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Dragoon Eques Machina ~蒼藍の竜機兵~  作者: 龍神雷
第1話 竜が目覚める時
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1-2 黒を纏った世界と白を纏った少年

 アルシュが目を覚ますと、そこは火の海に包まれていた。

 草木の焦げた臭いにむせ返り、目に染みる黒煙があちこちから立ち昇っている。

 吹き飛ばされた際に地面を転がったせいで全身に痛みが走るが、体の各部を確かめると、どうやら打ち身や擦り傷だけで骨には異常が無いようだった。

 アルシュは煙を吸い込まないようにしながら、ゆっくりと立ち上がる。

 眼下を見下ろせば、見えるもの全てが赤に染まっていた。

 炎の雨はどうやら相当な広範囲に降り注いだようで、牧場にある厩舎では炎に撒かれた家畜が外へ飛び出し激しく転げ回った後に大人しくなる光景が見え、稲や麦の殆どは燃え上がって真っ赤な絨毯を見ているよう。

 当然、田畑の中央に位置する集落の建物も激しく燃え上がっている。


「くそっ、空から炎が降ってくるなんてどうなって……はっ!リリィ!リリィはどこだっ!!」


 天変地異ともいえる空から降って来た炎も気になる所だが、そんな事よりも一緒に居たはずの彼女の姿が周囲に見当たらない。

 もし同じように吹き飛ばされたのなら体重の軽い彼女の方がより吹き飛ばされているだろうと思い、捜索範囲を広げるが、それでも彼女の姿は見当たらなかった。


「まさか…そんな訳が無いよな……」


 この高台にも相当数の炎が降って来ていた。

 彼は運良く難を逃れる事が出来たが、リリィは……

 そんな最悪の事態が脳裏を過ぎった直後、地面に横たわる人の姿を見つけ、アルシュは胸を撫で下ろしながら駆け出す。


「良かった、リリィ……巻き込まれていなく…て………」


 だが安堵したのも束の間、そこに横たわって気絶していたのは髪の長い女性ではあったが、リリィでは無かった。

 足元まで届こうかという蒼い髪はやや煤けていながらも、清流のように美しく流れ、その顔は彼の人生において一度も見た事が無い程に美しい。

 兵錬学校時代に帝都で最も美しいと言われている第二皇女を拝顔した時は、見惚れてしまいつつも、世の中には絶世の美女というものが実在するんだななどと思っていたが、今回はそれ以上だ。

 一瞬とはいえ、リリィの事も現状の事も頭から消え去り、目の前の美女に見惚れてしまう。


「…って、見惚れてる場合じゃない!村の人でも無いみたいだけど、旅行者か何かか?流石にこんな所に放置したら危ないし、どこか安全な所に移さないと」


 ここにいるという事は彼女も帝国領民の1人。一般市民を助けるのは軍人の義務であり責務だ。

 リリィの事は心配で堪らないのだが、目の前に居る女性も放ってはおけない。

 アルシュはリリィの身を案じながら、蒼髪の美女を抱き上げる。

 美女の顔が間近に迫り、思わずドキリとして再び思考停止し掛けたが、首を左右にブンブンと振って雑念を振り払う。

 煙の動きから風上を見つけ出し、そちらに向かって歩き出す。


「ん?あれは…リリィッ!」


 動き出してすぐに炎の壁の向こうにリリィらしき影を見つけたアルシュは声を張り上げて呼ぶが、その声は届かず、人影はどんどん小さくなっていく。


「あっちは村の方向だ……まさか、あっちに行ったってのか!?」


 最初に見た時に比べて火の勢いは弱くなってはきているが、集落は建物が密集している為、延焼によりかなり火の手が回っている。それに夜であり更に周囲の田畑が燃えていて逃げる場所が無かった事もあって、凄惨な状況になっているに違いなかった。

