第60話 決戦前夜
女神ララーシャは軍勢百三十人を率いて、クレア草原へと出立した。
指揮官として騎士団長のアーサー、副指揮官として教皇のマーガレットも同行している。
ララーシャの側には、従者として指名された愛理、イアン、クレイグ、ジュリアス、ローナ、ラウラ、アンジェリカ、ジョアンナ、アデルがつき従っていた。
愛理の肩にはシルフも乗っている。
クレア草原まで約三日の行軍である。
クレア草原に到着し、一行はさっそくテントを張った。
ララーシャのテントにはアーサー、マーガレット、愛理、イアン、シルフが集まって作戦会議をしていた。
ララーシャが腕を組んで首を横に傾げている。
「魔王をなんとかおびき出したいけど、どうしたものかな?」
その問いに一同は頭を悩ませる。
愛理はララーシャに尋ねた。
「ララーシャ様の方はいつでも魔王と戦えるのですか?」
ララーシャは頷いた。
「うん。準備万端だよ」
「なら、私にひとつ案があります」
そう言った愛理にみんなの視線が集まる。
「アデル様です。魔王はアデル様をひどく憎んでいました。魔王はそのアデル様を殺したと思っている。それを利用できませんか?」
マーガレットが言う。
「アデルが生きていると分かれば、魔王は再度アデルを殺しにくるということですか。魔王のアデルに対する憎しみは異常でした。可能性はあるでしょう。しかし、どのようにして魔王に知らせるのですか?」
「アデル様には一度ハイヒールを使ってしまっているので、次は使用できません。できる限り、安全な方法で知らせたいです」
ララーシャは言う。
「なら、ここで魔法を使わせればいいんじゃない? わたしの気配があると魔王は警戒するだろうから、できる限りわたしは気配を消すよ」
マーガレットは頷いた。
「では、アデルを呼んできましょう」
しばらくして、マーガレットはアデルを連れて戻ってきた。
アデルはテントに入るなり真剣な顔つきで言う。
「マーガレットから話は聞きました。やってみます」
愛理はアデルに念を押す。
「ハイヒールは同じ人に二度は使えません。アデル様、くれぐれも戦闘は気をつけてください」
アデルは力強く頷いた。
「分かっているわ。アイリーン」
作戦の決行はエルフ族の軍勢と合流してから行うことになった。
その三日後に、エルフの百人の軍勢がクレア草原に到着した。
ティムが一人のエルフ族の男性を連れて、指揮官であるアーサーに挨拶に来た。
エルフ族特有の尖った耳、紫色の瞳をしていて、金髪は短く切りそろえたがたいのいい男性だった。
男性はアーサーに一礼する。
「エルフ族隊長のダレンです」
アーサーも一礼を返す。
「指揮官を務めるアーサー・コールマンです。遠路はるばるご支援ありがとうございます」
アーサーとダレンは握手を交わした。
「魔王については我々の問題でもある。まずは、女神ララーシャにご挨拶をしたいのだが……」
ダレンは辺りを見回してララーシャの姿を探した。
アーサーのすぐうしろにいたララーシャは自分を指差す。
「わたしだよ。ダレン、よろしくね」
ララーシャは握手を求めたが、ダレンは額を地面に擦りつける勢いで跪いた。
「だから、そういうのはいいって……」
ララーシャは困惑した顔で頭を掻いた。
それからララーシャのテントに場所を移動して、アーサー、マーガレット、愛理、イアン、ララーシャ、シルフ、アデル、ダレンで作戦会議をはじめる。
アーサーは先日決まった作戦の概要をダレンに説明した。
ダレンはそれを聞いて頷く。
「承知した。決行は明朝だな」
アーサーは頷いた。
――とうとうはじまる。魔王との戦いが……。
愛理は魔王と対峙した時の恐怖を思い出して震える手を握った。
イアンは愛理のその手に自分の手を重ねる。
イアンの手も震えていた。
愛理はイアンを見上げて、二人は覚悟を決めて頷いた。
愛理はその後、ララーシャの従者であるイアン、クレイグ、ジュリアス、ローナ、ラウラ、アンジェリカ、ジョアンナ、アデルを集めて、最終的な作戦会議を行った。
愛理は布陣を最終確認する。
