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ナポレオンがでてくるうばすてやま

 むかし、ある国のお殿様が言いました。

「六十歳を過ぎて働けぬ年寄は、無駄飯食いなので山に捨てるのだ」

国のものたちはお殿様には逆らえず、親を国で一番大きな山に捨てることになりました。



「お殿様もむごいことをなさるものじゃ」


「のどが渇いた。腹が減った」


「子供が親を捨てるなんて世も末だよ」


山奥に捨てられた年寄は数百人を数え、ただ家族に捨てられたことを悲しみ、嘆き、これから待ち受ける空腹や山の獣たちに襲われるのをただじっと待っていました。


 そこに、大きなユニオンジャックの旗を掲げたイギリスの船がやってきて、一人の男を放り出して捨てていきました。中年太りしたでっぷりとした腹をした男は過労で落ちくぼんだ瞳だけがギラギラと異様に輝いていて、年寄たちは怯えました。


「おまえさんは誰だい」


年寄の一人が恐る恐る問いかけると、男は尊大な態度で答えました。


「余はフランスの皇帝ナポレオンである」


男はナポレオンでした。ワーテルローの戦いに負けてイギリスに捕まった後、何らかの手違いでこのうばすてやまに捨てられてしまったのです。


「遠いところをようこそ。ですがここは年寄が捨てられる山、なにもありません。ワシらはみんな飢えて死ぬるか、獣に食われるかの定め……」


年寄の中でも一番の年寄、ヨシという老婆が代表してナポレオンを歓迎しました。


「お前たちはそれで良いのか。だらしない老いぼれ共め。よし。余がお前たちを指導してやるぞ!」


ナポレオンは目を輝かせて言いました。


「ここに、木を切って家を建てて湧き水を引いて畑を耕す。これだけ年寄が居れば、誰か心得があろう!」


「ワシは若い頃、大工じゃった」


「おらはこの前まで木こりだったよ」


「アタシらは糸紡ぎをしていました」


「よし。ではお前は建設大臣だ。村の建築を一切指図せよ。そっちのお前を農業大臣に任じる。お前は治安長官だ!」


「ははあ、大臣ですか。そう言われるとなんだか雰囲気が出ますなあ」


ナポレオンは年寄たちのそれぞれの職業を聞くと次々に役職を割り振って、大臣だの長官だのと称号を授けてあっという間に村の組織を整えていきました。


「待て待て! さっきから聞いてりゃお前はなんだ。他所から来て偉そうに! 俺たちに指図する権利がお前のどこにあるってんだ! 一番の古株はこの俺だぜ!」


 大声を上げて遮ったのは国一番の酒飲みだった吉兵衛でした。大酒飲みで乱暴者で、子供を働かせて自分は酒ばかり飲み、子供が稼いだ金を取り上げては「子供は親に従うのがスジだろうが」と怒鳴りつけては殴っていたので大変評判が悪く、真っ先に捨てられたのでした。


「お前こそ何だ。捨てられた爺の癖に、余に意見するか!」


ナポレオンは怒って腰に下げたサーベルの鞘で吉兵衛をバシバシ殴りました。


「余はフランス人民の皇帝だ! すなわち、国民の父だ。お前らは子供だ。子供が親に従うのは当然だろうが!!」


サーベルでバシバシ殴られ吉兵衛は抵抗しようにも、年寄なので足腰が言うことを聞きません。


「イテテテテ……そうか。一方的に親に殴られるのはこんなに痛えんだな……こいつは親じゃないが。わかった。わかった。お前が長だ、お前が長でいい」


殴られて吉兵衛はたまらず負けを認めました。


「最初から素直に従っていればよいのだ。これからは心を入れ替えて余に尽くせ」


ナポレオンはサーベルを腰に納めると満足げに言いました。



ナポレオンに率いられた年寄たちの村は瞬く間に山林を切り開き、家を建て、畑を耕し、罠を仕掛けて獣を狩り、鉄を溶かして工具を作っていき、順調に発展しました。温泉や賭場といった娯楽施設も充実していき、年寄たちは安心して余生を送りはじめます。ここには税金も年貢もありません。まるで極楽浄土のようでした。噂を聞きつけた他の国が次々と年寄を捨てていくので村の人口はどんどん増えていきました。


「おい、大変だ。大変だ」


ナポレオンが村に作らせたプチ・チュイルリー宮殿に息を切らせた年寄が入ってきます。


「何事か」


「おらたちの国に、隣の国の奴らが攻め込んだだよ!」


「なぜか」


「となりの国の殿様が、うちの国の殿様に謎かけをしただ。『姿も色も大きさも全く同じ親子の馬のうち、どちらが親でどちらが子かを当ててみよ』って」


「簡単な話じゃ。二頭の前に飼い葉を置けばよい。親馬は必ず仔馬に先に食べさせる」


そう答えたのは村で最長老のヨシだった。


「それで?」


ナポレオンは続きを促した。


「んだ。オラもそう思うよ。でも殿様も国中の人間も答えられなかっただ。それでとなりの国の殿様は『あの国は阿呆しかおらんから攻めるのは簡単だ』と言って戦ばしかけて来ただ! 国はもう大騒ぎだよ!」