 そんな場所に彼女が向かったとしたら、どうなるかは自明の理。

 すぐに追い掛けて引き留めたいが、それを許さないとばかりに燃え朽ちた樹木が倒れてきて、彼と彼女の間を遮る。


「くそっ!」


 苛立って舌打ちをしつつ、謎の美女を抱えたまま、アルシュはまずは抱えている彼女の安全を確保する為に、風上である山側に向けて歩き出した。

 途中で焼けずに残っていた農具小屋を見つけたアルシュは、その中に美女を寝かせる事にした。

 ここなら火の手が迫ってくる事は無いだろうし、彼女には悪いが細身の割に意外と重くて、体力的に辛くなってきていた所だったのだ。

 だがそこで新たな問題に直面する。

 彼女をこのままここに寝かせておいていいだろうかという問題だ。

 彼女は村の人間では無いのは確実だろう。もしこんな絶世ともいえる美女が村に住んでいるのだとしたら、夕食時やその後のリリィとの会話の際に話題に上がるはずである。

 最初は旅行者かとも思っていたが、そうとも思えない。彼女の服装はあまりにも軽装だ。いや、それ以前にこんな山の中を出歩くような恰好じゃない。

 彼女の姿は一言でいえば水着姿、いやレオタード姿といった方が正確だろうか。

 太股まである銀色のタイツに身体にピッタリとフィットした薄い青色のレオタード姿は改めて見るととても扇情的である。胸元はレオタードよりやや濃い青色のプロテクターのようなもので覆われているが、もしそれが無かったら、その膨らみの前に理性が崩壊して襲い掛かってしまっていたかもしれない。

 そんな格好の意識の無い彼女を独りにしていいものだろうか。

 もし村の生き残りの若い男が逃げ込んできて彼女を見つけた時、パニックに陥っているその男はどうするだろうか。


「って俺も相当テンパってんな……」


 こんな時にそんな卑猥な事を考えてしまうのも、突然の出来事の連続で脳の処理が追い付いていないから。現実から目を背け、逃避しようとしているから。

 どうやら冷静に見えているだけで、その実、アルシュも相当に混乱してパニックに陥っていたようだ。


「このままだと俺も変な気を起しそうだし、彼女には悪いけど、リリィを探す方を優先しよう」


 そう自分に言い聞かせ、農具小屋を出ようとした矢先、「んんっ……」と鈴の鳴るような声が聞こえてきて、アルシュは振り返る。

 どうやら美女は声まで人を惹き付ける魅力を持っているらしい。


「……ここは……」


 美女は上半身を起こして軽く周囲を見回した後、アルシュと目が合わせて静かに問う。

 髪色と同じ真っ青に澄んだ色の瞳で見詰められ、アルシュは緊張でカラカラになった喉でなんとか声を絞り出す。


「めめ目が…覚めましたか……こ…ここは……集落から…す、少し離れた……のの農具小屋…だ……です……」


 このシチュエーションだけを見たら、気絶していた美女をこの小屋に連れ込んだと思われて悲鳴をあげられてもおかしく無い。

 だが美女の方は少しの間、瞑目した後、ゆっくりと頷く。


「状況は概ね理解しました。どうやらあなたに助けて頂いたようですね。ありがとうございます」


 あんな情報量でどこをどう理解したらそこに至るのか不明だが、どうやら美女の方は変な誤解もせずに納得したらしい。


「え、え、えっと…あっ、そうだ!おお俺はこここれから村の様子を見てきますから……こ、ここで休んでてください!!」


 アルシュはそう捲くし立てると返事も聞かずに勢い良く農具小屋を飛び出す。

 透き通るような青い瞳に見つめられていると、先程彼女の身体を性的な目で見てしまい、やましい事を考えていた事を見透かされてしまいそうだったし、何よりあんな絶世の美女とあの狭い空間にいるという状況に耐えられなかったのだ。

