5
一人で部屋を出るのは、初だ。
ドキドキする心臓を宥め、頭を下げて控えの姿勢を取る衛兵の間を通り、颯爽と廊下に出た。
は、良いけれど……と、ハッと気付く。
「そういえば」
階段を出現させる術を教えてもらってない。
ティアラには何時でもここに来てねと言われたけど、セラヴィには何も言われていない。
くるんと振り返って、尋ねてみる。
「貴方達は、階段を出せますか?」
「は――――?」
目を丸くしてこちらを見た後に、互いに顔を見つめ合う二人は、随分と怪訝そうな表情をしている。
首を捻ったまま暫く何事かを考えるそぶりをし、一人がこちらを見てにっこりと笑った。
「―――はい。勿論存じております。そこまで一緒に参りましょう」
衛兵の後をついていくと、壁の途中に、ぽっかりと穴が開いてるのが見えた。
セラヴィと一緒の時と違って最初から灯りも点いていてとても明るい。
ひんやりとした空気が下から上がってきて首筋をゆっくりと撫でていく。
堪らずにぶるると震えると、衛兵が大丈夫ですか?と聞いてきた。
「やっぱり、下は寒いのかしら?」
「ここがこうなのであれば、外はこれ以上に寒いのでしょう。階段は……下りはじめれば、貴女様なら大丈夫ですよ」
「……下りはじめれば、私なら?」
衛兵の言葉に、何だか不穏な雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。
もしかしたら、印がないと途中で階段が無くなってしまうのか。
意地悪なセラヴィのことだ、十分にあり得る。
……一緒に行ってもらった方が、いいのかしら……。
そう思い、ちらっと見ると、衛兵は深深と頭を下げていた。
「これ以上は分が過ぎます。どうぞ、行ってらっしゃいませ」
「……行ってきます。すぐに戻りますから」
というか、分が過ぎるって、貴方は私の衛兵ではないの?
そんな疑問がわくけれどぐっと飲み込み、意を決して下り始める。
硬質な足音が階段の中に小さく響く。
進むにつれて、何だか灯りが小さく暗くなってるような気がする。
脚を速めたくても、支えの腕がなければどうにも怖い。
まわりにある壁は見るからにつるんとしていて、支えるどころか、却って転倒を助長しそうに思う。
ドレスの裾を上げて、薄暗い中を注意深くそろりそろりと下りていると、ふ…と灯りが消えてしまった。
同時に、ふわりとした浮遊感に襲われる。
急に足が浮いてしまったおかげでバランスが崩れて、あまりの恐怖に、声にならない息が出た。
コクンと喉をならす。
真っ暗。
ふわふわと揺れる感覚。
自分の体が上を向いてるのか動いてるのか、はたまたその場に留まってるのか、全く判断がつかない。
このまま部屋まで戻されるのかも。
それとも、真っ逆さまに―――?
一瞬の間にこの先の最悪な事態をあれこれ想像してしまい、声も出せずにただ震えながら身を縮めていると、セラヴィのものであろう声がした。
『―――捕縛―――』
狭い空間。
地を這うような重低音の声が、何とも怖ろしげに響いて鼓膜を揺らす。
―――ホバク?―――
その言葉の意味を理解するより先に、大きな布のようなものが、くるるんと、体に巻き付いてきた。
かろうじて顔は出てるものの手脚が全く動かせなくなって、恐怖心がいや増す。
『貴女は、一人で何処に行くつもりだ』
「ティアラの部屋に行くのです。というか、これを取って下さい。とても怖いわ」
平静を装おうにも声が震える。
『そこに、何をしに行く』
「何って、あの……」
布を取って欲しいという願いは華麗に無視されムカッとするものの、不測の事態での問いかけに、言葉が詰まる。
おかげで恐怖心は薄れたけど、その分焦りが生まれた。
言い訳なんて、何も考えていない。
それに、ぴっちりと巻き付いた布はあまり余裕がなくて、ポケットの中いるヒインコが心配でたまらない。
拘束を緩めるべく何度か腕に力を入れていたら、足の付け根辺りがモゾモゾと蠢いた。
なんとか動く余裕ができたみたいで、良かった…とホッとするのもつかの間に、再びセラヴィの恐ろしい声がした。
今度のは、怒りも含まれてるように感じる。
『あそこで何がしたいのだ』
「あ、の……」
『ふむ、大した用でないなら、部屋に戻れ』
「あ―――待って。違います……お部屋の掃除をしようと思ったのです」
頬に空気の流れを感じる。体が、動かされているよう。
このまま戻されてしまうなんて、嫌。
せっかくここまで来たのに。
『掃除?』
怪訝そうな声が出され、ぴたり、と肌に感じる空気の流れが止まった。
「あの時、貴方は何もしてなかったみたいですから。あの部屋も定期的に手入れをした方がいいわ、とてもカビ臭かったもの」
そう。
あのとき、門を潜り戻った私が最初に目にしたのは、こちらをじっと睨み佇むセラヴィの姿だったのだ。
ずっと、あの場から動いていないようだった。
『む、私も行く』
「―――はい?……貴方も?何で?」
ぽぽんと灯りが点き、セラヴィの姿が現れてすとんと落ちた体は腕の中にしっかりとおさめられた。
眉間にシワを寄せた恐ろしい顔が目に入ると同時に、体に巻き付いてる布が見えて毎度おなじみな毛布だと分かった。
「内密に一人で階段を使うとは何事だ。全くいい度胸をしている。許可なくば、ここは閉塞するのだぞ」
知らんのか、とぶつぶつ言いながら階段をずんずん下りていくセラヴィ。
――ヘイソク?――
それって、ふさがるってこと?
