第39話 アリスコースト②
翌朝。
六時を知らせる一の鐘よりも早く起きた愛理は、朝食の支度をはじめた。
まずは生地を捏ねてパンを焼く。
メアリーに作り方を教わっておいたのが役に立った。
スープは昨日多めに作っておいたトマトスープ。
ベーコンと卵があったのでベーコンエッグを作った。
愛理たちが朝食を食べていると、シスターがひとり出勤してきた。
十代後半くらいで長い茶髪を下ろしている。
昨日、昼食を用意してくれたシスターだ。
「おはようございます。みなさまに女神ララーシャのご加護がありますように」
愛理たちも挨拶を返した。
愛理はシスターに声を掛ける。
「食材いただきました」
「大丈夫ですよ。午前中に買い出しに行きますから」
シスターはにっこりと笑った。
それからシスターはローナに視線を向けた。
「ローナ先生。お久しぶりです。昨日はお声掛けができず、すみませんでした」
「お互い仕事中だったからね。シスターキャロル、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ」
ラウラも頭を下げてから言う。
「シスターキャロル、お久しぶりです」
「ラウラも元気そうでよかった」
愛理が首を傾げる。
「お知り合いですか?」
ローナは言う。
「去年の卒業生だよ。アイリーンとは入れ違いだね」
しばらくして、他のシスターたちもやってきた。
朝のお祈りを終えて、愛理たちは教会の清掃をすることにした。
愛理、ローナ、ラウラは椅子などの拭き掃除、イアンとクレイグはトンカチを片手に補修を行っている。
掃除をしながら、愛理は参拝者の出入りを確認していた。
王都の教会であれば常に誰かしらお祈りにきているのに、南支部では朝から片手で数えられる程度しか来ていない。
それも高齢者ばかりだった。
ウィニフレッドが愛理たちの様子を見に来た。
「ありがとうございます。なかなか直せなかったので助かります」
クレイグは首を横に振ってから笑顔を見せた。
「いいえ。他にもどこか修繕するところはありますか?」
「事務所の方なんですが……」
ウィニフレッドはクレイグを連れて、事務所の方へ行った。
しばらくして、教会の扉が開いた。
愛理は入ってきた人物を見る。
「ジョン様」
ジョンは頭を下げた。
「公爵からの返事を聞いてきました。明日で大丈夫だそうです。お時間は午前中にはいらしていただきたいと。昼食に招きたいと言っていました」
愛理はジョンの元に行く。
「承知しました。調整いただき、ありがとうございます」
「明日は僕が馬車を出しますので、四の鐘の頃、お迎えに上がります。よろしいですか?」
「はい。助かります」
「それでは、今日はこの辺で失礼します」
ジョンは頭を下げてから帰って行った。
昼食を終えると、キャロルが愛理たちに声を掛けてきた。
「アリスコーストの街を案内させていただきますね」
愛理たちはキャロルのあとについて教会を出た。
春の日差しが暖かくて、散歩日和だった。
教会はアリスコーストのほぼ中央にあった。
教会を出て、キャロルは十字路に立つ。
「北はアリスコーストの居住区になります。東と西の道は商店街が並んでいます。西側は主に貴族様向けのお店で高いのでお気をつけください。西側は貴族の別荘が立ち並んでいます。なので、今日は東側を中心に案内をしますね」
キャロルは東の道を進んでいく。
「宿屋へ続く中央の道も高いお店が多いです。ですが、一本中に入ると安い食堂なども多いんですよ。特にこの店は教会からも近いですし、おすすめです」
キャロルは一軒の食堂の前に立った。
そして、笑みを浮かべて言った。
「うちの両親がやっている食堂です。どうぞ御贔屓に」
愛理たちはくすりと笑う。
キャロルは商売上手である。
