第53話 もう一方の魔王の片割れ
結局、愛理は翌朝まで目覚めなかった。
ぐっすりと眠れたおかげで疲労も抜けている。
朝日が差す窓の外を眺めながら伸びをした。
イアンも目覚めたようで、愛理を見て尋ねる。
「おはよう、アイリーン。女神ララーシャのご加護がありますように。体調はどうだ?」
愛理はイアンを振り返って言った。
「おはよう。イアン様にも女神ララーシャのご加護がありますように。体調はすっかり良くなったよ」
「それはよかった」
クレイグ、ローナ、ラウラも目覚めて、一階で朝食を頂いた。
一緒に朝食を食べているニーナが少し寂しげに尋ねる。
「お姉ちゃんたち帰っちゃうの?」
愛理は頷いた。
「うん、ニーナ。みなさんもお世話になりました」
愛理はそう言って、頭を下げた。
ニーナの母親と父親は首を横に振った。
「いいえ。気をつけて帰ってくださいね」
愛理たちは二階に上がり、荷造りをする。
ローナは愛理が寝ている間に話した内容を伝えた。
愛理は頷いてから言う。
「第二野営地に転移ですね。やってみます」
愛理たちはニーナたちと別れて里の外へ出た。
愛理の肩にシルフが乗り、イアン、クレイグ、ローナ、ラウラは愛理の腕を掴む。
「いきます。しっかり掴まっていてくださいね」
愛理は狭間の森の第二野営地を強くイメージすると、次の瞬間、愛理たちは第二野営地に転移していた。
クレイグが驚いたように言う。
「転移魔法とは便利だな。討伐隊もいなくてよかった。アイリーン嬢、ありがとう。体調に問題はないか?」
愛理は頷く。
「大丈夫です。みんなも大丈夫?」
イアンたちは頷いた。
そこから街道に向かって歩き出した。
しばらく街道を歩いていると、荷馬車が通り、御者をしているおじさんが愛理たちに声を掛けた。
「騎士様、シスター様。討伐ですかい?」
クレイグがそれに答える。
「いや。これから王都に戻るところだ」
おじさんは荷台を振り返る。
「なら、ちょうどいい。東部に荷を下ろしてきたところなんです。乗っていきますかい?」
「それはありがたい!」
愛理たちはありがたく荷台に乗せてもらうことにした。
荷馬車に乗せてもらえたおかげで、愛理たちは予定よりも早く王都に着くことができた。
愛理たちはその足で教会へと急ぐ。
この時間であれば、教皇のマーガレットは執務室にいるはずだ。
愛理は事務所の受付のシスターに声を掛ける。
「教皇様はいらっしゃいますか?」
シスターは愛理たちを驚いたように見た。
「アイリーン? それにシスターローナとシスターラウラ。ええ。教皇様ならお部屋にいらっしゃいますよ」
愛理はお礼を言って、イアンたちを振り返る。
「教皇様には私から話します。みなさんは教会で待っていてください」
イアンたちは頷いた。
愛理は二階にある教皇の執務室に向かい、深呼吸をしてからドアをノックする。
マーガレットの返事が聞こえて、愛理はドアを開けた。
マーガレットは愛理を見て、立ち上がる。
「アイリーン、戻ったのですね。座って」
愛理とマーガレットは応接用の机の椅子に向かい合って座った。
「それで、精霊の加護は得られたのですか?」
愛理は頷く。
「教皇様、魔王のことでお話があります」
愛理はエルフの隠里で起こったことを話した。
「アデル様のことは内緒にするように言われていたのに、イアン様たちに話してしまってすみません」
「いいえ。状況が状況です。わたくしはあなたを責めません。それで、話を纏めると、ケヴィン殿下が魔王の片割れに取り憑かれていて、もう一方の魔王の片割れはアデルに取り憑いているかもしれないということですね」
愛理は頷く。
