『戦槌の上級神官《アークビショップ》』
ほの暗い森の中で。
とある冒険者の青年が危機に瀕していた。
青年が相対するのは、堅牢で重厚な装甲を持つ、巨大なムカデの魔物だ。
無数の節足で、気色悪く這いずり回る大蜈蚣。
そいつが、長大な体躯を鞭のように使って襲い掛かってくる。
そのたびに、青年は、迎撃するべく、握る大剣を振るう。
しかし。
がきり、と硬い感触が青年に伝わり、その効果の無さに、失望する。
疲労に満ちた表情をゆがめ、青年は、呟く。
「くっ……最悪だ」
これで何度目だろうか。
幾度トゥハンデッドソードをぶち当てても、硬い装甲に阻まれて有効なダメージを与えられない。
逆に、青年は、疲弊してきている。
さらに、蜈蚣の移動速度は予想以上に速く、逃げるという選択は、多大なリスクになる。
そして、何度も打ち付けた剣は、刃が欠けてきていた。
青年の色々なリソースが、時間とともに削られていく。
その先に見える未来に、青年は必死に抗っていた。
けれど、ついに。
再度、襲い掛かる蜈蚣に、両手剣を打ち付けた時、青年は最大限の違和感を覚えた。
パキリと音をたてて、折れた切っ先が、くるくる、と宙を舞って、地面に突き立つ。
同時に、吹き飛んだ蜈蚣が地面に投げ出された。
ぐるぐると渦を巻く蜈蚣の健在ぶりに、青年はすべてを諦めたようにつぶやいた。
「いよいよ、極まったか」
地面に刺さった剣が、まるで墓標のようだと、青年が失笑し、死を覚悟した時。
青年の耳に。
がしゃり、がしゃり、と金属のリズムが、森の奥からフェードインしてくる。
ここにきて、敵が増えるとあれば、青年は本当に万事休すだ。
しかし。
今、とぐろを巻き、体勢を整えつつあるオオムカデの背後。
真っ暗な闇の中から、少しづつ浮かび上がるのは、化け物などではなく。
小柄なヒトのシルエットだった。
左の手には、十字の刻まれた大きな盾を持ち、右の手には、真紅の戦槌を握り。
青年はその人物が、少女であると解った。
現れた少女は、真っ赤なカソックに身を包み、その上に真っ白な甲冑、頭には、聖職者が身に着ける、帽子が乗っていた。
冒険者であるならば、その帽子の文様で、少女の身分はすぐに解る。
「あれは……上級神官……?」
青年は敵ではないことに安心し、そして折れた己が武器を見て、嘆息する。
例え、助っ人だとして。
今更、回復役が増えたところで、大蜈蚣を倒せるわけではない。
なにせ、青年の大剣はもう使い物にならないのだから。
「おい……!」
青年は、蜈蚣を挟んで対岸に立つ少女に、叫ぶ。
逃げろといおうとして。
だが。
少女は、地面に刺さる剣の切っ先を一瞥し。
ほぼ無傷のムカデを一瞥し。
「軟弱ですね。これだから、刃物は……」
涼やかな声で、蔑むように一人ごちる。
そして――。
少女に気づき、そちらに襲い掛かろうとする蜈蚣に。
「やべっ!」
青年が、駆け寄ろうとした時にはもう遅かった。
その瞬間には既に、オオムカデはくの字に折れ曲がり、砂埃を巻き上げて、地面に叩きつけられていた。
少女の振るったハンマーが命中していたのだ。
少女のハンマーは、道具のハンマーに近い形の、細身のもので。
ハンマーヘッドの反対側が、ピック状になっている、片手用の槌だった。
それが、あれほど堅牢だった蜈蚣の装甲板をひしゃげさせ、その内部の肉をえぐり潰していた。
胴体が千切れそうになるほどのダメージに、のたうち回る蜈蚣に、少女が無言のまま、冷徹に、もう一度ハンマーを叩き下ろす。
それが、トドメとなって、蜈蚣は動かなくなった。
青年は愕然とする。
あれほど苦労した魔物を、ほぼ一撃で屠ったことに。
「お、おい……?」
信じられないという気持ちの中、必死に紡ぎ出した青年の言葉に、少女は反応する。
白金色の長い髪をゆらし、視線だけで青年を見る横顔は、まだ幼く、色白で、可愛らしい顔つきだった。
そのまま、大聖堂に佇んでいれば、女神のようにもみえただろう。
ただ、不可解なのは本来、上級神官の制服は青や白のカラーリングなのに、少女は紅かった。
金属のハンマーですら、真っ赤なのだ。
そんな少女は淡々とした声で答えた。
「なんですか?」
「い、いや……その」
「礼なら不要ですよ」
青年の心中を見透かすように、そういうや否や、ハンマーのピックのほうで、少女はムカデの身体から、1枚1枚、分厚く頑丈な皮をはがし始めた。
ぐしゃり、ぐしゃり、とえげつなくも猟奇的で残虐的な場面が展開される。
常人なら、目を伏せる所だが。
冒険者である青年には解る。
少女は、ムカデから『素材』をはぎ取っているのだ。
冒険者組合に売って、お金にするために。
「あんた、冒険者なのか?」
「……いけませんか?」
「いや、そんなことは……」
聖職者ならば、その道の仕事があるはずだ。
怪我人に治癒魔法をかけたり、死霊や不死者の祓魔だったり。
もっと、インドア系の職務なはずだ。
なのに、こんな森の深くまで来て、戦利品をはぎ取っている。
それも、上級神官が、である。
まだ見習いの神官が修行のために冒険者に同行したり、神の加護を授からなかった落ちこぼれが、エリート街道から足を踏み外したということでもない。
少女は紛れもなく、上級神官なのである。
それは、少女が身に着ける十字架のアクセサリーや、帽子や、その高級で清廉な出で立ちが物語っている。
それも見目麗しい少女なのに。
しかし唯一つ、盾を持ち、槌を持つという点だけが、ちぐはぐだった。
まるでケーキの上に、干し肉が乗っているかのごとき違和感だった。
「しかし、だとしたら、なぜ冒険者を……?」
「簡単ですよ。聖堂での仕事では、ハンマーを振るう機会がありませんので」
言いながら。
少女はその場にしゃがみ、剥がした外骨格を、ハンマーでたたいて細かくし、何枚も重ねて、素材用の袋に詰め込んでいく。
対して青年は言葉の意味が解らずに、返す言葉を失っていた。
「え? ハンマーが……なんだって?」
「解らないなら、良いですよ。無理して解ろうとしなくても」
そして、作業が終わると少女は立ち上がる。
その真っ赤なハンマーを盾の背面に仕舞い、盾を背中に背負い。
少女は踵を返す。
立ち去ろうと、青年に背を向けたあたりで、ふと。
「あなた」
「え?」
突然声を駆けられて青年は驚く。
「次も、つるぎを買うのですか」
脈略もない質問に、青年は返事に窮し、少女は青年が言葉を発するまで待った。
やがて。
「……ほかにどうしろと?」
「別に……軟弱ものには似合いの武器です。次も、苦労すると良いでしょう」
そうして、唖然とする青年を残し、赤い上級神官の少女は、森の奥へと歩き出すのだった。