第一章 第一話 『英雄への第一歩⑤』
──《大・氷・結》。
それはハイドラ・ガストリオにとって最強の魔法である。
とはいえ、そもそもハイドラが行使できる魔法は二種類しかない。
通常魔法、《氷結》。
そして大魔法、《大氷結》。
安易な名前付けだ。
命名者はちなみにマスト。
彼のネーミングセンスの無さが顕著に現れたのがこれである。
《氷結》、《大氷結》共に物を凍らせる、という点では同じだ。
しかしその規模や威力は桁違いなのである。
そしてその分、払う代償も大きくなる。
「──《大・氷・結》!」
魂をすり減らし、大声をもって、大魔法を発動する。
《氷結》とは比べ物にならないほどの光の奔流が飛び出した。
「──っ!」
魔獣特有の、まるでこの世の全てを呪うような断末魔。
言葉では言い表せないほど、他者に憎悪と嫌悪の心を生み出させるそれを片耳に、ハイドラは振り返った。
あまりの氷結に、煙が上がる。
打ち漏らしがあればもうお終いだ。
兎、蟹、牛、狐。全員、凍らせられたのか。
不安は残っている。
しかし──、
「大丈夫か、少年」
ハイドラがまずすべきは、少年の介抱だった。
振り返り、しゃがみこむ。
息を何とか保ちながら、少年の震える瞳を見つめる。
その奥にある、恐怖を感じ取り、ハイドラはハッとさせられる。
それはまるで、あの日の自分のようで──。
「行くぞ。……逃げよう」
そう言って、少年の体を捕まえると、ハイドラは煙の方へと向かう。
通り抜けて、気付く。
その氷の壁は──否、結晶が、あまりにも綺麗な形をしていた。
キラキラと光り輝く、左右対称の結晶体。
それに思わず感嘆の声を上げる。
今まで、自分の暴力がこんなにも美しいものを作り出していたなんて、知らなかった。
きっとそれは、マストに頼りきっていたせいだろう。
「これが独り立ちってやつか」
ふと呟いて、ハイドラは少年を見る。
「そう言えば」と頭をかいてから言った。
「俺の名前は、ハイドラ・ガストリオ。未来の英雄だ。──お前の名前は?」
未来の英雄、なんて自分で言ってから何だが、恥ずかしい。
とはいえ、言ってしまっては仕方がない。
そこは諦め、ハイドラは少年の応えを待った。
「ぼ、僕は、カエサル・ジーザンド、です」
「カエサルか。いい名前だな」
そう言って、少年の──カエサルの頭を撫でる。
それはいつかの夕焼けのように。
まだ、太陽は天の頂点にいる。
この時間が、この記憶が、きっとカエサルの何かになる。
きっとそれは自分も然りだ。
「あ、あの!」
「なんだ?」
「英雄って、なんなんですか?」
避難所に帰る道で、カエサルが唐突に尋ねてきた。
英雄とは、一体何なのか。
それは、それは……何なんだろうか。
ずっと疑問には思ってこなかった。
たぶん、考えなくてもわかっていたから。
けれどいざ言葉にするとなると、困ってしまう。
皆を助けるから、英雄と呼ばれるのか。
皆から慕われるから、英雄と呼ばれるのか。
それがまだ分からないから、ハイドラはここで自分を英雄と名乗ることは出来ない。
けれどせめて、応えるとするならば。親父の言葉を、変えるとするならば、
「──ま、いわゆる『ひーろー』って奴だな」
そう笑って、赤いマントをカエサルに返す。
親父の言葉は、言い逃れにばかり役立つ。
それに関して、感謝はしているが、親父の性格への疑問ばかりが浮かんでしまう。
ただ、今だけは、これを自分の言葉としよう。
──英雄と、『ひーろー』は同意語。
けれど少し、ハイドラの中では意味が変わり始めていた。
──ハイドラ・ガストリオは、一つ、自分が成長したことに気付いた。
3.
「ありがとう、ございました!」
感謝の言葉を口に、頭を下げるシスター。
ハイドラはそれに満足気な笑みを浮かべていた。
遅れて、カエサルが頭を下げる。
その小さな動きに、全能感を感じながら、ハイドラは腕を組む。
と、
「──痛っ! え?! 何で俺今叩かれたの?!」
隣にいたルナに頭を引っぱたかれた。
所々、砂埃で汚れた彼女は、しかし相変わず愛らしい容姿を保っている。
「ふん。なんでもない」
「ごめん、ツンデレが過ぎてるのか、単純にサイコパスなのかわからんなすぎて怖い」
意味もなく人を叩くだなんて、親父の言うツンデレと、サイコパス程度しか思いつかない。
親父から教わったあのツンデレならば、前後の文と繋がりがあるはず。
しかしそれすらないので、サイコパスである可能性が増していく。
少し本気で身震いしながら、ハイドラはルナから距離を置く。
「何よ。何で距離置くのよ」
「だって怖いもん。平気で叩いてくるじゃん」
「はあ、まあそこは無視して。ちょっと魔が差しただけなの」
「魔の差し方、独自性ありすぎてこええよ。一瞬ちょっと関わるのやめようかと思ったよ」
そう言って、肩を抱える弱男ポーズ。
クネクネ体を動かしていたら、とうとうルナに呆れられた。
「はあ、もうほんとすみません。本心では謙遜してると思うので……」
「いえいえ。英雄、って言うのはこういうものなのかもしれない、って思い始めたので」
「おお? シスターさん分かってるねー」
「シスターさん、こいつそんなこと言うと調子に乗るし、ハイドラはハイドラで今のちょっと貶されたことに気付きなさい」
「貶、された? マジで?」
「あはは。きっと気の所為。そう気の所為ですよ」
シスターの怪しすぎる笑みを眺めながら、ハイドラはルナを見つめる。
今、ハイドラって呼ばれたよな。
これはつまり、こちらも『ルナ』って呼んでもいいということなのか?
