12
テーブルを挟み向かい合う、ティアラの父、人の王、と、魔の代表、吸血族の王。
ティアラは部屋の隅にある椅子に、緊張気味な様子で座っていた。
人の王の背後には、幾人かの大臣のような風体の人が立っている。
吸血族の王の足元には、大きな狼が一匹いるのみで、供の者はいない。
狼は寝そべるように腹をぴったりと床につけ、組んだ前足には頭を乗せて目を瞑っていた。
緊張感も何もない、寛ぎの体勢だ。
ときたまふわふわのしっぽをゆらゆらと左右に動かし、大きな耳もぴくぴくとさせている。
どうやら、話は聞いているよう。
「―――では、願いどおり、私が新しい世界を構築するとしようか。さすれば、貴方がた、人は、見返りに何を差し出す」
「そ、それは。そんなことを―――」
人の側が騒然とする。
大臣たちは困惑し顔を見合わせ、王の顔が険しくなりもごもごと口ごもった。
魔の王は腕組みをして首を傾げ、失笑しながらその様子を見たあと、瞳に威厳を滾らせ威嚇しながら厳しい口調で言った。
「考えてなかったか。魔の王も甘く見られたものだ――――求めるのは、当然だろう。それにより我が力が尽きるかもしれんのだ。魔獣どもや同族の食が奪われることにもなる。ゆえに、私は王として、世界の創始者として、反対派に命を狙われるだろう。損になりこそすれ、得になることなど何一つない。そんなことに私が力を尽くすと思うのか」
魔側からすれば、当然と言えばそのとおりの要求だ。
吸血族の王とは言え、絶対的な力を持っているわけではないのだ。
反乱が起こることは必至だろう。
人側としては、薄々感じてはいたがこれまでの犠牲の多さから考えれば、魔側の言うことは理不尽に思うのだろう。
真っ向から対立しそうな雰囲気が両者の間にながれる。
「返事は今すぐには無理だ。協議し改めて提案をする」
「その必要はない。すでに欲しいものは決めてあるのだ。そちらからの提案を少しでも待った私を、貴方がたは評価すべきだな」
ぎらつく目を細めて薄い微笑みを浮かべた魔の王は、部屋の隅を見やった。
そこには、不安げに成り行きを見守るティアラの姿がある。
「何を―――!?っ、まさか、そのために同席を求めたのか!?―――だが、それだけは、止めていただきたい!別のものを」
「駄目だ、こればかりは譲れん―――人の王よ。そなたの大事な娘、そこに居られる黒髪の巫女姫をいただこう。さすれば、願いを叶えよう。断れば、この話は、無に、帰す――――」
低い声で一語一語をはっきりと区切って強調した魔の王に対し、人の王は早口で捲したてた。
「巫女姫は破魔だけでなく、天候の予見もなさるのだ。奪われれば、人の世にとって大変な損失になるのだぞ」
「農の民が困るぞ」
「漁の民もだ」
大臣達が口々に加勢をするが、吸血族、魔の王にとってはどうでもいいことなのだろう。
表情を崩さずに部屋の隅を見たまま無言を貫いている。
「――――私は!」
ティアラの声は部屋の中に凛と響き、騒然としていた人側を静まらせるには、十分な力を持っていた。
「私の意を、聞いて下さい」
「……ティアラ、そなたは何も心配しなくて良いのだぞ」
人の王が父である顔をのぞかせる。
悪いようにはしない、姫は発言するな、と窘めるように言うのを、でも…と言ってティアラが反抗している。
大臣たちも加わり、寄ってたかって
「会議の場だ」
「女性は発言するな」
口々に窘められ、ティアラはとうとう俯いて黙ってしまった。
「…待て。私が聞こう、黒髪の巫女姫ティアラ、貴女は、どうしたい」
ハッと顔を上げて魔の王を見たティアラの表情が、すぅ…と潮が引くように、なくなった。
目も唇も力が無くなり虚ろに見える。
今までに見てきた表情豊かな生き生きとした、美しいティアラの顔ではない。
「どうなのだ、ティアラ姫。私と、共に来る気はあるか」
「私は嫌です。魔の元に行くことは出来ません」
抑揚のない棒のようなもの言い。
その言葉を聞いて目を伏せた魔の王の唇が何事かを呟くように僅かに動き、笑ったように見えた。
虚ろなティアラの瞳から一筋の涙が頬を伝って落ちていく。
唇は何かを言いたげに震えるも、体も微動だにせず何も言葉が出て来ない。
「決まったな。この話は、無だ。行くぞ」
独り言のような魔の王の声に反応して、ぴくんと耳を動かした狼は、ちら…と片目を開けてティアラの様子を見た。
ティアラの見開いたままの目は真っ赤に充血し、涙はとめどなく溢れ零れている。
人の王が慰めるようにか細い手を握ったり流れる涙を布で拭ったりしていた。
