2-1 金色の竜の巣
竜翔機はあっと言う間に村から離れて雲の上まで上昇すると北へと進路を取る。
「空の上って意外と何も無くてつまらないんだな」
初めての飛行船という事もあり、アルシュは空を飛び、雲の上に出てすぐの頃は大人げなく、はしゃいでしまったが、鳥すらも飛んでいない雲海しか広がっていない光景が1時間以上も続くと流石に飽きてしまった。
「目的地まではもうすぐですから」
「で、目的地ってのはどこなんだ?」
「竜牙山脈です」
「え?ちょっ、まっ…えええっ!?」
アルシュの驚きは最もである。
この大陸は南西から北東に掛けて、竜が横たわったような細長い形をしている。
アルシュの生まれ故郷の村は大陸中央よりやや南西の穀倉地帯の一角にあり、今向かっている竜牙山脈は大陸最北端にある。
まるで竜の下顎に生えた牙のように細く切り立った岩山が続く事からその名が付けられたが、その特殊な地形と極寒の地である事、そして大した鉱物も得られない事から、そこは誰も近寄らない未開拓地となっていた。
そんな所に向かうという事も驚きだったが、アルシュが驚いたのは時間の方だった。
この時代の交通手段には車や列車が存在する。
車は高価なくせに速度は馬車並みで長距離を走れない為、貴族の見栄の為の嗜好品であったり娯楽的な要素が強い。
その為、交通手段で最も移動速度が速いのは速駆けの馬より少し速い程度の列車という事になる。
地面に設置されたレールの上を走る為、望んだ場所に直接行けるという訳ではなく、こちらも搭乗チケットはそれなりに高額だ。だが、近年では馬車で数日かけて、途中の宿場町で宿を取るよりはトータルの料金は安く上がるようになってきたし、時間短縮にもなるので、目的地が駅から遠くない場合には列車を利用するという者が増えてきている。
そんな列車でも大陸中央部から竜牙山脈に一番近い駅街まで1週間の道程であり、そこから馬車で北上し徒歩で山を登って、更に1週間近くは掛けないと最北端まで辿り着けない。
いくら空の上で障害物となるものが無いとはいえ、数時間ちょっとで到着するというのは、一般的な人間から見たら異様な事なのだ。
「ま、まぁ…ドラグーンや竜翔機なんてものを造る程に高い技術力があれば、そんなものなのか…な?」
目の前に居るソウランも見た目は人間そのものだし感情もあるのだが“機人”と呼ばれる機械で出来た人形だということだし、それだけの技術力があれば可能なのだろうとアルシュは無理矢理納得する。というより実際に到着すると言うのだから納得するしかない。
「んで、そんな辺鄙な所にマザーってのは居るのか?」
無理矢理納得させたおかげか、頭が冷静になったアルシュが尋ねる。
「正確にはマザーと、私やメイちゃんが所属する対ディアボルス組織がそこにあります」
「アルシュ様、ソウラン様。見えて来ましたよ」
竜翔機を操縦しながら、2人の会話を聞いていたメイが正面に見える竜のような形をした船を指差す。
「あそこにマザーが?」
雲の上を飛んでいたはずの竜翔機はいつの間にか高度を下げ、眼下には切り立った山々が連なる竜牙山脈が見える。
その山脈の中でも最も高く氷柱が地面から突き立ったような形をした鋭い山の頂点の上に刺さっているかのようにそれはあった。
最初は小さくしか見えなかったそれは見る見るうちにその大きさを増していく。
竜翔機を何十倍にも大きくしたような帝国の所持する飛行船の数倍はあるであろう巨大な竜型の飛行船が間近に迫る。
「これが巨竜翔艦。対ディアボルス組織“ドラゴンズネスト”の本部であり、マザーの住まう船です」
その威容と迫力に、アルシュはただただ呆然と見詰める事しか出来なかったのであった。
* * * * * * * * * * *
巨竜翔艦に到着したアルシュはソウランの後ろに付いて、船内の通路を歩いていた。
歩きながら周囲を観察するが、金属質の全く同じに見える変わり映えのしない通路が続くばかりで、4回程十字路を曲がった所で彼の脳内マップは焼き切れた。
自分にはマッパ―は務まらないななどと考えながら歩いていると、正面の壁に寄り掛かりながらアルシュを睨んでいる人物に気付く。なぜ睨まれているのが自分だと気付いたのかというと、偶然バッチリと目が合ってしまったからだ。
細身の淡い青色のスラックスに真っ白なブラウスに身を包んだ、ショートボブの20代半ば程の女性。それなりに整った顔立ちで笑えばきっと美人なのだろうが、眉根を顰めて目を鋭くさせて睨んでいるので、怖そうな印象しか与えていない。
怪我でもしたのだろうか左腕や頭には包帯が巻かれているのが見え、寄り掛かっている壁には松葉杖が立て掛けてある。
「レンナさん!良かった、無事だったんですね」
ソウランが安堵の表情を浮かべながらレンナに声を掛ける。
