第一章 第一話 『英雄への第一歩⑩』
──《大氷結》の限界数を計算しながら、ハイドラは校庭の端に体を動かす。
後使える《大氷結》の回数は二回。
しかしその内一回は、身体活動のために残しておかなくてはならない。
だから今のところ、小さな《氷結》でアルトを足止めしているのだが、それではなんの意味もない。
相手は土に隠れて行動する。
だから土を凍らせてしまえば──と考えたのだが、それが裏目に出た。
「はは! 止まったら当たっちゃうよ!」
「──っ!」
氷を割り、地面に飛び出したアルトから、ハイドラは間一髪で避ける。
あれに当たれば確実に病院送りなことは理解していた。
ハイドラの作り出した氷の板。
しかしそれは、ハイドラ自身の行動を阻害している。
アルトと言えば、地面を泳ぐ──この表現であっているか知らないが──為、なんの影響も受けていない。
《大氷結》が完全に裏目に出ている。
この現状を変えるには、どうすればいいか。
それを走りながら考える。
まず、そもそもの問題は、アルトが何故今無傷なのかだ。
あの時、《大氷結》を炸裂したあの瞬間、ハイドラは確かにアルトを見た。
頭のてっぺんから足の先まで、全てを見たのだ。
その時の無表情さが、あまりにも不自然だったから、おそらくそれが何かしらのカラクリなのだろう。
──まさか、自分自身に模した土人形を作ったのか?
ふと、思いついたその考え。
それを整理しながらも、ハイドラは細やかに《氷結》を放つ。
白の狂喜が飛び交う中、アルトはそれを避けようともせず、向かい入れる。
そうして、また無傷でこちらに向かってくる。
やはり土で自分の身代わりを作っている説は有効かもしれない。
ちょっとの攻撃ならば、顔面に土を展開すれば済む話。
今、アルトは土と一体化しているのだ。
それくらいならば、出来るのではないか。
証拠が、ハイドラの咄嗟の論を固めていく。
それに確証を抱きながら、ハイドラはタイミングと場所を計算する。
現在位置は、校庭の東。
色々なモニュメントが飾られているから、おそらく魔法工科学の施設だろう。
もしかしたら、魔法芸術部門かもしれない。
どちらにしろ、ここは障害物が多すぎる。
もっと平面的な、それでいて狭い路地は無いだろうか。
校庭内を走り回りながら、ハイドラは辺りを見渡す。
その間も、アルトからの攻撃は健在だ。
飛び交うそれに、《氷結》を撃ち放ち、応戦している。
と、
「あ、あっこいいんじゃねえか」
目を付けたのは、ここから少し遠い渡り廊下。
このモニュメントが飾られている建物と、大時計が掛けられている建物とを渡すものだ。
そこはちょうど、平面的で、狭い。
絶好の場所だと、舌舐めずりの後に、ハイドラは駆ける。
「──さあこいよ、アルト!」
「僕を呼び捨てにするだなんて、傲慢な奴だな!」
「それをお前にだけは言われたくないよ!」
敢えて挑発。余裕の笑みを繕い、ハイドラは飛び出すように渡り廊下に向かう。
すると案の定、アルトも付いてきた。
砂埃で表情は見えないが、相当不機嫌なのは雰囲気で悟った。
到着と同時に、ハイドラは急ブレーキをかける。
砂埃を極端なほど撒き散らし、急停止。
有り余った力を利用して、振り返った。
ここはちょうど、狭い渡り廊下の中。
まず逃げ場を無くさなくては、と、ハイドラは詠唱。
途端、渡り廊下の吹き抜けた部分に氷の壁が出現する。
アルトがしまった、という顔をしているのが見えた。
それにほくそ笑み、ハイドラは次の詠唱の準備をする。
今度は外さない。
土人形、というのが正しいのならば、この仮説は正しいはずだ。
ハイドラはそう信じ、右手をアルトに向ける。
そして詠唱──、
「──なっ!」
を途中棄権し、アルトに飛び込んだ。
驚いた表情に驚きの声。
それを耳で認識しながら、ハイドラはアルトに飛び付く。
途端、アルトが砕け散った。
「──何でだ?!」
予想外のそれに、驚きの声を隠せない。
ハイドラはそのまま、アルトだったはずの砂葛の上に倒れ込む。
咳き込み、何とか体勢を立て直す。
この状況で攻撃されれば終わる。
そう判断し、辺りを見渡すも、異変は何も無い。
やはり向こう側にも疲労があるのだろう。
しかしだ。
「──土人形になってたから、無表情だった、って訳じゃねえのかよ」
ハイドラの予想はこうだ。
一番初め、《大氷結》を行使した際のアルトは、驚くことも無く、無表情にそれを受け入れていた。
常人なら、そこで臆するのが普通。
手慣れているものなら尚更、何かしらの防御行動を取るだろう。
そんな行動の一切を取らないそれを、ハイドラは土人形と判断した。
所謂、身代わりの術。
突然、アルトが現れたのも、それの原理だ、と考えていた。
しかし今の──「しまった」という表情をしていたのは、確かにアルトのはずだ。
それがどうして砕け散る?
