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魔王に甘いくちづけを  作者: 涼川 凛
瑠璃の森
25/118

1

“―――ほら、見て下さい。今年も、こんなに綺麗に咲いたのですよ”


白い手が、青白い花が咲き乱れる草原を指し示した。


あたたかな光りの中で咲き誇ったそれは、とても綺麗で儚くて。透き通るほどに薄い花弁は、少しの強い風が吹けば消えてしまいそうに頼りなげで。


“この花は、まるで姫様のようですわ。手折ってお部屋に飾りましょう。きっと心休まりますわ”


そう言って白い手は、慰めるように手を握ってきた。


“待って。それは駄目です……。この花は、ここにいてこそ輝けるのです。部屋の中に入れてしまったら、この輝きが無くなってしまうわ。この私のように―――だから、このままで。

見たくなったら、ここに来ればいいのですから”


“姫様―――おかわいそうに……――”


――――――エリス……?


あの花は、確か……。





『ザキ、慎重にな。くれぐれも、傷をつけるな』


『わかってるさ。あんたはいちいちうるせぇんだよ』



―――ん……何かが頬を触ってる……。ざらざらとした感触……これは、何――――



薄く開いた瞳に、綺麗なブラウンの毛並がぼんやりと映る。


輝くような瞳も。



――この姿、知ってる……この方は私を起こそうとしているんだわ。



「――っ……」



体を起こそうと身動ぎすれば、激痛が体中を駆け巡り、声にならない息が漏れる。


腕も脚も動かない。


それに、なんだかとても寒い……。私、もしかして死んでしまったの―――?


むせかえるような甘い花の香りがする……


ということは、ここは、天国――――



『おい、動くな。怪我をしているんだ。ザキ、もうやめろ。起きている』


ざらざらとした肌触りが消え、ふわっとした浮遊感が体を襲う。


『ザキ、そっちを頼む。いいか、食べるなよ』


『わかってるって。まったく俺を何だと思ってやがる』



落ち着いた声と不機嫌そうな声が交互に聞こえてくる。



――私、誰かに運ばれてる。


とても安心出来る腕の中……これは、ラヴルに似てるわ。


ラヴル―――――――



心地よい揺れに身を任せ、戻りかけていたユリアの意識は、再び闇の中へと誘われていった。




***




―――甘い花の香り―――


それに混じるのは、ツンとした刺激のある薬品のような匂い。


あたたかくて柔らかな物に包まれる感触。


ひんやりとしたものが額に乗ってる。


重い瞼を開くと、黒い天井がぼんやりと映った。



―――ここ、どこかしら……私、一体どうしたの……。



もぞもぞと体を動かしてみると、途端にズキンとした痛みが体中を襲った。



―――そうだわ。私、ヴィーラ乗り場から落ちて……。

あんなに高いところから落ちたのに、よく助かったわね……。それとも、あれは夢だったのかしら――――



「目が覚めたか」


野太い声が耳に届き、ぎぃ…と何かが軋む音を立てた後、血管の浮いた太い腕が伸びてきた。


額に乗ってる布が取りはらわれ、大きな手が目の前に降りてくる。


それは額と頬にひたひたと触れ「まだ熱があるな」と呟いた。



何もかもが気だるくて重い。


質問したくても、唇が縫い合わされたように閉じたままで、動かない。


まるで何日も眠っていたかのよう。



「ちょいとばかし、我慢しろよ」


腕がまた伸びてきて背中を支え、頭を少し持ち上げられた。


黒い瞳に、金色がかったブラウンの髪と清んだブラウンの瞳が、映る。



―――こんな感じの人、私見たことがある……。そう確かあの時一緒にいた……。



「ほら、口開けてこれを飲め。薬だ」


細くて固いチューブ状のものが、唇を割って押し込まれる。


からからに乾いていた喉に、急に流れ込んでくる液体。


それはとても苦い味で、喉が詰まったようになって咳き込んでしまった。


咳をするたびに体に痛みが走り、とても苦しい。


男の手が背中をさすった。



「おい、大丈夫か」


「はい……すみません。ここは……どこ、ですか?」



やっとの思いで開いた口から、弱々しい掠れた声が出る。


自分の声のはずなのに、まるで他人が出したもののよう。


……私、こんな声だったっけ……。



「ここは瑠璃の森の中だ。そして、ここは俺の家。お前は森の中に倒れていたんだ。怪我してるんだから、ゆっくり休んでろ」


―――瑠璃の森―――?


そういえば一人じゃなかったはず。あのとき、確かに、腕を掴まれた感覚があった。



“駄目!!そっちは、ユリアさん!!”



