1-3 絶望の炎 ~真紅の憎しみと嫉妬
「おお~い!誰か無事な奴はいないか~!」
変わり果てた故郷の姿に胸を痛ませながら、アルシュは生き延びた人がいないか、声を張り上げて探し続ける。
つい数時間前まで6年経っても変わっていないなと思っていた景色は、たった一瞬で死の充満する世界へと変わっていた。
まるで戦地のようだった。
彼は帝国軍人であるが、実際の戦場で戦った経験は無い。
ドランノーグ帝国と周辺各国は今現在、和平を結んでいるからだ。だが帝国内が平和であろうと、世界には戦争や紛争は起こっている。
なので兵錬学校時代に災害支援と言う名目で、紛争地域に食糧援助に赴いた事があった。
あの時の光景にそっくりだった。
食糧支援を行った村が翌日には戦場の中心となり、兵士もそうでない者も同じように屍となり、建物は無残に崩れ落ちていた。
一夜にしてただの廃墟となり果て、昨日までそこで人が暮らしていたという痕跡すら残らない。
紛争地域ではそんな事は日常茶飯事だと部隊長に言われたが、アルシュはそれを納得出来る程、達観していなかったので、とても悔しい思いをした。
配給した食べ物を貰って笑顔を向けて来た少年が、支援に来た事に感謝して涙を流していた老人が、その顔に恐怖と絶望を張り付けて、見るも無残な姿になって地面に横たわる姿は今でも脳裏に焼き付いている。
あの日を境に彼は人々を守る強さを手に入れたいと願うようになり、より一層、騎士になる事を目指すようになった。
なぜなら帝国では騎士になれば圧倒的な力を持つ“Custos Eques Miles”――通称ミーレスと呼ばれる機巧鎧を皇帝から授かる事が出来るのだ。
全高5mを越えるその巨大な鎧は一騎当千の力を持っていて、兵士50人を軽くあしらう膂力と馬より速く駆ける機動力を発揮する代物だった。
特殊な製法と莫大な生産費と維持費が必要である為、帝国内でも20機程しか存在せず、騎士になるのは狭き門だった。
未だ騎士になる事は出来ていないが、それでもあの悲劇を繰り返さないという思いで、軍人になり、今も誰よりも強くなろうと必死になっている。
「くそっ……今の俺じゃ目の前にいる人達すらも救えないのかよ……」
けれどいくら努力をしても抗えないものはある。
例えミーレスに乗った騎士であろうと空から降り注ぐ炎を完全に防ぐ事は出来なかっただろうが、彼にとってはそういう問題では無かった。
リリィとの逢瀬に舞い上がり、異常をいち早く気付けなかった事。気を失ってしまい、全てを燃やし尽くすまで何も出来なかった事。
それらがあの紛争地域の村と同じような状況と重なり、己の無力さを痛感し、再び同じような悔しさを噛み締めていたのだ。
「くそっ、せめて誰でも良い。誰でも良いから生きていてくれっ!!」
大雨により村を覆っていた火の手は鎮火しつつある。そしてまるで火の勢いが衰えるのを待っていたかのように、大降りだった雨も徐々にその勢いを弱めていく。
その中をアルシュは一縷の希望に縋りながら駆け回る。
どこを見ても黒。クロ。くろ。世界から他の色が失われているかのような錯覚さえ覚える。
ここまで村の中を探し回ったが、人の生きている気配は全く感じられない。元々、この村には50人足らずしか生活していなかったし、建物も密集しているので、ここまで探して生存者が見つからないという事は、そういう事なのだろうとアルシュは結論付け、諦めかける。
「ここは……」
最後に向かった先にあった町長の家は、他のと違ってなんとか崩れずに形だけは保っていた。だが黒く焼け焦げ、天井は完全に落ちている為、この家の住人は完全に瓦礫の下になっている事だろう。
「…ごめん。おじさん、おばさん。後で必ず掘り出してあげるから……」
育ての親である2人がこの瓦礫の下に居るであろう事に涙を流したい衝動を堪え、涙が流れ落ちるのを抑えるように空を仰いで小さく黙祷する。
1人の人間としてならここで泣き明かしてもいいだろう。だが今、彼がしなければならない事は悲しみに暮れる事では無い。
軍人として生き残った人を探す事。そしてそ人達の安全を確保する事だ。
集落の殆どを周って声を掛けて来たが、返事を返すものは居なかった。
もう生き残っている者は居ないだろうと思い、この災害の唯一の生き残りである蒼髪の美女がいる農具小屋へ引き返そうとした時、背後に人の気配を感じる。
「……アっくん…………」
掛けられた声に、押し留めていた涙が思わず零れ落ちる。