そんな恐ろしいこと、誰も教えてくれなかったし貴方も言わなかったじゃない。
知ってたら、無理矢理でも衛兵についてきてもらったのに。
やっぱり、貴方はあの男の子じゃないわ。
彼は、絶対に、こんなに意地悪じゃないもの。
「待って。一人で十分です、許可さえくださればいいのですから……貴方は、どうぞお仕事に戻って下さい」
「駄目だ。貴女の無謀さを、私の他に誰が止められる。実に、危険だ。今後、出掛けたくば私に言え」
「そんなことは、」
この先の言葉、貴方も迷惑でしょう?は、声になって出なかった。
ピタリと止まったセラヴィの視線の先に、古びた平らかなドアがあったのだ。
片手でしっかり抱え直され、ぬめっとした黒い幕を潜りぬければ、前と同じカビ臭さが鼻をついて顔をしかめる。
「ふむ、確かに手入れは必要だ。さぁ、手早く済ませよ。私は忙しい」
そう言って、すとん、と部屋の真ん中に下ろして腕を組んで佇む様子は、手伝う気持など皆無のよう。
忙しいなら衛兵に命じて戻ればいいのに、何のために一緒に来たのか。
魔力が消えたためか、体に巻き付いていた毛布ははらりと剥がれて床に落ちた。
厚着をしていても、ここは寒くて震えてしまう。
きっと、外の気温はこれより低いのだろう。
ここがこうなら、森の中はどうなのか―――
ヒインコを放そうか、迷う。
こんなに小さな体なんだもの、寒さに耐えられるのか心配だわ。
けれど、ポケットの中から伝わってくる動きは早く出たがってるように思う。
仕方ないわね……私に自由を縛る権利はないもの。
ブルッと震えながら毛布を拾い畳んで脇に抱えると、暖かな空気がふわりと頬を撫でた。
それは、開き始めた門から吹き込んできていた。
これなら、ヒインコも大丈夫そうな暖かに思える。
門の向こう側にポケットから出した手を伸ばせば、温かな空気が肌に伝わってきた。
「向こうは、あたたかいのね」
―――寂しさを癒してくれて、ありがとう。
きっと、元気でいてね―――
心の中でさよならを告げれば、てのひらの上のぬくもりが離れていく。
どうやら、元気に飛び立ったみたい。
戻した手をじっと見つめる。
――また、必ず、会いたい。
その為にも、私は、頑張らないといけない。
魔王の妃として――
「お道具はあるのかしら」と呟けば、セラヴィは隅の方を指差した。
そこには箒とバケツが置いてある。
「あれは、前回に置いたものだ」
「え、前に?」
ということは―――……。
そうだったのね。少しは、私の声も届いていたのだわ。
それなら―――
「―――貴方は、箒をお願いします」
微妙な表情を浮かべて戸惑うセラヴィに、無理矢理箒を持たせた。
普段はとても怖い貴方も、今は吸血するだけのヒト。
同等に話せるのは今しかない、存分に味あわなくては損だ。
「忙しいのでしょう?二人でやれば、早いわ。……そうね、こちらの隅から始めましょう―――」
む…と呻き声を出した棒立ちなセラヴィの背中を、ぐいぐいと押す。
箒と部屋を交互に眺めるセラヴィににっこりと笑いかける。
―――使用人を呼んだら駄目です。
一緒に頑張りましょう。
これからは二人で協力して国を守っていくのでしょう?
貴方の漏らした場所、気付かない箇所は、私がしっかり補うわ。
だから、思うがままに進めばいいわ。
私は、そのあとを清めながら、ついていくから―――




