第42話 風の精霊シルフ
愛理は恐る恐る目を開けると、辺りは暗闇だった。
辺りを手探りしながら、愛理は今にも泣き出しそうになった。
「え? やだ! 失敗した? あ、リュックサックもない!」
「なんだ。もう戻ってきたのか」
愛理は声がした方を振り向く。
何かがのそりと動くと月明かりが差して、そこにはドラゴンがいた。
ここは洞窟の中のようだった。
「ドラゴン……」
「せっかくわたしが戻してやったと言うのに。だが、今回は肉体ごと来られたようだな」
――ドラゴンが喋っている……。肉体ごとってなに?
全てが分からくて愛理は首を傾げた。
「肉体ごとって……?」
ドラゴンはふっと笑った。
「お主は気づいていなかったか。お主は魂だけでこの世界へ来ていた。術者の精霊親和力が強かったのか分からんが、お主の肉体を形作っていたのは精霊だ。お主が近づいてきた時、何者かと思ったぞ。魂は精霊が作った肉体から離れかけていたし、禍々しかった」
愛理は呆然とする。
「私、そんな状態だったの……」
「わたしに感謝するんだな。そのまま精霊の肉体でいれば、いずれ魂が離れて死んでしまっていただろう。まさかお主が戻ってくるとは思わなんだ。あのままあちらの世界にいればよかったものを……」
愛理は不思議に思ってドラゴンに尋ねる。
「どうしてですか?」
「この世界はまもなく滅ぶ。魔王が復活しておるからな」
愛理はドラゴンの言葉に唖然とした。
「ルイスフィールドには魔王がいるの? 聞いたことない……」
「だろうな。千年前に女神ララーシャが封印したのだから。寿命の短い人間族が知るはずもない」
愛理は衝撃的なことを聞いて頭が混乱する。
――ルイスフィールドが滅ぶ? そしたら、イアン様たちはどうなるの?
「どうにかできないのですか?」
ドラゴンは首を傾げる。
「ふむ。この世界はお主の世界ではないのに助けたいか。方法はなくもない。女神ララーシャが目覚めるまで魔王を抑え込めればいい」
「女神ララーシャが目覚める……?」
ドラゴンは頷く。
「運よく女神ララーシャはこの世界に降臨していらっしゃる。ただ、今はまだ眠った状態だが、もう間もなくお目覚めになるだろう」
「それまで魔王を抑え込めればいいんですね?」
愛理は真剣な顔で言う。
ドラゴンは笑った。
「異世界の娘よ。か弱いお主が魔王を抑え込もうと考えるか。気に入った。お主、名はなんという?」
「井上愛理です」
ドラゴンは緑の光を放って女の人の姿になった。
緑の髪に緑の瞳をしている。
「我が名は風の精霊シルフ。井上愛理にわたしの加護を授ける」
シルフが手を翳すと、緑の光が愛理の体の中に入った。
――暖かい。
愛理は胸をぎゅっと抱きしめた。
「精霊様だったのですね」
シルフは笑みを浮かべた。
「わたしの加護で、お主は転移魔法を使えるようになった。今まで行ったことのある場所であれば一瞬で転移できる。さすがに精霊石なしでは異世界までは無理だがな」
シルフはまたドラゴンの姿になった。
「背に乗れ。仲間の元まで送ろう」
愛理はシルフの背によじ登る。
「落ちるなよ」
シルフはそう言って、洞窟から出ると飛び立った。
夜空を風を切って飛ぶのはとても心地よくて、愛理は感嘆の声を上げた。
「わぁ……! すごい!」
「怖がらないのだな」
「気持ちいいです。空を飛べる日がくるなんて思ってなかった……」
シルフは満足そうに笑った。
「よいな。よいぞ。愛理」
シルフは旋回した。
砦から威嚇の魔法が飛んでくる。
「うむ。愛理に当たったら危ないではないか。仕方ない。降りるか」
シルフは森の中へと降りて、今度は小さなドラゴンへと変身した。
「ここからは歩け。愛理」
「ええ⁉」
「ここを真っすぐ進めば砦に着けるぞ」