「もう一人、いたでしょう……その子は……?」


「あぁ、もう一人は別の部屋にいる。まだ意識はないが時期に目覚めるだろう。あいつらは、馬鹿みたいに体が丈夫だからな。怪我なんか何処にも無かったぞ。安心しろ。お前は、自分の心配だけしとけ」


「そう、ですか……それなら、よかった」



男がバッと後ろを振り返る。


誰かが来たよう。


「おい、フレアが呼んでるぞ」


「あー、そうだったな。お前、ちょっと待ってろ。いいか、あんまり動くんじゃないぞ」



額にひんやりとした布を乗せて、男がスタスタと部屋から出ていった後暫くすると、部屋の中にほんわりといい香りが漂ってきた。



「ねぇ、貴女、食欲はないと思うんだけど……」


脇のテーブルの上にことんと置かれたそれから、その香りは漂ってくる。


カチャカチャと音がした後、唇に少し熱い物が押し当てられた。


「私はフレアっていうの。心配しないで、ほら、口を開けて……。少しでもお腹に入れないと、体力が付かないわ」


ね?食べて。


そう言って、少し強めに押し付けてきた。


さっき飲まされた薬の効果なのか、体の感覚が鈍くなっている。


体の痛みは薄らいだけど、お腹が空いてるのかどうかも分からない。


ゆっくりと少しだけ開いた口の中に、するんとそれは入ってきた。


とろんとした柔らかい半固形物が、口の中で蕩けていく。


ほんのり甘くてあたたかいそれは、思いのほか飲み込みやすくて、するすると喉の奥に入っていく。


フレアはそれを知っているのか、どんどん口の中に放りこんできた。



「貴女、随分長い間眠っていたのよ。これはね、こう見えてもとても体力がつくし、傷をいやす効果もあるの。ほら、これが最後の一口よ。……そう、その調子。いい子ね」


最後のひとすくいを口の中に入れた後、綺麗な手がふわりと頬に触れた。


そこには小さなガーゼが一枚貼られている。



「こんなに綺麗な顔なのに、こんなところに怪我をして……大丈夫よ。この頬の傷は、痕もなく綺麗に治るわ。だから安心して。でも……何があったの?かわいそうに……早く治るといいわね。ね、もう少し眠るといいわ。その方が治りが早いもの」



