23.愛と呼ぶには *キュイ視点
レストランを途中で抜け、いつものように足早にある場所へと向かう。
着いたのは大きな研究所だ。国が有能な研究者を抱え、日々最先端の技術を駆使して研究を行っている。僕はその門をくぐり、研究所の部屋に入った。
研究所の面々は、僕の顔を見て引き攣った笑みを浮かべ、ある人の元に案内しようとする。
僕が闇魔法を扱えると知った人は、大抵は恐怖の感情を浮かべる。それが忌々しく感じるのと同時に、自分自身にすら嫌悪感が湧き上がった。
そんな研究所にも、僕を怖がらない人はいる。
「皇太子様、連れて参りました」
「入っていいよ」
朗らかな了承の言葉と共に、僕は扉をいくらか乱暴に開けた。
そんな僕を怖がらない存在の1人が、皇太子のエルドレッド・サリヴァン。憎たらしい程整った顔立ちが、苛々に拍車を掛けた。
ここの研究所の一員として王族、それも皇太子がこうして研究する事は前例がないらしい。しかしこの皇太子は今までも様々な常識を覆してきたらしく、研究員になることも今更……といった感じだそうだ。
何度か会ううちに、この皇太子がかなりの研究馬鹿だということも判明した。
「あれ、キュイ疲れてる?」
「ええ。ここに来るほんの30分前までは疲れてなかったのですが」
「そっか、それは大変だね」
労りの顔をする皇太子。本当に、驚くほど何も分かっていない。あからさまな嫌味にも気づかない。鈍感にも程がある。
「じゃあ、これまでの結果と、今日やる検査について説明するね。疲れてるみたいだから、早く終わらせるよう努力するよ」
別に疲れてなどいないが、早く終わるのならそれでいい。僕は何度目か分からない溜息を吐き出した。
プライバシーも関係なしに質問され、被験体として体を弄られる。そこに対して何の感情も浮かばないが、それをする研究員がフィアナだったら良かったのに、と場違いな感想を思い浮かべた。そうしたら、僕の全てを曝け出すのに。
ああ、もう、どうかしている。
「じゃあ、今日はこんな感じで。来週もまた同じ時間の同じ日ね」
皇太子はパラパラと紙を捲りながら言った。俯いた顔に、長い睫毛が影を落とす。
同性だとしても嫌でも気付かされる、整った顔立ち。視野が広く頭の回転も速い。そして、申し分ない身分。極度の鈍感を除けば、かなり完璧な人だとは思う。
――フィアナ嬢は、特別だから。
思い出して、胸に苦汁が広がる。
「では、失礼します」
「――ああ、ちょっと待って」
踵を返しさっさと出て行こうとした時、皇太子に呼び止められる。無視できるわけもなく、僕は「何ですか」といっそ嫌味なほど清々しい笑顔で振り返る。
「フィアナにも、明日来てほしいって伝えてくれる?」
フィアナ。
前までフィアナ嬢って呼んでたのに、いつの間に。
というか……
「フィアナと、会ってるんですか」
紡いだ声は掠れていて、驚くほど低かった。
皇太子は不思議そうに首を傾げた。
「そうだけど」
「頻度はどのくらいですか」
「頻度って……君と会うペースと然程変わらないよ。週1回くらいかな」
何の話をしているんですか、とは聞けなかった。
聞く勇気がない僕は意気地なしに違いない。
やっとのことで、「そうですか」と平静を装い相槌を打った。
逃げる様に部屋を後にし、廊下を足早に進む。僕と目があった職員が、いつにも増して怯えた表情をする。胸が、じりじりと焼けるようだった。
研究所を出る。真っ直ぐ家に帰れる気がせず、帝都をふらふらと散策した。
道ゆく露店に飾るアクセサリーを見て、頭の中でフィアナに付けてみる。緋色のルビーがついた、チェーンのネックレス。きっと綺麗だろう。
最近の僕はどうかしている。
綺麗なフィアナの笑顔を見る度に、愛しい気持ちと、同じくらい不安な気持ちに駆られる。
そうして胸に黒い煤を抱えている気持ちで帝都を歩いていると、向かいの店に、艶やかな銀髪が見えた。ちらりと見えた横顔に、柔らかな笑顔を浮かべている。僕の、愛しい人。
「……っ」
ひゅっと息を呑む。
隣には、エデンがいた。エデンが何かを言って、それにつられたようにフィアナが笑う。蕾が綻び、待望の花を咲かせる、そんな優しい笑顔。
ちりちりと、胸が焼かれる痛みに襲われた。
本当に、どうかしている。隣で話す男がエデンでさえも、こんな醜い嫉妬を覚えるなんて。
不意に、僕の頭に以前見た夢が思い出された。
愛されたいが故に狂って、闇魔法で人を操り理想を作ろうとした『僕』がいたっけ。
――理想の世界を作りたい。
あれは、僕じゃない。闇魔法で理想の家族、友人を作ろうとは思わないし、共感できない。
でも、フィアナが離れていってしまったら。
繋ぎ止める為に、僕は、きっと。
「……使ってしまうだろうな」
ぽつりと溢し、フィアナから顔を背ける。
数週間前、フィアナが襲われた時、僕は咄嗟に闇魔法を使おうとした。フィアナを傷つけた奴を、どうしても許せなかった。
だけど、フィアナは許した。魔法を使っては駄目と言った。僕が生きているだけでいいと言った。
僕の心配をかけまいとして、店に出たりしていつも通りに振る舞っているけど、心ではずっと不安なはず。
そんな心優しい君に、僕は相応しくないのではないかと、そう思ってしまった。
でも、そんな君だからこそ、ずっと隣にいてほしい。
相反する想いが渦巻き、苦しい。
店のガラスケースに映る自分の瞳は、どこか紫色に見えた。




