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8

そして夜は明け、ここはユリアの住むルミナの街。


水面から太陽が昇りきり、眩しいほどに煌く光を反射させる。


日に弱い魔物たちが寝床に入り眠りに着く頃。


いつも通りなら、ユリアが目覚め、のろのろと着替え出す時間。


外は雲一つない青空が広がり、水面を通った爽やかな風が庭に吹き込む。


荒れた庭は昨夜の内に片付けられ、ユリアが心を痛めることは、もうない。


昨日までの殺伐とした空気が消え、平和な風景のルミナの屋敷。


そのうちに一つだけある、カーテンがピッチリと閉められた部屋はユリアのものだ。


その中にある大きめのベッドの際で、囁くような小さな声で言い争うラヴルとナーダがいた。


二人とも違う意味でベッドの中を気にしている。



「ナーダ、まだ部屋に入って来るな。ユリアがまだ眠っている。ツバキにも、待て、と伝えろ」



ベッドの上で肩肘をついて体を起こすラヴル。


眠る前に軽く羽織ったバスローブがはだけ、逞しい胸が露わになっている。


傍には昨夜の激しい所業で心地よくすやすやと眠り続けるユリアがいる。


大きな手が頬にかかる髪を払い、毛布を丁寧に被せなおす。


まだまだ眠らせておきたい。



「ですが、ラヴル様。ユリア様には起きて頂いて、きちんとお食事をして頂かないとなりません」


小さな声だが毅然とした口調で話すナーダに対し、不機嫌さを隠さず声に乗せるラヴル。


「……ナーダ。分かっている。私が起こす。食事は私が用意するからそこに置いておけ」


「ですが、ラヴル様にそんなことはさせられません」


「いいから、もう邪魔をするな。分からんのか、不粋と言うものだ。呼ぶまで部屋に入ることは許さん」



瞳が赤く染まり始めたのを見てとり、ナーダは開きかけた口を噤み、静かに頭を下げ部屋から出ていった。


再びユリアの隣に体を沈めたラヴルは、しっかりと体を抱き寄せ、頭の下に腕を滑り込ませた。


もちろん、起こす気などさらさらない。


今日はカルティスが来るまでここにいるつもりだ。


腕の中ですやすやと眠る姿はとても愛らしく、額、頬、肩と、順番にキスを落としていく。


肩には印が残るようにワザと強く何度も口づければ、白い肌に赤い刻印が花弁のように舞う。


――私の、モノだ――――


寝顔を見ていると、昨夜起きたことがふと頭をかすめ、それを詳細に思い出してしまい、怒りがふつふつとわき上がってくる。


漆黒の瞳が燃えるように赤く染まれば、部屋の中に小さな破裂音が響く。


一番奥の壁のガラス製のランプシェードが割れた音だ。


いけないと思いながらも抑えきれない激情に支配され、自然と力を放出してしまうのだった。



――ユリアは誰にも渡さない。例え誰であろうと。


それが、歴代最強の王であったとしても―――――――





***



ラヴルの腕の中で、一つの意識が覚醒しつつあった。



―――とても、静かだわ。もしかして、まだ夜が明けてないのかしら。


…ん?お……重い……手も足も鉛のように重い……どうしてなの―――?