「ご認識の通りです。もう一度アデル様に会わせてください」
「会えば分かるのですか?」
愛理はそう言われて戸惑った。
前にアデルに会った時は、アデルから黒い靄は出ていなかったからだ。
――年を取っていないからといって早合点だったかも……。
愛理は自分の考えに迷いが生じた。
マーガレットはしばらく考えたのちに言う。
「……分かりました。可能性があるというのなら、もう一度だけ会わせましょう。支度をします。教会でお待ちなさい」
マーガレットはそう言って立ち上がった。
愛理は教会に戻り、イアンたちと合流した。
ローナは愛理に尋ねる。
「教皇様はなんて?」
「アデル様と会わせてくださるそうです。教会で待っているように言われました」
しばらく待っていると、マーガレットが事務所のドアから出てきて愛理たちに声を掛けた。
「お待たせしました。行きましょう」
ランドール邸に着くと、マーガレットはその足で開かずの扉に向かった。
扉を開けると、マーガレットは杖で明かりを取って暗い階段を下りて行く。
愛理、ローナ、ラウラも同じように明かりを取って、あとに続いた。
イアンとクレイグはその明かりを頼りに階段を下りて行く。
地下の研究室に入ると、そこにはすでに先客がいた。
ケヴィンが纏う黒い靄が腕を模り、それがアデルの首を掴んで持ち上げているところだった。
それを見たマーガレットが叫んだ。
「アデル!」
アデルは目覚めていた。
緑の瞳を愛理たちに向け、絞り出すように言う。
「逃げて……」
ケヴィンは愛理たちをちらりと見た。
「またお前らか」
ケヴィンは地を這うような声でそれだけ言って、アデルに視線を戻す。
黒い靄がもう一本腕を模り、アデルの胸を刺した。
アデルは目を剥き、うめき声を上げる。
そして、黒い靄の腕は引き抜かれ、その手の中には黒い靄の塊があった。
黒い靄の手がそれをぐっと握ると、黒い靄の塊は消えた。
ケヴィンは地を這うような笑い声を上げる。
「片割れを手に入れた! 我の邪魔をしたことを後悔し、死への恐怖をゆっくりと味わいながら、お前は死ぬのだ」
そして、黒い靄の手はアデルの首を掴むのをやめた。
床に落ちたアデルは苦しそうにもがき、咳き込んでいる。
それから、ケヴィンは愛理たちを見た。
マーガレットが一歩踏み出す。
「ケヴィン殿下……」
愛理はマーガレットを制止するように腕を出した。
「教皇様、下がってください。あれは魔王です」
「魔王……」
マーガレットは愛理に従い、一歩下がった。
代わりに愛理はみんなよりも一歩前に出て、杖を構えた。
「また我に武器を向けるか……。おもしろい」
ケヴィンは黒い靄を纏いながら愛理に腕を伸ばした。
愛理は魔王の属性が分からなかったのでより強いシールドをイメージすると、目の前に透明なシールドが現れた。
ケヴィンの手から放たれた黒い靄がシールド当たって、それを弾き返した。
しかし、勢いが凄くて愛理は後ろに押される。
愛理がシールドに注ぐ魔力を増やすと、少し押し返すことができた。
それを見たケヴィンは愛理に手を向けるのをやめて、目の前でぐっと手を握った。
「まだ力は戻らぬか……」
そう言い残し、黒い靄は渦を巻いてケヴィンと共に消えた。
愛理はシールドを解除して、その場に膝をついた。
マーガレットは倒れているアデルに駆け寄り、腰を落とす。
「アデル! アデル!」
アデルは真っ青な顔でぐったりとしていて返事をしない。
マーガレットは急いで治癒魔法を施したが、アデルの様子は変わらなかった。
「ヒールが効かない!? 目を開けて、アデル。アデル!」
普段、感情が表に出ないマーガレットも、この時ばかりは焦りが見えた。
