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6

“……ィナ”


―――誰……誰なの?


僅かに耳に届く声に気付き、体を丸めてうずくまっていたユリアは、顔を上げて声の主を探した。


右も左も上も下も分からない漆黒の闇の中、それは、何処からともなく聞こえてくる。


――ここはどこなの?私、どうしてこんなところにいるの・・・あなたは誰?――



“……ス…ナ”



まるで、地の底から響くような、重い声がする。


微かに耳に届くそれは、何だか苦しそうで切なそうで、それでいて、とても優しく感じた。



「貴方は私に用があるの?」


“ど…に……いる……”



―――何て言ってるの?ごめんなさい、分からないわ、分からないの。


声が、とても、遠い―――



ユリアは、手探りで暗闇を歩き始めるが、脱け出したくてもどちらに進んでいいのか全くわからない。


どこまでも続く漆黒の闇に心が折れそうになる。


さっきまで聞こえていた声もなくなり、静寂な空間の中に一人取り残されてどんどん不安になっていく。



――私はここから出られるのかしら。それともこれは夢の中なの?怖い。誰か。お願い、助けて―――



永遠に続くかのような闇で、自分の手も身体も見えずどこにあるのか分からない。


あまりの恐怖に心が潰れそうになり、その場に蹲って目を瞑り自らの体を必死に抱きしめた。


もう動くことが出来ない。



「ラヴル、助けて」


声に出すと切なさが湧いてくる。怖いと思うと、真っ先に浮かぶのはラヴルの顔。


でも、こんなところにいることを知らない。助けて貰えるはずがない。


ユリアは、恐怖から逃れようと、掌で顔を覆った。


“…ュ……ァ”


……気のせい?…誰かの声が聞こえる気がする。


“…ュ……ァ”


――ううん、これは気のせいじゃない、明らかに、さっきの声とは違う――



静かで優しくて、どこかで聞いたことのある、それ。


とても落ち着く声色。


「これ、私、知っているわ」


“ユリア…こっちだ”


はっきりと耳に届いた声に弾けるように顔を上げ、ユリアは目を開けた。


閉じてても、開いても、さほど明度の変わらない闇の中をキョロキョロと見廻す。



―――どこから聞こえてくるの?貴方は私を助けてくれる?



恐怖と闘いながら、立ち上がって歩き始めた。何処をどう歩いているのか、まるで分からない。


けれど、遥か向こうに微かに光る小さな灯が見える。とても小さいけれど、あたたかく感じる。


――あそこに行けば……。


ユリアは誘われるようにそれに向かって足を運んだ。



“ユリア、こっちだ……何処にいる、戻ってこい”



―――途切れ途切れに聞こえるこの声。やっぱり、貴方なの――



やみくもに歩いていると、小さかった灯が徐々に大きくなっていくのを感じつつ、やっとの思いで傍まで辿り着くと、丸い玉のようなそれは目の前でゆらゆらと揺れた。


ユリアが指先でそっと触れると、それは小さな破裂音とともに弾け、まばゆいほどの光が辺り一面に広がり体を包み込んだ。


―――っん…まぶし……い。



暗闇に慣れていたせいか目がツキンと痛み、耐えかねてユリアは瞳をぎゅっと閉じた。





***





―――ふわりと揺れる感覚―――


徐々に感じる体のあたたかさ


意識が体に戻っていく――――――



…ん……誰かが私の頬を触ってて、優しい指が、髪を優しく梳いている。


何かが、額に乗ってる……あたたかくて、心地よくて、とても落ち着く。


このぬくもりにずっと、包まれていたい……。







「ユリア、目を覚ませ」


ぼんやりとした意識にラヴルの声が聞こえ、起きたほうがいいと感じて体を動かそうとするが、何故かビクともしない。


何かにがっちりと拘束されてるようで、二の腕も痛い上に、何かが指に絡みついてるよう。


動き難い中身動ぎをすると、手の甲に、何か柔らかいものが押し付けられた。


チュッと音を立ててそれが離れ、フゥと吐かれた大きな息が手にかかるのを感じると同時に、少し拘束が緩んだのか二の腕の痛みが楽になった。



「ユリア、目覚めたか?―――聞こえてるのなら、目を開けろ。でないと、今すぐ襲うぞ」


「へ?ぇ、ま、待って」



急いで目を開けると、眉を寄せた厳しい表情のラヴルの顔がすぐそこにあった。漆黒の瞳が妖しくひかり、とても近くて、怖い。


拘束されていると思ったのは当然で、体を膝の上に預けていて、逞しい腕にしっかりと抱えられていた状態だった。



「ユリア、ずっとうなされていたぞ。どれだけ私に心配掛けるんだ。さっきまで意識がどこかに飛んでいただろう。とても普通ではない。何があった?きちんと、包み隠さず話せ」



とても真剣な瞳で問い詰めて来るラヴルを見るにつけ、やっぱりあの声はラヴルだったのかと思う。


でも、どうしてなのか。あの女性のお客様はもう帰ったのだろうか。


見下ろしてるラヴルの漆黒の瞳は妖しく光っていて怖いけれど、気のせいか、とても心配げに見える。



――もしかして、本当に心配してくれていたの?