まさか、あの一瞬で変化したのか?
いや、それの可能性は低い。
あいつの魔法は未熟。
それ故に何かしらの準備動作を必要とするはず。
「となると何だ? 一体どんなカラクリがあるってんだよ!」
地団駄を踏んで、頭をかく。
頭に血が上っているせいか、正常な判断は出来そうにない。
そこまでは理解でき、ハイドラは一度動きを止める。
落ち着くまで深呼吸して、頭の動きを止める。
──しばらくしてから、ハイドラはハテと思い出す。
「──こんなに広々使ってるけど、大丈夫なのか?」
思えば、あの審判。試験会場を指定しなかった。
頭に血が上っていたからか、露ほども気付かなかったが、審判はちゃんとこちらを見ているのだろうか。
やはり、そういう魔法があるのだろうか。
「まあ、そういうことにしとこう。今はあの野郎のカラクリを解くことに専念だ」
やはり、魔獣と戦う時とは違う恐ろしさがあるのが、対人戦だ。
カラクリ、なんてものを解き明かそうと頭を悩ますのが、何ともそれらしい。
なんだか少し楽しみ出している自分を自覚しながら、ハイドラは頭を悩ます。
──土人形、という説が当たっていたのは確かだ。
しかしそれの入れ替えのタイミングが一体いつなのか。
また、どうやって土人形を操作しているのか。
それが問題点だ。
「くそ、もう一回当たりに行かねえとわからねえか」
それらの問題を解くには、今の情報はあまりにも不足している。
氷の壁で囲われたこの狭い渡り廊下に居ても、何の意味もない。
向こうから何もないなら、こちらから仕掛けるしかない。
その判断の元、ハイドラは飛び出す。
すると、目の前にはあの審判が立っており──、
「──ハイドラ・ガストリオさん。試験範囲内から出ています。次、同じことがあれば強制失格とさせていただきます」
そう言って、お辞儀。
綺麗な作法だな、と思った数瞬後には、審判はそこからいなくなっていた。
まるで泡のように消えるそれは、所謂魔法。
擬態、というタイプの魔法だ。
自分の写し鏡を表し、情報を伝える。
戦場では、重宝される魔法だ、とマストが言っていたのを思い出す。
確か、擬態には、自分の代わり身を用意する必要があるという。
ふと近づくと、審判の居た場所には、小さな石ころが落ちている。
恐らく、これが代わり身なのだろう。
「多分、マストの野郎もこの原理で──ちょっと待てよ。なら!」
思い当たった一つの説。
限りなく答えに近いはずだ。
それを噛み締めながら、ハイドラは試験の開始場所に向かう。
──そこには、苦味を潰したような表情のアルトが口を拭っていた。
──
「──嘘だろ。意味わかんねえ……」
吹き飛ばされる自分を意識しながら、ハイドラはそんな言葉を呟く。
途端、体に衝撃。
砂に受け止められたのを認識して、ハイドラは体を起こす。
痛みはあまり感じない。何故だろうか。
「てめえ、マジで、冗談だろ……」
「ハハハハ! これが僕と貴様の差だよ! 愚郎めが!」
埃っぽい砂を口から吐き出し、ハイドラは何とか体勢を立て直す。
目の前で豪快に笑うアルトの姿があまりにも鬱陶しい。
──ハイドラはあれから、徐々に惨敗へと近付いていた。
「マジでなんなんだ……? どんなカラクリがある……?」
「ハハハハ! どれだけ見破ろうとしたって無駄さ! 僕は正攻法でしか戦わない! セコイ手は愚郎達に分け与えてるのさ!」
思い当たった一つの説。
それの検証のために、二度目の《大氷結》を使ってしまった。
それへの後悔は止まらないが、今それを言っても仕方がない。
たった一つの説──代わり身を奪いさえすれば、勝てるのではないか──は、惨敗に終わっている。
そもそも、このマストの魔法は擬態ではなかった。
では何か、と言われても全く思い当たる節がないが、その可能性だけは絶対に排除された。
「──絶対見破ってぶん殴ってやる!」
一度も触れられず、今となっては近づくことすら出来ないそのカラクリ。
それへの考察を巡らせながら、ハイドラはマストに掴みかかる。
魔法はもうあとほんの数発放てば、終わる。
終われば絶対に勝てないのはわかっているから、何とか消費を減らす。
──極力、動け。極力、魔力を使うな。
頭でそう、何度も念じ、ハイドラは心をこらえる。
英雄への憧れが今、この動きの全てを支えている。
砂粒を拾っては、投げ、それで逸れた注意を掻い潜ってアルトの腹に飛び込む──しかし当たらない。
触れる寸前に、土人形と化す。
