13
「……セラヴィ」
――貴方は、最後まで立派な魔王だったわ……。
短い間だったけれど、一緒に過ごした日々が思い出される。
怖くて意地悪だったけれど、愛情を感じたこともあった。
もっと、やりたいことが沢山あったはずなのに。
さっきまで一緒にいたのに。
こんなに簡単に、いなくなってしまうなんて―――
唇を噛んで、涙が出るのを必死にこらえる。
今は、セラヴィの志を継いでこの世界を護らなくちゃいけない。
しっかりしなくちゃ。
頑張らなくちゃ。
最後に残してくれた、この、あたたかな日の光りを、絶えさせちゃいけない―――
そう思えど、足がまったく動かない。
体も。
「……ユリア」
ラヴルが呼びかけて来るのが聞こえるけれど、声を出すこともできない。
振り返ることも、出来ない。
「ユリア……ユリア……。しっかりしろ――――――――シエルリーヌ」
……ぱきん……
何かが、頭の中で弾ける音がした。
―――シエルリーヌ―――
『いいかい?絶対に真名は教えちゃいけないよ』
……優しいおばば様の声。
『えっとね……ほんとは、ないしょなんだけどね。わたしのなまえは、シエルリーヌっていうんだよ。だれにも、いっちゃだめだよ』
『シエルリーヌ、か。分かった―――これは、約束の、印だ』
……あの草原で、男の子と交わした約束。
『シェリー様!……貴様ら、何ということを!』
……川から引き上げられたあの日。
『シエル……姫よ。私を、父と呼べ』
『貴女の双子の姉君、クリスティナですよ』
『シエル、クリスティナよ。宜しくね』
……お父様に、これは、私にそっくりな……この方が、クリスティナ……。
『シエルや、クリスティナが病気なんだ。このままでは、不味い。一度だけでいい、父を助けると思って、クリスティナの代わりに魔王と逢ってくれるか』
『でも、お父様、私には心に思うお方が―――』
『お願いよ、シェリー。一度だけでいいの』
『クリスティナ……、分かったわ』
『あの方が、魔王様なの?あの髪は……。ねぇ、エリス。もしかしたら、あの方が、あの男の子かもしれないわ!』
『まぁ!それでは、クリスティナ様じゃなくて、姫様を探しに来られたのではないですか!?良かったですわね!』
『ありがとう!やっと、お会いできるわ!』
『エリス……駄目だって言われたわ。もう2度と会ってはいけないって……姿も見せてはいけないって……』
『まあ!何てことなのでしょう……姫様、お可哀想に―――』
……私のことを一番に思ってくれていた、優しいエリス。
『まさか、クリスティナ、足に怪我をしてるの!?』
『シェル、私に構わず逃げるのよ!彼らの狙いは、この私。お願い!貴女だけでも生きて!』
……正体不明な賊に襲われたあの時、あの時に、クリスティナは―――
『シェル様、このまま真っ直ぐ走ってお逃げ下さい』
頭の中に、顔と映像が次々に浮かび上がっては、消えていく。
知らずに涙が、溢れてくる。
「私の名前は、シエルリーヌ。クリスティナは、私の、双子の姉の名前……」
確認するように、何度も繰り返す。
私は、人の世でセラヴィと逢ったことがあって……でも、セラヴィはクリスティナと逢ってると思っていて。
私は、セラヴィがあの男の子だと思っていて。
でもそれを、言えなくて。
確かめることも出来なくて――――
「ラヴル……貴方なの?」
あの、約束の少年は、貴方だったの?
「シエルリーヌ。遅くなったが、幼き頃の約束を果たそう。私の迎えに、応えてくれるか」
―――はい……と、頷きたい。
けれど、いろんな疑問が湧いてくる。
いつから、ラヴルは分かっていたの?
私を買った時から?
