第34話 はじめての遠征②
一行が第二野営地に戻ると、留守番していたクレイグたちが歓声で迎え入れた。
クレイグはイアンの肩に手を置く。
「よくやった。騎士団長に討伐失敗の情けない報告をせずに済んだ」
ローナは騎士たちに言う。
「はーい。治療するよ。怪我人は順番に並んで」
愛理はテントから医薬品を持ってくる。
治癒魔法は魔力の消費量が多いので、必要最低限しか使わない。
かすり傷程度であれば消毒して終わりだ。
愛理はローナの隣で騎士たちの怪我の手当てをはじめた。
夕食後。
愛理たちはクレイグのテントに集まっていた。
この日は討伐の作戦会議ではなく、教皇選抜試験の現地試験について話していた。
クレイグは言う。
「このメンバーで討伐を経験できたのは大きいな。アイリーン嬢は、はじめての狭間の森での討伐だろう?」
愛理は疲れた顔で頷く。
「はい。狭間の森での討伐は、はじめてです。ずっと歩きっぱなしで大変でした。体力がいりますね」
イアンは愛理を安心させるように笑みを浮かべた。
「今回はシスターローナとアイリーンを離せなかったからな。本当なら、交代で探索ができる。それに、現地試験の探索は一日だ。こんなには大変ではないだろう」
ローナは腕を組んで言う。
「一日しかないから、なにも成果を上げられずに終わる可能性もあるってことだよね」
クレイグは言う。
「試験は春だからな。冬眠から目覚めた獣たちがこちら側に食べ物を求めてやってくる。第一野営地でも一頭くらいは遭遇できるだろう。イアン、アイリーン嬢の戦闘を間近で見てどうだった?」
「そうですね。アイリーンは砦での死線を経験していましたから、取り乱すことも念頭に入れていましたが、堂々とした態度で挑んでくれました。まだ間合いの見極めは甘いですが、問題はないでしょう。もう少し実戦を経験させてやりたいところですが……」
「そうだな。俺もそう思うが、冬兎の時期ももう終わる。次はないかもしれないな」
愛理は内心ほっとしたが、次の討伐が試験というのもいささか不安ではあった。
クレイグは愛理に笑みを浮かべた。
「まぁ、あとは運に任せるしかあるまい。恐れずに挑めたのなら見所がある」
愛理はクレイグに褒められて、照れたような笑みを浮かべた。
「今日はローナ先生が隣にいたから安心して挑めました。後ろにはイアン様もいたし」
愛理はファイアーバードの討伐を思い出す。
あの時の恐怖と比べればなんてこともない。
イアンは真剣な表情で言う。
「初陣と言うのは大切なものだ。恐怖心から戦えなくなる者もいる。そうなってしまえば、教皇など目指せない」
砦でのマーガレットの活躍は凄かった。
一瞬で状況を判断し、周りに指示を飛ばして指揮を執っていた。
――私も同じようにリーダーシップを取れるだろうか。
愛理は自分が教皇になった姿を想像するが、今の自分では無理だ。
今日はローナの指示に従うので精一杯だった。
こんなのが教皇選抜試験の候補者でいいのだろうか。
愛理は俯きながら言う。
「私、教皇になった自分の姿が想像できないんです」
ローナは愛理の顔を見る。
「そりゃそうでしょう。アイリーンは突然候補者になったんだから。昔から教皇を目指しているアンジェリカたちとは違う」
イアンは愛理に尋ねる。
「不安か?」
愛理は頷いて俯いた。
クレイグは愛理の目線に合わせて腰を落とす。
「俺は、アイリーン嬢はふさわしいと思う。王都を救った実績、度胸もある。あとは自信だな。それはいろんなことにチャレンジしないと培われない。初めてのことばかりで不安だろう。ひとつひとつクリアしていこう。それを手伝うために俺やイアン、シスターローナ、ラウラがサポーターとしてつくんだ。選ばれてしまったものはしょうがない。教皇になれなくても、この経験はアイリーン嬢の未来に繋がっていくと俺は信じている」
ローナは愛理の背を叩く。
「そうだよ。そもそも候補者の顔ぶれを思い出してごらんよ。自分が次の教皇って顔しているやつらばかりじゃない。実力者揃いなんだ。アイリーンは自分にできることをやればいい。教皇になれなくても候補者になっただけですごいって」
愛理は、はたとみんなの顔を見る。
「私が教皇選抜試験で一位にならないって思っています?」
「それは……」
イアン、クレイグ、ローナは顔を見合わせて苦笑気味に頷いた。
愛理はむくれた。
これはこれで悔しい。
けれど、少しだけ肩の荷が下りた気がした。
ローナが言う通り、ライバルはずっと教皇を目指してきた人たちだ。
ぽっと出の自分が、教皇になったらどうしようとか考えるだけでおこがましい。
――そもそも日本に戻るつもりである自分が教皇になってはいけない。
愛理は最近の忙しさで、自分の本当の目的を忘れかけていた。
二月の中旬には騎士団長との面談が行われた。
面談は教会の多目的室で行われている。
愛理の番がきたので、扉をノックする。
「どうぞ」
低く通る声がして、愛理は扉を開けた。
「失礼いたします」
愛理は一礼して、顔を上げた。
愛理はクレイグのような大男を想像していたが、騎士団長は意外にも細身の男性だった。
柔和な笑みを浮かべて席を指し示す。
「シスターアイリーンですね。どうぞお掛けください」
愛理は指示通り、騎士団長の向かいの席に座った。
騎士団長は少し長めの茶髪を下ろしている。
鎧姿も素敵だが、ジャケット姿の方が似合いそうだ。
「騎士団長のアーサー・コールマンです。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
愛理は頭を下げた。
アーサーは愛理に尋ねる。
「護衛騎士は決まりましたか?」
「はい。後継人のイアン・エヴァンス様とクレイグ・ホーウェイ様にお願いしました」
アーサーは頷く。
「承知しました」
アーサーは紙に書きながら言う。
「あなたのことはイアンから少し聞いています。狭間の森で保護したとか」
愛理はどきりとする。
イアンはアーサーに報告していたのか。
愛理が黙っていると、アーサーは顔を上げた。
「まさかこのような形であなたに会うことになるとは、運命とは数奇なものだ」
「そのことは、教皇様たちは……」
「わたしは話してはいませんよ。イアンからも問題ないと報告を受けていますから」
愛理はほっと胸を撫でおろした。
アーサーはふっと笑う。
「周りにばれては困りますか?」
愛理は首を横に振る。
「事実ですからばれても構いません。イアン様が困ると困りますけど……」
アーサーは笑みを浮かべる。
「自分のことよりもイアンを案じますか。会えてよかったです。シスターアイリーン。面談は以上になります」
愛理は頭を下げてから退出した。
愛理は扉を閉じて、息を吐く。
全てを見透かされている感覚がした。
アーサーの前では嘘はつけないと、愛理は感じた。
三月下旬頃。
気がつけば教皇選抜試験は間近に迫っていて、シスターの制服が支給された。
襟にラインの入っていない制服。
愛理は身が引き締まる思いがした。
そして、教皇選抜試験がはじまる――。