「親、年寄をみんな追い出したから親心が分かる人間がいなかったのか。因果応報だな。勝手に滅ぼされておけ。村境の守りを厳重にするように陸軍大臣に言え」


ナポレオンは興味なさそうに言うと執務に戻ろうとしました。するとヨシは立ち上がって言いました。


「ワシは国に戻るよ。息子助けにゃならんから……」


不自由な足でよろよろと立ち上がると、杖をついて扉のほうへよたよたと歩きはじめるのを見てナポレオンは言います。


「アンタはその息子に捨てられたんだろうに」


「ああ。そうだよ。でもワシは親だから、子を助けにゃならんのよ」


「アンタみたいな年寄が一人戻ったところで何の役にも立たんだろう」


「ああ。そうだよ。要らんおせっかいをするなといつも言われるよ。ここに連れてこられる途中で、枝を折って、息子が帰り道に迷わないようにしたら、息子は『いつも要らんことばかりして』って泣いてたよ。ワシは戻らにゃならんよ」


ナポレオンは黙りこくりました。


「ワシと一緒に戻るモンはおるか。親の務めを果たすモンはおるか」


ヨシの言葉を聞いて、一人、二人と年寄たちが集まってきました。


「皇帝さん。アンタのおかげでワシら極楽を作ったよ。ありがとう。でも子を捨てて極楽住むより、子を守って地獄に落ちるよ」


「何がお前たちをそうさせるのか? また邪魔者扱いされるかもしれんぞ」


「そしたらここに戻ってくるよ」


ナポレオンはギラついた瞳を大きく見開くと老婆の中に自分が見失ったものを見つけました。


「余はそなたのようになりたかった。国の父になり、子である国民を安んじたかった。それがいつの間にか独善的な暴君になり、国民に苦しみを強いた。そして民は余を捨てた。裏切者共めと民を憎んだが、余が間違っていた。そなたらが正しい。余は今度こそ、民を救うために戦おう!」


年寄たちは気勢を上げて各々、家からクワやスキ、薪割り斧や狩猟用の火縄銃を持ち出して集まりました。中には吉兵衛の姿もあります。足の悪いヨシは他の年寄たちに担ぎ上げられて旗印代わりになりました。