愛理はふとウンディーネからもらった加護を思い出した。
――どんな傷も、病も治せると言っていた。もしかしたら……。
愛理は立ち上がってアデルのそばに寄り、アデルの胸に手を翳した。
「ハイヒール」
愛理の手の平から水色の光が溢れ出し、アデルを包んだ。
魔力がズルズルと持っていかれるのを感じて、愛理は一瞬意識が飛びそうになったが、なんとか堪えた。
――この魔法は三回しか使えない上に、同じ人には二度と使えない。失敗は許されない……。
愛理は気力だけで意識を保った。
アデルの呼吸が次第に整い、頬には赤みが戻った。
――もういいかな……。あ、この感覚、知っている。魔力切れ……。
愛理はふっと意識を手放した。
背後で見守っていたイアンが倒れ掛かる愛理を支える。
愛理はイアンの腕の中でぐったりとしていた。
「アイリーン、しっかりしろ! アイリーン!」
ローナは愛理の手を握り、ほっとした顔を見せる。
「アイリーンの魔力の流れが掴めない。魔力切れだ。少し休めば目を覚ます」
クレイグはそれを聞いて納得したように頷いた。
「転移魔法にあの防御魔法、それからアデル嬢を治癒したのだ。魔力切れも起こす。無理をしすぎだ。だが、俺は何もできなかった。アイリーン嬢には感謝しかない」
ラウラも頷く。
「アイリーンの防御魔法は、四属性すべて使ったシールドだった。魔力消費も相当なもの。アイリーンの魔力量は想像以上なのかもしれない」
床に横たわるアデルが目を覚ました。
それを見たマーガレットは涙を流してアデルの名を呼ぶ。
「アデル……。よかった、アデル……!」
「マーガレット……? わたくしは生きているの?」
アデルは不思議そうに自分の目の前に手を翳した。
「アイリーンがアデルを助けてくれました」
「アイリーン……」
アデルはイアンに抱きかかえられている意識のない愛理を見て、緑の瞳を見開いて上体を起こした。
「愛理はどうしたの? 生きているの?」
イアンは頷いて答えた。
「魔力切れだそうだ。それよりも、今アイリと呼んだか?」
アデルは頷いて、涙を流した。
「やっとここまでこられた……」
アデルはそう言って、腕で顔を覆った。
マーガレットはみんなを客室へと案内した。
イアンは抱きかかえていた愛理をベッドに寝かせた。
しばらくして愛理が目を覚ますと、酷い頭痛を感じて呻くように言う。
「頭が痛い……」
椅子に座っていたマーガレットとローナは立ち上がり、愛理の様子を見る。
ローナは愛理のおでこに手をやった。
「魔力切れを起こしたんだよ」
マーガレットは困ったように愛理を見つめて言う。
「我が家に来る度に失神していますね。アイリーンは……」
それからマーガレットは愛理の手を掴む。
「アイリーン、アデルを助けてくれてありがとう」
愛理は微笑んで頷いた。
それから、愛理はアデルの姿を探すと、アデルは椅子に座っていた。
ウェーブがかった金髪、緑の瞳のアデルを正面からじっくりと見て、愛理は確信した。
――やっぱり霧の夢の女の人は、アデル様だ。
愛理は上体を起こして、アデルに声を掛ける。
「アデル様、体調の方は大丈夫ですか?」
「愛理のおかげでわたくしはもう大丈夫。助けてくれてありがとう」
愛理とアデルはしばらく見つめ合った。
アデルはみんなに笑顔で言った。
「しばらく愛理と二人で話しをしてもいいかしら?」
イアンたちは頷いて、部屋を後にした。
愛理はドアが閉まったのを確認してからアデルに問いかける。
「私をルイスフィールドに呼んだのは、アデル様ですよね?」
アデルは笑みを浮かべて頷いた。
「今までのこと、あなたにはすべてを話すわ」