表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Masquerade Un Fiction

作者: 無紙みぞれ

登場人物

リコリス・アン・ヴァニティア


『イメージフラワーは彼岸花と薔薇。

伯爵令嬢であり、ヴァニティア家の長女。

品のある美しい紅い髪が特徴的で、それを吸い込むような白い肌に、宝石の様な青い瞳を持った情熱的でありながら、凍える様な瞳をしている。』←ここまでがお客様にいただいた設定です。

原作Masquerade Carnivalではダリアの恋人兼、邪魔役として登場し、主人公を虐めてくる悪役令嬢として登場する。

原作では分かりやすい嫌な女であったがために、エンディングによっては死刑や島流しや奴隷になるといった多彩なバッドエンドを課せられて、主人公の幸せの踏み台になっていた。

そんなリコリスに転生してしまった少女が今回の主人公。

「主役」という存在に憧れた少女が、「脇役」という存在に転生してしまったことに悩み戸惑い、苦しみながら、自分の運命を飲み込んで、全うすることを決意する。

原作ゲームでのリコリスは己の立場を利用して傍若無人に振舞う女である。だが、転生したリコリスは本来の性質に対して、前知識やうっすらと残る前世の記憶に引っ張られているので、どちらかといえば冷たく、他人をあしらうそっけない態度が多い女性である。本人は完璧に演じられているつもりだが、「何処か優しさ」の面影が残ってしまう印象を与えてしまう。多くの人に自分が嫌いになってくれるように祈っている。

それこそが作品に殉じるということであると切に理解しているため。しかし、これはフィクションでは無い。シナリオ等存在せず、運命づけられた物語は、あくまで大元通に進むのであって、細部かなり違う、予期せぬイベントや、存在しないフラグに困惑しながらもメリーを導く悪役令嬢として走り回っている。


ヴァニティアは虚飾(vanity)のもじりです。

ヴァニティア夫妻の声のイメージは(ヴァニティア婦人:榊原良子さん ヴァニティア伯爵:池田秀一さん)




メリー・マイア


イメージフラワー プルメリア

声のイメージは水瀬いのりさん。

原作ゲームの主人公に当たる少女。穏やかで優しいがちょっと無防備で無鉄砲で庇護欲を誘う雰囲気の女の子、ショートボブで栗色の髪色をしている。トレードマークはプルメリアの花飾り。ロココ調のドレスを身に纏っている。

その出自は複雑で、貴族の妾の子。その為父親という存在に煙たがられていたが、母親にはとても愛されていたため健気な性格をしている。貧しくも穏やかな生活を送っていたが、母親が不治の病に倒れてしまう。母は父にメリーを引き取る様に交渉に出るが、パブリックスクールに入校させその金銭は受け持つと、たらいまわしに会い、望まぬ入校を果たす。

庶民出身という立場上、周りの貴族から見世物を見る様な目で見られ、肩身の狭い思いを強いられてしまう。そんな中、そんな自分の立場を振り払って手を取り、人生を共にしてくれる素敵な男性に出会う…。俗に言うシンデレラストーリーを歩む少女で、「幸せになるべくして生まれた子」。

またメリー・マイアはゲーム内でのデフォルトネーム。


ダリア・フィナ・ライラック


イメージフラワー ダリア

声のイメージは櫻井孝宏さん。

リコリスの婚約者。幼いころから許嫁である。

アッシュブロンドの髪に、空色の青い瞳を持ち、絵にかいたような白馬の王子様な美青年。

リコリスだけは自分に振り向いてくれないため、自分の魅力にやや不振を抱いている。リコリスは二人の時は業務会話程度しかしてくれないため、自分が何か癪に触ってしまったのではないかと心配している。だが、時々見せる彼女の弱気な瞳や、何かを憂う姿にたまらず傍を離れられずにいる。

原作ゲームではリコリスの我儘ぶりに愛想をつかしているが、家柄と親の決めた許嫁であるために甘んじて受け入れてたが、その心は既に冷めきっていた。しかしこちらでは立場が逆になってしまっているようにも見え…?

原作ではリコリスと婚約を解消し、その悪行を解き明かし、島流しの刑に処している。



ロベリア・アン・ヴァニティア


イメージフラワー ロベリア

声のイメージは内山昂輝さん。

リコリスの義弟に当たる人物。

瑠璃色の美しい髪と鋭さがある切れ長な細い瞳に、年相応の幼さが少し残るも見事に調和された整った顔立ちをしている。

自分を幸せにできるのは姉だけで、姉を幸せにできるのは自分だけだと内心思っているシスターコンプレックスをこじらせた青年で、顔には出さないがダリアを目の敵にしている。

俗にいうヤンデレで、匂いや姿見だけで姉の所在を特定することが稀に見え、リコリスには悟られないようにしている。

本来の両親と死別してしまい、心に深い傷を負い、ヴァニティア家に引き取られるという過去を持つ。それを埋めてくれたリコリスに依存する形で思いを寄せている。嘘はつかないが本当のことは言わないタイプである。

原作ゲームでは両親の死別後、リコリスに虐められるというさらに鬱屈した少年期を過ごし、人間不信とも思える塗りたくった笑顔の仮面をかぶることになる。実際、今の世界線でも人当たりの良い笑顔を浮かべる癖があるが、本当の笑顔は姉にしか見せていない。

現在は姉に向けてしまっている感情は、本来ならメリーに向けるものであり、ルートによってはリコリスを殺したり、ヴァニティア家を崩壊させたりと、破滅フラグの大本でもある。


ビオラ/マーガレット


リコリスの仕様人。原作では登場しない、描かれない人物たち。それ故にリコリスからはある程度信頼されている。マーガレットは幼少期からリコリスの面倒を見てきたため、何を考えているかある程度察することができる俊敏使用人である。不器用で言葉足らず、突き放すように見えて、優しさを見せるリコリスを愛しており、その背が遠くなるにつれて彼女の安寧を心から願っているが、口にしたら怒られそうなので黙っている。

ビオラは新入りの使用人。元々は母が使用人を務めていたが、病に伏したことが切っ掛けで代わりにビオラが使用人として勤めることになる。リコリスには怖い印象を抱いているが、何処かその儚げな背中と、冷たい言葉と裏腹に、優しく寄り添うような様に困惑している。

母親からは「ちゃんと優しい人だから大丈夫よ」と言われているが、これだけは口にするなと言われているため、知らないふりをしている。


「この世にはね、2種類の人間しかいないのよ」


 得意げに言葉を切り出したのは燃えるような美しい紅い髪に、残忍な鋭さを宿らせた青い瞳を持つ、美しい少女だった。その光景は鮮烈で視線だけで少女を縛り上げ萎縮させる。得意げに扇子を顎先に当て、力無い表情に、瞳に、己を誇示するように… 焼き付けるように。その美しい瞳に己が映り、その自分と視線が合う。忌々しげに目を細めながら言葉を続けた。


「主役 と 脇役 。そう、(わたくし)と貴女。脇役は脇役らしく身の程を弁えなさい。」


 紅い髪を持つ少女は吐き捨てるようにそう告げると、まるでその少女に興味を無くしたかのように踵を返す。「無様。舞踏会には貴女の様な小汚い娘は不釣り合いでしてよ。」緊張のあまり、膝から崩れてしまう。そして少女は呆然とした表情で、その姿を、目の前の彼女の姿を目に焼き付けた。嗚呼、美しいがこの人は「とても怖い」

 その迫力たるや周りの取り巻きの女共ですら口を噤むほどだ。少女は震える唇で恐ろしくも美しい彼女の名を口にする。


「…リコリス…… アン・ヴァニティア……」


 その言葉は風前の灰のごとく空へと薄れ溶けていく。その気迫の現実が花のような響きを持つパブリックスクールという甘美な夢を侵し、現実の色を魅せる。

 そう、その紅い髪の少女こそ、貴族達が通うパブリックスクールでも大きな派閥の一角を担う存在であり、伯爵の娘としても名の知られた巨大な壁、他の生徒など何するものぞ。庶民を蟻と同格に見据えるその瞳。その気迫。紛れも無い鉄の女。地を這う虫を払うことも叫ぶことも無く無常に踏み潰し「何故私が足元を気にする必要があるのか?」と切り返した逸話を持ち、目の前の邪魔な生徒を爪先で蹴り転がして退かした等と恐ろしい逸話は絶えず、裏では「氷薔薇の乙女」と囁かれる彼女こそ、リコリス・アン・ヴァニティアその人だ。


 決して靡かぬ凍れる華、その美しさゆえに触れたいと願う者は後を絶たない。そして火傷を負った者も後を絶えない。正しく高嶺の花だ。


 少女メリー・マイアはその高嶺の花の棘に触れてしまった。緊張がようやく抜けて手足の感覚が戻ってくるのを覚える。気が付けばリコリスも、その取り巻きもおらず、ただただ一人、中庭で取り残されている自分がいた。まるで蜃気楼でも見ていたかのようだ。一瞬で、頭の中の記憶がごっそり抜け落ちたかのような脱力感に襲われる。虚ろ目に空を眺めながら、メリーはその場から逃げる様に立ち去った。そして今にも泣きだしそうな表情のメリーが中庭を駆けていくのを…そう仕向けた張本人。リコリスは遠くから覗き見ていた。少し得意気に口角を上げたその表情は「氷薔薇の乙女」と呼ばれるのには少しかけ離れた顔だった。

「よし、これでダリアと出会う様に仕向けたわね。はぁ…上手く、できたかしら。」

 壁に寄りかかり、眩しい陽光を手で遮りながらため息をついた。その表情は安堵半分、不安が半分といったくらいだ。少し悪い気もするが仕方がない「ま、やることはやってやったんだし。それでだめなら所詮その程度ってコトでしょ。」そう割り切りながら小さくなっていくメリーの背を見送り、その身を翻すと彼女は再び「氷薔薇の乙女」の顔に戻っていた。そして熟考する。


(さて、明日は舞踏会だったわね…、可愛いドレスに身を包んだあの子が来て、〝攻略対象〟と出会って…それで、悪役令嬢はそれに文句を言うけど、あの子は王子サマに庇われて私は無様に退散する…。よくある展開ね。そこから敵対関係も始まるんだし、滑り出しとしては上々…)


