<第2話> 俺、シモベになりました
魔王の一人娘としてエルジェイドは生まれた。
エルジェイド=デル=アッシェンバッフィアという長い名前の、三人兄弟の末子。
二人の兄を持ち、アッシェンバッフィアでは唯一の女子だった。
もともと魔王種というのは雄が生まれやすい性質なのだ。
そのために、父・ルドラークからは可愛がられていた。
その娘の10の誕生日。
魔王種にとって年齢とはまさに無意味なものではあるが、
生誕から10年というのはいまだ幼生体であるエルジェイドにとって最も重要な時期なのだ。
幼生体から亜成体へ。
亜成体から成体へと進化する魔王種は、10年でその性質が現れ始める。
成体の片鱗ともいうべきものだ。
ある魔王種は支配力に長け、ある魔王種はまた魔法に長けている。
娘の将来が決まるであろう時期に、父は娘に贈り物を用意していた。
魔王がその娘に対して用意するとなれば、最高級のものでなければならない。
魔王は考える。
娘の望むものは何かと。
強大な威力を持つ兵器。
他を圧倒する魔獣。
広大で肥沃な土地。
豪奢な城。
膨大な金銀財宝。
数え切れぬほどのいけにえたち。
そのどれも違うとルドラークは思えた。
あの娘の本質は寂しがり屋だ。
ならば、最高のシモベを与えようと思った。
どのようなシモベがよいか。
意思を持つ、騎士のようなシモベがいいだろう。
娘に対して絶対の服従を誓うことができる者だ。
動鎧が適役だ。
ただの動鎧では不適格だ。
そこらにいる動鎧では格として低い。
ならば、ルドラークが自ら生み出した方がいいだろう。
そして創り出すのなら、最高の素材と最高の魔力、最高の儀式と最高の魔術師を用意する必要がある。
素材には冥府の扉にも使用された死霊石を。
魔力にはルドラーク自身のものを。
魔術師は冥府最高峰のギルタブリルを。
儀式はサンドリラス城地下で二人だけで行った。
そして、儀式は一度きりだった。
予備の死霊石は用意してあったが使うことはなかった。
ルドラークは目の前の動鎧を見たとき、成功を確信したのだ。
娘は必ず喜ぶ。
死霊石が放つ禍々しいオーラと娘が好きな濁った黒色だ。
動鎧はそこに何が宿っているかで、性能が変化する。
ルドラークはこれまでに幾千の者を見てきた。
そして、自信をもって言えた。
この動鎧は大成する、と。
★
四方を大山脈に囲まれた盆地にサンドリラス城は鎮座している。
最も近い人間国家であるモストレア共産共和国連邦の最東端にあるという、闇の洞窟。
入り組んだその洞窟を通り抜け、
そして、また深い森を歩んだ先に存在する魔界領域。
デラプトスの森に次いで人間界で最も広い領域がサンドリラスだ。
山脈を越えることができれば、神聖帝国も近くにある。
だがその場合、幾百の龍たちの巣を通り抜けなければならない。
歴史に名を遺す英雄たちでさえ狩れて一匹だ。
神話の住人達である龍たちを数百匹殺すなんてことを試すものはいない。
そんな僻地にあるサンドリラス城だが、その各所に使われた魔石は周囲に威圧感を放っていた。
魔界の職人によって細部まで凝られていた。
過度に派手にならず、それでいて荘厳さを演出する。
城の大前門には二体のゴーレムが守っている。
そんなサンドリラスの高い城壁の囲まれた庭園で、パーティーが開かれていた。
普段ルドラークはこのような催し物は好まない。
しかし、娘がパーティーが好きなために、しぶしぶ開催し、最低限の人数ではあるがゲストも来ていた。
冥府からはギルタブリル。
魔界からは魔王の忠臣たち。
魔界を守る番人と四天王たちは来ていない。
ルドラークは簡単な祝辞を述べ、ゲストもまたグラスを酌み交わした。
そして娘の好物がテーブルに並べられる中。
主賓席でエルジェイドが父へ嬉々とした表情で話しかける。
「パパ、どうしてみんな宝石ばかりくれるのかしら」
『エルジェが華美なものを好むと思っているからだろう』
「まあ嫌いじゃないけどネ。ちょっと飽きちゃったわ」
フフと笑いながら、両指にはまった指輪を見つめるエルジェイド。
ゲストたちの挨拶はすべて終わり、彼らの贈り物は手渡せる物はすべて受けとっていた。
ギルタブリルからは魔法剣。
忠臣たちはほとんどが稀少宝石の指輪やネックレス、そして髪飾り。
巨像や魔獣の類もあった。
ヴァンパイアのブラッドだけは魔法薬だったか。
忠臣たちからの贈り物は願いの強さを表している。
エルジェは贈り物を受け取り、忠臣たちはそのルドラークは彼らの願いを叶えなければならない。
ギルタブリルなら死霊石。
ブラッドなら聖女を。
そしてパーティーも終盤に近づく。
それにつれてエルジェイドの期待の眼差しがルドラークへ向いていった。
父は自分に何を贈ってくれるのだろうか、と。
『エルジェ、そろそろ私からお前へ贈り物を渡そう』
「パパ、つまらないものはだめよ?」
『心配するなエルジェ。必ず気に入る』
「フフフ、パパは一体何をくれるのかしら」
エルジェイドは内心のわくわく感を隠すために、わざと父を上目遣いで見る。
挑戦的に見せかけているつもりの娘を見て、ルドラークは微笑を浮かべる。
ルドラークは地下室への扉の方へ視線をやる。
すると、扉近くに立つギルタブリルがゆっくりと頷く。
『お前の騎士、私とギルタブリルで創り上げた最高傑作だ』
開かれる扉の先。
他の皆も、エルジェイドとルドラークにつられてそちらを見た。
まず見て取れたのは、どす黒い瘴気。
刺々しいほどの鋭いフォルムと、死霊石の死黒色。
フルメイルの黒い騎士。
そのガランドウの瞳に、エルジェイドは釘付けになった。
★
約束の時間が近づいていた、と思う。
明日の夜だったか。
窓がないからさっぱり時間の感覚がない。
逃げ出す、という考えはなかった。
一つ、まるで現状がわからない。
二つ、出られる気がしない。
以上である。
食事も出てこないし、ベッドもない。
いや別に腹は減らないし、眠たくもならなったが。
――俺は本当に鎧になっちまったのか。
そこに悲しみは感じなかった。
人間の体であってもなくても、別に変らないような気がしたのだ。
むしろ便利になったと言ってもいい。
何もせずにただ時間だけが過ぎていく人生だったし。
打ち込むものもなかったし。
童貞だったしな!
