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観測される旅のはじまり

目覚めは唐突だった。


 自分が誰で、どこにいて、なぜそこに立っているか。何ひとつ判然としないのに、足元だけがしっかりと地面を踏んでいる感覚を伝えてくる。湿った土の匂い。遠くで水が滴る音。空気は冷たくもなく温かくもなく、ただ「ここにある」という存在だけを主張している。


 周囲を見渡すと、そこは塔の麓だった。視界を貫くように天へ伸びる黒鉄のタワー。雲を突き抜けるその形状は、建造物というよりも、巨大な“時間の杭”にも似ていた。その根元には鳥居。朱色とも血色ともつかぬ色を纏い、歪んだ文字が額に刻まれている。


―渡航塔。


 見覚えのある言葉だった。いや、思い出せないだけで、知っていたのかもしれない。


 鳥居の前には、自分を含めて13人が立っていた。12人の男と1人の少女。年齢も姿も人格もバラバラで、その誰もが「ここへ至るまで」を語れないらしい。だが、自分たちが呼ばれた理由だけは全員が直感していた。


 ――これは、“旅”なのだと。


 塔の前で、最年少と思われる少年が口を開く。名を問われる前に、彼は勝手に名乗った。


「僕はガブリエル。たぶん、まだ死んでない」


 その手には砕けたダイヤモンドの欠片があった。血の代わりに光が滲んでいる。


 別の男がゆっくりとカプチーノを啜りながら言った。


「名乗るのは無意味だ。ここでは“昨日”も“今日”も混線する。俺たちは書き換え可能な存在なんだからな」


 その顔は影に覆われていて、シルエットすら定かではない。ただ「男」である以外、誰も識別できない。


 ぽたり、と雨粒が落ちた。空を見上げると、世界の上層が滲むように揺らいでいる。空が“雨に溶ける”という表現が視覚的に理解できた瞬間だった。


 そこへ、ぬらりと現れたのはペストマスクの男。顔を隠す嘴型の仮面からは、煙のような呼気が漏れている。喋ることはないが、その存在だけで空気がざわめいた。


 そして、唐突に駆け抜ける黄色。

 カッパのフードを深く被った少女が、小さな足音と共に鳥居の向こうへ消える。その足跡には、なぜかナスビとカマキリが転がる。


 全員が見送ったが、誰も疑問を口にしない。ここでは“異常”が“普通”だと全員の無意識が理解していた。


 鳥居の奥には無数の扉。木製、金属、布、石、紙、骨、鏡。材質も形も異なる扉が左から右へ、そして上下にも積み重なり、迷路のように続いていた。


 その入口に、“観測者”と呼ばれる存在が立っていた。顔は鏡面。瞳も口もない。ただ、その鏡にはこちらの13人が映り込んでいる。


『扉を開けよ。時を選べ。空間を裂け。忘却を踏め。その先で問われる名はひとつ――誰?』


 声は響いたのに、誰も音を聞いた記憶がない。


 ナイフのような沈黙のあと、先頭に立っていた男が一歩踏み出した。彼の手にはジャックナイフ。刃が開かれると、空気そのものが切断され、光が細い帯となって散った。


「俺が行こう。どうせ始まらない」


 その言葉で旅は動き出した。



 最初の扉が開いた瞬間、空間は「さっき」にねじれた。ほんの一瞬前の自分たちがそこに立っており、鏡合わせのように扉を見つめ返していた。片方の自分は驚き、片方の自分は諦めていた。


 誰かが呟く。


「これは夢か……悪夢か……」


 だが、すぐ隣の誰かが、逆に問い返した。


「いや、これは――誰の明晰夢だ?」


 その問いに答えられる者はいなかった。


 ただ、遠くでまた雨が鳴った。


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