フレアの白い綺麗な手が脇のテーブルの上を片付けている。


その様子をぼんやりと見ていると、さっきの男が部屋に入ってきた。


フレアの腰に手をまわして、ススと抱き寄せているのが見える。


きっと、恋人なのだ。大切そうに包み込む優しげな手を見ていると、ほわんと心が温かくなる。



「どうだ?」


「えぇ、この通り、全部食べてくれたわ」


「そうか、ありがとな。フレアの薬は良く効く。時期に良くなるだろう」


「えぇ、そうね。じゃぁ私、帰るわ。また何かあったら、呼んでね。貴方のためなら、私いつでも駆けつけるから」


2度のリップ音をさせた後、フレアは食器を持って部屋を出ていった。



「お前はもう少し眠れ。そのうち、さっき食べた薬食が効いてくる」


大きな手が伸びてくる。


あたたかいそれは、瞳を閉じさせるように、瞼の辺りをスーと撫でた。



~聞けよ 森の声~ 碧き泉に 緑の風ふく~



優しい歌声が何処からともなく聞こえてくる。


部屋の中からじゃない……これは窓の外から聞こえてくる。



~蒼き瑠璃の意思 ~ 古の記憶 呼び醒ます~



「とても綺麗な声……誰が歌ってるのかしら……」


「これは……魔唄だ」


そう呟いた男の様子が一変し、慌てたように外へ飛び出していった。



妖しく耳に纏わりつくメロディ。


聞いていると、薬の効能ではない、全く異質のとろんとした眠気がユリアを襲う。


魔唄、魔力を持った韻律。


ユリアの意識は奪われる。


深い、深い夢の中へ―――




***




「参ったな」


そう呟くのは、野太い声の主だ。


大きな耳をピクピクと動かし、歌声に誘われるように、森の中を歩いて行く。



「しまったな……窓を開けておいたのは、失敗だったな」


家を出る際にあちこちで見たのは、眠り込む使用人の姿。


あれは、数時間は起きないだろうと思える。



魔力ある歌声は、森の奥の方から響いてくる。


目の前に、行く手を阻むような大きな岩がある。


この向こうから歌声は聞こえてくるのだ。



男は、手慣れた様子ですいすいと大岩を登って行き、向こうを覗き込んだ。


そこには、まるでその存在を隠すように、四方を大きな岩と木立に囲まれた深く碧い瑠璃色の泉がある。


岩の隙間から絶え間なく水がこんこんと湧き出、涸れることなく水を湛える不思議な泉。


その小さな泉で唄の乙女が水浴びをしていた。



―――見つけたぞ。


だが、困ったことに、すこぶる機嫌がいいようだ。


唄を辞めてくれるだろうか。


唄の乙女は機嫌がいいと際限なく歌い続けるという。


しかし、初めての遭遇だが、見惚れるように美しいな。


魔唄を歌わなければこのまま捕え、我らが国王にお傍女として献上したいくらいだ―――



艶々とした豊かな碧い髪。


美しく膝まで届きそうに長いそれは、碧い泉の中に浸され、薄青い指先が丁寧に梳いている。


滑らかで綺麗な薄青い肌が描く、柔らかな体の曲線。


ラベンダー色の唇が動き、魔唄を風に乗せて森の中へと運ばせる。


柔らかく響く可憐な歌声と、たおやかな美しい旋律。


瑠璃の森中に届けられるそれは、すべての生ける者を眠りへと誘う。


唄の乙女の子守唄。


気丈な男の意識も保つのがやっとだった。


たまに体がゆらぎ、意識がほわんっと遠のく。



―――くそっ……このままでは俺も、もたんな。


歌を止めるには、機嫌を損ねるしかないと聞く。


さて、どうやって乙女を怒らせようか―――



様々なアイデアと伝え聞いた対処法が頭の中を駆け巡る。


短い時間の中、いろいろ考えた末、ごく単純だが、一気に気を引く言葉を投げかけることに決めた。



これで駄目なら、次を考えよう。それまで気がもてばいいが―――



「おいっ、唄の乙女!お前、その変な歌を辞めろ!耳障りだ!」



瑠璃の泉に響く野太い声。


綺麗な声と旋律で満たされていた空気の中、それは異質に響く。


唄の乙女の耳にも、男の声は酷く醜く届いた。



急に割り込んで入ったそれに驚いて、がばっと男を見た白銀の瞳。


みるみるうちに美しい顔が歪んでいき、柔らかな曲線を描く裸体を長い髪でふわりと隠した。



歌はピタリとやみ、ぐわっと開けた口から大きな牙が二つ見える。


怒りをあらわに向けられたそれから、金属を擦り合わせたような耳障りな音が発せられた。



物理的な攻撃の術を持たない、唄の乙女の唯一の精一杯。


耳の良くきく男にとって、これは堪らない。


塞いでも容赦なく届く音に、堪らずにその場に膝をついた。


それを見た乙女は、満足げに不敵な笑みを浮かべ、ふーと消えていった。



―――やれやれ、なんとか巣に帰ってもらえたな。


まだ嫌な音が耳に残っている。美しい姿に可憐な甘い歌声。


あの妙な副作用さえなければ、家に招待して、是非歌を聞かせて貰いたいものだが―――



瑠璃の泉から戻る道すがら、薬草の入った籠を抱えたまま倒れているフレアを見つけた。


幸せそうに眠る美しい顔。ユリアに食事を運んだ優しい手。


男の手が優しく抱き起こし、髪をそっと撫でる。


「フレア、お前も眠らされたか。この分だと相当な数がやられたようだ……なにせ、被害は森中だ」


フレアを抱きかかえて家路を急ぐ途中、あちこちで眠りこむ姿が目につき、男は深い溜息を一つ吐いた。


―――これでは、ベッドが足りんな……だが、お前だけは―――



男はフレアを自室のベッドに寝かせ丁寧に毛布を被せると、被害を確認するべく再び外に出た。


家の裏手に回り込むと一人眠りこけている男を発見し、眉根を寄せてため息をついた。



―――やれやれ。お前までやられたのか……。



「おい、ザキ、起きろ!!」


耳の傍で大声を出しつつ、大きな耳をつまみ、ぐいと引張ってみる。が、五本の指がぴくんと開き動くものの、起きる気配は微塵もない。



―――こりゃぁ困ったな。コイツまで眠ってるとなると、無事だったのは、ひょっとして俺だけか?


だとすりゃ、一人じゃとても対処できねぇな。なんとしてもコイツを起こさねぇと。


さて、どうするか―――



男は、ひと思案の末思いついた策を講じるべくバケツを手にし、水場へと向かった。


いくら深く眠りこけていたとしても、冷たい水を浴びれば起きるだろう。


いきなり水を浴びせられ驚いて目を瞬くザキの様子を想像し、クククと喉の奥で笑う。


少し離れたところに小さな泉がある。


そこからなみなみと水を汲み運んでいると脇から声を掛けられた。


「――――ジーク、楽しそうだな?」


振り向いた男の瞳が大きく見開かれ、唖然としてそのまま固まってしまった。


なにしろそこには信じられない人物が立っていたのだ。


───まさか、ここに来られるなど───



その人物は驚き固まるジークの姿を、面白い物でも見るかのようにじっと見ている。ブラウンの髪を逆光に輝かせ白い歯を見せて。


「それにしても、お前がそんなことをしているとは、珍しいな?使用人は何処に行った?」


「皆、唄の乙女にやられまして。今動けるのは自分だけでして―――――っと、そんなことよりも。バル様、何故こちらに来られたのですか?ご連絡いただければ、こちらから出迎え致しますのに。しかも、お一人、ですか?」


「何故か、ここ数日心騒いでな。サナに水晶の中をのぞかせたら、この瑠璃の森とジークの家が浮かんだ。で、そのままの脚でここに来たわけだ。だから気にしなくていい。―――あそこに寝てるのは、ザキだな?」


「はい」


「―――で、それを浴びせるわけだな?」


「はい」


「よし、貸せ」


「は?バケツを、ですか?」



ジークはバルの顔と手に持ったバケツを交互に見る。


バルは、そうだ、とばかりに大きく首を縦に振って、掌を差し出した。


ジークが戸惑いつつもバケツを渡すと、悪戯っこくにんまりとし、眠るザキの傍らに立った。


「ザキ、起きろ」



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