愛理は大きな溜息を吐いて歩き出した。
愛理は陽が登ってきた頃に、やっと砦まで着いた。
けれど、こちら側から砦に入る扉が見当たらず、愛理はしかたなく迂回することにした。
愛理は砦の反対側へと出たが、まだまだ森が続いている。
「もう歩けない。疲れた……」
愛理は少し休憩を取ろうと、木の根元に座って凭れかかった。
うとうととしはじめた時、愛理を呼ぶ声がした。
「アイリーン!」
愛理は眠い目を擦って声がした方を見ると、イアンが駆けてくるところだった。
愛理は眠気が吹き飛んで立ち上がった。
「イアン様!」
愛理も駆け寄ると、イアンは勢いよく愛理を抱きしめた。
「生きていた! アイリーン。よかった……。生きていた!」
「イアン様、苦しいです……」
愛理はイアンの腕を叩く。
「すまない」
イアンの茶色の瞳に涙が浮かんでいる。
――そうか。私は砦から落ちたんだった……。
愛理は自分の状況を把握した。
ローナ、ラウラ、クレイグもイアンの声を聞きつけて駆けてきた。
ローナも泣いていた。
「砦から落ちて、よく無事だったね! 杖もなかったのに……!」
ラウラは首を傾げて愛理に尋ねる。
「どうしてその格好なの?」
イアンとローナもようやく愛理の服装に気がついた。
愛理は困ったような笑みを浮かべた。
「実は、気がついたら向こうに戻っていた」
イアンは驚いたような表情を見せた。
「なぜ戻ってきた? 元居た場所に戻りたかったのだろう?」
「そうなんだけど、ドラゴンとの戦いが気になって……。イアン様、みんなも死んじゃっていたらどうしようかと思ったら、いてもたってもいられなかったんだよ。よかった。みんなも無事だった……」
愛理は涙を流して、イアンに抱きついた。
イアンは愛理の黒髪を撫でながら言う。
「それはこっちのセリフだ。アイリーンが砦から落ちたと聞いて、いてもたってもいられなかった」
ラウラは持っていた愛理の制服、靴、ホルダーを差し出す。
「イアン様、取り乱して大変だった。アイリーンの制服は見つかったのに、肝心のアイリーンは見当たらないし……」
「ありがとう。シスターラウラ」
愛理はラウラから受け取った。
ラウラは愛理を抱きしめる。
「本当に無事でよかった」
ローナは木陰を指差して愛理に言う。
「そこで着替えよう。その格好でリチャードソン公爵の前に出られないだろう」
愛理、ローナ、ラウラは木陰へ向かう。
イアンとクレイグは周囲を監視していた。
クレイグはイアンに尋ねる。
「どういうことだ? 話についていけん……」
イアンは苦笑してから愛理のことをクレイグに説明した。
「そういうことか。いや、しかし、世の中には不思議なこともあるものだな」
愛理は着替えを終えて、木陰から出てきた。
杖もイアンから渡されて、腰のホルダーに差した。
イアンは愛理に尋ねる。
「ところで、先ほどからアイリーンの周りを飛んでいるのはドラゴンか?」
愛理の肩にシルフがちょこんと止まった。
「風の精霊シルフです」
イアン、クレイグ、ローナ、ラウラが目を丸くした。
ローナはシルフを指差して言う。
「これが風の精霊シルフだって? そんな馬鹿な」
シルフがむっとして言う。
「なんだと。わたしは間違いなく風の精霊シルフだ。失礼な奴め」
ローナはびっくりした顔をした。
「ドラゴンって喋るの?」
「馬鹿者。ドラゴンは喋らん。わたしは風の精霊シルフだから喋ることができるのだ」
イアンは頭に手をやった。
「またアイリーンがしでかしてくれたらしい。とにかく一度砦に戻ろう。疲れた。休みたい」
ラウラは空に杖を向けた。
「アイリーンが見つかったことを知らせなければ。青い信号弾を上げます」
ラウラは青い信号弾を二発上げた。