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3

そのあと暫く、ユリアはぼんやりと窓の外を眺めていた。馬車は街中を走っていて、夜なのに、沢山の人が道を行き来していた。



「ユリア、会場に着くまでに、機嫌を直せ」



むっすり黙り込んでいるのが気になるのか、ラヴルはさっきから手を握ったり、結いあげられた髪を整えるように、長い指先で撫で上げたりしている。




――機嫌を直せと言われても。


血を吸われたあとあんな風に脅されて、普通でいられる人っているのかしら?


こうして傍にいるのも怖いと思ってしまうのに。


そんなことを言うのなら、あんな風に脅さなくてもいいのに―――





「ようこそいらっしゃいました。ラヴル様―――此方へどうぞ」



馬車がゆるゆると停まったのは、こんもりとした森の前。


馬車から降りる時、無言で出されたラヴルの腕をユリアはじっと見つめた。



――私はこの腕に掴まるしかないんだわ。例え、この方の本質が冷酷で怖くても――



そっと腕に掴まると、ラヴルの瞳がふわっと緩んで口角が少し上がった。


漆黒の瞳は、ずっと見下ろしたままで、馬車から降り立っても、ラヴルはちっとも動き出そうとしない。


ユリアが不思議に思って見上げると、バシッと目が合ってしまった。



「ユリア、機嫌は直ったか?」


「……まだです」


ぽそっと呟いて、見透かすような瞳から逃れるように、プイッと横を向いた。



――散々脅しておいて、今更そんな優しげな顔しても騙されてあげないわ。機嫌だって悪いまま、むっすりとした顔で過ごしてやるんだもの――



そう決意してチラッと見上げると、まだ見ている。


何だか戸惑っているように見えるのは、きっと気のせいだと思っておく。



暫くすると、ぼそっと呟く声が聞こえた。


「慣れるまで、しょうがないな……」




うっそうと茂る木に囲まれた場所を、執事のような男がランプを持って、足元を照らしながら先に歩いていく。


案内されるまま暗い道を進んでいくと、前方に煌々と明かりのついた煌びやかな空間が見えてきた。


庭を明るくするためなのか、大きな屋敷の部屋全部に灯りがともされ、会場を囲むように生えている庭の木にも、沢山のランプが吊るされている。


それは、傍にある湖をも明るく照らしてて、よく見ると、ボートに乗って湖面に出てるカップルもいた。


長いテーブルの上にはオードブルが並べられ、既に集まっていた男女が、ワイングラスを傾けながらにこやかに談笑していた。



「ラヴル様!ようこそ―――お久しぶりです!」


グレーの髪の若い男の人が、にこやかに駆け寄って来、ラヴルに向かって丁寧に頭を下げて挨拶した後、手を差し出した。


その手を一瞥して一瞬握った後、ラヴルはすぐに引っ込めた。



「まさか招待を受けて貰えるとは思ってませんでしたよ。そちらのお連れ様は?」


「ヤナジ、久しぶりだな。この娘はユリアだ。ルミナの屋敷に住まわせている」


「ラヴル様の屋敷に?そうですか……。こんな娘、何処で見つけたんですか?」



ヤナジが珍しいものでも見るかのように、顎に指先を当てた姿勢で、頭の上からつま先までじっくり眺めている。


値踏みするようにじろじろ見られて、嫌な気分になってしまい、ユリアはその視線から逃れようと、ラヴルの方に体を寄せて腕にぎゅっと掴まった。



「―――へぇ、可愛いな」


ヤナジはにこにこと人懐こい笑顔を浮かべ、長身の体をかがめてユリアの黒い瞳と視線を合わせた。


見つめてくる瞳がゆっくり移動している。


髪、頬、唇、耳のあたりに動いていく。


やがて、顔の下辺りの一点を見つめて、固まったように動かなくなってしまった。


瞳が僅かに赤くなっている気がする。



「あの、どうかしたんですか?」


「あぁ、すみません……。はじめまして。ラヴル様の友人のヤナジです。宜しく―――我が夜会にようこそ。どうぞ楽しんでいって下さい」



言葉と同時に、ヤナジの手が差し出された。


白い肌のラヴルとは違った、少し日焼けしたような黒い肌の手。


人のことじろじろ見て、失礼な方だけど、社交の場ではそうするのが当たり前のことに思えて、その手を握ろうと手を伸ばした。


ラヴルだってそうしていたのだ。


最初に決めたとおり、粗相だけはしないようにしないといけない。



すると突然、右斜め上から、今まで聞いたこともないような低い声が聞こえてきた。