「ディアボルスに襲われた後、意識不明だってメイちゃんから聞かされた時は心配で心配で堪らなかったんですよ。でも本当に無事で良かった……」
「ああ、お前がディアボルスを引き付けてくれたおかげだ。あの場に居た他の奴らも私程の怪我を負った者はいない。
ややトーンを落としたような低く優しさの感じられる声でレンナは答えた後、再び鋭い視線をアルシュへと向ける。
「………で、そいつがお前が選んだというマスターか」
「あ、はい、そうです!こちらは私のマスターのアルシュさんです!」
レンナとは対照的に嬉しそうな表情を浮かべて、自身のマスターを紹介するソウラン。
「アルシュさん、こちらの女性はレンナさんです。本来であれば私のマスターになる予定だった方です。見ての通り、ディアボルスに襲われて、怪我を負ってしまいましたので、契約する事が出来なかった訳ですが」
その説明でアルシュは何故睨まれ続けているのかその理由を理解する。
「よろしく、アルシュだ。ドランノーグ帝国で兵士をしている。それで…ここで俺の事を殺すかい?今なら丸腰だぜ?」
敵意剥き出しで睨まれたお返しとばかりに、アルシュはレンナを挑発する。
ドラグーンと契約出来るマスターは1機につき同時に1人だけ。
任意に契約を解除する事は出来ず、唯一解除する方法はマスターが命を失う時だけだ。安全装置としてパートナーである機人――アルシュの場合はソウラン――によるマスターの強制殺害という手段があるにはあるが、余程の事が無い限り実行される事は無い。
そしてマスターになるとドラグーンの性能に身体が耐えられるようにある程度身体強化がされ、今のアルシュは腕力も脚力も、そして体力や治癒力なども以前より格段に上昇している。だが不死という訳ではないので、他者の手で殺める事は可能だった。
もし今、ここでレンナがアルシュを殺害して契約を解除させれば、元々のマスター候補であった彼女が再契約する事も可能だろう。
「いや、ソウラン自らが決めたマスターだ。私はその意思を尊重するさ。それにお前を殺めたりしたら、彼女の方が私との契約を拒むだろうしな」
レンナは一応、頭では納得しているようだ。しかし感情は抑えきれていない様子だった。言葉とは裏腹に嫉妬の篭った殺気にも似た敵意剥き出しの視線を未だにアルシュに向けている。
「そうしてくれるとありがたいな。俺もまだ死にたくないんでね」
アルシュが答えると、フンと鼻を鳴らして、レンナは寄り掛かっていた壁から身体を離して背を向ける。そして松葉杖をつく怪我人とは思えない力強さでその場から去っていった。
その背中が通路の向こうに消えてから、アルシュは大きく息を吐く。
「…ふぅ。おっかねぇ姉さんだったなぁ」
「普段は優しい人なのですけれど、今回ばかりは……レンナさんは幼い頃からマスターになる為に、ずっとここで育てられていましたから、色々と思う所があるのでしょう」
マスターになるだけならば簡単だ。機人に見初められて契約すれば良いだけなのだから。
だがディアボルスと戦うのに素人では一生を戦いに捧げるという覚悟が足りないだろうし、荷も重い。それに操縦者の動きと連動して動くドラグーンの操縦方法では、戦闘訓練を行っていた者や格闘技や剣術等を修得した者の方が、より上手く操って戦う事が出来る。
そういった理由から、ドラゴンズネストでは孤児を引き取ったり、素養のあるものをスカウトしたりして、幼い頃からマスター候補生として様々な訓練を積ませているのだった。
とはいえドラグーンのマスターになれるのは、世界に5人だけ。砂漠の中で目当ての砂を一粒探し出すくらいの狭き門だと言えるだろう。
当然、マスターになれない者の方が大半なので、戦闘訓練以外にもきちんと一般教養や読み書きや算術といった勉強を学ばせているし、本人が望めば雇用先も斡旋していたりする。
そしてそういった者達は、自分より優秀な者がマスターに選ばれる事で、自分がマスターになれなかった事を納得する事が出来る。
しかし今回は違う。
マスターとなる訓練も受けていない、実力も定かではない人物がマスターとなってしまったのだ。
「そりゃ、恨まれるのも当然か……本来なら彼女が居るはずだった場所を俺が横から掻っ攫ったようなもんだからなぁ」
「そんな事はありませんよ!成り行き上ではありましたけど、私はアルシュさんがマイマスターに相応しいと思ったから契約したんです!きっとレンナさんも分かってくれますよ」
そのソウランの言葉に嘘偽りは無い。
アルシュは初めての戦いでありながら不利な相性のディアボルスを圧倒したのだから。その上、最愛の相手を手に掛けた悲しみに打ち克った強い覚悟も持っている。
そんな彼がドラグーンのマスターに相応しいとソウランは確信を持って言える。
そんな彼女の絶対の信頼に嬉しくなりながら、アルシュは改めて決意を固める。
