魔性の瞳-43◆「贖罪」
■ヴェロンディ連合王国/王都シェンドル/宮殿/レムリアの居室
なぜか、その彼女の笑顔は、私にはさほど魅力的なものに映らなかった。流浪の剣士に恋をした(かもしれぬ)年若い姫君の演技としては、おそらく申し分ないであろうその様子は、しかしながら、私にとってさほど惹かれるものではなかった。
とはいえ、その原因の一つは、彼女が私のことを“ムーンシャドウ(月影)”という家名の方で呼びかけたことであり、その点について言えば、それはけして彼女の非ではない。
“ムーンシャドウ(月影)”の家は、けして名のある家柄ではない。それは、父が北の魔王との戦いの中で克ち得た一代限りの騎士の称号であり、その後まもなく父は戦死し、すでに存在しなくなった家名でもある。2つ年上の兄は、国のために戦い、家を再興するのだと言って、成人と同時に騎士団に身を投じたが、私はその道を途中で放棄した。そして、その兄の消息も戦火の中に途絶えて久しい。もしも仮に、その名で呼ばれるべき者がいるとしたら、それは私ではなく、兄であるべきなのだ。
私は、過去の痛みを呼び醒ました彼女の横顔を見つめ、複雑な表情で重たい口を開く。
「・・・もしよろしければ、私のことは、“エリアド”と呼んでもらえまいか。」
・・・これは私の過去の罪に対する罰なのだろうか。
私は心の中で小さく呟く。
彼女の問いかけに私が選んだのは、砂糖を入れない紅茶。
そんなせいもあってか、あまり気乗りしないというのが正直なところだったが、私はそれでも彼女に勧められるままに、用意された朝食に手を伸ばす。
しかし、時間の経過と共に、次第に仏頂面になっていくのが自分でもわかった。
そして、そうなった原因は、けして家名のせいだけではなかった。
華やかな朝食。とりとめのない会話。笑顔の下に隠された真実・・・。
そのすべてが、この国の現状そのものであるかのように思えてくる。
そう、だから、私はこの国を出た。幾多の冒険行を経て、私は幸運にもアーサー王子という一人の人物を救い出す機会に恵まれ、この国に戻ってくることができた。むろん、私がそのような機会に立ち会うことを許されたのは、運命の女神の御心に寄るものに過ぎない。
しかし、私はそれでも、彼という人物によって、この国に何らかの変化がもたらされることを期待していた。それが他力本願の愚かしい願いに過ぎぬとわかっていたにも関わらず、そう願わずにはいられなかった・・・。
あの頃と、何も変わりはしないのだろうか・・・。
何も変わってはいかないのだろうか。この国は・・・。
とりとめのない彼女のセリフを聞きながら、私は迷っていた。
彼女にその問いをすべきか、否か・・・。
もし彼女が今に満足しているのであれば、私にできることはない・・・。しかし、そもそも今に満足しているのであれば、彼女は私に声などかけようとはしなかったであろうし、私もまた彼女に応えようとは思わなかったはずだ。
私は何も言わず、ただじっと彼女の瞳を見つめる。・・・彼女の心を、見つめるかのように。