そう。ユリアの、ものだ。


起きてすぐに感じたのは、体の重みだった。身動ぎをしようにも、まったく動かないのだ。


こんなことは初めて経験で、さらに寝ぼけているので思考が追い付かず、これがどんな状況なのか、さっぱり理解できない。


目を開けてみるが、頭の上まですっぽりと毛布がかぶせられていて、視界はとても暗い。


が、何かが目の前にある様な気がする。


瞳を瞬かせ、よく見てみるとなにやら壁のようなものだと思えた。


そっと触れてみた指先に感じるのは、あたたかくて程良い弾力感とタオルのような肌触りの布。


どうやらそれは厚い胸板のようで。


「えっ……どうして?」



起きぬけの寝ぼけている頭をフルに働かせ、今の状況をなんとか分析してみる。


どうして、こうなってるのだろうか。


逞しい腕と立派な脚が絡められてしまい、少しの身動ぎも出来ないほどに拘束されている。


確か、昨夜もこんなことがあったような……。



「……」


ありありと思い出されるのは、昨夜の濃密なひととき。


当然、この胸板の持ち主は他でもないあの方のもので。


「ぁ……、ラヴル?」


声をかけてみても、動く気配は微塵もない。


今までに数えるほどしか体を重ねていないが、朝まで一緒にベッドの中にいるなんて初めてのこと。


いつも忙しそうなラヴル。目覚めたときはいつも一人だ。


目の前にある胸にそっと耳を寄せてみると、トクトクと心臓の鼓動が伝わってくる。


あたたかい腕の中。重くて苦しいけれど、ちっとも嫌じゃないと思う。


こうしていると胸の内に閉じ込めている想いが溢れてきてしまう。


息もできないほどに抱き締める腕。


繰り返し囁かれる言葉。


“ユリアは私のモノだ”



―――ラヴル、あなたにとって、私は、何?一時の気まぐれのお相手なの?


どうして私を買ったの?


“私の可愛いレディはユリアだけだ”


ラヴル、あなたはそう言うけれど……。


私はあなたを信じてもいいの?


私は、あなたを好きになるのが、怖い。


認めるのが、怖い――――



体を覆っていた圧迫感がフッと消え、脚と腕が離れていくと、代わりに大きな手が頬を触り、そのまま移動して髪を梳き始めた。


その優しい指遣いにぞくっとして体がぴくんと震えてしまった。


それに気付いたラヴルは、ふむ、ユリア、起きたな……と呟き、むくっと起き上がってユリアの上に覆いかぶさると、毛布を剥がし、一糸まとわぬ体を仰向けにして指を絡め取った。