「手を出すな」


馬車の中で脅された時よりも低くて、温度の全く感じられない冷たい声。


あまりの迫力に驚いて、伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めた。



「あ、ラヴル、ごめ……んな―――…」


謝ろうと思ってラヴルを見上げて、言いかけた言葉を噤んだ。視線はこちらではなく、真っ直ぐに前方に向けられている。


自分に言われたと思っていた言葉は、ヤナジに向けられていたものだったようで、ヤナジは両掌を体の前にかざし、慌てたように横に小刻みに振っていた。引き攣った笑顔を浮かべ、額の汗が灯りに光っている。



「いや……何も睨まなくても―――ラヴル様……私は、古くからの友人ではないですか」


「あぁ、確かにそうだな。貴方は友人だ。今までは、な……」


「また、そんな御冗談を―――」


「ヤナジ、知ってるだろう……?私は滅多に冗談を言わないということを―――特に、男相手には」


「そんな……、少し挨拶をしようとしただけではないですか」


「少し―――?私には、そうは見えなかったが」



ラヴルはヤナジの方にジリジリと近付いていく。腕に掴まっている都合上、戸惑いながらも一緒にジリジリと動いていくユリア。


何が起こっているのか、全く理解できない。


一定の距離を保ち、後ろに下がっていくヤナジ。


ラヴルは、青ざめてうろたえたえているヤナジの肩をぐっと掴み、耳に口を近付けて何かをささやき始めると、ヤナジの頭が小刻みに縦に揺れた。


その様子を横から確認すると、ラヴルは満足げに口角を上げた。



その冷たい微笑みに、ユリアは息を飲んだ。やっぱり、この方は怖い。



「ユリア、手を離せ」


「……?」


いきなりそう言われ、訳が分からずに見上げると、いつもの妖艶な微笑みが見下ろしていた。


「……動けんか?」


「ぅ……動けます」



クスッと笑い声を漏らしたラヴルの長い指が、固まっている手を腕から剥がし、細い両肩を掴んですすっと前に押し出した。


何事かわからずに、目の前のヤナジの強張った顔を見つめるユリア。



「ヤナジ、メイドを一人貸せ」


「―――はい?」





***





「―――整えるだけでいい。あまり派手にするな」


「承知いたしました。ラヴル様」


「ユリア、外で待っている」


背中に当てられていたラヴルの掌がゆっくりと離され、静かにドアが閉められ、メイドに「こちらにどうぞ」と言われ、鏡の前に座ってみて呆然とした。



――まさか、こんなことになってるなんて……。



確かに馬車の中でラヴルの腕が髪にかかったかもしれないけど、こんなに乱れ落ちるほどに動いた覚えはない。


ナーダの手でふんわりと結いあげられていた髪は、見事に崩れ“おくれ毛なんです、これ”と言ってごまかせないほどに、髪が束になってあちこちから落ちていた。



――そういえば、ラヴルがしょっちゅう触っていたっけ。



涙を流したことと、馬車の中でラヴルが頬を撫でていたせいで、メイクも少し崩れている。


脅してきたり、慰めるようなことをしてきたり。ラヴルのすることはよく分からない。



鏡の中の乱れた姿がメイドの手でどんどん綺麗にされていく。髪は一旦全部下ろして結い直され、メイクも一旦落とされてやりなおされた。


ものの15分程度でユリアの姿は元通りに仕上がってしまった。



「ラヴル様、どうぞ――――ラヴル様?」



扉を開けて廊下をキョロキョロと見廻していたメイドが、困った顔で戻ってきた。


「廊下に居られません。どう致しますか?」


「暫くここで待って、戻って来なかったら自分で会場に戻ります。綺麗にしてくれて、どうもありがとうございました」



ニッコリと微笑むと「そうですか。では失礼致します」と、メイドもにこっと微笑みを返し、部屋から静かに出て行った。



そのままぼんやりと椅子に座ったまま待ってみる。



メイドが出て行った後からもう10分ほどたっている。


でも、ずっと待っててもラヴルはちっとも来る気配がない。


ドアを開けて廊下を見廻してみても、ラヴルはどこにもいない。


初めての場所に、周りは知らない人たち。頼れるのはラヴルだけ。


そのラヴルが“待ってる”って言ったのに、ここにいない。


不安になるユリア。



――どうすればいいのかしら。


“外で待ってる”って、もしかしてここの廊下ではなくて、外の、会場で待ってるってことかしら……?