「な、なあルナ」
「何? 気色悪い?」
「『気色悪い』の反応速度が早すぎて、一瞬俺の名前かと思ったぞ!」
「さっきからうるさい男ね……ハイドラって呼びにくいしいっその事、『気色悪い』の方がいいかしら?」
「いや、ダメだからね?! そんな呼ばれる度にお互いを乏し合うような名前……!」
そんな応答を続けていたら、シスターが静かに笑いだした。
くすくすと、まるで暖かいものを見るような瞳で、笑う。
しかしそこに嘲笑うような感触はなく、あるとすれば、それは望郷の念で──、
「ほ、ほんとお二人はいつからのお知り合いなんですか? ほんと、仲がよろしいんですね」
そう言うと、目尻の涙を拭う。
泣くほど面白かったのか、と一人──否、ルナと共に目を丸くする。
そんな様子が面白かったのか、またもやシスターは笑う。
ルナと顔を合わせ、首を傾げる。
フッと、糸が切れたように二人も笑い始めた。
ハイドラとルナ、シスターとカエサル。
四人が笑い合う中、そのポジティブな感情は伝染していく。
さっきから、ポジティブな空気が流れていたとはいえ、この笑い声が、それを増す結果となったようだ。
「皆さん。お話し合いは終わりましたか? 順をおって出ていただいてるので、そろそろ……」
「あ、すみませんアーリンさん」
話しかけてきた、長身の男──アーリン・ザンジット。
ハイドラは彼に謝罪を伝えると、シスター達を促す。
避難命令解除から、既に数分が経過している。
冒険者たちの活躍と、ハイドラの微力により、無事、魔獣達は殲滅したそうだ。
アーリンとは、カエサルを避難所に戻した後、避難所の前での戦闘に参加する際に出会った。
彼は新米の冒険者であり、打ち漏らしを倒しにきたと説明。
ハイドラと共に屋台の間を縫って、魔獣達を撃退した。
もちろん、ハイドラも戦ったものの、魔力量と、精神的負担から、彼のサポートに徹することにした。
何度か、命の危険に晒される場面はあったものの、ハイドラは無事に避難所の周辺から魔獣を追い払った。
もちろん、それを救ったのはアーリンである。
彼には感謝しかない。
本当に、来るタイミングが絶妙的だった。
「ほんと、真面目に未来見てきたんちゃうかってくらいですわ」
とは、冗談混じりに肩を叩いたハイドラの言葉だ。
それにアーリンは、若干苦々しい表情をしていたから、あながち間違いではないのかもしれない。
ただまあそこは、
「追求すべきでは無いんだろうな」
「──? どうしたの?」
「いや、なんでもない」
小さな呟いたら、ルナが反応した。
それに首を横に振る。
避難所の扉から次々と出ていく人々を眺めながら、ハイドラは長く息を吐いた。
自分は、この人々を救った。
その事実が、淡々と心に染み込んでいく。
もちろん、味方の助けはあった。
ルナも強かったし、若干未来予知疑惑のあるアーリンも、素晴らしい戦闘センスだった。
だからもちろん、自分がこの人々を救った、と言うのは語弊があるのかもしれない。
けれど逆に、皆と協力して戦ったからこそ、本物の英雄感が増す。
ハイドラの知る英雄──親父から聞いたあの数々の英雄達は、決して一人ではなかった。
頼もしい仲間や友を連れて、冒険に出て、勇者や救世主と呼ばれながら帰ってくる。
それが、ハイドラの根底にある英雄像だ。
きっとこれだけは、変わらないのだと思う。
何があっても、変わらない。
そうずっと信じてきたから、これからも、きっと。
そんなふうに、少し考えていたら、ルナと目が合った。
もちろん偶然だ。
意識は殆どなかった。
適当に視線を移していたら、そこに彼女がいた、と言うだけだ。
「今日は、ありがと。ほんと、感謝です」
「──? 私にそれを言うのは間違いよ。言うならアーリンさんに──」
「いや、カエサルから聞いたんだよ。ルナが自分を逃がしてくれたって」
「それは、あれはただ……」
「ただ、何だ?」
「何でもない。──きっと言ったら嫌われる」
小さく、本当に小さく、ルナがそう呟く。
小さすぎて、ハイドラの耳にその言葉が入ることは無い。
だから当たり前のように、ハイドラはルナを理解出来ないし、ルナもハイドラを理解できない。