「そうだよな。彼女のようにここで訓練をしていた人達には悪いけど、ソウランが選んでくれたのは俺だ。だからこそ彼女達を失望させないように努力するよ」
「はい!アルシュさん!共に頑張りましょう」
ソウランの言葉にアルシュは頷く。
「さぁ、マザーがお待ちかねですよ。早く向かいましょう」
人間としか思えない柔らかさと温もりのあるソウランの手に引っ張られて、少し照れながら、アルシュはマザーが居るという部屋へ向かった。
程無くして、ドラグーンが通っても余裕がありそうな巨大な門扉の前に辿り着く。
「ここは竜皇室。マザーの居室です」
ソウランが説明すると、それを待っていたかのように、門扉がゆっくりと勝手に左右へと開いていく。
竜皇室なんていう厳かな名前だったので、謁見の間のような豪華な絨毯が敷き詰められ、玉座でもあるのかと想像していたアルシュだったが、部屋の中を目にして面食らってしまう。
「…部屋を間違えてたりしない……よな?」
部屋の中には見渡す限り何も無かった。
幅も奥行きも50mくらいある空間だけがそこにあった。
いや、部屋の中央に堕円形の石のようなものが置かれた小さな台座がある事に気付くが、それ以外は本当に何も無いし、マザーらしき影も見当たらない。
「ええ、間違ってはいませんよ。さぁ、行きましょう。付いてきて下さい」
ソウランの後ろに続いて部屋の中に入り、そしてこの部屋で唯一存在する台座の前までやってくる。
そして堕円形の石の前で彼女は頭を下げる。
「ただ今戻りました、お母様」
その声に反応したのか、堕円形の石がいきなり光出し、明滅を繰り返す。一際輝いた次の瞬間、石の上に人影が現れる。
「無事で何よりね、ソウラン」
その声は目の前の人影から発せられたとアルシュの頭では理解出来るのに、まるで何処からともなく聞こえたような感じであり、直接頭の中で聞こえたようでもありる。穏やかな口調なのに威厳が篭っており、畏怖を感じると同時に同じくらい慈愛に満ちている事も感じる。
とても不思議な感じだった。
「あなたがソウランのマスターとなったというアルシュね。頭を上げて顔を見せてちょうだい?そのままでは話も出来ないから」
そう言われてアルシュは初めて、自分がいつの間にか、現れた人影に向けて片膝を着いて頭を深く垂れている事に気が付く。
そうしなければいけない相手だと身体が、本能が、魂が、勝手に肉体を動かしたのだ。
今、目の前に居る相手がマザーだと理解し、そして恐る恐るという感じでアルシュはゆっくりと顔を上げる。
「初めまして、アルシュ。私はマザードラゴン。マザーと呼んでね」
そこに居たのはあどけなさを残す、神秘的な雰囲気の、美しいというより可憐という表現が似合う幼女だった。
白地に金糸で彩られた着物を羽織り、腰まである緩くウェーブのかかった金色の長い髪は輝きを放っている。耳の上辺りからは枝のような小さな角が伸び、背中側には着物の裾から爬虫類を思わせる尻尾が見え隠れしている。
その姿はどこかドラグーンに似ている。否、ドラグーンが彼女の姿に似せて造られているのだ。
「此度は色々と大変だったご様子。大した持て成しは出来ないけど、ゆっくりしていって」
「はっ、ありがとうございます。ご厚意に甘え、本日はこちらでゆっくりさせて頂きます。ですが自分はドランノーグ帝国の軍籍に身を置いております。明日には出立し、帝都に戻らなければなりません」
アルシュは深々と頭を下げ謝罪する。
元々休暇で帰郷していただけであるし、そこまで長期の休暇を申請した訳ではない。竜翔機で送って貰えれば、移動時間は短縮され、ギリギリまで滞在は出来るだろうが、それでもそこまでゆっくりは出来ない。
「それなら心配は不要よ。既にあなたの所属はこのドラゴンズネストへ移してあるから」
アルシュがどういう事かと疑問を口にするより先にソウランが補足する。
「ドラゴンズネストはその性質上、世界各国で活動する必要があります。その為、越境に支障が出ないように各国上層部にはドラゴンズネストの存在は知らされているのです」
国境で足止めされたり、無断入国の罪で捕らわれたりしないようにという配慮だ。
「既にドランノーグ皇帝と話はついているわ」
それ以外でもドラゴンズネストは各国で見つけた優秀な人材のスカウトを行う権利なども有しており、今回はそれを行使した事となる。
国側としてもディアボルスに対抗する手段が無い現状でドラゴンズネストの要請を断れば、今後救援を頼めなくなるので、要職についているなどの余程の事が無い限り断れない。
特に今回は一兵卒でしかないアルシュなので、帝国もすぐに了承した事だろう。
「という訳であなたはもうドラゴンズネストの一員。よろしく頼むわね」
こうしてアルシュは本人の与り知らぬ所でドラゴンズネストに加入する事となったのだった。
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