「ラヴル、どうしてここにいるの?確か、女性のお客様がいたで――っ」



言葉の途中で、背中にまわっていた腕に力が入りグイッと体が起こされた。


急に起こされたために眩暈を起こして揺らいだ頭を素早く支えられ、広い胸にぐっと押し付けられた。


さっきまで手を握っていた方の手も、いつの間にか背中にまわりこんでいた。


徐々にラヴルの腕の力が強まっていくのを感じ、動こうとしても1ミリも動けない程に強く抱き締められていた。


何だか、ぎゅうぅなんて音が聞こえてきそうなほど。


包み隠さず話せと言われても、胸がドキドキする上にとても息苦しくて、このままでは落ち着いて話が出来ない。どうしたらいいのか。



「ラヴル、もう少し、力を緩めて」


思い切って出した声が掠れてしまう。


息も絶え絶えに、なんとか緩めて貰おうと交渉するも、逆に、何故かどんどん力が強くなっていくのだった。


もしかして、このまま絞め殺すつもりではないだろうか。


でも確かあれは逃げた場合のことで、今は違うはずで……。


「ラヴル、……あ、あの、離してください」


「駄目だ、離すつもりはない。このまま、私の質問に答えろ。それ以外で、その唇を開くことは許さん」



有無もない強い言葉。


耳の傍で低く静かに発せられたラヴルの声が鼓膜を優しくくすぐり、おまけに耳朶に息がかかって体が痺れるような感覚に襲われてしまう。



―――何が起こってるの?


どうしてこんなに、息も出来ないほどに強く抱き締められてるの?