 不貞腐れたように苦笑いを浮かべながら、足元の小石を転がした。

 そう、彼女は、「恋の邪魔者」だった───。




 記憶を取り戻す。果たしてその言葉は正しいのだろうか。我儘し放題だった小娘が、ある日を境にふと、顔つきを変えるというのは異常な事だろう。まるで何かに取り憑かれたかのように、瞳の奥の種火がカチンと跳ねた。今までの事など、全部忘れてしまったかのように

 リコリス・アン・ヴァニティアという少女は、幼少期にて、その精神は既に、ある程度の達観までに至っていた。それは文字通り世の中を理解し、己の立場を理解するという意味だ。

 ある日を境に、我儘し放題、使用人にも両親にも迷惑かけ放題だった少女は、冷めた目で窓の外をながめる様な大人の顔付きをする女になっていた。

 そしてその日は突然、やってきた。元々何処か、自分が自分ではないと思ってしまうような、奇妙な違和感がいくつもあった。欲しい物は何でも手に入り、使用人は皆己に頭を垂れる。正に主役の様な華々しい立ち回りに酔い知れていたが、しかし何処かで酔いを覚ます気付け薬の様な感覚で、妙な痼が自分の中には存在していた。そしてそれらが突然芽吹くように、気が付けば自分の中に深く根を張り、取り返しのつかないほどに両手を広げ、心の中に日陰を作っていた。

 あとは切っ掛けだけだった。そしてそれは理不尽に唐突に現れる。おもちゃ箱をひっくり返し、無くしたはずのおもちゃを見つけたかのように、気まぐれな唐突だった。しかしそれは最初からそこに存在していたかのようにごく自然に、当たり前の事のように、認知出来てしまうものだった。

 ある日の朝、顔を水で注いでいた時だった。鏡を見た時に不意に言葉が溢れた。それは窒息して肺の中が詰まる感覚にも似て、息苦しく。悪夢にうなされた時の叫び声の様に、声も出ず。ただ。たった一言。零れる様に口から溢れ出た。


「あ。」


 目の前に映る紅い髪の美しい少女が自分であり、自分でないと気が付いた。瞳の奥に、色が着く。景色の形と姿がハッキリと認識できる。曖昧にぼやけていた色彩が急速に色付いて、鮮やかに花を咲かせる。子供の温かで暖色の世界は唐突に冷めて、色を奪われていく。


 深い暗闇から目覚めた様な、何故忘れていたのかと思ってしまうほど、自分の中にいるもう一人の自分の存在に気が付いた。それは多重人格と似て異なるもので、漠然と、そうただ漠然ともう一人の自分に意識が移り変わったかの様だ。否、最初からそこにいたのだ。自分に気が付くのをずっと待っていたかの様に、それは幼い子供の精神を食い潰す。身体に似合わぬ感情と精神が注ぎ込まれ、頭の中が塗り替えられていく感覚に、思わず胃の中の物を吐き出した。


「え?え……?」


 反発する身体に、瞳の奥が震える。状況を確かめようと脳を回転させるも「当然です。」と返ってくる。肉体と魂が相反する気色の悪い世界に目が回る。自分の記憶に問いかけても自分は「リコリス・アン・ヴァニティアだ」としか返答が来ない。だが違う、呆然とした意識の中で、自分の手足は最初からこうだったんじゃないかと思えてしまうほど自然で、そしてこの意識は全て夢ではなく、現実にあったことだと、それら全てが当然の様に流れていることだけが理解できてしまう。


 私はリコリス・アン・ヴァニティアだ。と


 ならば「私はリコリスなのか、それとも違う誰か?」そう考えあぐねても、知らない人間の記憶が、蜃気楼のように揺らいでいる。否、その蜃気楼は意識すればするほど、本物だと理解出来てしまう。実体があり実物で、等身大で、自分の中に情報として流れ込んでくる。情報過多の余りに、空っぽの胃の中をもう一度吐き出した。自分の時代でよく語られていた輪廻転生というものだろうか?そう言った夢物語を読んだことがある。


 そう自分は死んで、リコリスとして生まれ変わったのだろうと、何となくそう思った瞬間に自分の口から「ハハッ」と乾いた笑いが喉の奥から込み上げたのを自覚した。



 涙が出た。


 ぽろぽろと溢れるでる涙は雨粒の様に、やがて土砂降りへと変わっていく。


「ふざけんな…… 、 ふざッけんな!!」


 吐瀉物で汚れた唇を手で拭い、喉が張り裂けそうな程叫んだ。髪の毛を掻き毟り、椅子で鏡を叩き割った。その鏡に映った幼い少女の顔が悲痛に歪み、砕け散る。ぜぇぜぇと息を切らしながら顔を覆う。そうまで嫌悪し憎悪するのは、彼女がリコリス・アン・ヴァニティアという人間をよく知っているからだった。そうして立ち尽くしていると使用人達が騒動を聞きつけて慌てて飛び込んでくる。


「リコリス様!」


 何事かと多くの使用人が話しかける中リコリスは割れた鏡に映った己と目が合った。嗚呼、私、リコリスだ。だからちゃんと応えなきゃと。


「む、虫がいたの!!確り掃除して頂戴よね!!」


 心にも無い言葉を叫び、虚しさがより現実となって胸を締め付ける。


 しかし、騒動の後、リコリスはその日を境に変わってしまった。

 騒動を聞いたリコリスの両親、ヴァニティア婦人と伯爵は精神的な病すらも心配したが、話しかけると「いつものリコリス」に戻るのだ。

 そうまるで呼び掛けにだけ応える人形の様で、中身がまるっと、別のものが入り込んだかのような異様な光景で、ふと目を向けると彼女が力なくうなだれる日々が続いていた。その鬱屈した幼年期は心に暗い影を落とす。常に周りの目を気にしながらコソコソと、自分ではない何かに、漠然とした何かに怯えながら。ただただ、日々だけが過ぎていく。

 リコリスの変化はすぐ様屋敷中に広がり、噂好きの使用人の中では「リコリス様は影武者と入れ替わったのでは?」等と噂される程だ。幼いリコリスは溜息をつきながらベッドに身を投げる。白いシーツの上に紅い髪が広がり、小さな体を受け止めるベッドが体を包み込む。虚ろ目に天井を眺めながら、その紅い髪を手繰り寄せる。毛先まで整えられた綺麗な髪質は、影武者等ではなくリコリス・アン・ヴァニティアその人そのものだ。そしてそれはこの手足も、瞳も。全てリコリス・アン・ヴァニティアのものだ。


「そうよ、あたしは所詮偽物よ。」


 誰に言うでもなく呟いた。

 その言葉は虚しく空に溶けて消えていく。ただただ虚しく鬱屈した日々だけが続いた。窓の淵にへばりつき、気付けば、騒がしい子供の声は、遥か、遠く。昔の記憶へとなって、忘れられていく。しかし、髪が伸びて、爪が伸びて、幾多の朝と夜を繰り返す最中。向き合わなければいけない気がした。意識を落としても、また掬い上げられる。これが現実なら、ここで生きていくしかない。成長を求められているようだった。だがその成長は恐ろしく、精神はオトナになっていたとしても、暗闇に怯える子供の様に竦みあがり、直視をして…、理解することが怖かった。

 よろりと、静かに起き上がり、カーテンを引き、見られなかった鏡に手を掛ける。酷く震える手で、幼い手は年相応に見えてしまうほど、弱く、細く。

 震える手を抑えながら、カーテンに手を掛ける。こうしていても、仕方がない、前を向かねば、どうにもならないのだから。


 ───「答え」なんて最初から出ていたんだ。


 咽る程、腹の底で煮やした黒いものは何なのだろうか?自分は何に怯えているのだろうか?


 やがて無残な死を遂げる事?


 ───否。


 胸の内から零れた言葉は、どろりとした重たいタールの様で、毒の様に息苦しく、胸の奥まで詰まらせる。

 とめどなく湧き溢れるこの怒りは、誰に対してだろうか?主人公か?それとも悪役(リコリス)か?


 ───否。


 喉の奥が張り裂けそうなほど、息が詰まりそうなほど、言葉が溢れ出る。それはいつか砕いた鏡の中にずっとあったのだ。

 リコリスは意を決した表情でカーテンをはぎ取った。バサリ、とその布が揺らぐ音がやけに遅く聞こえた。まるで走馬灯でも見ているかのようで、その窓から差した僅かな光を鏡が捉え、自分を観た瞬間。



「生まれ変わったら、「Masquerade carnival」の世界…か…、馬っ鹿みたい。よりによって脇役かよ…、せめて、せめて主役になれよ…あたし…ッ!」


 ───言えた。吐き出せた。


 彼女はその美しい見た目を心の底から嫌悪していた。憎んでいた。恨んでいた。




 リコリス・アン・ヴァニティアは乙女ゲームの悪役(ヒール)でしかないのだから。




 所詮は脇役の悪役で、最後は無残な死を遂げる。恋の邪魔役。そんな惨めな役に自分はなってしまった。これが夢ならどれだけ救われただろうか?どれだけ嬉しかっただろうか?どれだけ楽だっただろうか?

 だけど頬に触れても髪に触れても、何に触れても実感は伴い、そして幾度となく夜と朝を繰り返してきた。現実であるという実感だけが、漠然とそこにあるだけの真実が、胸を抉る。「主役じゃない」ただ、それだけが、物語の主役になれなかったそれだけが、屈辱が己を苛み続ける。


 その真実に直面した時の絶望は計り知れない。


 だが、これが答えなのだ。答えはずっとずっと目の前に、〝鏡の中にあった〟一度出た言葉は、止まることは知らない。壊れた蛇口の様に、勢いよく、腹の内をすべて吐き出した。


「あたしは何処までも脇役だっていうの?生まれ変わってもずっと、ずっと…!」


 悔しさのあまり嗚咽を溢した。ドン、と勢いよくベッドを殴り、顔を埋めた。この女の末路は何通りも知っている。婚約者のダリアに見捨てられて断頭台。弟のロベリアに裏切られて拷問が趣味の変態領主に売り飛ばされたり、主人公の血のつながらない兄の計劃で家ごと潰されて奴隷になり下がったり、女の嫌いな女だから何をしてもいいんだと言わんばかりに詰め込まれたスカッとする内容。ストレスのはけ口だ。だけど、怖いのは、辛いのは、苦しいのは、自分が無残に死ぬからではなかった。



 寧ろそんなものは全てどうでもよく、彼女にとっても最もつらかったのは、「主役になれなかった」ことだった。


「主役を勝ち取れない」己の運命を呪った。己の不甲斐なさを、弱さを!