「でもよ、オラたちは戦のこと全然わかんねえよ。助けに入ったって犬死するべよ」


「どうする。お侍様を雇うか?」


「今からか?」


集まったはいいものの、自分たちが戦の素人であることを思い出した年寄たちが困惑していると、ナポレオンが大笑いしました。


「心配するな。一頭の獅子に率いられた羊の群れは、一頭の羊に率いられた獅子に勝つのだ!」


「へえ。それで、獅子はどこに?」


「決まっているだろう。俺が獅子だ」


ナポレオンは二角帽を被りました。




ふもとの国はとなりの国の兵隊で溢れていました。殿様の軍隊は国境で敗れて影も形もありません。


「なんと呆気ない国よ。それ、もの共、女子供を捕まえて、畑に火を放て!」


「そうはいくか」


「なにやつ!」


となりの国の殿様が見てみると、そこには山を駆け下る年寄の軍勢がありました。


「あっはっは。何かと思えば、あんな爺婆共がなんの役に立つというのだ。年寄の冷や水とはこの事よ。鉄砲の的にしてしまえ!」


兵隊が鉄砲を撃ちかけます。大地を震わせる恐ろしい音が響きました。

けれども、年寄たちは耳が遠いので音があまり恐ろしくありませんでした。


銃弾が当たって、年寄が倒れます。しかし年寄の歩みは全く崩れません。


「こちらも撃ち返しますか」


「慌てるな。まだ遠い。ひきつけろ」


ナポレオンは冷静に距離を詰めます。


「ふん。弾に当たるより、風呂に入る時にぽっくり逝く方が危ないわい」


「いつ死ぬか分からんのに、今更死ぬのが怖いものかよ!」


ずんずんずんずん、隊列を崩さない不気味な老人の集団がクワや斧を手にして近づいてきます。


「わっしょい、わっしょい!」


「進め、進め」


年寄たちは老婆を御輿に担ぎ、叫びながら近づいてきます。


鉄砲組は恐ろしくなって逃げ出してしまいました。


「ええい、腰抜け共め。騎兵を出せ、囲んで切り殺してしまえ!」


となりの国の殿様が命令すると、馬にまたがった侍たちが飛び出して、年寄の集団に襲い掛かりました。

猛々しい騎兵の攻撃は、普通の兵隊なら怖くて逃げだしてしまいます。


けれども、年寄は足腰が悪いので逃げ出そうにも動けません。ただじっとハリネズミのように武器を突き出して固まってしまいます。


「やや、馬が怖がって近づけんぞ」


「これでは戦にならんわ」


馬が突き出されるトゲの鋭さに怖気づいて逃げ出してしまい、騎兵たちは下がっていきました。


「こうなったら、歩兵が頼みだ。あんな年寄共など、片付けてしてしまえ!」


となりの国の殿様は歩兵を前進させました。


「よし、いまだ!」


ナポレオンが合図を出すと、年寄の中から鉄砲を持った年寄たちが進み出て至近距離から一斉射撃を浴びせかけました。狩猟で鍛えた年寄たちの射撃はとなりの国の兵士たちをいとも簡単に倒していきます。


射撃が終わった年寄たちは弾込めをしようとするのですが、年寄には前歯が無いので弾と火薬の入った包みを噛み破れません。


「銃剣!」


ナポレオンが合図を出すと年寄たちは鉄砲の先にギラりと光る鋭い銃剣を装着しました。


「押し出せ!」


年寄たちはそれを合図に一斉に叫び声をあげて突進しました。人生最後の激走です。

しゃがれた声で絞り出される絶叫は、いままで誰も聞いたことが無いような恐ろしい響きをしていて、鬼神のような迫力で襲い掛かる年寄の群れは、命を惜しまぬ妖怪であり、我が子を守る虎のごとき勢いでした。


「自分の命を惜しまない、決して怯まない、決して逃げない、そんな兵隊がいれば戦いに勝つなどなんと簡単な事か! ただ前に進み、ただ目前の敵を倒し続ける。そのなんと難しい事よ。大切なものを守ろうとする人間の意志は、死の恐怖を踏み越えるのだ! そして、死の恐怖を乗り越えた人間に不可能は無い!」


ナポレオンは叫びました。死の恐怖を乗り越えさせるのも、己の身を省みない勇者を扱うのもナポレオンの得意技でした。


その恐ろしい光景に、となりの国の兵士たちは一人残らず悲鳴を上げて逃げ出してしまいます。


「なんと恐ろしい爺婆だ。こんな奴らがいる国など攻めるんじゃなかった」


となりの国の殿様は大慌てで馬を走らせると真っ先に逃げ出していきました。



「ヨシさん。ワシらの勝ちじゃ、勝ちじゃ!」


「おお。おお」


「おっかあ。おっかあ!」


御輿から降ろされたヨシの元に懐かしい声が聞こえました。


「無事か。無事か」


「ごめんよう。許しておくれ……」


子供はひたすら母親に抱き着いて泣き続けました。それを見て年寄たちも涙を流しました。




そんな歓喜の輪の外で、吉兵衛は空を見上げていました。腹からはどくどくと血が流れています。弾が当たってしまったのです。


「俺ぁ、父親らしいことができたんだろうか」


照りつける太陽の日差しが、妙に温かく感じられました。身体がどんどん冷えていくのが分かります。


「ヨシさんは、子供に会えたんだな。俺は、ダメだろう。最後の最後だけ、いい父親になろうとしたって、ごめんなあ……」


やがて瞼が重たくなって、何も見えなくなってしまいました。



「でかした、でかしたぞ」


戦いが終わるとどこからともなく、殿様が戻ってきました。


「よくぞやってくれた。そちに褒美を取らせよう。なんなりと申してみよ」


殿様にそう言われたナポレオンは言います。


「ではお前の国を貰おう。年寄を追い出すなど言語道断の悪政を行う者などよりよっぽど余が相応しい」


「なにを言い出すのか。し、仕方なかろう。凶作で食べ物が足りんかったのじゃ」


「それを防ぐのがお前の役目だろうが無能者め」


「な、なんと……」


ナポレオンが右手を挙げると、熊毛帽を被った年寄たちが現れました。稲穂のように揃った銃剣先がギラリと光ります。


「これぞ余の()親衛隊だ。どうする。余に地位を譲るなら、食うに困らぬ年金を支給して余生を過ごさせてやるぞ」


「…………」


殿様はがっくりと肩を落として退位宣言書とナポレオンに位を譲る宣言書にサインしました。


「よし。これからは余が諸君らの父となって善く治めてやろう!」


それを聞いたヨシは言いました。


「そう言って、吉兵衛を殴ったではありませんか。子を殴る親が善い統治などできるものですか」


年寄たちはヨシを御輿に乗せて担ぎ上げると騒ぎ始めました。


「余を追い出すのか?」


「とんでもない。親孝行するのが子の務め。あなたはワシらの父として、静かに余生を過ごしてもらいましょう」


こうしてナポレオンは国で一番豪華な老人ホームに入居し、回想録を執筆して余生を過ごしました。

めでたし、めでたし。

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