「…良かった…リリィ!君は無事だったんだな!」
振り返ったアルシュは感極まってリリィの身体を抱き締める。お互いに雨のせいでずぶ濡れで身体は冷え切っていたが、その奥にある温もりを感じ、生きていてくれた事を感謝する。
「って、わ、悪い!いきなりゴメン。でも本当に無事で良かった」
自分の行動に気恥ずかしさを感じたアルシュはすぐに離れ、彼女に見つからないように目元を拭う。
普段の彼女だったら、大好きな人にいきなり抱き締められたら、うろたえたり、取り乱したりしただろうが、リリィは俯いたまま、小さく首を振るだけ。
その様子に、この惨状を目にして相当に参っているのだろうと理解したアルシュは、彼女をなんとか元気付けるようにその手を優しく包み込むように握る。
「村外れに焼け残った小屋を見つけたんだ。そこにこの村の人じゃないみたいだけど、生き残った人がいたからまずは合流しよう。明るくなったらもう一度生存者がいないか手分けして探そう。亡くなった人達の弔いはそれからだな。あっ、まずはこの雨で濡れて冷えてしまった身体をどうにかしような。このままだと風邪を引いちまうしな」
そう捲し立てながら、アルシュはリリィの手を引いて、もう1人の生存者である美女の居る農具小屋に向かうのだった。
* * * * * * * * * * *
小雨の降る中、アルシュはリリィを伴って農具小屋へと戻って来た。
そして中で待っていた蒼髪の美女にリリィの事を任せ、アルシュは小屋の外へ出る。
少々汚いが、この小屋の中には農具を手入れする為のタオルが置かれてあったので、それでずぶ濡れのリリィを拭いて貰う事にしたのだ。
生まれ育った村が一瞬にして消し炭になり、大事な友人や家族を失ったショックで、リリィは呆然自失となり、自発的な行動が上手く出来ずにいたからだ。
濡れた衣服はもちろん下着も脱がせなければならないので、流石に男であるアルシュがそれをやる訳にもいかない。
女体の神秘に興味が無い訳ではない年頃だが、今の現状では不謹慎だし、半ば心此処に在らず状態のリリィに対してそんな事をする気分にもなれなかった。
「だけど寒い時期じゃなくて助かったな」
今は春も半ばを過ぎた頃。
朝晩はまだ少々冷え込むが、それでも少し肌寒いという程度。もしこれが冬だったなら、こんな暖の無い小屋で一晩を過ごそうものなら朝には全員凍死していただろう。
アルシュは濡れた服を脱いで力強く絞ると、器用に軒下に下げる。流石に簡単には乾かないだろうが、濡れたまま着ているよりはマシだった。
流石に下着までは脱がない。
他に生存者もいそうにはなかったし、夜なので人目を気にする必要は無かったが、屋外という事もあって全裸になるのは躊躇われた。
それに板一枚を隔てた小屋の中には年頃の女性が2人も居るのだ。彼女達が突然、外に出てくるとも限らない。その時に全裸だったら言い訳のしようも無い。
「まぁ、パンいちでもどうかとは自分でも思うけどさ……」
それでも大事な部分は隠しているだけマシと自分に納得させる。
そしてこれからの事に頭を巡らせる。
一先ず夜が明けたなら、先程リリィにも言っていたように、もう1度生存者の確認だ。
もしかすると先程回った時には意識を失っていて返事が出来なかった者がいるかもしれないからだ。
そしてそれが終わったなら村の人達の弔いをする事。
燃え尽きて灰になり、この雨で流されてしまった遺体もあって正直に言えば誰が誰だか分からない状態ではあるが、せめて灰の一部でも墓に埋めてやりたいと思うのが人の心というもの。
「その後はどうするかだ……」
集落だけじゃなく、田畑や牧場まで何もかも燃え尽きているここですぐに暮らす事は不可能だ。故にリリィを置いていく事は出来ない。
けれどアルシュと一緒に帝都で住むという事も出来ない。
新兵である彼は当然、収入も少ないので、軍の兵舎に独身男性6人の共同部屋に住んでいる。そんな所にうら若き女性を連れていく訳にはいかない。
かと言って、帝都は物価が高く、賃貸住宅の家賃平均もかなり高い。
1人用の小さな部屋でも彼の安月給の8割が消えるのだから、2人用ともなれば家賃を払う事もままならないだろう。
それに家賃だけじゃなく生活をするにもそれなりに必要だし、この村を復興させようと思ったらもっと多額の金が必要だ。
では親戚を頼れるかというとそれも出来ない。