それを横に、大臣たちは魔に差し出すものを決めようと、議論を始めている。
人と魔、同じ部屋の中にいるというのに、全く別の空間にいるようだ。
そのくらいの温度差が感じられた。
「いいのかい。アンタはそれで」
狼の口から、燻銀のような深い声が出される。
「いい。この件で話をすることは無い。もう、ここに来ることもないだろう」
「厄介事を請け負わずに済む」そう呟いて、王が椅子から立ち上がろうとするも、狼の体が邪魔している様子でまったく動けない。
「おい、ダレるな。退け。さっさと行くぞ」
王がいらいらと向ける言葉もどこ吹く風、我が道を行く風体の狼は大きな欠伸をしている。
「俺は退かねぇよ。アンタのお陰で、ねみぃんだよ。行きたきゃ、アンタお得意の指パッチンで抜けたらどうだい」
俺は寝るぜ。
しっぽフリフリ耳をピクピク。
何故だかとてもご機嫌な様子で、自らの腕に顔を埋める狼。
寝息まで聞こえてきた。
「ふむ…独りで、帰れると言うんだな」
―――ぱちん―――
魔の王の姿が消えると、ティアラの体の硬さが取れて表情が戻った。
瞳に力が戻り、零れ落ちる涙をぬぐおうともせず部屋の中を見廻し立ち上がる。
制する父王を押し退け、ドアに駆け寄り開け放ち、廊下に出て宙に向かって宛てもなく狂ったように呼び掛ける。
「王様!?どちらに行かれたのですか!?今のは私の本意ではありません!!王様、お戻りを!」
城の中にはいないと悟ったのか、廊下を駆け抜け階段を駆け降り衛兵の制止を振りきり、城の外に飛び出してティアラは夜空を見上げた。
「王様!!―――お願い致します…お戻りを……お願い……――――――」
王様…もう二度と、会えないのですか。
へなへなと崩れるように座り込み、美しい手で顔を覆う。
指の間から、受け切れなかった雫がはらはらとこぼれおちていた。
その横に立つ、もふもふとした大きな影。
「…しょうがねぇ王だぜ、まったくよぉ……なぁ?」
「…貴方は?」
月明かりに照らされる、ティアラの濡れた瞳が狼を見つめる。
それはキラキラと光り輝き、走ったためか頬は紅潮し、サラサラの髪は少し乱れている。
こんなときでも、恋する女の顔は美しい。
「かぁ~、まったくアイツは。これを捨てるかねぇ……もったいねぇなぁ…律儀すぎんだよなぁ……」
項垂れて首を振りながらぶつぶつぶつと呟くように出される狼の声は、聞きとり難い。
傍にいるティアラもきょとんとした様子だ。
「…はい?あの、何のことでしょうか」
「まったくよぉ、こいつは、貸しだぜ?」
ティアラが顔を覗き込んで問いかけてるのに気付き、むくっと顔を上げた狼は、きちんと座ってしっぽを丸めた。
その改まった様子を見て、ティアラも涙を拭って向き合うように座り直す。
ティアラの煌く黒い瞳に、射抜くような鋭い光を湛えた金色の瞳が向けられる。
「アンタ、魔王の嫁になる決心はあるのかい?」
「はい」
「二度と人の世に戻れねぇかもしれねぇ、それでも、いいのかい?」
「はい。あの方を支えたいのです。破魔の力もありますし、きっと役に立てます」
「環境に適応できず、すぐに命をなくすかもしれねぇんだぜ?」
「私は、こう見えても結構丈夫なのですよ?簡単には天に召されません。それに、こんな男勝りな気の強い姫など、神も“嫌だ来るな”と追い返すことでしょう」
ティアラがはきはきと答え続けると、狼は月に向かって伸びやかな遠吠えを数回した。
その様は実に愉快気に見える。
「よぉし!アンタ良い度胸だぜ。気に入った、俺がアイツんとこに連れてってやるよ。乗んな……ってか、その前に。あいつら説得した方が良くねぇか」
狼の見る方向に、ティアラの父である人の王と、大臣達が居並んでいる。
「…父上、私は―――――――」
…ふ…と映像が途切れた。
――ぴちょん――
暗闇の中に水滴が垂れる音とティアラの声が響く。
――……これが、古の記憶。私の、真実……―――
バルが話してくれた物語を補足して余りあるお話。
あれは、吸血族の王が望んで、無理矢理に黒髪の姫を手に入れたように感じていた。
けれど、これは。
本当は、ティアラの方から、魔の世界に飛び込んでいたなんて……。
それに、黒髪の姫を後継として指定したのは、ただ、稀だからではないんだわ。
反乱者を迎え撃てる破魔の力を持ってるからであって。
もしかしたら、贄というのは、語り継ぐ上での、便利な言葉の一つだったのかもしれない。
でも、そうしたら、私にもその破魔の力が――――?