 アルシュが小屋の外へ出ると空からはいつの間にか大粒の雨が降ってきていた。

 村の全てを覆っていた火の海も、燃える物を全て燃やし尽くしたのか、突如として降り出したこの雨で下火になりつつある。


「これなら村の方にも行けそうだな。リリィ…それにおじさん、おばさん。どうか無事でいてくれよ」


 微かな希望に縋りつつ、アルシュは雨に濡れるのも構わず、集落のある方へと急いだ。



 *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *



 突然降り出した雨でずぶ濡れとなったリリィは呆然とした表情で目の前の建物を見詰めていた。いや元建物と言った方が良いだろう。

 炎の塊の直撃でも受けたのだろう屋根には大きな穴が開いて崩れ落ちている。なんとか全体の形は残ってはいるが、その殆どが黒く炭化し、いつ崩れ落ちてもおかしくは無い。

 壊れた窓から奥に揺らめく炎の明かりが見え、未だにこの建物を燃やし去ろうとしているのが分かる。

 だがこれ以上燃え広がった所で現状が変わる訳でも無いので、彼女はその炎を無視する。いや、無視している訳では無く、彼女の頭の中は悲しみで溢れていて、他の事を考える余裕が失われていたのだ。


「……お父さん…お母さん…………」


 リリィは大粒の涙を流しながら、変わり果てた自身の家を眺め続ける。

 農家の朝は早い。故に必然的に寝るのも早くなる。

 だから炎の雨が降って来た時には村人の殆どは既に眠っていたか、その直前だったのは間違いない。

 そこを直撃されたら、当然、逃げる暇など無かっただろう。直撃じゃ無かったとしてもどこもかしこも炎に包まれた中では逃げ場所など無い。

 リリィがなんとか集落まで辿り着いた時には大雨のおかげもあって火の勢いは収まりつつあったが、辿り着いた時には既に目を覆うような酷い惨状であった。

 どれ程の業火に見舞われたのか、周辺の田畑は黒い焦土と化し、村の至る所では建物だったものが崩れて炭化し、道には人の形をした黒い物体がいくつも転がっていた。

 動くものは立ち昇る黒い煙と揺らめく炎だけであり、聞こえるのは時折パチパチと燻る火と、天から降る激しい雨の音のみ。周囲には焦げ臭さと肉が焦げた嫌な臭いが充満している。

