第2章
その日、ティタさんと俺は日本で3番目に高い山と噂される際阿呆山へ来ていた。
「ミズサキ、ここまでくればもう安心ですよ!」
「どうしてこんなところに来にゃならんのだ」
「通販で買ったこの山用ジェット機ノボル君を飛ばすためですよ。ミズサキも、山というものの神秘性をまだ体験したことがないでしょう」
ティタさんの手には大事そうに、『ノボル君16馬力(やや小型)』と書かれた真っ黒で怪しげな人形が抱えられている。
「おれは、ノボル君のついでかよ!いや、それを差し引いても、何で急にこんな本格的な山に登るのさ」
「大丈夫ですよ。専属のシェルパも雇っておきましたから」
すごーく素敵な笑顔で、まったく話を聞いてないわ、この人……
「ハーイ。ヤマの案内人のロナウドでース。」
ティタさんの後ろには褐色の肌の背の高い男がついてきている。その男は俺と目を合わせるたび、何だか気持ち悪い笑顔を見せてくる。でもまあ、ティタさんが雇ったということはこの男もあっち側の人間なのだろう。
そいうえばティタさんはしっかりと山に登るスタイルで来ているではないか。
「ティタさん、その服どうしたんだい?」
「山に登るために昨日の夜、ちゃっちゃっと作ってきちゃいましたよ」
そう、ティタさんは裁縫の達人なのだ。行き先によって服装をしっかり変えるお洒落さんでもある。
「そういえば、山の神秘って何なの?」
ティタさんは、ふっふっふと自慢げに笑いを浮かべながらこう言った。
「わたしは古代のオリンポス山から信託を受け、魔法を授かりました。そしてモンブラン山で太陽の洗礼を受けこの羽を授かり、大阪の天保山でその他もろもろをマスターしたのです!」
その他もろもろとはなんだ。しかも大阪って……
「すなわち、私の体験談では、山とは神秘的な力を授けるところなのですよ。ミズサキ、この山を登るとあなたにも何かとっても立派な力が宿るはずです。私が付いてるんですから間違いないです!」
「いや、俺そんな力宿らなくていいから……」
そんなことを話しながらも、一生懸命歩いたのでなんとか中腹までやってきた。
ここで、これまで何もせずに後ろを付いてきたシェルパのロナウドが急に前方を指差し、話し始めた。
「ミテクダサーイ。ココカラ先は雲がジュウマンして視界が悪く危険ナノデース。私が先導シマスので、この火打石をカッチンカッチンしながら歩いてクダサーイ」
明らかにおかしな雲が中腹からもくもくしていたが、まあここまで来たんだから行けるとこまで行ってみよう。俺は火打ち石をたたきながら、慎重に前に進んだ。
ところで、この火打石がすごいのだ。普通は1回たたくと火花がチラッと出るくらいなのだが、これは1mくらいの大きな炎が10秒ほど持続して現れるのだ。歩けば歩くほど視界が悪くなるため、これ無しでは全く進めない。ティタさんがすごく打ちたそうにしていたが、一度渡したら返してくれなさそうなので今回はあえて渡さなかった。
30分ほど歩いただろうか。視界は完全に真っ白で地面すら見えなくなっている。そこで急にロナウドが左手を横にまっすぐ伸ばし、俺の行く手を遮った。
「オカシイデスネ。もうそろそろ着いても良いコロナンデスガ。ハッ!もしや、ヤツラの罠にはまっテシマッタノデスカ。オオッ!これでもう死亡カクテイです。ザンネンでした、ミズサキ。あなたとは良いオトモダチになれるとオモッテイタノですが」
「……おっちゃん、ヤツラとか罠とかよくわからないことはいいからさ。素直に道間違えたこと認めちゃったらどうよ」
「な、ナンノコトデスカっ!私にはあそこに牛の角をハヤシタ3mくらいある大男がミエルノですよ!」
俺は小声で
「ティタさん、怪しい牛男、この先に本当に見えるかい?」
そう言うとティタさんは
「その火のでる道具を貸してくれれば、私が確認するんですけどねー。あー残念」
としらじらしく言った。