「名を思い出さないよう、記憶の檻を作ったのは、ラヴルなのですか?」
そんなもの、どうして、いつ、作ったの。
私の疑問に対し、ラヴルは静かに語り始めた。
「―――貴女を、ずっと探していた。テスタのオークションで見つけた時は、双子のうち、姉か妹か分かりかねていた。名を聞けば貴女は記憶を失っていたし、セラヴィが姉の方と逢っていたのは噂に聞いていた。もしも、姉ならば。いや、姉でなくとも、いつか魔王が奪いに来るだろうと考え、咄嗟に檻を作ってしまった。……どうやら、それは、いろんな意味で正解だったようだ」
「どうして、私がシエルリーヌだと、分かったのですか。クリスティナかも、しれないのに」
何の確証もない。
私は記憶を失ったままだったし……もし、違っていたとしら、ラヴルはどうしていたの。
すると、ラヴルは胸ポケットから紙の束を取り出して渡してくれた。
「……それは、コレだ。この、メモ書きを読んだんだ。私の母は、カフカの国の者だ。王族でも何でもない、黒髪でもない、ただの人だった。私は、幼い頃にカフカでその母親と暮らしてたことがある。その時に、貴女と出会った。“黒髪の娘が森で暮らしている”と噂に聞いて“会いに行った”と言った方が正しいが―――」
ラヴルが渡してくれたそれは、私がラッツィオにいた時に見た記憶の夢を書き留めていたもの。
それの中の一枚には、優しい男の子と出会って遊んだことが書かれている。
記憶の、欠片たち。
「これを、どうしてラヴルが持ってるの?」
「リリィが、私の元に運んできた」
「リリィが―――これを」
目の端に、白い綿毛のようなものが映る。
目を上げると、すぃーっと飛んできた白フクロウさんが、ラヴルの肩に止まった。
「え、白フクロウさん?」
―――ぴぃ―――
一鳴きして、ばさっと飛び立った白フクロウさんが、矢のように飛んでいく。
その方向には、覆面の男達が立っていた。
アリが運んだヒトたちが、戻って来ていたのだ。
走って来たのか、皆ハァハァと肩で息をして、掌をこちらに向けている。
「くっ!ラヴル様!危ないですぞ!」
「チ―――――この……」
ぐいっと抱き寄せられて、頭を抱えるようにされたあと、ラヴルが掌を敵に向けるのがわかった。
瞬間。
――シュン――――と、風切り音がおこり、覆面の男達が呻き声を出して順番に倒れていくのが腕の隙間から見えた。
黄金色の気を纏い、爪を丁寧に布で拭いながら、バルが此方に歩いてくる。
「バル、助けてくれてありがとう」
「全く、このような油断。貴方様らしくありませんな、ラヴル・ヴェスタ殿」
「バルリーク、すまん、恩に着る」
「……ラヴル・ヴェスタ。礼代わりに、彼女を少し借りていいか」
「―――あぁ、分かった」
一瞬止まって考える様子を見せたラヴルの腕の中から、バルの腕に渡される。
「え……バル?あの―――」
「こっちに来てくれ、話がある」
暫く歩いたところで、向かい合って立った。
皆はかなり遠くにいて、こちらを見ている。
少しの間無言でいたバルは、穏やかな微笑みを浮かべた後に口を開いた。
「お前の名は、シエルリーヌ、か。良い名だな―――」
そう聞いてきたバルの頬が、赤色に染まる。
咳払いを繰り返してて、とても緊張しているよう。
何を言うつもりなのか、分かる。
きっと、約束してた、あのことだ―――
にっこり笑って、うなずいて見せる。
――ようやく、貴方に、名を教えることが出来る。
一音一音を噛みしめるようにして、丁寧に、伝える。
「はい、バルリーク王子様。私の名は、シエルリーヌ、です」
「……シエルリーヌ。よく聞いて、判断して欲しい」
真剣なブラウンの瞳を見つめ、ゆっくり頷く。
「―――はい」
「俺は、心から、お前を愛してる。この世界の誰よりも。一生大切にし、守る自信がある。俺と、結婚してくれ」
頬が染まったバルの顔を、じっと見つめる。
いろんなことが思い出される。
瑠璃の森でのこと。
城宮でのこと。
馬車の中でのこと。
「……貴方はいつも私のためを思って行動してくれていた。優しくて、穏やかで、とても大好きよ。でも、貴方は私の大切なお兄さんなの。私は、幼い頃から想ってる方がいるわ。出来れば、その方とこの先の人生を歩んでいきたいと思ってる。だから、ご免なさい、バルの求婚には応えられないの」
そう告げたら、バルは暫く瞑目したあと、こう言った。
「そうか――――シエルリーヌ、きちんと振ってくれたこと、感謝する。俺は、これで前に進める」
「―――バル、大好きよ。ありがとう」
バルの首に腕を巻き付け背伸びして、頬に唇を寄せた。
本当に、ごめんなさい。そして、今まで、本当に、ありがとう。
これからも、友人として、よろしくお願いします。
そんな、想いを込めて―――
……これが最後だ、抱き締めていいか……
囁くような声が聞こえたので、無言で首を縦に振った。
ぎゅうぅと抱きしめるその肩が、小刻みに震えているように感じる。
そこに、頬を埋めた。
―――バル、本当に、ありがとう―――