第51話 火の精霊サラマンダー
翌日。
愛理たちはグレアムに連れられて、エルフの隠里の奥から火の精霊サラマンダーがいる洞窟へと向かった。
カティル山に整備された坂道があり、そこを上っていくと洞窟があった。
洞窟の入り口にはしめ縄が飾られていて、中には松明が焚かれているようだ。
グレアムが愛理たちを振り返って言う。
「ここから先はアイリーンさんとシルフ様のみお入りください」
愛理はイアンたちを見た。
「行ってくるね」
イアン、クレイグ、ローナ、ラウラは神妙な顔つきで頷いた。
イアンは心配そうに愛理に視線をやる。
「俺たちはここで待っているから、気をつけて行ってくるんだぞ。アイリーン」
愛理は力強く頷いた。
「火の精霊サラマンダーの加護を必ず頂いてくる。だから、待っていて」
愛理はグレアムについて洞窟の中を進んでいく。その横をシルフは飛んでいた。
一本のゆるく長い下り坂が続いている。
だんだんと熱くなってきて、愛理は汗を拭った。
三十分ほど歩くと、広い空間に出た。
奥にはマグマの池があり、その手前に一段高くなった場所があった。
左右には松明が焚かれていて、その間に長い赤髪の男性が胡坐をかいて座っている。
男性は勝気な笑みを浮かべて言った。
「久しいな、シルフよ。千年ぶりか?」
シルフは女性の姿に変身して、緑の髪を揺らした。
「そうだな。魔王との戦い以来だ。しかし、暑苦しいやつが、暑苦しいところに住みおって。暑くてたまらん。サラマンダーよ」
それを聞いたサラマンダーは楽しげに笑った。
「俺にとっては心地の良い場所だ。それで? なぜお前がここにいる?」
シルフは愛理を振り返る。
「この娘は愛理と言う。女神ララーシャが目覚めるまで魔王を抑え込みたいそうだ。力を貸してやることにした」
サラマンダーは愛理を品定めするようにじっくりと見た。
「ほお。シルフが付き添ってまで精霊の加護を集めておるのか。その娘のことを大層気に入っているようだな。魔力は程々に強い。それに、異世界人だな。匂いが違う。だが、弱い人間には違いないだろう。俺の加護をやったところで高が知れている。魔王と戦えるものか。シルフ、お前も耄碌したな。忘れたのか、千年前の戦いを」
シルフはサラマンダーを見据えた。
「魔王が復活していることはサラマンダーも知っているだろう。女神ララーシャはまだ目覚めてはおらん。ならば、女神ララーシャが目覚めるまで魔王を抑える者が必要だ。我ら精霊は女神ララーシャに力を貸すことはできても、魔王と直接戦うことはできぬ。それが女神ララーシャの御意思だからだ」
サラマンダーは鼻を鳴らして笑った。
「俺の知ったことか。その娘に魔王が抑え込めるとも思えん」
サラマンダーは愛理に加護を授ける気はないようだった。
痺れを切らした愛理はサラマンダーに丁寧にお辞儀をして、言葉を選びながら自らお願いをした。
「火の精霊サラマンダー、お初にお目にかかります。井上愛理と申します。私は確かにルイスフィールドの人間ではないです。ですが、私はこの世界が好きです。滅んでほしくないんです。大切な人たちが傷つくのを見たくない……。私にできることならなんでもします! だから、お願いします。御加護をください……」
サラマンダーは頬杖をつき、必死に加護をもらおうとする愛理を見ていた。
「……ならば、俺の攻撃を防いでみよ。防げたら加護を与えてやろう」
サラマンダーが愛理に指を向けると、指を中心に炎が渦を巻きはじめた。
愛理は真剣な表情で杖を抜いた。
「ウォーターウォール!」
愛理の目前に水の壁が出来上がった。
そこに凄まじい勢いで炎がぶつかってきて、辺りに水蒸気が立ち込めた。
――場所の温度も高いし、炎の勢いもすごい。このままじゃ、耐え切れない……。
ウォーターウォールが薄くなっていくのを感じて、愛理は杖に注ぐ魔力量を増やした。
すると、辺りは水蒸気で見えなくなった。
シルフが叫ぶ。
「愛理! サラマンダー、悪ふざけはやめろ!」
サラマンダーは制止するシルフを横目で見た。
すると、興がそがれたようで、愛理への攻撃をやめてサラマンダーは手を下ろした。
水蒸気が少しずつ晴れていくと、愛理は肩で息をしながらなんとか持ち堪えていた。
――生きている……。
愛理はほっとしてその場に座り込んだ。
サラマンダーは耐え抜いた愛理を感心したように見た。
「ほう。さすがはノームの加護を得ているだけはある。よかろう。俺は約束を守る男だ」
サラマンダーは愛理に手の平を向ける。
「我が名は火の精霊サラマンダー。井上愛理に加護を授ける」
赤い光が愛理の胸に吸い込まれていく。
シルフが愛理に駆け寄って、肩を抱きながら様子を確認する。
消費した魔力量が多くて疲弊しているようだが、愛理に怪我はないようだ。
そして、シルフはサラマンダーを睨みつけた。
「やりすぎだ、サラマンダー」
シルフの過保護さにサラマンダーは冷笑した。
「このくらい防げなくて魔王と戦えるか」
愛理は息を切らしながら顔を上げた。
「サラマンダー様。ご加護をいただき、ありがとうございました」
「よい。お前のその根性は認めてやろう。俺の加護を得たことで、愛理の攻撃力は上がった。それから、ひとつ朗報をやろう。魔王の片割れはこのエルフの隠れ里にいる」
サラマンダーの言葉を聞いた愛理が驚いた顔をしてグレアムを見た。
すると、グレアムはゆっくりと頷いた。
「申し訳ない。サラマンダー様から他言無用と仰せつかっていましたので言えなかったのです。魔王の片割れは人間族の男に取り憑いております。数年前に村の外で倒れているところを発見いたしました。今は記憶をなくし、自分が何者かも分からない状態。記憶のないその男に、今は憎しみなどなく、平穏に暮らしております。魔王は人類の憎しみや悲しみを糧にします。このまま放っておけば魔王の片割れは消滅するでしょう」
シルフはサラマンダーを睨みながら言う。
「サラマンダー。お主、魔王の片割れの状態を知っておったから、悠長にしておるのだな」
「まさか。俺は本心を言ったまでだ。女神ララーシャが目覚める前に滅ぶ弱い世界など、俺は知らん」
シルフは歯を噛みしめて怒りを抑えている。
グレアムは愛理に言う。
「アイリーンさん、もう一方の魔王の片割れの居場所を探してください。女神ララーシャが目覚めるまで、ふたつが一つにならなければいい」
愛理はグレアムの言葉に頷いた。
「分かりました」
サラマンダーはその場にごろんと横になった。
「話が終わったのならさっさと帰れ。俺はもう寝る」
シルフは小さなドラゴンの姿に戻って、ぷんすか怒っている。
愛理はサラマンダーの試練でだいぶ疲れていたので、怒る気力も湧いてこない。
――またこの道を戻るのか……。今度は上り坂かぁ……。
愛理はそっちの方が憂鬱で溜息をついた。