てのひらを見つめてみる。
裏返しても斜めから見ても、そんなものちっとも感じない。
時代と共に必要ないものとなって、力の継承が無くなったのかしら。
ティアラは力を貸して欲しいようなことを言っていたけれど、私には、何もない。
いいのかしら―――
「ティアラ。貴女は、幸せだったのですね?」
―――……正直、大変なことも沢山ありました。
ですが、私はとても幸せでした。
この森は、この世界を創った際、彼が私のためにと、人の世から切り取って持ち込んだものなのです。
今も変わらずに、私の祖国の、人の世の自然の営みが香る場所です。
貴女も、ここにいると、心が癒されるでしょう?
私の大切な森。
私はこの森を魔の侵入から守り、あの時代、共に闘ってくれた狼族の子孫の国を守り恩を返すために、ここに存在し続けているのです……―――
ラッツィオの瑠璃の森。
以前ジークが言ってたっけ。
“瑠璃の森は不思議なところだぞ。俺達が住んでいいのかって、疑問に思う時がある程だ”
人と、狼族の繋がり。
この森のある意味。
ティアラが歴代妃たちをここに導く理由。
すべてが、ティアラの見せてくれたものの中にあった。
これを見て、どう感じてどのように処理をするかは、それぞれの心次第。
―――……誤解も多いですが、吸血族の王族は、心優しい殿方ばかりなのですよ……―――
いつの間にか、周りの景色が戻っていて、森の中の音が耳に届き始めていた。
目の前には、泉に浮かぶように佇むティアラの姿がある。
…心優しい?あの、セラヴィも…?
顔を思い出して、双眉を寄せてしまう。
「貴女は、記憶をなくしていると言いましたね。今回の記憶を見せるため貴女の中に入り分かったことがあります」
「っ、それは、何でしょうか?私の名前に関することですか?」
「貴女には、真名を思い出せないように、何者かによって記憶の檻が作られているようです。強力なもので、私にも覗き見ることは出来ませんでした」
「それは、どうしてなのでしょうか」
こんなに名前が思い出せないのは、誰かに術を掛けられてるせいなの?
それは、いつかは解けるものなの?
私は、いろいろ思い出さないといけないのに。
「―――わかりません。ですが、あるきっかけによって檻が壊れ解けることは間違いないでしょう。それが何かは、分かりませんが……」
考え込むように瞳を伏せていたティアラの真剣な顔が急に崩れて、ふふふと声を立てて笑った。
「それと、もう一つ教えて差し上げますわ。貴女は、幼い頃に魔族の男の子と出会っていますでしょう。その方は、吸血族の王族のようですよ?」
「え…?」
自分の耳が信じられない。
今、ティアラは何て言ったの。
吸血族の王族って言ったの?
どうしてわかるの。
「あ…あの男の子が生きていると言うのですか?」
あの、優しい子が。
迎えに来てくれると言ってくれていたあの子が、王族?
「えぇ、あの力は王族のものですわ。きっと、誰なのか、じきに分かると思いましてよ?数少ない殿方です。それまで、楽しみになさってるといいわ」
王族…それは誰なのかと訊ねても、ティアラは愉しげに笑うだけでちっとも教えてくれない。
自力で探した方が楽しくてよ、と。
にこにこと微笑んだまま、ティアラは帰りの入口の場所を指し示した。
「貴女はセラヴィ王の妃の約束はありませんが、ここにはいつでも訪れることが出来ます。どうぞ、貴女の意のままになさるといいわ。私は、貴女を応援しています―――」
そう言葉を残し、ティアラの姿が薄くなっていく。
「待って!また、貴女に会えますか?」
―――……必要であれば、会えることでしょう……―――
ティアラの姿が完全に消えて、瑠璃の泉の碧が目に鮮やかに飛び込んでくる。
ここは、ラッツィオ。
バルのところに戻ろうと思えば、そう出来る場所だ。
皆に会いたい。正直、迷う。
けれど私は、ティアラの見せてくれたものを噛みしめ、これからどうするかを真剣に考えなくてはいけないと思う。
“魔王の妃”なるにしても、ならないにしても、セラヴィにきちんと答えを伝えなければ。
私のことを“クリスティナ”と呼ぶ彼に―――
ポケットの中がモゾモゾと蠢く。
ヒインコが出ようとしてるみたい。
「私は、魔王のところに戻ろうと思うの。あなたも、一緒に行ってくれる?」
そう問いかけたら、羽ばたき飛び回りながら、綺麗な囀りを聞かせてくれた。
―――ありがとう―――
瑠璃の森と、ティアラに別れを告げ、セラヴィの元に戻るべく、立ち上がった。




