今日と明日のあいだ
「今日」と「明日」。
ふたつの道の境界線には、薄い霧がかかっていた。
誰もが無言のまま視線を交わし合い、どちらが“まだ残っている現実”なのかを測ろうとする。
最初に一歩を踏み出したのは、ペストマスクの男だった。
彼は「今日」の道ではなく、そのあいだ――両方に触れたままの位置に足を置いた。
霧がざわめく。
次いで、ガブリエルとジャックナイフを携えた少年がその背に続く。
少女は足元の影を見て一瞬だけ迷ったが、「明日」のほうへと小さく踏み込んだ。
他の者たちもそれに追従する。
道は分かれたままではなかった。
霧の中で「今日」と「明日」はほどけ、編まれ、同じ一本の通路へと変質していく。
渡航者たちは気づかぬうちに合流していき――ふと振り返ると、自分がどちら側にいたのか思い出せなくなっていた。
やがて霧が晴れた先に、塔の中枢部が姿を現す。
巨大な空洞に浮遊する足場、遠くで逆さに動く振り子、無数の扉が円周状に並ぶ空間。
その天井は星空でできており、星座はゆっくりと逆回転している。
そこで、ある現象が起きた。
――ひとり、名前のない男が唐突に消えた。
音もなく、光もなく、ただ「最初から存在していなかった」かのように。
その空白を埋めるように、鏡を持った男がぼそりと呟く。
「もともと12人じゃなかった気がする。9人……いや、7人……?」
ペストマスクの男が言う。
「数には意味がない。ただ、“数える”という行為すら、ここでは観測の罠になる」
そのとき、天井の星々が黒く瞬き、ひとつの輪郭が浮かび上がる。
それは“観測者”の影。あるいはその端末。あるいは、かつて誰かが呼んだ神話的存在の残響。
空間に声が落ちた。
男女の区別も年齢もなく、機械的で、どこか懐かしい声。
――《最終認証まで、残り二層》
――《時間存在、八名》
――《影分裂、補正完了》
――《扉シフト開始》
直後、全ての扉が一斉に角度を変えるように回転した。
その中のひとつが、重く、鈍い音を立てて開いていく。
扉の奥には――雨。
空間ぜんたいが水音に包まれ、遠くで雷鳴が震えた。
少女は一歩近づき、喉の奥がひどく乾くのを感じる。
「……あの扉の先に、誰がいるの?」
鏡の男が囁く。
「“あの時の自分”かもしれないし、“まだ会っていない誰か”かもしれない」
ペストマスクの男だけが、一瞬だけ空を見上げた。
雨雲などないはずの星空の中に、ひと筋の裂け目が走る。
そこから落ちてきたのは――一本の傘だった。
黒く、骨の折れた傘。柄には刻印がある。
――《誰?》
扉の向こうで、時空が呼吸を始めた。
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