 ぜぇぜぇと息を吐き出しながら、呼吸を整える。鏡の中の自分は何処か憑き物が落ちたような表情にも観えて、どこか清々しかった。誰に言われるまでもなく、自分でちゃんと分かっている。鏡の中の自分が言いたいことも、自分が今、何をするべきか、どうしていきたいかも。だが、問わねばならない。決めなければならない。認めなければならない。


「あたしには脇役がちょうどいいってコト?」


 ポツン、と雨雫一滴の言葉。

 鏡の中の自分に問う。夢を追った昔の自分に問う。「人生の主役」を。誰もが羨み、憧れる様な、そんな凄く大きな輝かしい存在にめざした己に。だが、鏡は無情に真実だけを映し出す。



「…だったらやってやるわよ、あたしが!リコリス・アン・ヴァニティアを演じきってやる!」


 確かな闘志が瞳に宿った。滅び?絶望?そんなものはどうでもいい。運命に抗う?それも違う。主役になれないなら、歯車でしか無かったとしても、自分には意地がある。意地を通して貫き通して、私道を築き上げればいい。カミサマが道化をご所望ならば、その道化も演じてやろう。だが、自分はリコリス・アン・ヴァニティアで、物語の主役でなかったとしても。配役をこなせる天才何だと、脇役なんて役不足でしたと謝らせてやる!その執念が、彼女を強く、突き動かす。



 そうして、リコリス・アン・ヴァニティアの新たな幕が上がった。


 ────さあどうぞ、とくとご観覧あれ。




 主役、舞台の上で華やかに踊るバレリーナ。湖の上の白鳥の様に優雅で美しく、誰もの目を引くホンモノの主役。誰だって主役の道を駆け抜けたいと思うだろう。だけどその前に現実と才能と、運が重なって、自分の人生は子供のころに描いたそれとは大きくかけ離れていく。


 主役になるのに必死だった。誰かの前座にされるのも出汁にされるのも許せなかった。私は引き立て役じゃない。私は脇役じゃない。私を見ろ、視ろ!観ろ!!少女はそう叫んで生きてきた。夢は女優で、そのためならばどんな努力もした。親に頼んでバレエを習い、読者モデルに応募して、どんなに努力が報われなくとも、汚れた部分に片足を突っ込みそうになったとしても、ただひたすらに諦めず、地道な努力を繰り返してきた。少女は何時だって自分の人生の主役の座を、何人たりとも譲る気が無かった。


 だが天命は無情なものだった。バレエの公演中の事故で少女の身体は、夢と共に崩れていった。足の疲労骨折、それは少女の努力ゆえの、残酷な答えだった。当然、公演は中止、復帰の目処も立たないまま、入院だけが決まった。絶望と失意に溺れながら、毎日、病院の窓から空を眺め、面白くない番組の笑い声を聞いて…。今までの熱が冷めていくのを肌に感じていた。このまま泡と消えてしまえばどれだけ幸せだろう。夢は手折られてしまった。花瓶に挿した花の首がころりと落ちる。そんな時だった。


「やっぱり暗い顔してる」


 それは黄昏の小波にも似て、ふと我に返る様な、気付け薬の様に、己を現実へと引き戻す。今までぼんやりと滲んでいたような世界はハッキリとし、セピア色だった世界にもう一度、色付いていく。

 色の付いた世界に自分を引き戻したのは、同じ道を志す、少女にとって数少ない友人の1人だった。いつ来たかも気が付かなかったが、見舞いに来てくれたはずの相手に不機嫌そうに目を細め、「なんかよう?アヤメ。」と吐き捨てる。嗤いに来たのかとでも言いたそうな剣幕で視線を向けるが、彼女は屈託のない表情で微笑んだ。元気付けるための笑顔だったのだろう。だけど荒んだ心の彼女にはそれを受け止める余裕も、考える余裕すらなかった。枕でも投げつけて部屋から追い出そうとした時だった。


「はい!プレゼント!」


 アヤメと呼ばれた少女は小さな紙袋押し付けるように手渡す。その中身はどうやらゲーム機と、ソフトの様だった。ゲームなんて一切やったことない彼女はよくわからないと首を傾げ、困惑した表情を向ける。


「何これ」


「乙女ゲーム!」


「ああ、オタクがやるやつ?キョーミないんだけど。」


 クラスメイトの女子生徒が何やらそんな噂をしていた気がしなくもない。女性向けの恋愛ゲームであることぐらいは知っているが、どうも現実離れした人間のプロポーションが気になって仕方がないのが正直なところだった。紙袋にゲーム機とソフトを戻し、ぶっきらぼうに突き返す。


「まあまあ、毎日悲劇のヒロインみたいな顔されたらたまんないし!動けないならこういうのもやってみれば?勉強になるかもよ~?」


 しかしそれは分かっていますよと言わんばかりにアヤメは、その紙袋を押し返してきた。


「はァ?ナニソレ。憐みのつもり?超ムカつく。」


 馬鹿にしているのかと思った。だが、どうもその優しさが、にじみ出る表情が、本当に自分を思ってやっている行為だと気付いて、紙袋をしぶしぶ受け取り、不貞腐れた様に窓の外に視線を投げる。

 しかしその横顔はアヤメには今にも消えてしまいそうなほど、弱弱しく見えて仕方がなかった。アヤメは意を決した表情で静かに少女の前に腰を下ろすとその手を取り、強く、そして優しく握った。驚いたはずみで視線を戻すと、彼女と、視線が絡む。


「戻ってきてね。私、待ってるから。」


 その瞳は誰より熱く、そして…真剣な眼差しだった。思わず呼吸も忘れてしまいそうなほど、真剣で、深くて、見てる此方までもが当てられてしまいそうなほど、強い眼差しで、彼女は自分を見つめていた。その目に嘘偽りは…感じられない。嫌でも彼女が、アヤメが自分を心配してここにきて、気を使って、狭い病室で気を紛らわせられるものを持ってきてくれたんだと、今更に実感した。


 己が、如何に不甲斐ないかを、悟った。こんな思いを、言葉を、自分はないがしろにしてしまいそうになった事を悔やみ、自分が周りからどんな風に見えているのかを気付かせてくれた彼女に少女は心から感謝した。


「…、当然。その顔で嘘が言えたらあんた、大した役者だよ。」


 照れ隠し。照れ隠しだった。ちゃんと言えた自信も無いが、そんな言葉を求めてないよと言わんばかりに、彼女は、じっと自分のことを見つめていた。


 取り繕った言葉ではなく、ちゃんと言葉で返して欲しい。そう訴えかける瞳だ。その輝きは余りにも眩しくて、目線をそらしてからゆっくりと合わせた。嗚呼、此れには答えなきゃ、彼女は、最初からこれを伝えに来たんだ。自分がこのまま辞めてしまうんじゃないかと、本当に心配して…。そう思ったときには自然と唇は動いてくれていた。


「待ってて。必ず追いつくから。」


 その言葉を聞いて、彼女は再び花が咲いたように微笑んだ。


「良かった。」


 その言葉は誰よりも温かくて、優しかった。妙な顔の熱さを覚えながら、少女は俯いた。


「さて、と。それじゃあ私は帰ろっかな~」

「何、もう帰んの?」


「帰ってほしそうにしてたから」


 そう言って彼女は悪戯っぽく笑って魅せる。さっきまでの自分の態度や言動を思い出してか、それを逆手に取られてやり返されたような気がして、思わずカーッと体温が上がるのを感じた。


「~ッ!やっぱムカつく!」


 悪態をつくとアヤメは嬉しそうにケラケラと笑う。彼女は鞄に指先を引っ掛けて持ち上げると、「じゃあ、ゲーム、楽しんでね!」等と言いながら踊る様な足取りで病室から出ていこうと歩を進めた時だった。


「あ、ありがとう、ね。」


 何となくそんな言葉が出た。きっと茶化されるだろうなんて、そう思いながら後悔する様にその唇に触れ、また視線を逸らそうとした時。


「どういたしまして!」


 アヤメはその場で踊る様につま先でくるりと回ると嬉しそうに微笑み、手を振って去っていった。そうして彼女の足音が徐々に遠のいていくのを感じながら「変な奴…」と独り言ちる。


 季節は春の始まりを予感させる。穏やかな冬の日だった。




 暫く日が経ってから、思い出したかのように紙袋を開き、アヤメが渡してきたゲーム機に初めて触れた。こんなものが本当におもしろいのかは半信半疑であり、同時に、折角持ってきてくれたのにという後ろめたさまで残されるのは、彼女の掌で踊らされているようで少々不愉快だった。


「中世ヨーロッパをモデルにしたゲーム、ねぇ。ああ、でもちょっとドレスとか良いデザインかも。」


 パッケージを眺めながら、ゲーム機を起動させる。どうやら主人公となる少女はひょんな事から貴族の子息たちが集うパブリックスクールに通う事となった庶民の少女の様で、そのパブリックスクールの中で身分の違う男性貴族、或いは王子と恋仲へと発展していくというベタな恋愛ストーリーだった。正直この手の話は飽きるほど読んでいる。あまりそそられない感じがしたが、そんなもやもやは呆気なく霧散する事となる。