「あ、そう言えばなんだけどさ」
「──?」
「ハイドラって呼びにくならドラって呼んでくれよ。親からはそう言われてたし」
「ドラ? ……別に良いわよ。ていうかそもそも──」
「──?」
「あなたが大魔法学院に入れるのか、っていう問題があるけどね?」
先を読み、薄らと冗談めかして笑う。
そこで自分は安泰、と考えているのが彼女らしい。
彼女らしいとは何なのだろうか。
「本当に君たちは仲がいいね」
その後も冗談を言い合う二人の元に現れた男。
それはアーリンだ。彼は新米キャップというのを被り直し、
「改めてこんにちは、ハイドラ・ガストリオ君。そして……ルナ・メイヴィスさん」
「────」
「一応、僕も冒険者だから、聞きたいことがあるんだけど……まずは一言、感謝から。──今日は本当に、どうもありがとう」
そう言って、深深と頭を下げるアーリン。
それに動揺し、「それはないって」と二人は声を重ね合う。
しかしアーリンは譲らず、結局こちら側が折れる結果となった。
感謝される方が折れる、というのも何だか不思議な話だ。
「まあ、とにかく──ハイドラ君。君に聞きたいことがある」
「俺に、ですか」
一通り、満足するまで礼を尽くしたアーリンの開口一番。
それに驚き、ハイドラは自分の胸を人差し指でさす。
するとアーリンは首肯し、
「きっと違うことを願うと思うのだが……君は巷で有名な、『陰陽の大魔道士』では無いだろうか」
「『陰陽の大魔道士』?」
「何そのダサい二つ名」
「えーかっこいいじゃん。俺これ名乗ろかな」
「──すまない。質問に応えてくれ。君は、『陰陽の大魔道士』では無いんだね」
「ああ、そもそも名前を聞いたのも初めてだ」
ルナとハイドラの小さな漫才を挟んだものの、アーリンの念押しにより、ハイドラは質問に応えることとなった。
とはいえ、『陰陽の大魔道士』なんてものは聞いたこともない。
自分がそうだ、なんて尚更言えない。
「そうか。なら、良かったよ。君と容姿が随分似ていてね」
「容姿が、似てる?」
「ああ、半分黒髪に半分白髪。深淵のような深い黒の瞳を持つ、少年──まさに、君のようじゃないか」
そう言って、アーリンはハイドラの姿を指し示す。
しかしそれには大きな誤解がある。そもそも、
「いや、俺、黒白半分半分の髪色なんてしてねえよ」
静かに笑い、ハイドラはアーリンの早とちりを小さく攻める。
そんな訳あるかと、声高に言っても良かったが、それは彼のプライドが傷つくかもしれない。
と、
「いや、君は今の自分の容姿が分かってないのかい?」
「へ?」
「試しに鏡を──ちょうどいい。あの氷結魔法とやらで鏡を作ってみたまえよ」
そう言って、アーリンはハイドラの前を退く。
そこに作れという訳か。
納得して、詠唱。
ハイドラはその場に薄い氷をイメージする。
光の角度は後付だ。
とりあえずで作り出す。
「ほら、見てご覧よ」
完成した鏡に手で指し示し、アーリンはハイドラを誘導する。
そこで見た、自分の姿は──、
「ええ、マジかよ」
短足な癖に長手の若干筋肉質な十六歳の少年。
その瞳は珍しい黒。
短く切りそろえられた髪は、同じく珍しい黒。
しかし今はそれが、雪によって半分白髪のように見える。
「そういう、訳さ」
そう言って、アーリンはドヤ顔で頷く。
ちょっと苛立ちが湧き上がったが、そこは我慢。
ハイドラは何とか耐えきると、
「わかった。まあ、容姿が似てるってことは俺なのかもしんねえ。黒髪なんて、そもそも珍しいしな」
「ああ、とはいえ、君がその『陰陽の大魔道士』とは思えないよ。あんな大罪を犯すような者に、見えないしね」
サラリと、その『陰陽の大魔道士』は犯罪者ですよ発言。
それに軽く動揺するも、何とか堪える。
これは持ち帰って考える必要がありそうだ。
何しろ、黒髪黒瞳なんて、この世界に存在していい色では無いのだから。
「では、二人ともサープリテン大魔法学院の受験生だね。──検討を祈るよ」
そう言って、アーリンは手を振り、避難所を出ていく。
──その後ろ姿を、ルナがずっと警戒の目で見ていることに、ハイドラが気づくことはなかった。