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―――ぅ……ん……?まぶしい………。
頬に当たるあたたかな光を感じ、ユリアは瞳を瞬かせた。まだまどろみの残る瞳に映るのは、開け放たれたテラスの窓。白いレースのカーテンがゆらゆらと揺れている。
―――ここは……?どうも昨夜のところと違うみたい。昨夜は、確かもっと大きなお部屋で、花に埋もれた大きなベッドがあって――――っ……ぅ……――
昨夜のことを思い出すとドキドキしてしまう。目の前に迫ってきた漆黒の瞳。強引な言葉とは裏腹に、触れてくる指や唇はとても優しかった。
恐らく初めて感じたであろう男の人のぬくもり。
恥ずかしくて、居た堪れなくて布団を頭からすっぽりと被った。
「ユリア様、お目覚めですか?」
――ナーダの声がする……と言うことは、ここはあの山の上の大きなお屋敷?いつの間に、あの島から帰ってきたのかしら―――
ユリアは、布団を少しずらして目だけを覗かせ、声のした方を見た。ナーダに染まっている頬を見られたくないのだ。
「ナーダ、おはようございます。あの、すみません……覚えてないんですけど、私いつ帰って来たんですか?」
「夜中に、ラヴル様がユリア様を抱きかかえてお戻りになりました」
「抱きかかえて――?……ぁ、あの……ラヴルは今、どこにいるんですか?」
「ラヴル様は出かけられております」
「そうなの……出かけてるの」
ユリアはホッと胸をなでおろした。
――良かった。どんな顔をして会ったらいいのか分からないもの。あんなこと―――
“心地よい夢を見せてやる”
思い出せばユリアの頬が再び薔薇色に染まっていく。
―――そう言えばあの時……着てた夜着を破られたけど……あれからどうしたのかしら―――?何か着てるといいけど―――
そう思い、布団の中をそっと覗き見たユリアの瞳が、大きく見開かれた。
体にはシーツがぐるぐるに巻かれている。
―――これって……やっぱり、この姿のまま帰って来たって言うことで……。この姿で外に?―――そうよね、ラヴルが服を着せてくれるはずがないもの。誰にも見られてないといいけど―――
ドキドキしながら思考を巡らせていると、ナーダがベッドの脇に立っていた。何か少し機嫌が悪そうに見える。
「ユリア様……」
「……はい?」
「目覚められたのでしたら、早く起きて、お食事をお召し上がりください。私の仕事が進みません」
不機嫌そうに言いながら、ナーダはすっぽりと覆われている布団を剥がそうと、端っこをぎゅっと掴んだ。その手を懸命に制し、ユリアは慌てて叫ぶ。
「あぁ、ごめんなさい―――待って!起きます。起きますから……。あ……ナーダ、あの、とりあえず、服をください……」
ユリアの頬は薔薇色に染まり、困ったように慌てふためいている。その表情を見たナーダの瞳が、一瞬ふわっと緩み、無言でクローゼットに向かい、着替えのドレスを手に戻って、布団からにゅっと出ている白い手に渡した。
「お早くお願い致します」
そう言うと、そのまま振り返り、テーブルの上に朝食を並べ始めた。
ユリアがこっそりとぐるぐるに巻かれたシーツを剥がすと、一緒に巻かれていた花弁がヒラヒラと舞い落ちてきた。
それに、手にした服を見て、少しの間躊躇してしまった。あの島にあった物と同様に豪華なドレスで、とても自分には合わないと思える。
ナーダをチラッと見ると、忙しそうに食事の準備をしていた。
――仕方ないわね……今だけコレを着て、あとで変えればいいわ。
「ナーダ、ありがとうございます」
テーブルにつくと、相変わらず大きな皿に、血の滴るような分厚いお肉がドンっと乗っている。ユリアは困ったように首を横に振ってナーダを見上げた。朝からこんなに食べられる気がしない。
「そんな顔をしても駄目です。このナーダ、ラヴル様より、ユリア様にはしっかりと食事をして頂くよう仰せつかっております。今日も“全部”食べていただきます」
ナーダはお茶の入ったポットを持って、見張る様に横に立っている。
「でも、ナーダ。朝からこんなに沢山食べたら、私お昼ご飯はとても食べられないわ」
ユリアは分厚い肉にナイフを差し入れながら、遠慮がちに言ってみた。分厚いお肉は、その見た目とは違い、とても柔らかくてナイフがするっと入っていく。一体何のお肉なのか、口に入れると何とも柔らかくてジューシーで、蕩けるように美味しい。