触れれば、後は崩れ落ちるだけだ。
その光景を何度も見ながら、ハイドラの頭は回り続ける。
何も馬鹿の一つ覚えのように突っ込んでいる訳では無い。
角度を変え、タイミングを微妙にずらし、解明の為に一歩一歩を踏みしめている。
それがアルトにもわかるのだろう。嫌そうな顔の裏にはきっと、ハイドラへの気付きがある。
それでいい。気づかれたって構うものか。こちらは長く長く戦い続ける。
持久戦になれば、必ず魔力は尽きる。
完全に魔法を使っていないハイドラと、突進される度に魔法を行使しているアルトでは、消費量は雲泥の差。
これでアルトの魔力が無尽蔵だったりすれば、一環の終わりだが、どうやらそういう訳では無いらしい。
「はあ、はあ……そろそろ、諦めたらどうだい? ……はあ」
荒い息に充血した目は、魔力切れの証だ。
それを隠すことも無く、さらけ出す素直さに好感を覚えながら、ハイドラは不敵に笑う。
「うるせえ、お前が正攻法でしか来ないなら、こっちは邪道で責めさせて貰うだけだわ! さっさと魔力切れで降参しやがれ!」
「そういう君ももう魔力切れ何だろ? ……はあ、こんな戦い方、魔法使いじゃないだろ……」
「うるせえ、俺はそもそも魔法使いになりたくてこの学園来てる訳じゃねえんだよ」
「──じゃぁ、何だ。何で君はここまで抗う?! 魔法使いになりたい訳じゃないんだろ?!」
突然、まるで糸が切れたかのように感情を爆発させるアルト。
どの発言が不味かったか、と考えながら、しかしハイドラはこの機会に歓喜していた。
息を切らし、真っ赤な瞳でこちらを見つめるアルト。
その必死な表情と、今の会話の裏を理解しながら、ハイドラは不敵に笑う。
「そんなの決まってるだろ? ──英雄になる為だよ」
そう言ったら、アルトが苦々しく下唇を噛んだ。
その必死な表情に、一瞬恐怖を感じるも、ハイドラは心で堪えた。
「そんな時代錯誤な大馬鹿野郎が、いてたまるか──!」
ガラガラに枯れた声で、アルトは叫ぶ。
その言葉には、英雄を乏しめるような──違う、英雄への明確な嫌悪感が含まれていた。
しかしそハイドラが激昂する訳にもいかない。
そもそも、そんな気力はない。
だから、
「──《氷結》」
小さく呟き、アルトの両手を凍らせる。
その、砂粒で塗れた両手を。
「──なっ!」
「カラクリ、ここに見破ったり!」
そう叫び、ハイドラは突進。
ハイドラの読みが正しければ、この状態ならば、攻撃が当たる。
とはいえ、既に二度も考察が外れている。
もうこれが最後の賭けだ。
相応の覚悟と、相応の力を持って、ハイドラはアルトの懐に飛び込む。
「──ぐふ!」
確かな衝撃と、確かな呻き声を聞き、ハイドラはそのまま倒れ込む。
アルトの身体の感触が消え、完全に吹き飛ばしたことを実感。
そのまま、ハイドラは倒れ込む──自分を抑え込み、左手をアルトに向ける。
あくまでこれは魔法試験。最後は魔法で締めなくては。
「──言い残すことは?」
「てめえうざけんじゃ──っ!」
口に《氷結》を差し込み、喋ることだけを封じる。
鼻は開いているから、呼吸はできるはずだ。
ハイドラはほくそ笑みながら、地面に腰を下ろす。
──アルトの魔法が一体何なのか、実はその詳細まではよく分かっていない。
しかし発動条件が、手に砂粒を擦り付けること、ということだけはわかる。
一番初め、手に砂粒を擦りつけていたのは、摩擦を減らす為ではなく、この魔法を発動する為だったのだ。
何故それに気付かなかったのか、自分でも不思議だし、そもそもこれを解明した所で、アルトの魔法の全容までは理解し得ない。
だから後で教えておらおうと、アルトを見つめる。
既にもがくのを辞め、諦観の体勢を取っている。
と、
「──模擬戦闘試験、終了です。勝者は、ハイドラ・ガストリオ。お疲れ様でした。早急なご退場を願います」
突然現れた審判が淡々とそう告げ、ハイドラを見る。目が、アルトの魔法を解除するよう命令していた。
「はいはい……ほい」
少し間の抜けた声を出して、ハイドラは氷に解除を要求する。
一瞬の抵抗感はあったものの、最後は溶けて消えていく。
そうしたら、不機嫌な顔のアルトだけがそこに残っていた。
「お疲れ。いい試合だったよ」
そう言って、伸ばしたハイドラの手を、アルトは振り払う。
言葉などない、とばかりに、起き上がった。
「ちっ!」
舌打ちだけをついて、アルトはその場を後にする。
心臓のもやもやを抱えたハイドラが、ただ一人そこに残されていた。