第7話 護送車という名の馬車に揺られて
部屋の鏡に映っているのは、着飾った令嬢ではない。
シルクとレースで偽装された、人間戦車だ。
私は重たいスカートを持ち上げ、よろめきながら玄関へと向かった。
一歩踏み出すたびに、ドレスの芯地に仕込まれた(らしい)防護素材がズシリと私の体力を削っていく。靴底のグリップは強力すぎて、カーペットに吸盤のように張り付く。
これはダンスパーティーに行く装備じゃない。これから最前線の塹壕に突撃する兵士のそれだ。
「お待たせした」
屋敷の前に横付けされた豪奢な馬車から、リード様が降りてきた。
夜会用の正装。黒のテイルコートに、ヴァーミリオン家の紋章が銀糸で刺繍されている。
その姿があまりに完璧すぎて、隣に並ぶ自分の「不発弾」っぷりが際立つ。
「……美しいな」
彼が私の手を取り、エスコートしながら呟いた。
「あ、ありがとうございます……」
お世辞だと分かっていても、頬が熱くなる。
しかし、続く言葉で私は現実に引き戻された。
「その重装備を微塵も感じさせない立ち振る舞いだ。重心が完全に安定している。これなら、多少の衝撃波でも吹き飛ばされないだろう」
衝撃波。
今夜のパーティー、爆発する予定でもあるんですか。
馬車に乗り込むと、密室の緊張感が私を襲った。
向かいの席に座ったリード様は、窓のカーテンを少しだけ開け、流れる街並みを鋭い眼光で見つめている。
その横顔は、これから愛を語る相手のものではなく、敵陣への侵入経路を確認する指揮官のそれだった。
「ミレーネ嬢」
不意に彼が視線を私に戻した。
ビクリと肩が跳ねる。
「は、はい!」
「今夜の主賓である隣国の特使団だが……一人、奇妙な人物が紛れているという情報がある」
「奇妙な、人物?」
私はオウム返しに尋ねる。
リード様は腕を組み、声を潜めた。
「名簿にはあるが、顔を見せない男だ。常にフードを被り、特使の背後に控えている。……君の鋭い勘なら、会場に入った瞬間に違和感を覚えるはずだ」
買い被りだ。
私ごときの勘が反応するのは、「このケーキ美味しそう」か「あのカーペットの端は躓きそう」の二択くらいだ。
でも、彼の真剣な眼差しを前にして、「分かりません」とは言えない空気が漂っている。
「君には、自由に動いてほしい」
彼は続けた。
「私が合図をしたら、君の判断で行動を起こしてくれ。どんな突飛な行動でも構わない。君が動けば、必ず敵の計算が狂う」
つまり、「合図したら暴れろ」ということだろうか。
公爵令息公認の暴走許可証。
普通なら喜ぶべきところかもしれないが、私には「責任は取るが、被害規模は未知数」という悪魔の契約にしか聞こえない。
馬車が減速し、石畳の音が変わった。
王宮の車寄せに到着したのだ。
窓の外には、煌びやかなドレスや軍服に身を包んだ貴族たちが溢れている。
光の洪水。音楽の旋律。
そして、私がこれから晒されるであろう、無数の値踏みする視線。
「行こうか」
ドアが開き、リード様が先に降りて手を差し出す。
私は深呼吸を一つして、その手に自分の手を重ねた。
冷たい夜風が頬を撫でる。
逃げられない。ここが処刑台の入り口だ。
私は覚悟を決めてステップに足をかけた。
その瞬間だった。
重すぎるドレスの裾を、靴の強力なグリップで踏んでしまった。
「あっ」
身体が前のめりに落下する。
地面が迫る。
到着して三秒で転倒。伝説の幕開けだ。
私はギュッと目を瞑った。
ガッ!!
衝撃は来なかった。
代わりに、腰に回された強い腕と、靴底が地面を削るような音が響いた。
「……!」
目を開ける。
私は地面スレスレの角度で静止していた。
リード様が私の腰を支え、私自身の靴底が石畳にガッチリと食い込み、信じられない角度で体勢を維持していたのだ。
傍から見れば、まるでダンスのフィニッシュポーズのように、優雅に身体を反らせているように見える――かもしれない。
「……見事な『挨拶』だ」
至近距離で、リード様が囁いた。
「着地寸前で制動をかけ、周囲の注目を一心に集めるとは。これで会場の視線は君に釘付けだ。隠れている鼠たちも、君から目が離せなくなる」
違います。
ただの事故です。
でも、確かに周囲からは「おや、ヴァーミリオン公爵家の方々は、到着早々情熱的ですな」というような、生温かい拍手がパラパラと聞こえてくる。
「立てるか?」
「は、はい……なんとか」
リード様の腕の力と、グリップ靴の反発力を利用して、私はバネのように体勢を戻した。
心臓が痛い。
まだ会場に入ってすらいないのに、もうライフポイントがゼロに近い。
「さあ、参りましょう。私の最強のパートナー」
リード様はニヤリと笑い、私の腕を引いた。
その背中には、これから戦場へ向かう戦士の高揚感が漂っていた。
私は引きつった笑顔を貼り付け、重たいドレスを引きずって歩き出す。
どうか今夜が、ただの平和なダンスパーティーでありますように。
爆発も、暗殺も、私の転倒も起きませんように。
そんな私のささやかな願いは、会場の扉をくぐった瞬間に漂ってきた、焦げ付くような「殺気」の前に、脆くも崩れ去りそうだった。




