魔性の瞳-115◆「威厳」
■ヴェロンディ連合王国/王都/謁見の間
開いた扉の向こうは、少なくとも私が想像した“最悪の事態”にはなっていないようであった。実際にどうだったかは、ともかくとして・・・ではあるが。しかし、少なくとも、あまり近寄りたいとは思えぬ“嫌な”気配が漂っていたことは事実だと言わざるを得まい。そして、その雰囲気を作り出している(ようにも思える)奇妙な気配の持ち主──背の高い騎士風の男が慇懃に名前を名乗る。騎士風の姿をしているにもかかわらず、エリアドにはその男が見た通りの“騎士”だとは到底思えなかった。
“・・・ラ・ル”
その響きには、得体の知れぬ禍々しさがあった。男の視線を受けとめ、少しの間、視線を交わす。それから少しだけ視線をずらして、こう続けた。
「・・・陛下。その称号は、『辞退させていただきたい。』と申し上げたはずですが。」
「不快な気分にさせているのであれば、済まないと思うが・・・」
アーサー・アートリムの表情には微苦笑が浮かんでいた。
「要らぬ、と言うのであれば、取り上げれば宜しいではありませんか」
不躾にも口を挟んだのはエルド男爵だった。その傍らにはラ・ルと名乗った男が冷笑を浮かべていた。
「エルド男爵。王陛下がエリアド殿と話されている最中だ。口を挟むなどとは無礼であろう!」
礼に失したエルド男爵の態度に噛み付くセイ。相変わらずだねぇ、とばかりに肩を竦めるハリー。
「黙れっ! たかだか騎士風情が大公家の者に意見することこそ失礼千万っ!」
「何だとっ!」
エルド男爵の一言は、曲がったことが大嫌いなセイの琴線に触れてしまった。こうなると、烈火の如く怒れるセイを止めるのは至難の業なのだが、しかし。
「ふっ、大人げなく騒ぐ方こそ無様よの」
言いながら、セイに視線を振るラ・ル。途端、セイがピクリとも動けなくなった。躯が小刻みに震えているのは、意志の力を振り絞って未知なる力に抗おうとしている為なのか。
「はっ、いい様よ! いつもの勢いはどうした!」
エルド男爵は、一つ教訓を垂れてやろうとばかりに手を振り上げた。同僚を庇おうとハリーが前に一歩でようとした。その時。
「御前であらせられるぞ。双方、控えぃ」
深みのある威厳に満ちた声に、エルド男爵の振り上げた手がピタリと止まる。
「ほぉ・・・これはこれは」
目を細めてほほえむラ・ル。謁見の間にいる誰よりも背の高い戦士が、槍を手に静かな足取りで室内に入ってきた。
「陛下。遅くなり申した」
「良いところへ来た、アクティウム」
心持ち安堵の表情を浮かべるアーサー。丁寧にアーサーに頭を下げると、一転厳しい表情で周囲の顔を見回した。
「王陛下の御前である。双方、品位を落とす真似は控えよ。バーナード、ハウ、騎士としてもっと自重せよ。エルド男爵。大公家の特権は国が律を遵守してこそ在るものです。ご存じないとは言わせませんぞ」
「そ、その様なこと、言われないでも判っているっ!」
「ご存じであれば結構。では、時鐘も鳴った今、何を為すべきかもお判りであろう?」
「む、無論だ!」
ラ・ル殿、引き上げるぞ! そう叫ぶと、最低限の礼をしてエルド男爵は足音も高く立ち去った。薄く微笑んだラ・ルなる人物も、莫迦丁寧に会釈するとエルド男爵の後を追った。
「王陛下。些かお騒がせしてしまったようですな」
「いや、アクティウムが丁度良いところに来てくれて助かったよ」
「勿体ないお言葉」
その長身を折り曲げる様に答礼すると、ジロリとセイとハリーを睨んだ。
「エルド男爵の挑発に乗るではないと言ったであろう? セイ、ハリー」
「しかし、アクティウム! あの様な不法が罷り通って良いということでは無いでしょう!」
「私も、セイの意見に賛成ですね」
まぁ、感情的になってしまうのはセイも反省しなければなりませんがね、と余計な言葉を付け加えて、セイにギロリと睨まれる。
「その辺でいい、アクティウム。それより、契那は如何した? いつも一緒であろうに」
「ここにおりますわ、王陛下」
アクティウムのマントの影から、小柄な少女が姿を顕した。優雅に、実に優雅にお辞儀する。
「王陛下、お客様の方、セイ様、ハリー様、ごきげんよう」
「久しぶりだな、契那」
「こんばんわ、契那ちゃん」
真面目な声と不真面目な声が挨拶を返す。
「そこにいたのか、契那。良かったら後でレムリアの所に寄ってあげて欲しい。義妹も喜ぶだろう」
「はい、王陛下」
鈴が鳴る様な澄んだ声で、契那と呼ばれた少女は笑顔で応えた。