あの女性はもう帰ったの?恋人に見えたのに、私なんかに構ってたらいけないじゃない――



半ば意識がもうろうとし始め、ハテナマークがぐるぐると渦を巻き始める中、おぼろげにラヴルの声が聞こえてくる。



「このまま……ユリア、私は――――」


そう言いかけ、何故か口を噤んだラヴルの頭が肩に埋められた。その拍子に少しだけ拘束が弱まったので、ユリアは足りなくなっていた酸素を必死に補った。


ユリアがそんな状態なのも構わず、再び拘束が強まりはじめる。


鬼のライキを倒すほどの腕力。ほんの少しの力加減でユリアの命など、どうとでもなるだろう。


加えてさっきのラヴルの発言。日頃の言動から考え合わせ、その先を想像すると、大変なことが自分の身に起きそうで何とも怖い。


「ラヴル、お願い。もう少し……力を緩めて。でないと、話せないわ」


懇願するように言うと、首に埋められていた顔がハッとしたように上げられた。


と同時に、腕の力が緩まっていく。


「無意識に力を入れ過ぎていたな。悪かった、苦しかっただろう。少し、考え事をしていた」


優しさを含んだ声色でそう言うと、ラヴルはさらに力を緩め、掌で背中を摩り始めた。


ようやく息が楽になり、顔を上げることが出来たユリアの瞳に映ったのは、目覚めた時と変わらないままの厳しい表情だった。


それでも、背中を摩る掌は優しくて。


「何があった?」


そう問いかけてくる声も優しくて。


ユリアは勘違いしてしまいそうになる。



「あの時、ノックの音がして―――……」


あのノックの音から始まった不思議な出来事全てを話して聞かせるうちに、ラヴルの眉間に深い溝が入り、漆黒の瞳が赤く染まっていった。



――――パン!!―――パン!!―――


「きゃあぁぁぁぁっ」


静かな部屋に二度響いた、大きな破裂音。


テーブルの上に置いてあった水差しとコップが、粉々に砕けた音だ。


満杯に入っていた水が飛沫をあげて飛び散り、テーブルから床にぱたぱたと雫が零れ落ちていく。


突然のことに叫び声を上げて震えた華奢な体をそっと支え、ラヴルは再び背中を摩る。



「ユリア、私だ。すまなかった。つい―――……驚かせたな」



開け放ってあったテラスの窓が音もなく動き、閉じられていく。


ユリアがここに来てから一度も閉められたことのない、大きな窓の重厚なカーテン。


それが、スー、と動き、閉められていく。


やがてそれは、一分の光りの漏れる隙もないほどに、窓をぴっちりと塞いでしまった。



「カルティスを呼び寄せる」



カルティスっていうのは、確か、あの小島のお屋敷にいたヒトだ。


少しの間しか接していないけれど、とても優しいおじさまだったし、リリィという可愛い女の子もいた事も覚えている。そう、あのベッドを飾り付けてくれた子だ。



「カルティスをここに?」


「そうだ。ユリアが向こうに行くのもいいが、それだと何かと不便だ。何より、私がユリアに会えなくなるからな。それは困る。それならば此方に呼び寄せたほうがいい」



そう言ったあと、ラヴルはすぅと瞳を閉じた。余程深い思案を巡らせているのか、そのまま全く動かない。


その様子は眠っているようにも見え、ユリアの体を支えていた腕に、力が無くなっていった。


「ラヴル……?もしかして、眠っているの?」


ユリアが呼びかけるも微動だにしないので、上質な絹のような頬、すぅと伸びた鼻梁、色素の薄い唇と、順番にそっと触れてみた。



―――とても綺麗な顔で眠るのね―――



さっきまで起きていたのに、とても不思議に感じる。


とりあえず、この膝の上から降りないと、眠ってるのにいつまでも乗ってるのもおかしいと思えるのだ。


それに、毛布を持ってきた方がいいわ―――



起こさないように気をつけながらそぉっと腕の中から抜け、膝の上から滑り降りてソファに腰を落ち着けると、安堵のため息が出る。


様子を窺うように隣を見れば、ラヴルはまだ瞳を閉じていのでホッと胸をなでおろし立ち上がろうとした。


と。


くらりと視界がゆらぎ、今まで座っていたはずのソファがどんどん遠ざかっていくのが見えた。


気付けば座った姿勢のまま、ラヴルの腕で軽々と持ち上げられていた。


バランスを崩して後ろに倒れていく瞳に天井が映り、このままでは落ちる―――と覚悟したとき、ふわりと背中を支えられた。


ユリアの黒い瞳に、不機嫌そうにして見下ろすラヴル姿が映る。


「ユリア、何故私の膝の上から逃げる」


「違うわ。眠っていたようなので、移動しただけです。別に、逃げようとしたわけではなくて……。あの、降ろしてください」


「駄目だ。黒い影に負けぬよう、貴女が誰のモノであるのか、しっかり自覚しておいて貰う必要がある」



ラヴルが足を動かすたびに、部屋の灯りが、一つ、また一つと順番に消えていく。


部屋中の窓という窓は、ピッチリとカーテンが引かれていて、月明かりも全く差し込まない。


部屋の中がどんどん闇に染まっていく。


やがてベッド上の壁の灯り一つのみを残し、全部が消えてしまった。


ナーダの手によって、綺麗にメイクされたベッドが闇に浮かびあがる。



「え……っと。自覚って、何をするんですか?」


ギシ……と、ベッドのスプリングが軋んだ音がする。


「ユリア、そんなことはもう分かってるだろう」


ラヴルが片膝をベッドの上に乗せる気配がしたと思ったら、背中に柔らかなクッションの感触が伝わってきた。


―――でも、あの女性の方は―――――



「待って。ラヴルはまだ、私の質問に答えていないわ。あのお客様はっ……」


……恋人なのでしょう?


長い指が唇の動きを止め、言いたかった言葉が飲み込まれた。


これ以上は何も言うな、とでもいうように指先が唇をなぞっている。


壁の灯りにラヴルの顔が照らされると、それはさっきまでの厳しい顔ではなく、いつもの妖艶で柔らかな微笑みがそこにあった。



「ユリア、妬いているのか?彼女はただの友人だ。第一彼女には恋人がいる。心配するな。誰と一緒にいようが、私の可愛いレディはユリアだけだ―――もう何も喋るな」



額に唇が落とされ、頬が熱くなっていくのを感じ、手で顔を覆いたくても、ラヴルの指が絡められていてどうにも動かせない。


ユリアは、最後の抵抗をするように、妖艶な微笑みから顔をそむけてみた。


「私は、心配していません。それに、妬いてなんていませんからっ」


「……分かっている……いいから、もう黙れ」


クスクスと笑うラヴルはとても優しい表情をしていて、抵抗しようとしていたユリアの固い心が、ふにゃふにゃに柔らかく解れてしまい、体の力がどんどん抜けていく。



「ふむ、いい子だ。ユリアは可愛い―――」



ラヴルの唇が首筋を這い、薄紅色の唇から洩れる言葉が熱い吐息へと変わっていく。


身に着けていた衣がするすると逃れていき、艶やかな白い肌が露わになる。


甘い濃密な夜が更けていく――――


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