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空にはまばらな星が瞬き、淀んだ半月が広大な庭に明りを落とす薄暗い夜。
ケルンの城の奥深く、王宮の一室から漏れ聞こえるのは、甘く響く悩ましげな女の声。
「セラヴィ……さま……それは…っん……だめ……ん」
「……ここか。……ふっ……ダメではないだろう」
天井から下がるのは豪華なシャンデリア。
壁際に並ぶのは豪華な調度品。
壁に点された小さな明かり一つの部屋の中、キングサイズの広いベッドの上で、悩ましげな声を漏らし、長い指が肌を這うたびに反応して跳ねあがる美しい裸体。
女らしい柔らかな丸み、艶めく美しいブロンドの髪、薔薇色の頬に艶めく唇。
瞳を閉じ体を襲う恍惚に身を任せ、吐息交じりに漏れる甘い声は、セラヴィの扇情感をさらに煽っていく。
ベッドを激しく軋ませると、目の前の体が幾度も愛らしく果てる。
幾度目かの征服を確認したあと、セラヴィは満足げに体を離し、娘の潤んだ瞳を見つめ、乱れた艶めく髪を指で梳いた。
「セラヴィ様、夢のような時間をありがとうございました。もう、思い残すことはありません」
「うむ……では、今一度恍惚を味わってもらうぞ」
「はい、セラヴィ様。私、とても幸せでした」
長い指が娘の美しい首筋をすーっと撫でれば、ぴくんと震える体。
娘は覚悟を決めたように瞳を閉じ、セラヴィの唇が触れるのを待った。
サラサラとした美しい髪を耳に掛け、セラヴィは白い肌に牙をゆっくりと埋めた。
白く細い腕が広い背中にまわり、ぎゅっと爪を立てる。
長い時をかけじっくりと吸われる血。
白い腕が次第に力を失い、ずるずると下がっていく。
逞しい腕の中で美しい娘の体は色を失っていき、やがて生をも失った。
唇をゆっくり離し、青く張りの無くなった頬をそっと撫で、髪に口づけを落とした。
――まだ若き乙女、これだけ美しければ、これから先楽しい人生が待っていたのだろうに。こんな私のために命を献上するなど―――
「すまんな……情けない私を許してくれ」
セラヴィは哀しげに呟くと娘の体を丁寧にシーツで覆い、ドアに向かって声を上げた。
「ハッカはいるか」
「はい、セラヴィ様。ここに」
「いつものように丁重に頼む」
「畏まりました」
娘の体を丁寧にハッカに渡すと、セラヴィは瞳を閉じた。
身の内には力が漲り、どんどん気が昂っていく。
崩壊寸前の体。
それでも国一番の力を持つ歴代最強の王セラヴィ。
正妻を迎えてまともに国を治めていれば、この先1000年は安泰と言われていた。
不運が続き未だ正妻を迎えられず、力はどんどん失われていく。
契約のない体から貰った、付け焼刃だが貴重な命の力。
心優しいセラヴィは、弔いと礼の気持ちを込めながら、夜の国に力を注ぎこむ。
首都ケルンから名もない国境の村、草木の一本まで力をいきわたらせる。
淀んだ半月が徐々に澄んだ輝きを増し、まばらだった星が満天の煌きに変わっていく。しおれかけていた花が瑞々しさを取り戻し、濁った川の水が透明度を取り戻す。月の灯りにキラキラと水面が輝き、魚がぴちょんと跳ねあがった。
セラヴィの力が、国を、国土を安定させていく。
国作り。
これがこの国の王の大切な仕事の一つ。
新しい国土を作るのも、消すのも王の心一つ。
今夜は月に一度の大きな力を使う日。
「ふむ。これで暫くはいいだろう」
―――パートナーさえいれば、こんなことはしなくても良いのだが。
私にはもう時間が、無い―――
閉じた瞳の中に、ストレートの黒髪を靡かせて走り寄る娘の姿が浮かぶ。
眩しいほどに降り注ぐ光りの中で、過ごした日々。
しっかりと愛をはぐくみ、婚儀も寸前であったのに……。
“セラヴィ様”
鈴が鳴るような凛とした声。柔らかな微笑み。
貴女は今どこにいる?
それとも、やはり、すでにこの世にいないのか。亡くなったと言うが、遺体はまだみつかっていない。わずかな希望が、この身を焦がす。
「クリスティナ……私は、もう、譲位した方がいいのだろうか」
この世に貴女がいないならば、この国には何の価値も見出だせないのだから。
だが、譲位しようにも大臣の説得とラヴルの承諾が必要だ。
――王の義務、か。
愛してもいない娘を抱き、命を奪いながら崩壊寸前の体を何とか誤魔化す。
貴女さえいれば、こんなことはしなくてすむのに。
クリスティナ……――――――
昼間訪れたルミナの街は、ラヴルの力により清浄な空気に満ちていた。あちこちに白い色が目立っていたが、パートナーの色なのだろう。
ラヴルの屋敷から強く漏れる甘い香り。
あの日謁見に来た体から漂った残り香と同じもの。
クリスティナに似ているため、ケルヴェスからの報告と考え合わせ、もしやと思って訪れたが、感じる気配から別人だとも思えた。
だが、環境の変化で雰囲気が変わることはよくあること。
そう考えると、僅かな期待も同時に湧きあがる。
諦めきれない想いに焦がれる。
つい思ってしまう。
屋敷の中にいるのは、クリスティナではないか、と。
“美しい方です”
「うむ、やはり、一度会いに行き、確かめねばな」
暫くの思案の末、セラヴィは灯りをともして机に向かった。
一枚の書状を書き始めるセラヴィ。紙の上をサラサラと動く黒い羽ペン。
王の印章を押し、丁寧に封をした。
「ケルヴェスはいるか」
「はい、ここに」
「これを届けよ。急ぎだ」
「―――畏まりました」
書状の宛名を確認するケルヴェスの体が、霧のように消えてなくなっていく。
セラヴィは窓の外を見やり、テーブルの上のワイングラスに手を伸ばした。
――もし、クリスティナであれば……。
ラヴルには悪いが、この手に返して貰おうぞ。
そなたがいかに大切にしておろうとも―――
セラヴィの漆黒の瞳が妖しく光った。