「この世にはね、2種類の人間しかいないのよ」

「主役と脇役。そう、(わたくし)と貴女。脇役は脇役らしく身の程を弁えなさい。」


 それは主人公となる少女が入校した初日の事。目の前に現れた最初の壁。恋の邪魔役(ライバル)として登場すると取扱説明書にも記されていたリコリスというキャラだった。


「は?」


 たかがゲームだが、そんな言葉は彼女に通じなかった。思いっきり地雷を踏まれたような気分で何か、カチンと頭の奥でスイッチが入った気がした。


「いや、脇役がほざくじゃん。」


 絶対倒す。これが格闘ゲームだったら真っ先に戦いを挑むだろう。ロードで画面が暗転した瞬間、モニターに映された自分の顔を見て思わず悲鳴を上げる程、自分は怖ろしい剣幕をしていた。

 しかしリコリスを絶対倒す。その目標を掲げ妙なスイッチが入ってから瞬く間に時間は過ぎて行った。



「よっし!全ルート終わり、観たかっての!」


 気が付けば達成率100%になったデータを見て一人でほくそ微笑んだ。骨折も完治し、季節は移り変わるほど、長い入院生活で様々なものが後に遅れてしまったが、胸の内は何処か晴れやかだった。退院の日に顔を見せに来てくれたアヤメに早速報告をすることにした。


「面白かったでしょ?このゲーム!」


「ん、ちょっと見くびってたわ。面白かったよ」


 そう言いながら少女はソフトとゲーム機を返還する。


 するとアヤメは自分の事の様に驚いた顔と、嬉しさにあふれた顔で「良かった~!」と子供の様に微笑んで魅せる。

 その表情はまるで乙女ゲームの主人公の様で、きっとこういう子だったんだろうなどと、内心、重ねながら、改めて感謝の意を伝えた。

 その後の会話は余り覚えていないが、その後も向こう何年も善き友人として沢山話をしたことは今でもよく覚えている。だがしかし〝楽しかった思い出〟それは今では、遥か遠く、陽炎の様に揺らいでいる───。




 ハッとして目を覚ます。重たくなった頭を抱えながらリコリスは起き上がる。窓の外を見れば霧のかかった窓に篠突く雨がザンザンと叩きつけられる。


「ゲームの住人になっても、片頭痛は残るとか、本当サイアク。」


 自嘲気味に味気なく笑って魅せる。鏡に映った自分の顔が、ひどく最悪で。

 リコリスはその鏡に額を這わせると「アンタなんかになりたくなかった。」と酷く、落胆した声色で嘆いた。


 その行為は何の意味も持たないただのわがままだ。だが、言わずに、言わずにはいられなかった。そうした思いを何年も積み上げてきてしまった少女は…あの日から、記憶を取り戻したあの日から、十数年はリコリス・アン・ヴァニティアを演じる羽目になってしまったのだから。理解するのにはそれほど時間はかからなかった。だが、受け入れるのは、まだ、できていない。

 そして今日こそがリコリスにとって避けては通れない運命の日なのだ。あの女が、「Masquerade carnival」の主人公が、今日、このパブリックスクールの敷居を跨ぐ日なのだ。


 鏡に映った自分はこれから滅び行く者だ。正直、覚悟は出来ている。例えば今、急な病を患い。半年後に死ぬと宣告されても、それは運命なのだろう。


 少なからず自分はあと2年で死ぬ。


 リコリスの身体はそんな事をまるで分かっていないかのようにあくびを一つする。そうだ。これで良い。なぜなら私は我儘で高飛車で傲慢で愚鈍で、周りを引っ掻き回す悪役令嬢。庶民を差別し、貧民を嘲笑い、最後には膨れた風船が割れるように簡単に消えるだけの存在なのだから。


 そう、言い聞かせる。「大丈夫よ。きっと上手く出来ますわ。」不意に唇がそんな風に動いた。

 リコリスは真面目に勉強してきた。どうすれば悪役令嬢になれるのか。設定すら存在しない悪役令嬢の過去を体験したのだから。ゲームの世界とはいえ、本当の父と母は厳しくも優しい愛情を注いでくれた。

 どうしたら「原作」のリコリスがあんな性格になるのか理解に苦しむレベルだったが、きっと出来るはずだ。思いつくワガママは全部、言ってきた。


 途中で養子に迎えられたロベリアも。婚約者のダリアも、きっと自分のことを嫌いになってくれているハズ。新しい学園での恋に花を咲かせやすいはず。私のいない世界をきっとうまく生きるだろう。


 そう仕向けてきたのだ。


 こんなに他人に尽くしたのは初めてだ。きっと主人公となる少女はそれにすら気が付かないのだろう。自分は、嫌な女でしか無く、そこから進むことは無い。

 身体と心が違くとも、定まった未来、運命は望ましくなくとも。


 私はリコリスとしての道を歩むと決めたのだから。 そう、心に強く、歩むべきと誓った道の灯火に従い進むのみ。だから今は、来るべき主人公の少女へ牽制するべきだ。そう思い、ひとつ大きく手を叩いた。


「ビオラ!来て頂戴。」


「はい、リコリス様。」


 その言葉を一つですぐさま部屋へと一人の使用人、ビオラが現れる。規律正しいクラシックなメイドドレスに身を包んだ彼女は、スカートの端を摘まんで上品にリコリスにお辞儀をした。まだまだ少々ぎこちなさが見えるのは、彼女は使用人の中では半人前だからだ。

 ビオラは学校でのリコリスの世話役として、リコリス本人が指名し屋敷から連れてきた娘だった。


「着替えるから、手伝って頂戴。」


「承知いたしました。」


 ビオラはすぐさま、リコリスが学校で着用するためのドレスを引っ張り出してくる。ヴィクトリア調の派手なドレスだ。紅く美しく染められた一品はリコリスが特注でドレス職人に造らせた至高の一品といっても差し支えない程で、スタイルも良いリコリスのラインを惜しげもなく引き立てる。リコリスはビオラに着替えを手伝わせながら、自らは鏡を見ながら髪を結う。

 が、ふと気になったのはビオラの髪だ。自分の前に跪き、コルセットを締めているが何処か髪が痛んでいるように思えた。


「ビオラ、貴女最近ちゃんと眠れていないのではなくて?髪、傷んでますわよ。」


 その言葉を聞いてビオラは目を見開いた。慌てて自分の髪を手で隠す様に身動いだ。


「それに隈まで作って。フン。庶民の出って感じね?何か不安なことでもある訳?」


「あ、いえ、その……」


 ビオラは緊張に固まりみるみるうちに顔が青ざめて行った。このビオラというのは原作には登場しない、言わば今のリコリスの専用の使用人の娘だ。平凡で可もなく不可もない村の出で、元々は一家でヴァニティア家の別荘での世話人としてそこに仕えていた家のものだ。だが、伯爵と夫人に気に入られていたビオラの母は特別にリコリスの側近として此処で働いていた。しかしあることが切っ掛けで今はビオラが母の代わりに此処に立っている。

 勿論、リコリスのわがまま放題ぶりは彼女への心労へと直結する訳だが、そんな事で使用人に倒れられてはリコリスにはたまらない。


「あんたの代わりなんていくらでもいるんだから、休める時に休みなさい。それと、今日の掃除はいいから───」


「ち、違うのです!リコリス様!わ、私は大丈夫…です…」


 遮る様な言葉を前にリコリスは眉を顰めた。思わず気に障ってしまったのではと、ビオラはさらに声をくぐもらせてしまう。リコリスはため息を着き、痺れを切らしたかのように口を開いた。


「悪かったわ。主として聞きたいだけなの。話せるだけ話して頂戴」


「じ、実は…は、母の容体が……悪化して…………」


 以前からビオラの母の病の話をリコリスは知っていた。既に特効薬が出ている病ではあるが、庶民である彼女たちにはその薬は余りにも高価だ。中には怪しげな呪いだけで高額を巻き上げる悪徳な宗教も存在する程。

 この世界の医療の発展の至らなさを示し、そして、何よりも金を多く積んだものが助かるという世界の過酷さを示しているようにリコリスは感じていた。

 ビオラはその薬のお金を稼ぐために母の代わりにリコリスの側近を務めることになったのだから、その心労は計り知れない。彼女の年齢はさして自分と変わらない。素朴ではあるものの愛嬌のある顔立ちで、正しくビオラの花の様な愛らしさを持つ彼女だ。きっとその年齢なら、恋や遊んだりもしたいだろう。勉強もしたいだろう。それら全てを投げ打って、母の為に、家族の為に働くビオラを、リコリスは内心に尊敬していた。

 だからこそ、そうまでしてきたのに、母の容態は悪くなる一方だ。眠れないのも、不思議では無い。だが、リコリスは悪役令嬢だ。そして、父も母も他の使用人への公平性のために、必要以上な金を特別支給するなんてことは有り得ないだろう。然るべき態度は


「そう。それだけ?」


 リコリスは冷めたような声で呟いた。興味も無くつまらなそうな声で。

 その言葉にビオラは完全に停止する。そんな彼女を横にリコリスはアクセサリーの入った箱を開く。輝く装飾品たちが、キラキラと輝く宝石たちが、夜の空を謡う星々の様に。太陽の光を受けて照り返す水面の様に、美しく揺れる。


「手」


 リコリスの言葉にビオラはハンカチを手に引き、両手を受け皿にして差し出した。


「このネックレス。正直好みじゃないのよね。」


 そういってリコリスはビオラの掌に大きなルビーのついたネックレスを投げ入れた。次に手に取ったのはエメラルドの指輪。光に透かし、目を細め、値踏みをするかのような表情で見つめた後。此れもビオラの手に置いた。


「このリングはもう古いわ。前代的な流行にそこまで価値なんて無いわ。」


 プラチナのイヤリングも、「これもダサい。良い貴金属使えばいいと思ってる奴の駄作ね。」そう悪態をつきながら投げ捨てる様に、ビオラの掌に乗せる。あれもこれもと、一つずつ悪態をつきながらリコリスは「いらない」と言いながらビオラの掌に装飾品を投げ捨てる。気が付けばビオラの掌には沢山の装飾品が積り小さな山になっていた。