冷たい空気が素肌をさし、はっきりと目覚めたユリアの瞳に、ラヴルの妖艶な笑みが映った。


こんな状態。ただでさえ緊張するのに、はだけたバスローブからのぞく逞しい胸を目にし、さらにドキドキしてしまう。


無言のまま見下ろしてくる瞳は相変わらず艶っぽく甘い熱を含んでいて、居た堪れなくて照れ隠しにも、何か言葉を発せずにいられなかった。また、襲われてしまいそうで。



「あ、あの、ラヴル?」


「ふむ……ユリア。それでは、不合格だぞ」


「え……ふごうかく?」


「そうだ。私に言うべき言葉があるはずだぞ」



――言うべき言葉って、何?というか、不合格だなんて、とても失礼だわ。


からかうような悪戯ぽい色が浮かぶラヴルの瞳に、むかっとしてしまう。


私はいつも、あなたにこんなにドキドキしてるのに。


あなたはいつも余裕たっぷりで。それも、なんか、悔しい――



「何のことですか。というか、手を離して下さい」



精一杯の虚勢を張り、文句を言ってみる。せめて絡めてる手を離して欲しい。


無防備なこの状態から脱したいのだ。


ありったけの怒りを瞳に乗せて、睨みつけてみる。


それでも平気そうに笑みを浮かべて、さわりと頬に触れてくるラヴル


絡められていた指が離れたのに、この手は、ベッドに縫いとめられたように全く動かすことが出来ない。


……ずるいわ……。


「ユリア、何を言っている。常識だぞ?そんなことでは、とても離すことはできんな」


クスクス笑いながら、見つめてくる漆黒の瞳は色気を含んでいて、ぞくっとして、また負けそうになる。



……ラヴルは、ずるい……。


「わからんのか?簡単なことだ。今は、朝だろう」


早く言えとばかりに、ラヴルは無言で見つめてくる。


頬にあった手は今は髪に移り、長い指がすくってはこぼしを繰り返している。ユリアの耳元で、さらさらと髪が零れた。



……ラヴル、あなたは、とてもずるいわ……。


「ユリア、早く言わないと、いつまでもこのままだぞ。いや……、この手が、別の場所に触れたがるかもしれん。例えば―――」



髪を弄っていた手を目の前でヒラヒラとさせたと思ったら、ゆっくりと下の方におろしていった。


その方向は―――



「ん、ちょ……っ……ぁ、あの……待っ……て」


「ユリア、本当は分かってるのだろう。もう素直になれ」



―――俺様で、強引で、私の気持ちなんて構わなくて。


最後の抵抗を頑張る私を見て、こうして楽しんでる。


それが悔しくて、負けたくないのに。


思い通りになりたくないのに。


そんな風に優しい瞳で囁かれたら、もう観念するしかないじゃない。


ダメだと思うのに。心の中で危険信号が鳴っているのに。


ドキドキするこの想いが、止められなくなってしまう。


認めたくないのに。


この小さな心の中が貴方だけで一杯になるのがとても怖いのに。


もう、認めるしか、なくなる。ほんとに、あなたは、ずるいわ―――――



「……お、おはようございます」


「うむ、おはよう、ユリア。いい子だ―――――怒ったその顔も可愛いが、私は笑った顔が好きだ。……ほら、もう機嫌を直せ」



満足げに微笑んだ顔が迫ってくると思ったら、額で小さなリップ音が鳴った。


「今日は、カルティスが来る。ユリアは―――――――……ちっ、ったく……」


そう言ったきり押し黙り、ラヴルは、そのまま、ぴた、と動きを止めた。


ユリアは、大きな手で頭を抱え込まれ、ぎゅっと引き寄せられる。


「ラヴル……?」


「……動くな。静かにしてろ。誰かが結界を超えようとしているんだ。カルティスではないな。これは――――……またか。全く、何の用だ……。―――――ツバキ―――」



最後に発した呼び声は、いつものものと全く違っていた。


びりびりと空気を震わせていて、広範囲に声を伝えている。


その呼び声にすぐさまツバキが来て、ドアを開けた。


「はいっ、ラヴル様、御呼びですか」


「うむ、来客だ。結界の境にいる。いくらケルヴェスといえど、昨夜幾重にも張り直した結界だ。まだ此方には来れまい。先に行って応対してろ。私もすぐに行く。ケルヴェスが来るとロクなことが起こらん。屋敷の中に入れるな」


「はいっ、お任せ下さい!行ってきます!」


腕の中に大切そうに抱えられているユリアを見て、にっこりと笑った後姿勢よく元気よく返事をし、ツバキは矢のように外に駈け出して行った。


「ユリア、無理をさせるが……血を貰うぞ」


「ぇ……んっ…イタ……」


急に首にちくんとした刺激が走り、少しの吸血の感覚の後にラヴルはすぐに唇を離した。


見れば、漆黒の瞳が赤く染まりかけている。


「ちょっと行ってくる。ユリアは何も心配するな。ここで待っていろ。少し冷めてるが、朝食を食べろ。でないと、私がナーダに叱られる」


約束したからな……と呟き、少し顔をしかめたあと、ラヴルは着替えをすませ風のように部屋から出ていった。


「えっと、とりあえず服を着ないと」


ユリアがベッドから体を起こして見廻すと、ソファの上に服が用意されているのが見えた。


起こした体が、何故か異常に気だるく感じた。


「これは貧血気味なのかしら、やっぱり。ナーダの言う通り、食事はきちんとしないといけないわね」


ソファまでの距離が異常に長く感じてふらふらとしながらもソファに辿り着き、やっとの思いで着替えて朝食の乗ったワゴンに手を伸ばした。



“……ティナ”



……?気のせいかしら。何か、声が、聞こえた気がする……。



“……クリスティナ”


―――今度ははっきり聞こえたわ。クリスティナ……って、一体誰のこと―――?