ぬうう、こやつ本当はすべてが見えてるのに、火打石打ちたさに……。
「1回だけだよ、何か見えたらちゃんと教えてよね」
「むふふう。ありがとう、ミズサキ。ではさっそく……」
ティタさんはすごくうれしそうに、火打ち石をたたいた。
『バチッ、バチバチッ!』
俺がたたくのとは別の音がなったと思うと、辺り一体、目がくらむような大きな光に包まれた。その光の中、1つの怪しい影を俺は発見した。確かに3-4mはある大きな影であった……がそれはまったく動かないではないか。俺は恐る恐るその影に近づいた。
すると……目の前には角をはやした牛の・・・銅像があった。
「ロナウドさん。あそこには牛の銅像があるけど、あれは何のためにあるの。何かを奉ってるとか?」
俺は、ロナウドの牛男をやんわり否定しながら、今いる場所の特定に役立つと思い、聞いてみた。
するとロナウドはおろおろしながら
「オー、あれは私がオイタ農業用の水桶です。あそこに水を入れて畑に……」
俺はごくごく自然に、右手で握りこぶしを作り上げ、ロナウドの顔面めがけ勢いよく腕を伸ばした。
「アウッ、違うんです。ホントのことイイマスッ。あれは防火用の水槽で・・・」
ロナウドが宙に浮いている。俺の手が勝利の雄たけびのようなポーズをとっているようだが、気のせいだろう。
……
……
……
待てよ、何でまだ明るいんだ。確かこの火打石の効果って10秒じゃ……。
あああああ。違う、辺り一面が火の海になっている!! ドンだけ火を出したんだ、ティタさんは!
「ああ、山が燃えています。何と不幸なことでしょう……。ついでにミズサキの幸運もはるか彼方に……」
「あんたが燃やしたんだろ!!それより何か水とか氷とかの魔法ないの? 早く消さないと大規模な山火事になっちゃうよ」
「わたしは回復の精霊ですから、やけどは治せても火は消せません。でもほら、ミズサキ、あそこに水がありますよ」
ティタさんが指で示した先には、さっきまで元気であったロナウド氏が作ったという牛の銅像があった。俺はそこに向かい実際目で見てみると、確かに牛の形をした水入れが存在した。
「ミズサキ、ここは重要な選択をする場面ですよ。人生でよくある分岐点です。慎重に選ばないと。」
「1.その水で火を消す」
「2.その水を倒れている人影らしきものにかける」
「3.その水と周りの火でお湯を沸かす」
……おい、1択だろ。
薄れ行く意識の中でロナウドが
『ニ、ニッ・・・』
と言っていたように聞こえたが敢えてスルーだ。というかこいつ、山の案内役なのに山のこと全然考えていないのが恐ろしい。
「1だ!それよりティタさん手伝って。この火は普通に水をかけているだけではだめだ。俺を連れて空中10mくらいまで一緒にあがってほしい。上から水を巻けば何とかなるかもしれない!」
ティタさんはいつものように俺の腰を抱えて空へ舞い上がろうとした……が、今日は少し考えているようだ。ここにきて何やらノボル君と相談を始めている。
『……今ですか? 今なんですね、ノボルさん!』
ティタさんはうんうんとうなづくと、俺の背中にノボル君16馬力(やや小型)を装着した。
「少しもったいないですが、ノボルさんが実力を試すのは今だと言っているんです。今を逃すなと。」
その後に小声で
『……あーあ、わたしが試したかったなー』
とつぶやいていたのを俺は聞き逃さなかった。
まあ何でもいいから早くしないと……。俺は変な装置とともに空に舞い上がった。ノボル君の操作が案外簡単だったので、慣れるとすぐに扱えた。腹話術の人形みたいな口から変な色の煙を撒き散らしていたのと、飛ぶ際にお琴のBGMが流れるのがすごく気になったが。
俺は防火用水から水を汲み、上空から水をまく作業を何回も繰り返した。その甲斐もあってか火はだんだんと勢いを沈め、20回くらいまいたところでやっと鎮火できた。そして鎮火を見届けるかのように、ノボル君は力尽き、永久停止状態に入った。