「こんなもんね。」


 満足げなリコリスに対して、ビオラはどうすればいいのかと困惑した表情を浮かべていた。たじろぎながら、ビオラは口を開く。


「あ、あの。これは…?如何すれば…?」


「好きにすれば?」


 その唐突な言葉にビオラは酷く混乱した。


「あんたには精々それがお似合いよ。ま、いらなきゃ捨てれば?庶民の皆様はこういうのがお好きなんでしょう?私には少々、いいえ、だいぶ、とても、身に着ける気にもなりませんわ。理解できませんもの」


 ビオラはリコリスの言葉が理解できなかった。そうして呆けている間にリコリスはハンカチの端を摘まみ、装飾品を包み込む。


 これを売れば、売ってしまえば、きっと母へ薬を買ってあげれるだろう。ビオラは目の奥が熱くなるのを覚えた。


 リコリスは視線を合わせることなくその肩に優しく触れた。


「哀れみよ。さっさと有難く受け取りなさいビオラ。それと、あんた1週間は来なくていいわ。病気がうつりますもの!」


 そう言ってリコリスは軽くその背中を叩いた。

 ビオラは目からこぼれる涙を自分のエプロンで拭いながらリコリスに顔を向けた。「ありが……」その言葉を口にしようとした瞬間、リコリスはそれを手でし、その白い指先で静寂を施す。

 リコリスは優しくその髪を撫でると静かに部屋を後にする。1人取り残されたビオラは、涙を拭いながら渡された装飾品を手にしたまま、立ち尽くしていた。しかし、これを本当に売って良いのだろうか。何か試されているのではないだろうかと、考えがぐるぐると、不安と、目の前の希望に心が揺れる。揺れてしまう。どうすればいいか、そう悩んでいた時だった。


「リコリス様は、ああは仰っていますけど。それでお母様にお薬を買ってあげなさい。ビオラ。」


 声をかけてきたのは先輩使用人のマーガレットだった。マーガレットはリコリスを幼少期のころから面倒を見てきた人物であり、リコリスが最も信頼を寄せている人物といっても過言ではなかった。

 最も、リコリスは余りヒトを寄せ付ける様な真似はしなかったので、彼女が、リコリスの言葉を代弁することがほとんどだった。母からもお嬢様の事で困ったらまずは彼女に聞けと言葉を残すほどだ。


「で、でもどうして…?」


 貴族が庶民に施しをするなど、基本的にはあり得ない。何故なら生きる世界が違うのだからだ。ましてや、貴族たる人物が、下々の事情など、気にするわけがない。それがなぜ、言葉こそ冷たいものの、己に慈悲をかけるのか。


「リコリス様は、貴方のお母様のこともご存知ですし、勿論、貴方がどうして今ここで働いてるのかも、分かっておいでです。だからこそ。だからこそなのですよ。ビオラ。不器用なのは、本当ですけど。」


 ビオラは彼女の意思は、ちゃんと汲み取れた。否、汲み取れてしまった。だからこそ、疑問だけが残る。


「貴女様は何故、周りから嫌われようとするの?」


 こんなに、本当は優しいのに。故意に嫌われるような、強い壁を感じずにはいられなかった。何処かその背が寂しく見え、遠くの闇へと溶けいく灯の様に思えて仕方がなかった。



 どうせ、皆私の事を嫌いになる。


 リコリスはずっと腹の中で抱えている感情があった。それは、自分が嫌な女を演じ、そして、悪役令嬢として、華々しく、散ることが運命づけられている。そう思っているからだ。


 リコリス・アン・ヴァニティアは、多く、処刑か死ぬよりつらい目に合う。


 それはそれでうんざりするほど嫌なのだが、この損な役回りは、道化には丁度いいのだろう。既に最初の幕は開かれた。もうじき此処の学校に本当の主役がやってくる。


「私が演じるのは、己を主役と語る、愚かな道化。引き立て役は、引き立て役らしく、添えられた花の様に、悪毒、あくどく…。」


 そんな言葉を歌うように口にしながら廊下を進む。気が付けば空はご機嫌な快晴。中庭に差し込む暖かで穏やかな陽光が差し、植物たちの水滴を照り返し、キラキラと、まるで彼女の到来を祝福するように色めきたつ。


「そう、そんなにあの子が好きなのね。」


 私は嫌われ者。そうあるべきとされている。だからお望み通り、悪役令嬢の仮面を彼女は進んで被るのだ。

 本当の顔を見せないように。知られないように、悟られないように。


 きっと理解してもらえない。この痛みを独りで抱えていくと決めたのだ。


「リコリス様。ごきげんよう。」


「ごきげんよう。」


 そう挨拶をしてきたのは、彼女の金魚のフンだ。伯爵令嬢という立場のリコリスの傍を陣取ることによって、虎の威を借りる狐共。

 穏やかな微笑みの裏で、何を考えているのか。女の世界で生きているリコリスは、彼女たちよりもずっと経験が豊富だ。だからこそ、余り寄せ付けない様にしていたのだが、どうしてもこの手の者は跡を絶たない。


「リコリス様。ご存知でして?今日、入校する生徒がいるだとか。なんでも庶民の方だとか。馴染めると良いですね」


「そう…。この時期に入校なんて、変った方ね。」


 当然知っている。この日を、ずっと待っていたのだから。リコリスは畳んだ扇子で口元を隠しながら中庭を眺めた。栗色の髪の少女が遠くにちらりと見える。


「メリー・マイア…ね。」


 風に凪いだ声で、呟いた。

 その名を持つものこそ、主人公の少女だ。別段、これといった感情は抱かないようにしているが、憎くないかと言われれば嘘になる。だが、決して悪くは思ってはいない。寧ろこれから愛されていく彼女に踏み台にされるのは、もうどうでもいい事だ。


 人には定まった役割があり、世界の大きな1部、歯車でしかない。


 何時しかそれを唐突に悟ることがある。だからこそ、己の役目を果たすだけだ。そしてそれはメリー・マイアも同じだろう。彼女は愛されるべくして産まれてくるのであれば、そうあって然るべきなのだろう。例え納得出来なくても。


 きっと己は違う意味で、他人を幸せにする為に生を受けたのだろう。リコリスとして。


 そんな不思議な気持ちになっていた。だから切っ掛けを作ってやらねばならない。少女が幸せになる為の物語の切っ掛けを、己が滅びへと続く道への切っ掛けを、自らの、手で。


「中庭に行きましょう? たしか薔薇が見頃でしたわね。」


 中庭へと一歩また一歩、歩を進めていく度に。階段を一つまた一つ、下っていく度に。石畳みと鳴らすヒールの音は、穏やかな風、鳥のさえずりと共に…、物語りの前奏曲(プレリュード)、同時に断頭台への行進曲(マーチ)を奏でていた。不思議と恐怖心は無かった。寧ろここから始まるのだ。自分の演技が。観客はそれを期待している。自分はその期待に応えなければならない役者なのだ。舞台では既に、幕が上がっているのだから。


「今日は舞踏会に招待されちゃった───。」


 遠くから聞こえるのは、あの子の言葉だ。

 浮かれててワクワクしてて、花のような笑みを浮かべて。期待と不安の中で、ダリアと出会い、舞踏会の話を聞いて、少し褒められてきっと嬉しかったのだろう。


 本物だ。本物の顔をしている。偽物じゃない。羨ましい位輝いて見えた。だが。



「…。ちょっと貴方?」



 息を吸う。なるべく深く息を吸う。まだ少し冷たい空気がこの肺も心も凍らせてしまえるように。

 その聞こえた言葉は余りにも不愉快だ。そう言わん表情で眉をしかめながら栗毛の少女…、メリー・マイアの前に立ちふさがる。

 仁王立ち。その言葉が似合う風格と圧倒的な存在感。その言葉一つで、メリー・マイアはピタリとその挙動を止めて、ゆっくりと振り返る。


「あ、あの、私、ですか…?」


「そう、貴女よ。貴女。今「舞踏会」なんて言葉口にしたかしら?」


 扇子を掌の上で乗せながら、値踏みするようにその周りを歩く。初期デザインにあった通りの少し素朴だが、可もなく不可もないロココ調のドレスを身に纏っているメリーだ。だが、それらは貴族のお茶会ならまだしも、舞踏会というのには地味すぎる。本当にこのままの格好で来てしまいそうな危うさを内心に感じ取り、リコリスは目を細める。


「…っ!は、はい。先ほどお誘いを…」


 余り目を合わせたくないのか、視線を泳がせながら、今にも消えそうな声でメリーは言葉を返した。


「ふぅん。誘いを受けたの?フフ、随分石磨きがお好きな殿方もいらっしゃるのねえ?まあ所詮は炭鉱夫のセンスかしら?」


 言いたいことが分からない。と言わんばかりに困惑していた。否、緊張のあまり頭に酸素が回っていない様子だった。酷く青ざめ、震えているのが手に取るようにわかる。さながら恐怖心で人を縛る魔王の様な気分だった。


「な、なにを…?」


 言っているんですか?とメリーの唇から飛び出しかけた言葉は、リコリスのその白い指先が沈黙を促した。


「わからないの?」


「あんたみたいなのは 私が主役の舞踏会には相応しくない。と言っているの。」


 サァ…と風が、凪ぐ。リコリスはメリーの顎下に扇子をあてて持ち上げる。息苦しそうに、竦んだ表情でリコリスを見つめる。目を背けさせるつもりは無い。


「殿方と踊れるとお思いで?貴女如きが。そんな程度の低いドレスを着るような人間が、殿方に選ばれるとお思いで?」


 そういってリコリスはそのドレスを軽くつまむ。宝石箱の中のビーズとはより目立ってしまうものだ。リコリスは令嬢になってから高い生地と安い生地の違いが分かるようになった。それはもちろん、他の令嬢や令息にも言えることだ。一流の中で生きてきた人間を前に、悪目立ち、とはより目立ってしまうものなのだ。例え凡夫が分からなくとも、貴族たちの世界は、それとは一線を画するのだ。そしてその悪目立ちは、主催者の顔に泥を塗る行為なのだ。


