第10話 はじめての魔法
マダムケリーの店を出たマリアンヌは歩きながら言う。
「さてと、次は杖ね」
今度は北通りへと向かった。
北通り沿いの小道にも店が並んでいるが、西通りとは違って華やかな印象はない。
もちろんショーウィンドウのある店もあるが、ドアに掛けられた看板で、なんとなく何を売っているのか推測できるような店が多い。一人で入っていくのは不安な雰囲気だった。
マリアンヌは看板に杖の絵が描かれた店に入っていく。
店内は少し薄暗く、雰囲気がある。棚には杖がたくさん並べられていた。
マリアンヌは声を掛ける。
「ごめんください」
店の奥から店主の初老の男性が出てきた。
「本日は何用で?」
「杖を一本いただきたいの。洗礼式のお祝いで」
店主は笑顔を浮かべて尋ねた。
「それは、おめでとうございます。今まではどのような杖をお使いに?」
マリアンヌは隣に立つ愛理に視線をやった。
「この子、杖は、はじめてなの。長く使える丈夫なものをくださいな」
店主は少し驚いたようで、愛理をちらっと見たが、すぐに棚から一本の杖を取り出した。
「樫の木の杖はいかがでしょう?」
店主は愛理に杖を渡す。
杖の先には金属の加工がされていた。
愛理は杖の良し悪しがわからず、困った顔でマリアンヌを見た。
「少し振ってみたら?」
愛理は言われた通り、振ってみたがやはりよく分からない。
マリアンヌはピンと来ていない愛理に助言した。
「わたしが使っているのも樫の木よ。丈夫だからいいと思うけど。店主、他にオススメはあるかしら?」
「贈答用でしたら、デザインの凝ったものもございます」
「普段使いのもので。この子、これから洗礼式なのだけど、魔力量が多いみたいで、教会に入る予定なの。教会の方たちはどういうものを使っているのかしら?」
「人気なのは、やはり丈夫な樫の木ですね」
それを聞いてマリアンヌは頷いた。
「じゃあ、樫の木のものにするわ。アイリーン、好きなものを選んでいいわよ」
好きなものをと言われても、愛理の目にはどれも同じものに見える。
適当にひとつ選んで店主に渡した。
店主はそれを受け取りながら尋ねた。
「ありがとうございます。精霊石はご入用で?」
マリアンヌは答える。
「ええ、お願い。あと、ホルダーもいただけるかしら?」
「承知いたしました。まずは杖に精霊石をつけましょう」
店主はカウンターに座り、作業をはじめた。工具を使って精霊石を台座に固定していく。その手際は見惚れるほどだった。
すぐに杖は出来上がり、店主は尋ねる。
「ホルダーですが、布製と革製がございます」
マリアンヌは答える。
「革製のものをちょうだい」
「こちらですね」
店主はカウンターにホルダーを置いた。
それから、愛理を見て尋ねる。
「つけていかれますか?」
これにもマリアンヌが答える。
「ええ」
マリアンヌはホルダーを愛理の腰に取り付ける。
「きつくない?」
「大丈夫」
店主が愛理に杖を差し出し、愛理はそれを受け取る。
きらきらとした精霊石がついた杖。
愛理は魔法の杖を手にしてわくわくした。
――早く使ってみたい。
そんな気持ちが湧き出してくる。
マリアンヌは自分の杖を取り出し、腰のホルダーに戻して見せた。
「こうやって納めるのよ」
精霊石がついた先の方を差すようだ。
愛理もそれに倣ってしまった。
「おいくらかしら?」
「杖が大銅貨一枚、精霊石が小銅貨十枚、ホルダーが小銀貨一枚です」
「アイリーン、支払いしてみる?」
愛理は頷いて、マリアンヌからお金の入った袋を受け取る。
袋の中を見ると、銀貨や銅貨が混ざって入っている。
愛理は袋から言われた金額を出した。
「これでどう?」
「うん。合っている。店主、これでお願い」
「毎度ありがとうございます」
店を出てすぐにマリアンヌは言う。
「家に帰ったら、さっそく魔法を使ってみましょう」
愛理は黒い瞳を輝かせて何度も頷いた。
はじめて魔法を使う興奮を隠せなかった。
家に帰ってきた愛理とマリアンヌはいそいそと庭に桶を持ってきた。
その様子を見ていたイアンも何事かと庭に出てくる。
「何をするんだ?」
「さっそくアイリーンに魔法を教えようと思って」
マリアンヌは桶に向かって杖を差し出す。
すると、杖の先から水が出てきた。
「こうやってやるのよ。桶を水で満たしてみて」
愛理は新品の杖をマリアンヌのように桶に向かって差し出す。
――桶いっぱいの水。
そう考えた途端、杖ではなく頭上から大量の水が降ってきた。
桶はたしかに水で満たされているが、愛理と隣にいたマリアンヌもびしょ濡れになった。
二人は顔を見合わせると、マリアンヌは声高らかに笑い声をあげる。
愛理もおかしくなって笑った。
「ごめん。マリア」
「二人とも大丈夫か?」
離れたところで見ていたイアンが駆けてくる。
家の中にいたメアリーも騒ぎを聞きつけて顔を出した。
「アイリーン、魔法はイメージ大事なの。杖の先から水が出るイメージよ。もう一度やってごらんなさい」
愛理は杖の先に集中する。
今度は蛇口から水が出るイメージをした。
すると、水が勢いよく杖の先から出てきて、愛理は慌てて頭の中の蛇口を閉める。
今度はちょろちょろとした水になったので、頭の中の蛇口をもう少しだけ開けた。
すると、ちょうどよく水が流れた。
それを見てマリアンヌは言う。
「そうよ。そのイメージ」
見ていたメアリーは拍手して褒めてくれた。
イアンもほっとしたような表情を浮かべる。
「水は大丈夫そうだな。だが、火はうちでは使わないでくれよ。家が吹き飛んだら困るからな」
イアンの言葉にマリアンヌは付け足すように言う。
「水が出せれば生活する分には充分よ。これで一人でお風呂に入れるわね」
メアリーは愛理とマリアンヌに言う。
「さぁさ、おふたりともお着替えなさいませ。風邪を引いたら大変です」
びしょ濡れの二人は顔を見合わせてまた笑った。
愛理がエヴァンス家に来て一週間が経った頃、マリアンヌは愛理に言った。
「アイリーン、メアリーの代わりにお使いに行ってきてくれる?」
「うん。いいよ」
「今から買うものを言うから、メモをしてくれるかしら? キャベツと、ニンジンと……」
愛理はダイニングテ―ブルに座り、羽ペンで紙にメモをしていく。
すると、隣で見ていたマリアンヌが制止した。
「アイリーン、もしかして文字は書けない?」
「え?」
愛理はマリアンヌを見た。
メアリーも愛理の書いた文字をまじまじと見ている。
つい日本語で書いてしまったのだ。
愛理はルイスフィールドの文字でキャベツを思い出すが、カタカナが出てきてしまって、うまく思い出せない。
マリアンヌは愛理から羽ペンを受け取って『キャベツ』とルイスフィールドの文字で書いた。
「これは読める?」
「キャベツ……だよね?」
「読むのは問題なさそうね。盲点だったわ。書く練習もしないといけないわね」
こうして、愛理の日課に書く練習が加わった。