悪人らしく
鳥や豚、牛以外の獣肉を食べたのは初めてだった。
誘われたのは、先週の金曜日。何を食べたい聞かれて、思いつかなかった代わりに普段食べない物を食べてみたいと打診した。するとオススメのジビエのお店に日曜日、連れて行ってくれた。
兎や鴨、猪など、普段食べないどころか、食べることに躊躇を覚えるようなラインナップに少し戸惑いながら食べてみると、オススメしてくれるだけのことはあるなと思う味だった。
「美味しいでしょ。」
頷くしかない。5杯目のワインを飲みながら得意げに彼が言う。
「赤ワインしか飲まないんだよね、俺。」
「だからそんなに顔赤いんじゃない?」
軽い冗談を交わしながら、楽しい時間が少しずつ過ぎる。
「結局、悪人正機説ってさ、どんな説なわけ?さっき本屋で話してたじゃん?」
本好きなのを共通点に出会った私たちは、初めて会う今日、本屋で待ち合わせをしたのだ。そのまま本棚を巡りながら、オススメの本について熱弁をお互いに奮っていると、宗教の棚で「浄土真宗について」という本を見つけ、
「悪人正機説って、結構理にかなってる考え方だよね…」とボソッと私が呟いたことを今になって、ぶり返してきたのだ。
「うーん、そうだなぁ。端的に言えば、自分が悪いことをしてるっていう自覚がある人の方が反省する心を持ちやすくて、悟りに近いみたいなことかな?」
「それって、犯罪者とか?」
「というよりかは、漁師とか狩人とか、命を奪うことを生業としてる人とかのことかな?」
「だったら、この店の人達はみんな悪人ってことになるね。」
「いやいや、店員さんは関係無いでしょ。狩りしてるわけじゃないし。」
「そっか、確かに。」
お店を出たあと、なんとなく海に行きたくなって時刻は20時を過ぎていたけど、彼にお願いしてみた。快諾してくれた彼と共に、1番近い埠頭まで電車で向かった。日曜日の夜、人気もまばらな電車の中で終点まで揺られていく。自然と、指を絡ませてくる彼を私は拒まなかった。まもなく埠頭に着くと、海の匂いと昼間の暑さの余韻が身体にまとわりついてくる。
「いやぁ、やっぱり何にもないね。夜はどこもやってないし。」
「まぁ、そうだよね。そんな気はしてた。」
三大都市というわりに、観光業へのこだわりを著しく欠いている我が都市を恨みがましく思う。
とりあえず周辺を歩調を合わせながら回ってみる。海への道路は立ち入り禁止の柵が張り巡らされている上に、ベンチもないので、歩き回る他なかっただけなのだが。
「なんか滑走路に似てるな。」
だだっ広く、そして何もない道路を見ながら彼は言った。道路越しの海。そして海越しに工場が見える。
「なんか、この世の終わりみたいな感じするね。こうも何にもないと。SFみたい。」
「はは、それちょっと分かる。」
結局、まともに海を見ることもなく、帰路につく。
「このあと、どうする?」
既に、家に帰る気分じゃなかった私は、当たり前のように繋がれてる手を強く握り返す。
「どうしたいと思う?」
「俺と同じ考えな気がしてる。」
反対側の車窓に映る私たちと目が合う。向こう側の私たちも同じことを考えているのだろうか。
「私、あんまり経験ないけどいいの?」
「いいよ、別に。心配しないで。」
「この部屋クーラーないの?」
「あるよ、温度設定は出来ないみたいだけどね。」
途中下車した駅の、最寄りのホテルに入る。古くて、安い。そういった行為の為だけに建設されたと考えると面白く感じる。生産性があるんだか、ないんだか。
導かれるまま、服を脱ぎ、シャワーを浴びる。私自身、他者と体を重ねるのは久しぶりだった。
「俺って悪人かなぁ。」
行為の最中、彼は呟いた。興奮と、痛みで、まともな思考力が失われてる私の頭の中を、その言葉が素通りしていった。
随分早くに目が覚めた。真っ暗な部屋に、カーテンの隙間から差し込む光が眩しい。温度設定が出来ないクーラーのせいで容赦なく冷やされた部屋の中、私は隣の膨らみを見つめる。繋がりが解かれると自然と距離を取って眠った昨夜。2人の関係を表してるようなその距離に、少しの安心感を覚えた。これから発展することもなく、たった一晩、人恋しさを紛らわせるために会った2人にとってはこの距離がちょうどよいのだ。
「…今、何時?」
隣の膨らみがもぞもぞと動き、寝ぼけた声で彼が聞く。
「5時半前かな…5時27分。」
彼は返事の変わりに、私の腰に手を伸ばす。
「私、寒いんだけど。あなたは寒くないの?」
「寒いけど、これから暑くなることするし、大丈夫だよ。」
「最低ー。」
蝉がけたたましく鳴きはじめている。今日も暑くなりそうだ。まだまだ早朝といえる時間帯。昨日と同じ服を着て、2人で歩く。
昨日は自然と繋がれていた手は再び繋がれることはなく、合わせていた歩調も合わさることもなく、お互いに例の距離をとりながら、駅に向かう。
「結局、俺って悪人だと思う?」
「なんのこと?」
「昨日、ふと思ったんだよね。」
情事の最中、頭の中を素通りした言葉を思い出す。
「悪いことしてるっていう自覚はあるわけだ。」
「まあね。でも、それは君もじゃないの?」
答える代わりに、私は微笑む。悪いことをしてる自覚があったとしても、反省する気がない人間はきっとどこにも救いはないのだろう。だからこそ、一晩限りでも人の温もりに救いを求めるのだ。許された気分を味わいたくて。それが例え幻想だとしても。
「反省したいなら、滝にでも打たれてきたら?」
冗談まじりにそう言うと、
「俺は反省しないタイプの悪人だからなぁ。」
「そういう所は気が合うよね、ホント。」
人はきっとみんな悪人。それを誤魔化しながら生きているだけで。