「この世にはね、2種類の人間しかいないのよ。」


 そして最後に呪いの言葉を口にする。自分を縛り、愚かな女の最も愚かな言葉を。


「主役 と 脇役 。そう、(わたくし)と貴女。脇役は脇役らしく身の程を弁えなさい。」


 嗚呼、言ってしまった。目の前に項垂れる少女が、自分の身分を改めて思い知らされた顔をしている。

 相手は自分よりも立場も権力もうえで、自分も家族もその気一つで、吐息一つで吹き飛ばせるそんな恐怖に歪んだ顔だ。

 リコリスは今更ながらに自分の立場から繰り出される威圧感の大きさを学んだ。だが、そこで折れては主人公では、主役ではない。


 そして彼女は必ず這いあがってくる。そういう女だ。


(そしていつか、私を断頭台に送る女になるのよ。)


 台本通りの台詞を言い終えたリコリスは伝わらない胸の内を思い描きながら踵を返す。後ろ目にはまだ放心状態のメリーがいた。取り巻きの令嬢たちも口を開くことは無く、怯え竦むその様を唯、見ているだけだった。

 まるで、自分には飛び火しませんように、と言わんばかりに。


 リコリスが堂々とした足取りでその場を去ろうとしても、誰もその背を追うことは無かった。目の前の嵐が去り、静寂の後に、凍り付いた世界は動き出す。


 そうして暫くしてからリコリスは次の行動を考えていた。ダリアに出会う様に仕向ける準備はできたことだし、と。

 もう十年以上前の記憶になってしまっている原作を思い出しながら、覚えている限りを書き下したメモを確認していしながら考え、指でなぞる。羊皮紙の感触に目を細めながら。


「まあ、暫く私の出番はないわね。と、すると、次は…そうね。」


 やはり舞踏会だろうか。彼女、メリーは気の合う友人となる令嬢にドレスを貸し付けられて、メイクをし直してやってくるハズだ。

 しかしその前に見落としていた一つの点に、リコリスは気が付いた。


「嗚呼、今日は仮面舞踏会(マスカレード)…!」


 ウッカリ忘れていた。仮面舞踏会は貴族同士、否それ以外も含め、お互いの身分を隠して、ひっそりと親密になる…甘い蜜の様な何処か怪しく、スパイスの様に癖になる酸いも甘い様な時間を過ごすのだ。多くを語ってはならない暗黙の了解がある世界でもあり、風紀が乱れる元凶としても知られているが、お互いの身分を忘れ、一夜だけの感情に溺れ、現実へと還って行く…、いわば夢のような場所である。

原作では攻略対象となる男性に出会い、そこから恋愛に発展する貴重なイベントも沢山あり、ゲーム中はそれはもうお世話になったものだ。

 今実際に貴族になってみたリコリスにはその身分の壁が如何に厚く、そして、スパイスになってしまう理由がとても理解できてしまう分、何故婚約者がいるはずのダリアやロベリアがあのような場所にいるかも理解できてしまう。最も、ダリアはリコリスの我儘ぶりには少し、嫌気がさしており、結婚には実は前向きではなかったといった状態でもあった上に、彼の友人に強くせびられ付き添いの形でやってくるのも知っている。しかし出会いは求めていないという高潔な態度、そんな実直さは真面目でイイ男だとリコリスは改めて実感する。


「結婚するならああいう男よね。」


 なんて独り言ちをするも直ぐに頭を横に振る。違う、そうじゃない。と訴えかけ、冷静になる。きっとこの仮面舞踏会にはメリーは来るはずである。故に、此処に紛れ込み、彼女の動向を監視しておくのも手だろう。リコリスはうんと頷いて羊皮紙を仕舞いこみ、部屋へと戻ろうとした瞬間。


「誰と結婚するんだって?」


「わッ?!」


 その眼前には、瑠璃色の美しい髪色の青年が、やや不満そうな表情で立っていた。いるだけで周りが明かるくなりそうな程の美貌の持ち主であり、鋭さがある切れ長な細い瞳に、年相応の幼さが少し残るも見事に調和された整った顔立ちの青年…義弟のロベリアだ。

 義弟故に、毎日のように見てきた顔だが、毎日見た顔であっても飽きない顔立ちの良さは素直に羨ましいもので、嫉妬を覚えた事はややある。


「あ、アンタ!何でここにいるのよ!」


 思わず、素の声と言葉で、吠えてしまう。だが仕方がない。義理とはいえ、弟という距離の存在にいつまでも取り繕えるほど、リコリスは完璧では無い。当然本来の姿をロベリアは知ってしまっている。だからこそそんな様子の姉を見てロベリアはしたり顔を浮かべるのだ。


「何処にいたって良いじゃん。リコ姉こそ、こんなところで何してるの?」


「それこそ、私が何処で何しようが勝手でしょう?」


「へぇ。でもリコ姉が結婚について悩むなんて珍しいね。ダリアの事散々フってるくせに。それとも別の男とか?」


 彼の言葉の通り、リコリスはダリアの事を思って親の決めた婚約などという理由で破棄を申し出ているが、今のところ、なあなあになってしまっているのが現実である。そんなリコリスが結婚などと口にすれば、きっと両親も舞い上がる…だろう。悪戯っぽく笑うロベリアに対してリコリスは強い感情で否定する。


「無い無い。別にそういうんじゃないから。」


「じゃあ俺と結婚する?家出ようか?」


「馬鹿。」


 リコリスとしてロベリアと過ごしている間に最も意外だったのは険悪そうな家族関係は思ったよりも良好だったという点だった。というよりは、リコリスはロベリアを虐め、ロベリアは両親と死別してしまった事を引きずったまま、心は癒されず。ただただ苦しいだけの鬱屈した少年期を迎えているはずだったが、虐めなど、今のリコリスには性にあわないものであり、立場を理解しているからこそ、多少手を差し伸べて来た。たったそれだけで、ここまで良好な関係になるとは、思いもしなかったものだ。だが、それゆえに彼の軽率さはどうかとリコリスは感じていた。


「あんたの幸せはもうすぐしたら現れるわよ。」


 ずっと昔。家に来てから間もないころ、そう告げたことを思い出す。本当の両親と死別し、心細い彼に対して、必要以上に接するつもりなんて無かったが、見限る事なんて出来なかった。だからこそ此れだけはと思って教えてしまったのだ「ちゃんと幸せになれるよ」たったその事だけを。余りにも根拠がなく、根も葉もない言葉だが、ロベリアはその言葉を信じて今に至っている。


「リコ姉の言う俺の幸せって何?リコ姉はそればっかりだよ。」


「さぁ?その時になればわかるんじゃない?幸せの形は人それぞれよ、ロベリア。」


 それが例え、己を殺す羽目になったとしても。それがロベリアにとっての幸せに繋がるのだから。リコリスはそう思ってやまない。何故ならロベリアは自分の事は…原作程決して嫌いではないと自負しているが、好きになるはずがないからだ。


「さて、と。私は授業がありますのでこれにて、失礼しますわね。ロベリア。」


 わざとらしくスカートの端をつまみ、上品にお辞儀をしてリコリスはその場を去って行った。小さくなる姉の姿を見て、ロベリアは独り、爪を噛んだ。それは悪癖だった。子供のころから治らない、不満があるときの子供っぽい悪癖だ。不満の色がこの年になってから濃くなるのを感じてしまう。


「俺に幸せにしてくれるのはリコ姉だけじゃないの?」


 あの言葉を信じているからこそ、ロベリアはリコリスに対する感情を深く、深く、高く、高く、積もらせる。この深く高い感情は何にぶつければいいのだろうか?姉の言いたいことはきっと、運命の人が現れるとか、そういう事なのだろう。ならば答えは簡単だ。ロベリアにとっての運命の人は既に目の前に現れているのだから。遠くなるその背を、自分だけのモノにしたい。何処までも自分を導いてくれる存在はきっとあの人だけだ。ロベリアはそう信じてやまなかった。


「俺の幸せはあんただよ。」


 それは好きな人の口癖を真似る様な言葉の羅列。ロベリア・アン・ヴァニティアは信じられないほどのシスターコンプレックスを抱えていた。





 授業が終わった後の放課後の事。少し黄昏に染まる校舎を横に、リコリスは双眼鏡でメリー・マイアの動向を伺っていた。独りとぼとぼと歩いているところに後ろから知り合ったばかりの少女に声を掛けられる。


「カリンね。此処で出てきたのは覚えているわ。」


 カリンという友人キャラはちゃんとこの世界でもメリーの友達として現れてくれた事に、内心ホッとしていた時だった。


「リコリス。何を見ているのですか?」


 少し特徴のある低い声が響く。青年というのには少し大人びた、青い果実から芳醇な色香が匂う魅惑の甘い声だ。その声の主は、リコリスが視線を向けるとはにかんだ笑みを浮かべる。アッシュブロンドの美しい髪が、黄昏の夕焼けを受けてキラキラと輝き、その瞳は夕焼けの橙が混ざると今の空の様に蒼と橙の美しいコントラストに染まってくれる。

 聞き惚れる声に似合う、美しい立ち姿は正に異国の王子のそれだ。


 彼の名はダリア。その名の通り、優雅で美しい、名は体を成すの最上位に位置するような存在だ。思わず引いてしまうほどの美しさを誇る彼に対して、きっと少し顔をしかめるのはこの世でリコリス・アン・ヴァニティア唯一人だろう。そして、そのリコリスの正式な婚約者である。


「何見ててもいいでしょ。」


 素っ気ない彼女の言葉に対して、ダリアは少し嬉しそうな表情で言葉を続ける。


「少し、良いかな。」


「お好きになされば?」


 ダリアの言葉に対して、リコリスは拒否は示さず…唯、申し訳なさそうに目線をずらしてはぐらかした。婚約破棄の件はいまだに終息を見せていないのだからなおさらである。


「綺麗な夕焼けだね。キミその髪の美しさをより引き立ててくれる。キミの前では太陽すら脇役だ。その瞳も、全て───」


「はいはい、わかりましたわかりました」


 それ以上の言葉は顔が熱くなる。リコリスは辞めろ辞めろと手を振りながら言葉を止める。この男の台詞は一々臭く、年頃の娘ならば舞い上がるかもしれないが、残念だがリコリスは精神だけは十以上年上だ。