“聞こえるか……私だ……クリスティナ……”


―――誰?クリスティナって、もしかして、私のこと―――



この声はどこから聞こえるのかと耳を澄まして発生源を探すと、どうやらそれは外から聞こえてくるわけではなく、体の内から聞こえてくるように感じた。


頭の中で響く、地の底から響くような呼び声。



――これ、私、聞いたことがある。いつ聞いたのかしら……確か……っ―――


一瞬、くらりと意識が遠のき、瞳に映るワゴンの上の朝食がぼやけた。


この声のせいだ。この声を聞くと、必ず変なことが起きている。


駄目、この声を聞いていたらいけない。


体の中から、ラヴルの声が聞こえる。


“駄目だ、ユリア、この声を聞くな”


せめてもの抵抗に、耳を塞ぎ、瞳を閉じる。


体の中で二つの声がせめぎ合うが、ラヴルの声が小さくなり遠ざかっていく。


やがて聞こえるのは呼び声だけになった。


“クリスティナ……こちらに来い……”


――違う……違うわ!



“……クリスティナ”



――私はクリスティナなんかじゃない。お願い!やめて、呼ばないで!


私の名前はユリアだもの。クリスティナじゃないの。


あなたの欲する人と違うわ!


“こっちへ来い……”



耳を塞いでいても、容赦なく頭の中に侵入してくる。


必死に抗うも、やがて声に支配され、黒い瞳から光が消えていく。


ぼんやりと前を見据え、ユリアは、ゆっくりと立ち上がった。


―――……私、行かなくちゃ――――


“こっちに来い”


―――この人の元に、行かなければ―――



私は、屋敷の外に出ないといけない。


玄関はダメ。ラヴルがいるもの。


そう、あそこしかない。


―――あそこから、外へ―――



体が支配され勝手に動いて行いき、白い腕がドアに伸びる。


ふらふらと廊下を歩き、階段を上がっていく。


ケルヴェスへの対応に追われているのか、屋敷の中には誰もいない。


声に誘導され、見咎められることなく動いて行くユリアの体。



“そうだ、こっちだ……やっと貴女に会える……”


ゆっくりと階段を上がっていけば、細長いドアが暗闇に浮かんでいた。


“……こっちに来い……”


木で出来ているであろうそのドアは、軽そうに見えるのに、何故かちっとも動かない。


見た目よりもずっと重く、取っ手も少しの力ではまったく開かなかった。


必死で力を込め、そのドアをやっとの思いで開けるユリア。



外に出れば、ふわりと吹く風がユリアの髪をさらさらと揺らした。


風に乗って花の香りが漂ってくる。前方に、綺麗な花畑がみえる。


色とりどりの花弁が競うように咲き誇り、こちらにおいでとユリアを誘っていた。



――素敵なところだわ。私、あそこに行ってもいいのかしら――


“そうだ……綺麗だろう。この花が貴女を受け止める。安心しろ”


ふらふらと前に進み出る体が、少し躊躇して留まる。


“案ずるな。こっちだ―――そうだ、そのまま来い。我が、元へ―――”



―――そうよ。私、行かなくちゃ。この柵を越えて、あの綺麗な場所に行かないといけない。


あそこに、私を待ってる人がいるんだもの―――



体が僅かなスペースの中で、ふわりと揺らぎ、ユリアの体がすーと柵を乗り越えた。



――あー!!待って!!駄目!!そっちは、ユリアさん!!―――



「―――っ?誰―――」


光りが戻った黒い瞳に、小さな白い手が腕に伸びてくるのが映った。



「―――っ、ここは、花畑じゃないわ」



花咲き乱れる地だと思っていたところには大きな掌があり、ユリアの体を捕えようとそれがゆっくりと近付いてきていた。


「こっちよ!あーん、そっちはダメったら!!」


ユリアの腕がぐいっと引張られ、体の方向が無理矢理に変えられた。


どこまでも落ちていく感覚が体を襲い、あまりの恐怖に気を失う間際、あぁダメだわ!ごめんなさい!と言う女の子の声が聞こえた。


ユリアの心も体も闇の中に落ちていく――――

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