情をしている。



「あーっと……、自己紹介がまだだったな?俺は、バル。こいつは、ジークだ。それにもう一人、外にザキっていうのがいる。お前の名前は?」


「……リリィです。あ、それからこの方は、ユリアさんです」



リリィの紹介を受けて、バルはベッドの中のユリアの寝顔を改めて見て、ブラウンの瞳を一瞬見開いた。


脳裏にオークション会場での出来事が甦る。


―――この娘は、あの時の……まさか、こんな形で再会するとは―――


「―――よし、リリィ。まず、落ち着こうか。ここに座ってくれ」



バルは、ジークが持ってきた椅子にリリィを誘導して座らせ、目線を合わせるために跪いた。


「いいか。リリィ、落ち着いて聞くんだ」



ただならぬ空気を感じるのか、リリィは神妙な顔付きでこっくりと頷いた。


バルは、リリィの小さな心を乱さないようにと気遣い、なるべくゆっくりと落ち着いた口調で話すよう努める。



「いいか、ここは君のいた国、ロゥヴェルじゃない。ここは、ラッツィオ、だ」


「ラッツィオ!?うそ……」



ガタンと大きな音を立てつつ立ち上がり、驚きの声を出すリリィ。


両手は口に当てられ、瞳を丸く見開かせ、うそ……と呆然と呟いた。


―――そんな遠くまで飛んで来たなんて――



「そうだ。どうやってここまで来たのか知らないが。ロゥヴェルのルミナまで歩いて行こうと思ったら、男の脚でも2日はかかるぞ」


「とても怪我人を抱えては行けないな?分かるだろう。暫くここに居るしかないんだ」


「うそっ。私、夢中で飛んだの……。だって、逃げなくちゃって思って、必死で―――どうしようっ……ラヴル様っ―――私、こんな遠い場所に―――」



やっぱり動揺して顔を覆って泣いてしまったリリィの肩を、バルが抱きよせ、大きな掌で背中を優しく摩っって宥める。


ジークがその傍らに立ち、リリィの柔らかな赤毛をくしゃりと撫でる。


二人とも恐ろしい魔物に対しては強く、負けない自信があるが、泣く女性と子供にはめっぽう弱いのだ。


内心オロオロしつつも、なんとか泣き止まそうと懸命に努めていた。


ぶっきらぼうながらも慰めの言葉をかける。


「俺が必ず、二人とも国に帰してやるから。だから泣くな。な?リリィ、大丈夫だ」


「そうだ。リリィ、安心しろ。バル様に任せればいい。この方は、この国の、偉いお方なんだぞ―――」



二人がかりで言葉をかけていると、バタン、と不躾にドアが開けられた。


一瞬の沈黙の後に、ハスキーな声が二人に向けられる。



「おいおい……ジーク、なんで女を泣かせてんだよ。まったく、バル様まで……あっ、そうか。―――まさか、貴方様にそんな趣味があったとは……」


……知らなかったなぁ。


そうぼそりと付け加え、ザキは肩をすくめ、やれやれとわざとらしく首を振ってみせた。



片眉を上げてちらりと瞳を配り、二人の様子を窺うと、ザキの言葉と態度に反応してわたわたと動き回っている。


「――――っ、いや、ザキ。これは、その様なものではないぞ。断じて、違うぞ」


バルが慌てて小さな体を放してうろたえた声を出せば、ジークも「誤解だ。俺が泣かせたわけじゃない」と言いながら慌てた様子で飛び退くようにリリィから離れた。



ザキは、そんなバルとジークを交互に見て「へぇ、そうですか」と呟くとそのまま俯き、我慢できないとばかりに、クックックと喉の奥で笑った。


「っ、お前、分かってて言ったのか」


ジークが悔しげにザキを睨む。バルも、参ったな、と呟いて頭を掻いた。


「さっきのお返しさ」と、声を立てて笑うザキ。



三人のやり取りを見ていたリリィが、ふっと吹き出し、クスクスと笑いはじめた。


ザキにからかわれ、二人の大人の男が慌てる様子がなんだかとても可笑しくて、まだ涙は渇いていなかったが、笑いがこみあげてきたのだった。


なんだか心がとてもあったかくなった。きっと、この人たちは悪い人じゃない。


そう思え、涙を拭きながらもコロコロとリリィは笑う。



