第21話 医者
翔太は、横浜の街を歩きながら必死にドクター・フローリアを探していた。悟志の命を救うためには言霊の専門医が必要だったが、その居場所の手がかりは一切なく、ただ彼女がフランスと日本のハーフで「ドクター・フローリア」という名前を持つことだけが頼りだった。焦燥感に駆られ、足取りも次第に重くなっていた。
横浜の赤レンガ倉庫が見えてきた頃、翔太の体力は完全に尽きていた。景色がぼんやりと滲み、まるで夢の中にいるような感覚が広がる。彼はふらふらとベンチにたどり着き、その場に力なく座り込んだ。
「もう無理だ…」弱々しくつぶやき、顔を覆うように手を組んだ。目を閉じると、悟志の苦しむ姿が脳裏に浮かび、胸が締め付けられる。彼の命は今にも消えそうだった。
その時、静かな足音が聞こえてきた。翔太は反応する気力もなく、ただその場に座り続けた。足音が止まり、誰かが自分の前に立っていることを感じたが、目を開けることもできない。
「あなたが…翔太さん?」柔らかいがどこか芯の強さを感じさせる声が耳に届いた。驚いて顔を上げると、目の前には一人の女性が立っていた。黒い髪が風になびき、白衣を着用し、その透き通る青い瞳が印象的だった。翔太は一瞬で彼女が探し求めていたドクター・フローリアだと悟った。
「あなたは…ドクター・フローリア?」かすれた声で尋ねた。
「ええ、そうよ。」
翔太は驚いたが、それ以上の詮索をする余裕はなかった。彼は立ち上がり、彼女を急いで悟志のもとへ案内した。道中、彼は頭の中で何度も疑問が浮かび上がった。なぜ彼女が自分を見つけられたのか。しかし、今はそれらの疑問を追求する余裕はなかった。悟志を救うことが何よりも優先されるべきだ。
ドクター・フローリアは慌てて部屋の鍵を開けた。中に入ると、悟志はすでに命の灯火が消えかけているかのように横たわっていた。呼吸は浅く、顔色はまるで死人のように青白い。
「どうにかしてくれ…!もう時間がないんだ!」翔太はドクター・フローリアに向かって叫んだ。その声は焦燥感と絶望で震えていた。
ドクター・フローリアは静かに頷くと、バッグから不思議な道具を取り出し始めた。銀色の小瓶、模様の入った布、そしていくつかの謎めいたアイテムが次々と並べられた。翔太にはそれらが何のためのものなのか全く理解できなかったが、彼女の動きには一切の迷いがなく、確かな自信が感じられた。
「言霊の傷は、普通の医療では治せないわ。でも、私なら助けられる。」ドクター・フローリアは静かに呟き、悟志の胸にその模様の布を置いた。彼女は目を閉じ、静かに古い言語で詠唱を始めた。それは翔太には全く理解できない言葉だったが、部屋の空気が一変したのを感じた。何かが動き出すような、静寂の中に緊張感が満ちていく。
そして突然、悟志の体が小さく震え始めた。彼の肌に浮かんでいた黒い痕が徐々に薄れ、消えていくのが見て取れた。
「やった…成功している!」翔太は興奮して声を上げたが、ドクター・フローリアの表情はまだ緊張していた。
「まだ終わっていないわ。これからが本番よ。」彼女は再び詠唱を続け、その声は次第に強さを増していった。言霊の力がますます部屋全体に響き渡るようで、悟志の体は再び大きく震え出した。だが今度は、その震えが命の力を取り戻すかのようで、彼の顔色が徐々に戻っていくのが見て取れた。
ドクター・フローリアが一息ついた瞬間、悟志の呼吸が落ち着き、脈拍も安定してきた。彼はまだ深く眠っているが、明らかに命を取り戻した様子だった。
翔太はその変化に目を見張り、感謝の気持ちが胸いっぱいに広がった。「ありがとう…本当にありがとう…!」涙ぐみながら、翔太は何度もドクター・フローリアに頭を下げた。
「彼は大丈夫。しばらく休めば、完全に回復するでしょう。」フローリアは微笑みながら答えたが、その表情はすぐに真剣なものに戻った。
「でも、これで全てが解決したわけじゃないわ。強欲の悪魔がまだ動いている限り、あなたたちの戦いは終わらない」
翔太はその言葉に深く頷いた。悟志を救えたことに安堵したのも束の間、彼の心は再び不安と決意で満たされた。強欲の悪魔との戦いはまだ始まったばかりであり、京子もまだ行方不明のままだ。
「分かってる…全てを終わらせるために、俺は戦う。」翔太の目には強い決意が宿っていた。彼はフローリアの助けを借りながら、これから先の困難な道を歩む覚悟を固めた。
「必ず、全てを終わらせてみせる。」そう誓いながら、翔太は前を見据えた。