「イアン様、クレイグ様、ジュリアスが前衛、後衛にはシスターがつきます。攻撃が得意なシスターローナ、シスターアンジェリカ、私は攻撃重視で、シスターラウラ、シスタージョアンナは回復魔法などのサポートをお願いします。シスターアデルは、依り代のシルビア様の側を離れずにいてください」
ローナはそれを聞いて覚悟を決めたように頷いた。
「とうとう明日か……」
クレイグも気合十分に言う。
「俺たちがこの作戦の要だ。必ず依り代のシルビア嬢を守り抜こう」
愛理は頷いて、ここにいる人たちひとりずつを見た。
「水の精霊ウンディーネの加護は残り一回です。みなさん、致命傷は負わないように気をつけて。ひとりも欠けずに魔王討伐を終えましょう」
愛理の言葉に一同は頷く。
作戦会議を終えて、愛理はほっと胸を撫でおろす。
その様子を見ていたジュリアスは感心したように言った。
「アイリーンはなんだか雰囲気が変わったな。魔王討伐前だと言うのに、怖くない?」
愛理は首を横に振る。
「怖いよ。魔王とは二回会ったけど、目の前に立っただけで足が震えた」
イアンはそれに付け加える。
「だが、アイリーンはその魔王の攻撃を防いでいるじゃないか」
愛理はイアンに苦笑を向ける。
「でもその後、魔力切れを起こして倒れたでしょ? 今回の戦いではそうならないように気をつけないと……」
ラウラは真面目な顔で頷く。
「一番心配なのはアイリーン。アイリーンこそ致命傷を負わないように気をつけないといけない」
ジョアンナもラウラに同意して頷く。
「そうだよ、アイリーン。ヒールは人の治癒能力を超えた怪我は治せないんだからね」
愛理はラウラとジョアンナの言葉に素直に頷く。
「はい。気をつけます」
その様子を見ていたアンジェリカはくすりと笑う。
「でも、アイリーンは本当にしっかりとしましたわね。演説の時に震えていたあなたとは大違い」
一同は笑った。
ジョアンナも笑いながら言う。
「たしかに。でも、今は女神ララーシャの従者の隊長としてよく努めている。成長したね」
アンジェリカとジョアンナに褒められた愛理は、少し恥ずかしそうに顔を赤く染めて俯いた。
その日の夜。
愛理は寝ているローナとラウラを起こさないようにこっそりとテントを出た。
緊張して眠れないので、夜風に当たりながら散歩をする。
巡回の騎士と少し話してから、近くの河原へときた。
靴を脱いでから足だけを川に浸けて、空を仰ぎ見ると、満月が綺麗だった。
「アイリーン?」
愛理は名を呼ばれて振り返ると、そこにはイアンがいた。
「イアン様」
イアンも靴を脱いでズボンの裾をたくし上げて川の中へ入ってきた。
周りを見回して他に誰もいないことを確認したイアンは言う。
「ひとりか? 危ないじゃないか」
「なんだか寝付けなくて……。巡回の騎士の方には声を掛けてきたよ」
「そうか。俺もアイリと同じだ」
二人は並んで河原に腰かけた。
愛理は足で水を蹴飛ばして遊んでいる。
それを見たイアンは笑った。
「まだまだお子様だな、アイリは」
愛理はむっとした顔でイアンを見る。
「子ども扱いしないで。ルイスフィールドでは十五歳で成人でしょう」
「アイリのいたところでは違うのか?」
「私のいたところでは十八歳で成人。お酒は二十歳からなんだよ」
愛理はそう言ってイアンに笑顔を向けた。
「アイリは本当に違う世界から来たんだな」
イアンは愛理を抱きしめる。
「イアン様……?」
「少しだけこうしていていいか?」
愛理は赤くなった顔で小さく頷き、イアンの背中に手を回した。
しばらく二人は抱き合い、イアンは離れる間際に愛理の額にキスをした。
イアンの茶色の瞳が真剣に愛理を見つめる。
「アイリに女神ララーシャと火の精霊サラマンダーの御加護がありますように。必ず生きて戻ろう」
愛理もイアンの頬にキスを送る。
愛理の黒い瞳も真剣だった。
「イアン様にも女神ララーシャと火の精霊サラマンダーの御加護がありますように。マリアとの約束を果たさないとね」
イアンは微笑んでから愛理の手を取った。
「そろそろ戻ろう。明日は大事な一戦だ」
二人は川から上がって、それぞれのテントへと戻って行った。