 彼女が意識を取り戻した時には側に居たはずのアルシュの姿もなかったので、もうここに生きているのは自分しか居ないのではないかという絶望感が心の中に染み込んでいく。


「…なんで……私だけ…なの…………」


 独り取り残されるくらいなら一緒に死なせて欲しかった。

 少女は天を仰ぎ、神を呪った。もうそれくらいしか出来る事が無かったから。いや、もう1つだけだが彼女にも出来る事はあった。

 リリィは足元に散らばっていた煤けた窓ガラスの破片の中から大きめの破片を拾い上げると、両手で持って尖った先端を自らの喉元に向ける。

 これ以上生きているのが辛いならば、自分の手で命を断てば良い。

 そんな想いを抱いてはいるが、いざとなると死の恐怖に手が震え、勇気が出て来ない。


「自らの手で自らを殺そうなんて止めた方が良いよ」


 リリィが意を決して手に力を込めた瞬間、まるで流れる旋律のように少年の声が耳に届き、手の動きを止める。

 生存者がいた事に驚きと共に喜びの表情を浮かべて、リリィは辺りを見回して声の主を探す。

 声の主は真正面に居た。

 染み1つない純白のマントを羽織り、血が通っているのかさえ疑わしい程に色白の肌に真っ白な髪の少年。

 まるでそこだけが別の空間になったかのように、雨にも濡れず、煤にも汚れず、黒に染まった世界に唯独り、白を浮かび上がらせている。

 それは異様な光景のはずなのに、リリィは純白の少年から目を離す事が出来ない。


「死を望むにしても君の幸せを滅茶苦茶にした奴に復讐してからでも遅くは無いんじゃないかな?」


 少年はゆっくりと閉じていた瞼を開けながらリリィに囁く。

 全てが純白の中にあって唯一、その瞳の中に赤が灯る。その赤い瞳に見詰められ、リリィはますます目が離せなくなる。

 瞬きすら忘れたかのように少年の瞳を見詰め返し、心の中では少年の言葉を反芻する。


「ここを炎に包んだのは長い蒼髪の女さ。僕の玩具を壊しただけじゃなく、多くの命を奪い、綺麗な顔で男を誑かす最低最悪の女さ。君の幸せを奪った奴を…君の大切な人達を奪った奴を憎んではいないかい?」


 まるで囁きかけるような小さく、でもはっきりと聞こえる少年の声を耳にしたリリィは、まるで籍を切ったかのように己が心を占める感情を少年に向けてぶつける。


「憎いよっ!憎くて仕方が無いよっ!!その人がいなければこんな事にならなかったって言うなら、憎んでも憎み切れないよっ!!!」

「憎いなら復讐すれば良いさ。その女を大切な人と同じ目に遭わせてやればいいのさ」

「確かに憎いよっ!けどだからって復讐なんて出来る訳無いじゃないっ!!人を殺すなんて私に出来る訳が無いじゃないっ!!!お父さんもお母さんも許さないよ。それにアっくんも……」

「大丈夫さ。君は強い絶望の中で自らを殺す覚悟を決めたじゃないか。自分を殺せるんだから、他人…それも憎い相手ならもっと簡単さ」


 復讐を果たしたからといってこの火事で焼け死んだ人達は戻ってくる事は無いし、それを成し遂げて喜ぶような人達でもないのは分かっている。

 だが少年の言葉には抗い難いものがあり、一言毎にリリィの胸の奥で復讐の炎が大きくなっていく。


「それに僕には聞こえるんだよ。炎に焼かれて絶望を味わいながら死んでいった人たちの無念の声がね。世界を呪う言葉がね。彼ら彼女らが仇を討ってくれという言葉がね」


 いつの間にか少年の顔がリリィの間近に迫り、その赤い瞳で見詰め続ける。


「この僕も力を貸してあげるよ。だから君になら絶対に出来るさ。さぁ、その絶望を復讐の炎に変えて、君の大切な人達の仇を討とうじゃないか!」


 芝居がかった少年の言葉にリリィはもう抗う事が出来ず、その首を縦に振ってしまう。


「素直になる事は良い事だよ。さぁ、君に力を貸してあげよう。少し痛みが走るかもしれないけれど我慢してね」


 少年は生気の感じられない顔で口の端を歪めて笑顔の形をとると、リリィに向けて人差し指を突き出す。

 指先は仄かに白く光を放っており、それがリリィの右の鎖骨に触れると細い針を刺されたようなチクリという痛みが一瞬だけ走る。だがその痛みの後には微かな温かさが全身を包み込んでいく。


「おお~い!誰か、無事な奴はいないかぁ~!」


 遠くから聞こえて来た聞き覚えのあるその声にリリィはピクリと反応する。

 大事な家族であり、家族以上の想いを抱く人物の声を聞き、彼女の頬が緩む。


「おっと、お迎えが来たようだね。僕はそろそろ引き上げるよ」


 純白の少年はリリィの鎖骨に光で幾何学的な模様をさっと描いた後、ゆっくりとその手を離す。


「さぁ、力は与えたよ。それをどう使うかは君次第。存分に復讐を果たすと良いよ」


 その言葉を最後にあれだけの存在感と異彩感を出していた純白の少年は現れた時と同様にリリィの目の前からその姿を消してしまう。

 まるで白昼夢でも見ていたかのような違和感を覚えつつも、リリィは自身の右の鎖骨付近に視線を落とす。

 そこには今の出来事が夢では無かった証拠である、少年の刻んだ幾何学模様が淡く光を放っていた。

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