リリィの家は元々この周辺の土地を持っていた地主の子孫だ。だからその血筋ゆえに村長の座に就いている。しかしその特殊性の為か、親戚縁者はほぼ全員、この村に留まっていた。
それほど大家族でも無かったので、彼の知る限り、彼女の血縁者はこの村以外には居ない。
そしてアルシュは自分の両親の事さえ覚えていない。当然、親戚もいるかどうか不明である。
「となると後は近くの街に保護して貰うしかないよな~」
あれだけの大火事である。近隣の村や町にもその情報はすぐに知れ渡るだろう。
同情につけ込む様なやり方だが、この村の生き残りだと伝えれば、ある程度は生活を保障してくれる筈だ。
それが一番合理的なのはアルシュも理解している。
「…けど、今のあいつを1人にするのもなぁ」
今のリリィは失意という海の中に漂う抜け殻のようだ。放っておけば簡単に崩れてしまいそうな程に脆く弱い状態だ。
そんな彼女を支えてやれるのは自分以外にはもういないとも理解している。
「そうなるとやっぱ一緒にいなけゃならないし……」
そして再び部屋の問題、そして経済的な問題が立ち塞がる。堂々巡りのどん詰まりだった。
どれくらいそんな事を考えていただろうか。
不意に小屋の中から激しい音が轟き、アルシュは慌てる。
服を着ていない可能性を考えて、小屋の中に踏み入ろうか逡巡していると、中から蒼髪の美女が転がるように飛び出してくる。
「あなた!すぐに逃げなさいっ!!」
「はっ?いきなり何を言ってんだ、お前?!」
理由を問おうとした矢先、小屋の中から煌々とした明かりと熱を感じる。
「ま、まさか…火種が燻っていたのかっ!?リ、リリィはっ!!」
慌てて小屋に踏み入ろうとするアルシュの肩を美女が掴み、それを止める。
「行ってはいけません!彼女はもうあなたの知っている彼女ではありません!!」
「あんたの言ってる事はいちいち意味は分かんねぇんだよっ!!俺にとってリリィは大事な………………えっ?」
美女の手を振り切りながらアルシュが部屋の中に飛び込んだ瞬間、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
思っていた通り農具小屋の中は炎に包まれていた。だがその中心に居る少女はその全身に炎を纏わせながら、彼が一度も見た事が無い、いや彼女が絶対に浮かべる事の無い乾いた笑みを浮かべていた。
「リ…リィ……だよ…な………」
オレンジ色の長い髪は炎に包まれ、いや炎そのものになって燃え上がるように逆立ち、その裸身は炭化したかのように黒く染まっている。
口元は裂けんばかりに大きく横に開き、大きく開いた瞳の奥には真っ赤に燃え盛る炎が宿っている。
そこに居たのはアルシュの知る少女では無く、少女の姿をした異形だった。
「アっくん。アっくんは永遠に私のものだよ」
リリィの顔をした異形は、リリィの声そのままでアルシュに優しく囁きかけてニタリと笑うと、ゆっくりと右手を掲げる。その掌に炎が生み出され、どんどん大きくなっていく。
だがアルシュはこの現状に頭が追い付かず、ただ呆然とそれを見詰め続けるのみ。
「危ないっ!!」
黒い手から炎が放たれようとした直前、蒼髪の美女がアルシュを横から押し倒す。その2人の直上を巨大な炎の塊が通り過ぎ、背後の大地をその高熱でドロドロに溶かしてしまう。
「なんで邪魔するのよっ!!」
抱きつくように地面を転がる2人の姿を見て、リリィの姿をした化物は更に口角を吊り上げ、見開いた瞳からまるで涙のように炎が溢れ流れる。
「早く立って下さい!逃げますよ!!」
美女がアルシュを急かして立たせると、手を引いて走り出す。
「ああ、そういう事なのね。村を焼き払っただけじゃ足りなくて、アっくんまで私から奪うつもりなんだ……許さないゆるさないユルサナイッ!!」
少女の身体から憎しみの炎が噴き上がり、次いで嫉妬の炎が渦巻いて、農具小屋を吹き飛ばす。そして憎しみと嫉妬の炎を宿した瞳で逃げる2人の背中を見詰める。
「大切な場所を奪ったあの女を許さない!お父さんとお母さんを殺したあの女を許さない!アっくんを誑かしたあの女を絶対に許さないぃぃぃぃぃっっっっっ!!!!!!!」
その憎しみに呼応するように少女の足元が溶岩のようにドロドロとなり、その全身を覆っていく。10秒もしない内に全高10mは達するであろう溶岩の巨人姿になると、逃げる2人へ向けてゆっくりと1歩を踏み出す。
その姿はこの村の惨劇を引き起こした赤い悪魔に酷似していたが、彼女はそれを知る由も無かった。