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5

ルミナの街をゆるゆると馬車が進んでいく。


見た目はシンプルだが、内装は豪華な黒塗りの馬車。磨き上げられた車体は、月光を受けてキラリと光る。


新品に見えるそれは、内装に上質の素材が使われ、座り心地のいいソファのような椅子が使われ、床にはふかふかのじゅうたんが敷かれている。


これは、少しでも快適に過ごせるように、とラヴルが新しく購入したもの。誰が快適に過ごすためか、と問われれば、答えは一つしかない。


ラヴルの想い人のためだ。


その馬車が坂を登り切り前方に門の外灯が見えてきた頃、前を見ていたツバキが訝しげな声を出した。


「あれは、何だろう」


目を凝らすようにして見つめ、警戒しているのか、体からは青い炎の気が立ち昇った。


「どうした、ライキ。炎が出ているぞ」


「すいません、つい。だけどラヴル様、門の前に誰かいます。どうしますか?」


「……止めろ。ツバキ、確認して来い」


「はいっ、行ってきます!」



ラヴルは窓から外を見やった。今朝、屋敷の周りに張った結界は強固なものだ。まだ綻びはない。


――だが。何だろう、この焦燥感は―――




命じられたツバキは素早く馬車を降り、門の前にいる人影に近付いて行った。


外灯を避けるような場所で、結界に触れるギリギリのところでうろうろしている。


近付いて行くツバキに気付くことなく、落ち着きがない様子で、たまに屋敷の方を仰ぎ見てため息をついている。


特別殺気のようなものは感じられない。だけど、何か妖しい。


フード付きのロングコートを身に纏い、ちょっと見には男か女か分からない。


――顔はよく見えないけど、ユリアを狙ってきたのか?


ツバキの青い気が、体を覆いゆらりと揺らめく。



「おい、そこにいるのは誰だ?ここはラヴル様の屋敷だぞ。何か用なのか?」



身構えつつツバキが声をかけると、その人物はビクッと肩を震わせゆっくりと振り返った。


ツバキの青い炎を見て、警戒するように僅かに身構えたが、すぐに誰なのか分かったのだろう、ホッとしたように肩を落とした。


「……ツバキ、でしょう?私よ。シンシア。久しぶりね。良かったわ、どうしようかと思っていたの」


女らしい艶やかでいて柔らかな声。逆光で良く分からないが、にこにこ笑っているような穏やかな雰囲気が伝わってくる。


ツバキは纏っていた炎の気を収め、息を一つ吐いた。


「シンシア様、珍しいですね。どうしたんですか。一体何の用ですか?」


「えぇ、用があって此方に来たのよ。でもね、困っていたのよ。なぁに、この強固な結界は……。近付くだけでピリッと痛むなんて、普通じゃないわ。参ったわ、どれだけ強いのよ。門の中に入れなくて、屋敷を尋ねようにも、どうにもこうにもならないじゃない。近くに見張りらしき使用人も誰もいないし……。ラヴルは、馬車の中なの?」


シンシアは、月光を受けて鈍く光る馬車をちらりと見やった。



――出来れば屋敷の中に入れて欲しいけれど、こんなに警戒が強いもの、ダメかしら。



馬車に近付くシンシアに、ドアが開くのが見えたので最上級の微笑みを作り、出来うる限りの色香を瞳に乗せて、降り立っていたラヴルを上目遣いに見つめた。



――こうすると、ラヴルは弱いもの。いいえ、大抵の男の方はこの仕草に弱いわ……。



目論見通り、ラヴルはシンシアを柔らかな表情で見つめながら話しかけた。



「シンシア、一人とは珍しいな。何をしに来た?」


「もちろん、貴方様に会いに来ましたのよ。あの時お約束したでしょう?今日はそれを果たしに。是非先日の続きを―――だから、いいでしょう?」


「うむ、そうだったな。しかし、今日か……」


ラヴルは瞳を伏せて何事かを考え込む仕草を見せた後、シンシアに向き直った。


「―――まぁ、いいだろう。せっかく来たんだ。一時許す、馬車に乗れ」


「はい、ありがとうございます」


シンシアはにこやかにほほ笑み、ラヴルの手を取り、馬車に乗り込んだ。




その頃ユリアは、一人きりの夕食を終えたあと入浴を済ませ、いつものように窓の外を眺めていた。


屋敷の庭は昼間と変わらずに荒れたままだったが、遠くを見やれば前と変わらない美しい景色がある。


気のせいか、昨日よりも月の輝きが増したようで、遠くの水面がいつもに増してキラキラと光っていた。


満天の星空。澄んだ色の半月。空気も、心なしか普段よりも清んでいるように感じられる。


こうして外を眺めていると、初めてヴィーラに乗ったあの夜を思い出す。


“ユリア様、ラヴル様から伝言がありました。今宵は少し遅くなるそうです。夕食は先に済ませるようにと仰せつかっております。・・・大丈夫です。あの方は、必ず此方に来られますから”



―――ナーダったら、もうっ……。あの言い方だと、まるで、私がラヴルを待っているように聞こえるじゃない。


確かに、昼間はラヴルに傍にいて欲しかった。でも、それは得体の知れない恐怖を感じて、ただ心細かっただけなのよ?