そうよね、そうかもしれない。だったら、ここで待ってても、永久にラヴルは来ないわ――



ユリアは椅子から立ち上がってドアに手をかけた。



――でも、外に行くのはいいけど、ラヴルはすぐに見つかるのかしら。


会場には、結構人がたくさんいたもの。


だけど、ここにいてもラヴルは来そうにもないし……――――



「もし、見つからなかったら、ここに戻ってくればいいわ」



ユリアは少し迷った後に自分を励ますようにそう呟き、思い切ってドアを開けた。


庭側の部屋の灯りは煌々と灯っているのに、廊下の灯りは落としてある。


所々点いてるだけで薄暗い。明るさに慣れていたせいか、さらに暗く感じる。


不気味ささえ感じるしんと静まりかえった廊下。



――確か、こっちにまっすぐ行けば玄関が見えてくるはずだけど。



さっきまでいた部屋は、丁度屋敷の真ん中あたりにあったようで、廊下にも同じ様なドアが並んでいて、どちらから来たのか、全く分からない。


適当にあたりを付けて歩いていくと、灯りが一筋廊下に差し込んでいるのが見えた。誰かいるのか、ドアが少し開いていて、そこからぼそぼそと話す女性の声が聞こえてくる。


そのまま気にせずに通り過ぎようとすると、その言葉だけが妙にはっきりと聞こえてしまった。


他の言葉は耳にぼそぼそと届くだけなのに。


切なそうな、艶を含んだ声で発せられたそれだけが。



「ラヴル……」



ピタリと、ユリアの脚が止まった。



―――今……確か……。もしかして、この中にいるの―――?



そぉっと中を覗き見てみると、綺麗な女性が潤んだ瞳で男性を見上げていた。


ユリアの方からは男性の広い背中しか見えないが、女性の真っ赤な艶っぽい唇が動くのが見えた。



「……ラヴル」



慌てて目をそらして一歩前に進んだ。けど、それ以上脚が動かない。


何故か、体が固まったように動かなくなった。


聞こうと思ってないのに、耳が漏れ聞こえてくる声に集中してしまう。



「……愛してる…………お願い……」


「シンシア…………本当は……だろう……」


「でも……お願い……ラヴル……」



途切れ途切れに聞こえてくる切なげな女性の声は、何かをしきりにお願いしている。


その後に、いつもの聞き覚えのある静かな声が、これも途切れ途切れに聞こえてくる。



それを聞いた途端、何故か脚が震え始めた。



いけないことを聞いてしまった気がする。


心臓がドキドキして、息が苦しくなっていく。



――これ以上ここにいたらダメ。こんなの、聞いていたらいけない――



ユリアは耳を塞いで、震える脚を懸命に動かした。気付かれないように、なるべく足音を立てないよう、その場をそっと離れた。



どうしてこんなに脚が震えるのか、どうして胸がこんなに苦しいのか、自分でもさっぱり分からない。


だが、兎に角、あの場から早く離れたかった。



―――何故かしら……何故か、心が重く沈んでいく。


ざわざわと心が騒いでいる。


こんなのおかしい……――――



震える脚を何とか動かし続け、遠くに見える灯りに誘われるように、ふらふらと外に出た。


外では煌びやかな衣装を着た男女が楽しげに音楽に乗って踊っている。


ユリアはぼんやりと眺めながら階段を下りて行った。


頭の中にはさっきの会話の内容が何度も繰り返し再生されている。


全部を聞かなかったせいで、余計にあらぬ想像が頭の中を支配していく。



ぼんやりしていたせいか、ヒールの部分が階段の角にこつんと当たり、脚がガクンと崩れた。



あっ――と思った時はすでに遅く、体がゆっくりと階段の下に向かって倒れ込んでいった。



目の前に迫る芝生の生えた土。



ユリアは堪らずにぎゅっと目を瞑った。

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