「──本当にキミはいくら僕が言葉を尽くしても振り返ってくれないね?どうしてだい?」


「そりゃあ…」


 今まで囁かれてきたであろう愛の言葉は嬉しかったこともあったが、どうしてもその言葉は何時か。自分以外のモノになると思っているからこそ、煮え切らないという感情があった。嫉妬、意地悪でもあっただろう。


「貴方が私を好きになる事は無いからです。私は貴方に相応しくないからですわ。」


 何処までもずるい表情だった。儚く、寂しく、それでいて何処か芯の通った顔をする。まるでそれが運命だと、神に宣告されたかの様に、彼女は他の誰よりも自分を引き付けているのに、まるでその自覚がない。

 自分は他の人間よりも遥かに美貌で、剣の腕も悪くないはずだ。将来も周りから期待を寄せられている。絶対に一人の女性を幸せにできる自信が、ダリア・フィナ・ライラックには存在していた。

 だが、婚約が決まる前から彼女、リコリスはまるで自分に靡かなかった。それどころか、わざと遠ざかっていくようで、口癖のように「もっと好きな人ができる」と告げてくるのだ。

 ダリアは彼女の幸せを願いながらも何処か逸れて消えてしまいそうなリコリスのそばを離れる決心がつかなかった。きっと自分は傍にいないほうが良いのだろう。だが


「それはエゴですよ。」


「ん、本当にそう思いますわ。」


 リコリスはそう言われるのを分かっていたかのように言葉を返す。静かな風の音が通り抜けて、二人の間に沈黙が流れていく。穏やかな沈黙だった。言葉など必要なく、黄昏の夕焼けに凪いだ心の様に物静かで、群青の空に、星が僅かに見え隠れる。時間が止まってしまえばいい。そう思えるほど一枚の絵画の様な静寂。

 しかしその穏やかな時間をカラン、カランと、遠くの街で鳴り響いた鐘の音が、二人の沈黙を切り裂いた。


「それでは私はこれで失礼しますわ。」


 上品にスカートの端をつまみ丁寧にお辞儀をする。今にも去ろうとする背に、ダリアは手を伸ばす。その指先が触れる事は無かったが、振り絞った声は、喉を伝ってくれた。


「リコリス。それならば、次の舞踏会、僕と踊ってくれませんか?」


「えぇ、勿論、それはよろこんで。」


 リコリスは、夕焼けを背に微笑んだ。その穏やかな笑みは、ダリアにやはり、恋というものを教えてくれる、彼の心を落ち着かせる穏やかな微笑みだった。この笑みはきっと自分にしか見せてくれない、自分だけの微笑みだと、強く感じたのだから。



 そうして夜が来た。夕食もそこそこにし、リコリスは意を決した表情でマーガレットを呼び出した。マーガレットは分かっていたようにクローゼットの扉を開くと、そこにはタキシードが敷き詰められていた。


「よし、選ぶのを手伝って頂戴。」


「畏まりました。」


 リコリスは身に纏っていたドレスを脱ぎ捨て、タキシードに手にかける。鏡の前で似合うものを着あて、満足したモノを袖に通す。黒いタキシードにシックな紅いチーフを胸ポケットに差し込む。襟元にはチーフと同じ色のシックな紅いアスコットタイを結ぶ。

 その間にマーガレットは丁寧にリコリスのその紅い髪を纏め上げ、シルクハットを被らせる。そして黒い茨の装飾が施されたマスカレードマスクを装着し、上から腰までのマントを羽織れば…


「イイ感じね。」


「えぇ、良くお似合いでございます。」


 最後に鏡の前で、杖を持ち、前、後ろとその姿を確認する。まごう事なき男性に見えるが、やや、華奢で丸いのが気になってしまう。だが一晩だけの関係ならば気付かれることなどないだろう。と踏む。それに目的は飽くまで、メリーの監視で、変装はあくまで自分がリコリスであるとバレなければ良いのだからだ。


「じゃあこれで行くわ。」


「畏まりました。お坊ちゃま。」


「まだはやいっつの。」


 リコリスはそんな悪態を付きながら、さらに上からフードの付いたマントを深くかぶる。あのリコリスが男装して仮面舞踏会に潜っていたなんて知られれば、それこそ妙な噂が立ちかねない。大きな道は使えない、故に、リコリスは窓を開けると長いロープを外へと投げる。


 まるでスパイ映画の主人公の様で、妙なドキドキとワクワクがはしゃぐ心を掻き立てる。そんな湧き出してしまいそうな高揚を必死に押し殺しながら、窓の外へとその半身を下ろした。


「それじゃあ行ってくるわ。」


「いってらっしゃいませ。」


 マーガレットが静かにお辞儀をしたのを見送ると壁を蹴って下へと下っていく。無事、地面に着地をすると、裏口に止めていた馬へと跨り、夜の空を駆けた。


 石畳の上を馬の足が軽やかに駆け抜ける。なんと心地よいのだろうか。夜の風は少し冷たく、肌が痛いが、それよりも楽しいという感情が今は勝った。男装等、初めてしてみたが、自分がリコリスでは無いということがこんなにも楽だとは思いもしなかった。

 しかしそうも浮かれてはいられない。気が付けば、瞬く間に、仮面舞踏会の会場に到着してしまっていた。リコリス…改めラジアータは馬を止め、その頭を優しく撫でた。


「ありがとう、少し休んでてくれ。」


 声を少し潰し、男性の声を真似ながら此処まで走ってくれた馬に感謝を述べると、ラジアータはマントを脱ぎ捨て、改めて杖を肩にあてながら、会場へと歩を進める。


 荷物検査を終え、ラジアータは会場へと足を踏み入れれた。

 会場内は既に多くの人で溢れかえり、華やかな音楽と、談笑する声が響く。人混みに紛れながら、目を細めて、観察する。

 あの子は…、メリーは?ロベリアは?ダリアは来ているだろうか…?と、壁に寄りかかり、満遍なく周りを見渡すも、人が多すぎたせいで、思う様に見つけられずにいた。


(皆、変装しているからわかるわけないか…)


 冷静に周りを見渡しながら、物陰から様子をうかがっていると、テラスに見覚えのある後ろ姿があった。その姿はダリアだ。流石、変装してもその身にまとう空気は隠しきれないようだ。

 ラジアータは注意深くその様子をうかがっていると不意に声を掛けられた。


「あれ?姉さ…?」

「…!?」


 ドクッと強く心臓が跳ねる。ゆっくりと息を整えながら後ろを振り向くとそこに立っていたのは一人の男だった。この声の感じ、瞳の色、きっとロベリアだ。落ち着いて声を殺しながらシルクハットを深く被り、顔を隠しながらラジアータは「人違いでは?」と言葉にし、逃げる様にその場を去る。


「あ、す、すいません……。」


 人ごみに混じり消えていくラジアータをロベリアの声が追いかける。なんとか切り抜けたが、何故ばれたのだろう。肌は隠したし、髪の毛を魅せた覚えもない。ロベリアはそうまで自分の事を記憶しているのだろうか?それなら体格だけで見抜いたといっても過言ではない。


「まさかね…?」


 それはちょっと気持ち悪い。確かに原作のロベリアは俗にいうヤンデレという奴らしいが、その矛先は自分ではないはずなのだから。

 ドキっと跳ねた心臓がようやく落ち着きを取り戻し始めたころ。どう見ても、メリー・マイアが来ていないのは明白だった。どんなに耳を澄まして声を聴いても注意深く見ても、見抜けないだけにしては、いないという感覚のほうが強く感じる妙な感覚だった。


「まさかまだついていない…?」


 そう考えた時だった。


「ねぇ、さっきの見た?」


「見た見た!あの子、庶民出身の子じゃなかった?」


 まさか。とリコリスの中でそれは確信に変わる。恐らく、この娘たちが話しているのは、メリーの事だろう。直感がそうだと告げている。


「庶民嫌いに目を付けられるなんて可哀想〜。」


「リコリス様にも目をつけられたし、他の方の癪に触れるような真似をしたのかしらぁ?出る杭は打たれるのよ。庶民のくせにダリア様と口なんか利くから。」


「あはは、本当生意気ねェ。」


 不愉快な話だったが、無い話ではない。確かに似たようなイベントはあったが、そこは「ゲームだった」のだろう。だがこれは現実なのだ。そしてこの日にこんなイベントは存在しない。そう存在しないイベントだ。これはゲームではなく、現実であるが故に起きた事故だと、理解してしまった。

 軽率だった。目の前がくらむのを覚えた。自分がリコリスを演じるということは、注目を集める令嬢ということは、自分の行動一つで、少なくともメリー・マイアも他の連中の目に触れるという事なのだ。


「キミたち。その話、少し詳しく聞かせてくれるかな?」


 ラジアータは少女たちの前に、あくまで、冷静沈着な声音と温度で立ちふさがり丁寧にお辞儀をする。が、その目は怖ろしいものだった。ゾッとするほど冷たく、今にも答えなければお前を殺してやろうかと言われたかのような、言葉に無い目線だけの畏怖を前に二人の令嬢は背筋を伸ばした。


「ひゃ、ひゃい!?」


 パクパクと口を振るわせる様にその背を壁に押し付け、逃げ場に手で塞ぐ。顎の下をゆっくりと持ち上げながらリコリスは瞳を覗き込みながら言葉を連ねる。


(わたし)の質問に応えてくれるかな?」


「は、はは、はい…。」


 今にも窒息しそうな相手に構うことなくラジアータは猫でも可愛がるように顎下を撫でてやりながら言葉を続ける。


「いい子だね。キミの話している子は私の親戚なのだよ。良ければ何処で見かけたか教えてくれるかな?勿論、お礼はしてあげるよ。」


 今にも泡を吹き出しそうな蒼い顔で、必死に声を金切声の様に震わせながら少女は叫ぶ様に質問に応えた。


「に、西の湖ですッ!他の令嬢が…ッ!」


 それだけ聞けば十分だった。ラジアータは満足げに微笑むと、スっと身体を離す。「アリガトウ。後で一つ踊ってあげよう。」とその少女に告げる。

ラジアータから解放された少女は腰が抜けたのかよろよろとその場に崩れ落ちる。ラジアータはそれに手を貸すことは無く真っ直ぐに西の湖へと向かうことにした。


「だ、大丈夫…?」


「う、うん…ちょっと…良いかも…。」


「羨ましい…かも…。」




「庶民のくせに生意気なのよッ!」


 金切り声と同時にピシャッと鋭い音が鳴り響く。頬を打たれ体勢を崩した少女の身体が、湖へと投げこまれる様に崩れ落ちる。水しぶきをあげながら、頬を抑えながら理不尽な理由で暴力を振るう貴族令嬢たちを睨みつけた。