「どうだ、泣いてる女はこうして笑わせるもんさ」


ハスキーな声が自慢げに言う。


が、その直後、いつもの不機嫌そうな口調に戻り、改めてジークに向き直った。


「―――――それはそうと。外で寝てる奴らはどうすりゃいいんだよ、ジーク。バケツで水運んで浴びせりゃいいのか?」


俺がやられたみたいに……。


不機嫌そうに呟くザキの言葉を受けて、バルの表情が真剣なものに変わる。


被害を受けた者を、このまま放っておくことは出来ないのだ。


「そうだな。ザキ、何人居るんだ?」


「数えてねぇけど、大勢いるってことだけは、確かだぜ」


「よし、とりあえず、確認だ」



どの辺りに……などと話しながら、バルはそのまま歩いていき、ザキはドアのところで一旦止まって部屋の中を振り返り見た。



「ジークはそれが済んでから、来るんだろ?」


「あぁ、後で行く」


ジークはザキの問いかけに短く返事をして、ベッドの傍らに立ちユリアの額に手を当てると、うん、まだ冷やしたほうがいいな、と呟いた。


手慣れた様子で冷やし布を額に当て直し、一連の出来事のせいで乱れてしまっていた毛布を整えた。


その様子を見ていたリリィが慌ててベッドに駆け寄る。



「あの、ごめんなさい。私がするわ。ジークさんはどうぞ行って下さい。何か、とても大変なんでしょ?何をすればいいの?」


「うーん。大変と言えば、まぁ、そうだな……。手伝ってくれるというのなら。そうだ、彼女の体を拭いてやってくれ。こればかりは、男の俺がするわけにはいかんからな。どうしようかと思っていたんだ。布とタライはあそこにある。それから、水は、ここだ」



ジークは部屋のすみを指差した。そこには水道と小さな洗面台がある。


ドアの傍の壁には水をはったタライがあって、ハンガーに白いタオルがかけてあった。


その設備に思い当たることがあり、リリィは改めて部屋の中をよく見まわしてみた。



壁際に並べられているガラス棚の中には大小様々な瓶がたくさん並べられ、本棚には分厚い書籍が何冊も並べられている。


机の上にある書類のようなものと、無造作に置いてある器具を見て確信したリリィは、ジークの横顔をまじまじと見つめた。



ユリアの状態を確認していたジークは、腕の包帯が取れかけてるのを見てとり、くるくると手慣れた様子で巻きとり始める。


その手をリリィはじっと見つめる。



―――ごつごつしててとても大きいのに、器用な手。


“リリィ。見かけで判断しちゃいけない。本質は奥深くに隠れてるからね”


おじい様の言う通り、人は見掛けによらないってホントなんだ――



日に焼けて黒く焼けた肌。筋骨隆々で、どちらかと言えば肉体労働者的な体格をしているジーク。


リリィの見知ってる限りでは、この職についてる人はこんな逞しくなくて、ほとんどがひょろりとした優男だ。


手だって、女の人みたいに綺麗な人ばかり。それに、こんな人が森の奥深くにいるなんて。


「あの……もしかして、ジークさんはお医者様なの?」


リリィがそう問いかけると、腕の包帯を巻き直している手がピタリと止まった。



「―――あぁ、そうだぞ。……ん?、ひょっとして、今、気付いたのか?」


今度はリリィの顔がまじまじと見られる番だ。


「――はい」


「こんなに医者然とした部屋なのに、か?」


そう言いながら、手を広げて部屋の中をぐるりと指し示すジーク。



―――それはそうだけど。確かに開けた途端薬品の匂いがしたけれど。


しょうがないじゃない、必死だったんだもん。


ベッドで眠るユリアさんしか、目に入らなかったんだもん―――



「そんなに笑わなくてもいいじゃない」


むっすりと頬を膨らませて、小刻みに揺れる広い背中を睨みつけた。


「すまんすまん。―――あぁ、そうだ・・・ちょっと待ってろ」


パチンとハサミの音をさせ包帯を巻き終わった後そう言うと、ジークは足早に部屋を出ていった。


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