それから、キャロルは杖の店や服屋などを案内してくれた。
中央通りに出て、宿屋を通り過ぎると海に出た。
階段を下りて、浜辺を歩く。
「朝、海辺を散歩すると気持ちいいですよ。夜はロマンチックです。ただし、カップルも多いので、ちょっと妬けます」
しばらく浜辺を歩いて行くと、漁村に出た。
桟橋には船が止まっている。
キャロルは小屋の前でたむろしている漁師に声を掛けた。
「大漁ですか?」
漁師のひとりが手を上げた。
「キャロルちゃん。って、仕事中? だったら、シスターキャロルって呼ばなきゃだめだなぁ」
漁師たちは笑っていた。
どうやら顔見知りのようだ。
「獲れたての真鯛だよ。食べるかい?」
漁師に差し出されたのは真鯛の刺身だった。
キャロルは嬉しそうに一切れもらった。
「そちらのお連れさんもどうだい?」
キャロルは漁師に言う。
「こちらの方々は王都からいらしたから、生の魚はお口に合わないかも」
それと同時に、愛理は目を輝かせて言った。
「いいんですか?」
刺身なんて久しぶりで、愛理は喜んで一切れもらった。
脂がのっていて、プリプリとした触感がたまらない。
「美味しい!」
ラウラも一切れもらった。
「王都では生の魚なんて食べられないです。みなさんもいただいてみては?」
イアン、クレイグ、ローナは美味しそうに頬に手を当てる愛理の様子を見て、ごくりと喉を鳴らした。
イアンは恐る恐る言う。
「俺もいただいてもいいだろうか?」
ローナは指で掴んだ刺身を見ながら言う。
「生の魚なんて初めて食べるよ」
クレイグも頷いた。
イアン、クレイグ、ローナは一切れ食べて唸る。
クレイグは驚いた顔をした。
「これはうまいな」
イアンとローナも頷いた。
それを見た漁師は気をよくして言った。
「気に入ったかい? 一匹やろう」
愛理は胸元で手を組んで喜んだ。
「いいんですか⁉ 今晩のお夕食に……」
愛理は少しずつ声が小さくなっていく。
漁師は愛理の様子を不思議に思って尋ねる。
「シスターさん。どうしたんだい?」
「私、魚は捌いたことないんです。どうしよう……」
愛理はいただいた真鯛を見つめる。
すると、キャロルが助け舟を出した。
「よかったらわたしが捌きましょうか?」
「いいんですか? シスターキャロル」
キャロルはにこりと笑う。
「ええ。お夕食の支度の頃、教会に行きますよ」
愛理は思いついてキャロルに尋ねる。
「よかったらシスターキャロルも一緒にお夕食を食べませんか? 調理は私がするので」
それを聞いたキャロルは驚いて言う。
「シスターアイリーンがお夕食を作られているのですか? わたしが作りますよ」
愛理は首を横に振った。
「いいえ。シスターキャロルは昼食を作ってくれているので、そのお礼も兼ねて作ります」
「では、お言葉に甘えて。楽しみです」
キャロルはにっこりと笑った。
愛理が夕食の支度をしていると、キャロルが教会に戻ってきた。
キャロルは手慣れた様子で真鯛を捌いていく。
愛理は捌いてもらった真鯛を皿に並べ、スライスした玉ねぎも乗せて、塩コショウを振った。
オリーブオイル、レモン汁、塩コショウを混ぜたソースをかける。
真鯛のカルパッチョを作った。
街で買ってきたワイン、焼き立てのパンもテーブルに並べ、みんなで囲んだ。
キャロルは尋ねる。
「明日はリチャードソン公爵のところへ行かれるのですよね?」
愛理は頷く。
「はい。その予定です」
「リチャードソン公爵邸はドラゴンの谷が近いので、気をつけて行ってきてくださいね」
ローナはキャロルに尋ねる。
「この辺りでもドラゴンを見かけるの?」
「この辺りで見かけることはまずありません。ドラゴンの谷には公爵家が築いた砦があって、そこまで行くとドラゴンの姿を見ることができます」
――ドラゴンか。一度見てみたいな。
愛理はワインを飲みながらそう思った。