「何!その目は!」

「生意気なのよ!庶民のくせに!」

「これだから庶民は、立場が分かってなさすぎだわ。」


 各々が汚らわしいものを見るかのようにメリーを責め立てる。激高する女はメリーの胸ぐらを掴みながら反対の頬も平手で殴りつけた。

 その勢いでメリーの纏っていたドレスが裂けて、湖へと切れ端が浮かぶ。


「ハッ!無様ね!」


 けらけらと笑うその様は不愉快極まりない。メリーは破れて流れていく母親のドレスを眺めながら「ママのドレスなんて着るからこうなるのよ…」と今にも泣き出しそうな声で呟いた。

 子供のころからそういった環境だった。自分は貴族の妾の子、故に父親からは冷遇され、母の病と共に寮のあるこのパブリックスクールに放り込まれたのだ。そんな散々な目にあったのにこの仕打ちだ。何処に行っても自分を邪魔者扱いする連中ばかりで、自分は生まれてはいけなかったのでは、と思ってしまうほどだった。苦しかった。相手は貴族だ、やり返したらそれこそ、自分が…病の母がどうなるかすらわからない。手出しも出来ない。それが分かっていてこの女たちは自分に暴力を振るっているのだ。許せない、許したくない。だけど


「ほら謝れよ!謝れよ!この豚!」


 庶民は所詮虐げられる存在だ。この苦しさを全て今自分が飲み込めばそれ以上は無いかもしれない。プライドではない、この理不尽に立ち向かう勇気がない自分の不甲斐なさに涙が出た。だが、逃れたい恐怖から喉を震わそうとしたその時だった。



「謝る必要なんてない!」


 遠くから声が響く。疾走する馬の駆け足が響いたかと思えば、そこに降り立ったのは一人のマスカレードマスクを被った男だった。


「謝る必要なんかない。謝ったらキミはこの豚以下になってしまう。」


「な、誰が豚ですって!?貴方誰にむか…」


 激高する女が悲鳴の様な叫び声を上げて詰めかけてきた瞬間、マスカレードマスクをかぶった男…ラジアータは指先で沈黙を施した。


「少しは黙っていろ。」


「ヒッ…!?」


 マスクの下から覗かせるその瞳はヒトを委縮させる。その怒気の籠った声は、怖ろしい覇気があり、激高していた女でさえ、その場にへたり込ませた。だが、ラジアータはそんなもの一切気にせず、ただメリーへと歩を進めた。濡れることなんて一切、気にも留めず。湖の中へと足を踏み入れ。メリーに手を差し伸べた。


「あ、あなたは…?」


「今はどうでもいいことだ。」


 手を伸ばさないメリーの手を無理矢理奪う様に取り、引き上げる。濡れたドレスは余りにも重く、もう少し深い所へ行っていたら溺れてしまっていただろう。破かれたドレス、痛々しい頬の傷。

 その顔を見ればわかる。それが女にとってどれほど酷いものかを。


「さて、話の続きをしてあげよう。」


 ラジアータはゆっくりと湖からメリーと上がると杖先を座り込む令嬢に突きつける。


「あんたが何処の誰だって?言ってみろよ。」


 言葉を失った様子の相手に対して、ラジアータは取り巻きの女どもにその杖先を突きつける。


「答えたくないなら別に構わんよ。だが私は、ガーデンの理事長とはよい仲でね。」


 そのたった一言を聞いた瞬間に令嬢たちに緊張が走る。自分たちの出自がばれている。それゆえに怖ろしかった。


「こ、此れ以上は辞めましょう…?」


 完全に空気負けした女が言葉にし、それを合図に蜘蛛の子の様に散っていく。腰を抜かした女もその女たちの後を追う様に慌ててその場を去って行った。


「見たかい?彼女、お尻に泥が付いているよ。あれじゃあ誰にも相手にされないだろうね。」


「…。」


 しかしメリーは、何も言葉にできなかった。今更来た波をこらえきれず、目からぽろぽろ涙が零れ始める。怖い、怖い思いをしたのだろう。声を殺して、息をのんで破れたドレスを抱きしめる。

 病気の母が自分のために用意してくれたドレスをこんな形でボロボロにされて、心が苦しいに決まっている。


「そんなに泣いたら目が腫れてしまうよ。」


「…でも、でも!私…もう、無理です!無理なんです!こんな思いまでして、どうして、お母さんは私をこんな場所に入れたのよ、私貴族なんてなりたくなかったのに!」


 喉が張り裂けそうな叫びだった。感情の濁流が流れ出て、いろんなものが溢れ出る。寂しかったのだろう。きっとこの子は祝福されて生まれてきたわけじゃない。リコリスとは違う。


 だけど愛情を知って育ってきてしまった。だから、きっとこんなにも苦しいのだろう。そしてその母は病に伏し、自分の父親を伝いこのパブリックスクールに身を寄せている。ビオラと同じような不安を抱えていたのだろう。


 ゲームの設定、そんな風に軽くとらえていたのは間違いだった。主役、主人公の道を歩くこの子はきっと、今まで自分が歩いてきた道よりも長く険しい道を行かねばならないのかもしれない。だが、その道がどんなに険しくても、人には与えられた役割がある。この子はどんなことがあっても幸せにならねばならい。それはリコリスのエゴであり、プライドであり、使命であった。


「それでも、それでもアンタは幸せになるために生まれてきたんだよ」


「どうして、どうしてそんなことが言えるんですか!?そんな無責任な事!」


「ヒトには定まったそれぞれの役目があるの。命をとして全うする「役」があるんだよ。それに踊らされて生きていくんだ。メリー・マイア。」


「!どうして私の名前を…!」


「立ちなさい。メリー・マイア。お前はこんなところで足を止めていい人間ではない!あんたは此れから険しくても、誰もが羨む道を歩くんだ!立って歩け!辛くても止まるんじゃない!」


 そう、私が歩きたかった道を、歩けなかった道を、自分で進んでいくのだ。この厳しすぎる理不尽な激励は、今はメリーを酷く苦しめるだろう。だが、この子は大丈夫だ、芯の強さをちゃんと持っている。ゲームだけの知識で在り、生身の、等身大の少女としてのメリー・マイアはそんなことがないかもしれないが、だが、そう信じている。自分がリコリスになってもその道を選んだのだから、自分が選べもしなかった道を、歩く資格のある彼女が、ちゃんと歩るいて行ける様に。


「いるのだろう?出てきなさい」


 ラジアータが声を張ると、ガラガラと音を立てて馬車が到来する。そこからおりてきたのは…同じくマスカレードマスクをかぶった使用人のマーガレットだ。


「お呼びでしょうか、ご主人様。」


「この子にドレスを。」


「え?」


 その言葉にメリーは声を強張らせた。突如として目の前に現れた馬車。そして破れたドレスを抱える彼女に新しいドレスを与えると言うのだ。それはまるで御伽噺に出てくる…


「魔法使い様…?」


「私…?フフ、そうだね。レディ。私は魔法使いさ。」


 そう言ってラジアータはその手を取ると歩を緩めることは無く、真っ直ぐにその手を引き、せかすように駆けだした。広い客車の中にメリーを放り込み、その扉を閉めた。するとマーガレットは静かにラジアータへ耳打ちをする。


「本当に良いのでしょうか?」


「構わないわ。可愛くしてあげて。」


 ラジアータは…リコリスはそういってウィンクを一つ落とした。マーガレットは静かに微笑むと客車の中へと消えて行く。ラジアータは御者席へと腰を下ろすと歩を進めさせた。そう、仮面舞踏会の会場へ。少し遅れてしまったが、まだまだ夜は深くなる。今はまだ、浅い夜なのだ。ラジアータはため息をつきながら満足げに星空を眺めた。


 舞踏会へとついたとき、会場内は最高の盛り上がりを見せていた。ピークには辛うじて間に合ったようで、胸をなでおろしながら、ラジアータは客車の扉を開いた。そこから出てきたのは、華やかなドレスを身に纏った美しい女性だった。マスカレードマスクに隠されていない少女の様なあどけなさを残す口元すら、愛らしく思え、本来は女性であるはずのラジアータですら、少し頬が緩んだ。その手を取りながらゆっくりと階段を降りる。

 扉がゆっくりと開かれ、夢の舞台が幕を開ける。彼女の、メリー・マイアの夢の舞台が。その表情は先ほどまでの暗い表情とは打って変わり、明るく、華やかで、愛らしいものだった。嗚呼、きっとみんなこの表情(カオ)に恋をするのだろう。そう感じるモノだった。だがその表情(カオ)は、今、自分だけのものだ。


「き、綺麗…。これが仮面舞踏会…。」


「いってらっしゃい。メリー・マイア。」


 その言葉にメリーは慌てて振り返る。名前も知らないあの人にお礼を言わなければと。しかし、そこにはラジアータの姿はすでに無く、馬車も既にそこにはいなかった。メリーは胸の前で握りこぶしをつくり、静かに頷く。


「いってきます。」


 きっとあの人はここから先は自分で行けと言いたいのだろう。言葉の無い言葉を、確りと感じ取っていた。名も知らぬ、恩人に、メリーは胸が熱くなるのを覚えた。「いつか必ずこのご恩を」そう胸に誓い歩き出す。


 宴は今、始まったばかりなのだから。


FIN




作品概要


本作品はコミッションサイトSKIMAにて作製の依頼を受けた小説です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