決して、恋焦がれてる訳ではないわ。


もう、今は恐怖も薄れたもの。


だから、今夜も来なくても、別に何とも、平気なの。


例え、他の女性の元に行ってても、平気……。


“また、夜に来る”


別に……来なくても、逢えなくても……平気、なんだから……――――――



愁いを含んだ黒い瞳が伏せられ、白く美しい手は揺れるカーテンをぎゅっと握り締めた。




ふと庭に視線を落としたユリアに、門の方から黒塗りの馬車が玄関先に入ってくるのが見えた。ゆるりと止まったそれから、ツバキが飛ぶように元気に降り立ち、続いてラヴルが静かに降り立った。


こちらを仰ぎ見るラヴルの姿。


あんなに遠いのに目が合ったように思え、ユリアの胸がトクンと脈打ち、心の中に小さなさざ波が起こる。


それはラヴルの姿を見るたびに起こる小さなもので、ユリアにはこれが何なのか分かりかねていた。


ラヴルがそこにいるだけで、何故か周りの景色が光り輝いて見える。心にほんわりとあたたかいものが生まれ、フツフツと小さく湧き立つのだ。


それに耐えるように掌で胸をぎゅっと押さえた。


……息が、苦しい……。




此方を見上げていたラヴルが視線を落として手を差し出した先に、客人の姿が見えた。


その手を取り、続いて降り立ったのはフード付きのロングコート姿のヒト。


多分女性なのだろう、遠目にもラヴルが優しげな微笑みを向けているのが分かってしまうのだ。


コートから垣間見える細く白い腕が親密そうに絡まるのは、知り合い以上の関係のヒトに思える。



ユリアの小さな胸がチクンと痛み、心の中にどろりとしたものが生まれ出る。


見たくないのに、二人が視界から消えるまで、目を離すことが出来なかった。




***




あれからユリアは、部屋の中でソファに座りぼんやりとしていた。


ラヴルが帰って来てから、もう随分と時間が経っているが、接客で忙しいのか一度も顔を見せに来ない。




女性のお客様。一体どんな方なのか、気にしたくなくても、気になってしまう。


この感情は、きっと、蓋をするべきもの。でないと、きっと切なくて苦しい想いをすることになる。


ユリアにとってラヴルとの関係は、あくまでも買い主と買われた者としか思えないのだ。


ラヴルからの愛情を感じることは沢山あるが、それがいつまでも続くとはとても思えなかった。



時折風が吹き込む静かな部屋の中、不意にノック音が響いたので、驚きつつも接客を終えたラヴルが来たのかと思い、ユリアはドアを見つめた。


が、それは無音を貫き、いつもと違って誰も入ってくる気配がしない。


「?……どうぞ?」と声をかけてみるも、反応がない。


いつもならばノック音がしたと同時にドアが開けられるのに、こんなことは初めてだ。



――誰かしら。なんだか少し怖い――


「―――誰、誰なの?」


声を掛けながら恐る恐るドアに近付き、耳を当てて様子をうかがってみるも、やっぱり何の物音もしないし、廊下には誰もいる気配が無い。


気のせいだったのかと無理矢理納得させてソファに戻ろうとする足先に、乾いた音を立ててそれは触れた。


静かな部屋の中でなければ聞き逃すような微かな音だ。


恐らく、先程にドアの隙間から差し入れられたと考えられる白い四角いものが、ユリアの瞳に映る。



「――これ、何かしら……」


呟きながら拾いあげて見ると、何か書かれてるのは分かるがまったく読めない。


封がされててここに入れられたということは、ユリア宛の何か、のはずだ。


「どうしようかしら」



ここは結界の張られたラヴルの屋敷。他者を排除する空間の中で、こんなことが起きるなんて、不思議で不気味。


一体誰が差し入れていったのか。そう考えながら、ユリアは手の中のものをじっと見つめた。




―――……これの中身が何故かとても気になる。


これにはとても魅力的なものが入っている気がする。開けてみようかしら。


ううん、違うわ。


私は、これを開けなくちゃいけない。


開けたら、大切に持っていなくちゃいけない。


早くしないと。ラヴルが来る前に―――………




焦りにも似た感情が心を支配する。よく見てみると、何か紋章のようなもので重厚に封印がされていた。


急いで、引き出しからペーパーナイフを取り出してソファに座り、焦りつつも注意深くナイフを差し入れた。


ピリ、と封を開け、三角形に折り返されている部分を開くと、スルンと黒い影のようなものが飛び出した。


それは素早く指を伝わり手の甲に乗り、溶け込むように広がり、じわじわと侵食するように白い手を黒く染めていく。


それを振り払う訳でもなくその様をただ見ている、ぼんやりとしたユリアの黒い瞳。


“ユリア”


不意に、誰かに名前を呼ばれた気がしたユリアは、はっと我にかえった。


黒く染まり行く手が見え、きゃあぁぁっと叫び声を上げながら慌てて持っていた紙を投げ捨てて、それをパシパシと叩いて黒い影を振り払った。


音もなく床に落ちたそれは、溶け込むように、すー、と消えていく。



「む、虫……じゃ、ないわよね?」



掌も、甲も、指も隅々まで確認してみたが、黒い痕はどこにもない。一体、何だったのか。


床に落ちた紙のほうを見やれば、それも床板に溶け込むように消えていく。


やがて何事もなかったかのように、黒い影も封書も消えてしまった。




ユリアの輝く瞳から生気が失われていく。


ぼんやりと淀んだ瞳は封書の消えていった、そのただ一点を見つめたままに全く動かない。


ユリアの意識は、半分そこにはなく、迫り来る黒い闇と闘っていた。


周りの光がどんどん失われていき、抗おうにも意識はどんどん渦巻く闇の中に引き込まれていった。



―――いったい……なに、が?……ラヴル……たす…け…て――――――



やがて瞳は閉じられ、細く華奢な体はソファの上にゆっくりと沈み込んでいった。


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