「これはお手柄ですよ、ミズサキ。山の主もさぞお喜びのことでしょう。胸を張ってくださいな!」
その後に小声で
『ノボル、フォーエバー』
とつぶやいていたのを俺は聞き逃さなかった。
「こんだけ燃やしといてお喜びもなにも……それよりも周りの草木がぼろぼろじゃないか。かわいそうに……」
俺がそう言い終わるのと同時にティタさんは呪文を唱え始め、周囲一体が明るい光に包まれた。
「すると……まあ、何ということでしょう! あれほど荒れ果てていた野原が、まばゆいばかりの輝きを取り戻し、草花は生き生きと美しい姿を見せ始めたではありませんか。ティタさんによる草木のリフォームが成功したのです」
「自分で言ってどうするんだよっ。しかもどこかで聞いたようなセリフだし。でもまあ、元通り以上に草木を元気にしてくれたことは素敵だよ」
ティタさんの回復により、この騒ぎのどさくさで倒れていたロナウドまで元気になっていた。
「モエサカル炎の中でワタシは鳥ニンゲンを見ました。そのニンゲンは金色のバケツのようなものを持って上空から希望のアメを降らせて火をケシテイタノデス!!」
ロナウドは両手をしっかりと合わせ、目をつむり、祈りのポーズをとっていた。大体この胡散臭いシェルパどこから雇ってきたんだ。しかも何か体が光ってるぞ。まあもうそんなことどうでもいいけど。
そうこうしている内ににだんだんと霧が晴れてきて、山の景色が鮮やかに見えるようになってきた。
「おおっ、もうこんな高いところまで来ていたんだ」
遥かな雲海と、溶けかかった雪のラインのコントラストが美しい。高山でしか見れない景色が眼前に煌々と広がっていた。ティタさんも思いのほか感動し、後ろから俺の両肩をつかんで覗き込んだ。
「たまには、こういうのもいいね、ティタさん」
俺がそう言うと、ティタさんは満面の笑顔を返してくれた。
「さ、まだ時間あるし、ここまで来たんだから頂上までいってしまおう!」
再び歩き出そうとすると、何やら後方から声がかかった。
「すみません、遅れまして」
振り返ると、登山用のリュックを背負った金髪のさわやかな青年が立っていた。
「あれ、どなたですか?」
俺が声をかけると、その青年は
「本日、そちらのティターニアさんに雇われたシェルパです。この山は少し特殊な地形をしているため、先導役をお願いされたんですよ」
「!!」
「あれ、先導役ならさっきまでここにいたんですけど、ロナウドって人」
「おかしいですね、精霊山岳会日本支部の公式インストラクターは私だけのはずなのですが・・・」
「!!」
《精霊山岳会についてはあえてスルーだ、日本支部は気になるが・・・》
「ティタさん、さっきまで一緒にいたよね、ロナウドさん」
ティタさんに聞き返すと
「私はミズサキと2人だけでここまできましたよ。何だか今日のミズサキは独り言が多かったような気がしますが、気の毒なのであえてスルーしてました」
「???」
「え、え、だっていたじゃないか。褐色の肌のカタコト言葉の外人さん、俺に火打石を貸してくれた……ティタさんも火打石打ってたよね」
ティタさんは首をかしげて
「わたしはミズサキから借りたチャッカ君という火をつけたり消したりできる道具で灯りをともしていました。その結果、山を燃やしてしまいましたが……」
燃やしたという自覚はあるんだな……
でも、何だかおかしなことになってきているぞ。あの外人はティタさんには見えていなかったようだし、どうやら山のガイドでもないらしい。ということはあのロナウドという人はいったい……
まあ、いいか。今日は山に登りに来たんだし、今度はまともなガイドさんもついてるから、さくっと頂上まで行ってしまおう。
俺は頭を切り替えて登山に望んだ。
― 1時間後 ―
「ミズサキさん、がんばりましたね。あと少しで頂上ですよ」
ガイドの青年はそういうと、この山について語り始めた。