「ユリア様、今はもうすでに11時をまわったところで御座います。なので、この食事はお昼と兼用。だから“全部”食べて下さいと申し上げてるんです。人間は本来三食食べるそうではありませんか。それなのに、ユリア様は二食ですよ?たった二食!!ぜーんぶ食べて頂かないと困ります。良いですね?」
片手を腰に当ててじろっと見下ろして、きっぱりと言うナーダにはとても逆らえない。まだ若くて20歳くらいに見えるのに、なんだかとっても迫力がある。
――最初に怖いと感じたのも、この年齢に見合わない迫力のせいかしら―――
ラヴルにも意見が出来るくらいだから、余程しっかりしてて、信用されてるに違いない。
ユリアは一口食べて、意外にお腹が好いていたことに驚いていた。お肉も柔らかくて美味しくて、どんどんフォークが進んでいく。あっという間に平らげ、今度は海藻のサラダを片付けにかかった。
今日のサラダは何が入っているのか、全体にやたらと黒々としている。コリコリと硬い歯触りに、ゆっくりと噛んで口に運んでいると、バタンと大きな音を立ててドアが開けられた。
驚いてフォークを落としそうになり、慌てて持ち直していると、ツバキの大きな声が聞こえてきた。
「ごめん、ユリア驚いたか?」
「……ツバキ」
「申し訳ありません!ユリア様、失礼します!」
大きな音に反応し、ギロッと睨むナーダの顔が見えたのか、はたまた静かに窘めるようなラヴルの声に反応したのか、さらに大きな声が部屋の中に響いた。それと同時に、コツコツと大きな足音が部屋の中に響いている。
―――この大きな足音は―――
ドキンとしてそぅっと振り向くと、ラヴルが此方に近付いて来るのが見えた。
「ユリア、起きていたか。良かった、肉は全部食べられたようだな」
ホッとしたような声でそう言うと、当たり前のようにユリアの前に座った。それ以降何も言わずに、静かに、ユリアが食べる様子を見ている。
「ぁ、あの、ラヴル。そんなに見られていると、あの……食べづらいです」
顔を上げたら目が合ってしまい、恥ずかしくてパッと俯いてしまう。自分の頬がみるみる染まっていくのが分かる。サラダを差すフォークが震えてしまった。
そんなユリアを見て、ラヴルはにっこりと笑った。
「昨夜言っただろう?ユリアは私のモノだと。こうして見ているのも、何をするのも私の自由だ」
「あ……それはそうですけど。私、困ります」
「いいから、食べろ。ユリアが元気でいてくれないと、困る」
そう言ってラヴルは何をするでもなく、食べてるところをずっと見ている。
ただ食べるところを見てて、何が楽しいのか。
昼間のラヴルは、夜の雰囲気とはまるで違う。此方を見つめてくる漆黒の瞳も、あの妖艶さが抜けてて、なんだかとっても優しく見える。
どちらが本当のラヴルなのか。
「うむ、いい子だ―――全部食べられたな。顔色も少し良くなった」
ぼんやり考え事をしていると、いつの間にか、ラヴルが隣に立っていた。長い指先が、頬を優しくスゥっと撫でている。ゾクッと震えるような、妙な感覚がユリアの体を襲う。
ドキドキしたくないのに勝手に心臓が動いてしまう。
――ナーダとツバキが居るのに……二人とも何処にいるのかしら。
そう思い部屋の中を見廻すと、ナーダとツバキは入口近くの壁に二人並んで立っていた。
ツバキはにこにこしているし、ナーダは無表情。二人ともこっちをずっと見ている。
「ラヴル、二人が見ています。手を離して下さい」
「触れてるだけだ。別に構わないだろう?」
クスッと笑うラヴルの声が上から降ってきた。いつしか指は移動し、長い黒髪を指の間からサラサラと零している。
――何か、何か話さないと……―――
「あ、あの……ラヴルに、聞きたいことがあるんですけど」
「何だ?何でも言ってみろ」
「私はここで何をすればいいのですか?体力には自信がありませんし、私に何が出来るか分かりませんけど、もう働くことは出来ます。何でも言って下さい」
「なっ―――働くだなんて、何言ってんだ、ユリア!」
ツバキの大きな声が部屋の隅から聞こえてきた。その隣でナーダが瞳を大きく見開いている。二人ともかなり驚いたようで、ツバキの方は口を開けたままだ。
髪を弄っていたラヴルの指も、ピタリと止まってしまった。
――私、そんなに変なことを言ったかしら?―――
「勘違いしているようだな。ユリアは働かなくていいんだ」
「え……?では、私は何をすれば」
「何もしなくていい。私の傍にいればいい。昨夜は疲れただろう……。ここはユリアの部屋だ。気にせずにゆっくりしてるといい。また夜に会いに来る―――それまでいい子で―――」
ユリアの頭に唇を乗せて、ラヴルは満足げに微笑み、コツコツと大きな足音を立ててツバキと一緒に出ていった。