「この山は、江戸時代、徳川綱吉の治世に噴火した山の隣にあった山です。当時たくさんの動物たちが噴火から逃れるため、隣にあるこの山に避難をしてきました。ほとんどの動物たちは非難をすることができたのですが、何頭かは噴火した山に取り残され、もう死を待つしかないという状態でした。」
「そんな中、取り残された動物を助けるため、1頭の大型の牛が自らの体に水をかけ燃え盛る炎の中に突入したのです。彼の走った道は一筋の光となり、残された動物たちはそこを通って全員無事に逃げることができたのです。」
「へえー、すごい牛がいたもんですね。」
そんなことを話しながら足を進めていくと、もう頂上の祠が見えてきた。
ガイドは指を指して、
「ほら、あそこです。あの牛。水をかぶったという言い伝えから、水槽型の銅像になっているんですよ。空洞がある銅像って珍しいですよね」
青年が優しく言ったにもかかわらず、俺はその銅像を見て、一瞬後ずさりをしてしまった。
あれ、さっき火消しに使ったやつじゃないか。何で頂上に置いてあるんだ……
そんなことを考えていると、後ろからティタさんが
「そういえば、ミズサキ。さっき火を消したときの水はどこから汲んできたんですか。私が指差した水溜りにはあんなにたくさんの水はなかったですよ。」
「!!」
「何言ってるんだよ、俺たち牛の銅像から水汲んだじゃないか。」
「?? 何か水を汲むような仕草をしてましたけど、そんな銅像どこにもなかったですよ。今考えれば桶の中から勝手に水が沸いていたような気もしますが……まあ、山火事が消せたんですし、私はいいですけどねー」
「むう、何か納得いかないな。ロナウドのことといい、牛のことといい。」
文句を言いながらも、俺は頂上に到着し、祠の前で牛の銅像を間近で眺めた。横には説明文が付いてあり、隣の山の噴火から動物を救ったことが記述されている。
あれ、よく見るとこの牛小さく名前が書いてある。俺は目を凝らして見てみた。
『英雄獣呂菜宇都ここに眠る』
あっ!
『ろなうど』……だって……
俺は見てはいけない本をさっと折りたたむような感じで目を背けた。
いかん、こーれはいかん。まことに遺憾だ。何たっておれは英雄に対して、うそつき呼ばわり、鉄拳制裁、胡散臭いと疑う等、数々の非礼をしてしまっているじゃないか。これは、山に来て何か立派な力を授かるどころか、下手すると罰が当たるかもしれん。
俺はいろいろとネガティブなことを考え、後悔の念を感じながらうじうじしていた。が、しかし時間が経つに連れてその感情は次第に腹立たしさへと変化していった。
あいつ火事のとき……自分に水をかけろとかなんかフラグめいたこと言っていたよな……。ということは……火事も自演なんじゃないか。自分で火をつけたうえ、大げさに体に水を浴びて火の中に突っ込んでいく……まさに自演。どうせ昔の姿を見せつけてヒーローでも気取るつもりだったんだろう。しょうもない三文芝居に俺たちを巻き込みやがって……
そう考えると同時に、自分で山火事を起こしたと思っているティタさんが妙に気の毒に思えてきた……
俺はティタさんの肩にそっと手を置いて
「ノボル君のおかげで火を消せたんだよ。彼は命を掛けて山を守ったんだ。僕たちの本当の幸運は彼に出会えたことかもしれないね」
と意味不明な慰めをかけてやった。
―家に帰ってから押入れを開けると、ノボルさんがもう1機あった。どうやら、1個買ったらおまけでもう1個付いてきたらしい―
とまどったり、怒ったり、ころころと変化する俺の表情を眺めて、ティタさんは最初不思議そうにしていたが、俺が落ち着いたのを見計らうと、優しい笑顔でこう言った。
「ミズサキ、山の神秘は体験できましたか?」
「うん、十分すぎるほどね。でも……ご利益はなさそうだよ。何たって、英雄を2回も殴ったからね」
俺たちの熱い山登りはこうして終わった。