「時間だ」
――ビビったぁ……。
いきなり扉を開けて入ってきたのは、下半身がサソリの老人だった。
白ひげをなでまわして、わきにオークっぽいゴリラを連れている。
ちがった。
ゴリラっぽいオークだった。
――おおぉ、これがオークか。
案外優しい顔している。
「おら、立てよ黒いの」
――ほら、ごつい腕でねっとりした右手を差し出してくれる!
俺は仕方なしにその手を取って、立ち上がった。
「動鎧よ、貴様は今日よりお嬢様に仕える身だ。決して無礼な振る舞いはよせ。私がせずとも陛下の忠臣たちが貴様を廃棄処分にすることを忘れるな」
――だからお嬢様って誰だっつうの。
適当にこくりと頷いておく。
「黒いの、ついてこいよ」
サソリの老人が先導して、地上への階段をのぼっていく。
オークのぶつぶつだらけの背中を見上げながら、一歩ずつ。
一歩ずつ踏みしめてみる。
おかしい。
老人とオークの足音とか衣擦れの音はするのに、俺の音が聞こえない。
全身鎧なのに。
――ま、いっか。
「ここで待っておれ」
先に扉を開けて、外へ出ていくサソリの老人。
オークがじっとこっちを見てきた。
今気づいたが、このオーク、右目に蒼い眼帯をしている。
「黒いの、お前名前がないらしいな」
「そうなんだよ」
「心配すんな、きっとお嬢様がつけてくれっからよ」
「へぇ、そうなのか。それじゃ安心だな」
テキトーに会話しつつ時間をつぶす。
そして、そのテキトーさになぜか好感を持ってくれたオーク。
「なんだ黒いの、お前案外と気のいいやつだな」
「そうか?」
「そうだぜ、無口で不愛想なやつがほとんどってきくぜ。動鎧はよ」
「いやー、他の鎧のことなんかわかんねーよ」
「ハハッ、ほんと変わったやつだなオマエ」
――動鎧、ね……。
暇な時間、自分の体について調べてみた。
黒い、ごつごつした全身鎧だった。
そして、どうしても脱げない。
というか脱ぎ方がわからない。
人間で言うなら、皮膚を脱ぐみたいな感じだ。
無理なのだ。
脱げない。
――ほんとに鎧になっちまったんだな、俺って……。
「ほらそろそろ出番だぜ」
キィ――とゆっくりとゆっくりと開いていくとびら。
その先から漏れてくる何者かの視線。
多くの視線が俺を待ち受けていた。
歩み出る。
音も立てずに、俺を照らす月光につられて。
おおぜいの何かがいた。
人ではない、魔物たち。
真夜中に開かれる魔物たちのパーティーだった。
西洋風の城、その庭園でパーティーが開かれていたのだ。
彼らは紳士服をきているわけではない。
でもよく似ている衣服だ。
スーツと作業着の中間といってもいい。
しかし、俺はなぜかそれが彼らの正装であることがわかった。
いろいろな魔物たちがいる。
オーク、ゴブリン、ケンタウロス、ゴーゴン、スフィンクス、フランケン、ミノタウロス、ラミア。
リザードマン、インキュバス、ダーク・エルフ、グレムリン、鬼、トロール、ゴースト。
グール、ヴァンパイア、ゾンビ、リッチ、スライム、ワーウルフ。
それと……あれは人虎、獣人か? やたらガタイの良い獣じみた鎧の女もいる。
しかしマントを羽織っているのはただひとり。
貴賓席らしきテーブルに座っているルドラークだ。
吸血鬼っぽい白肌の青年でさえ似合いそうなのに羽織っていない。
魔王か。
「パパ!!」
すっとルドラークの隣で立つ影が見えた。
すごい目力で俺を凝視している。
その顔は笑顔が咲き誇っている。
口を大きくあけて、その鋭い犬歯が月光にキランと光った。
女の子だ。
10歳くらいの。
ルドラークとよく似た、後ろへ伸びた二本の角。
青紫の髪が肩まで伸びている。
美しい少女。
濃厚な魔の雰囲気が漂っていた。
「フフフ、本当にあれ、ワタシがもらっていいの?!」
『ああ、お前のものだ』
純黒のドレスの少女がタタタとこちらへ駆け寄ってきた。
裾も気にせずに、すぐ目の前にやってきた。
――ただ突っ立ってるのも居心地が悪くなってきたな。
「フフフ」
笑いながら、俺のつま先からてっぺんまでじろじろ見てくる。
――こういうときはどうするんだったかな。
「ワタシはエルジェイド=デル=アッシェンバッフィア、オマエの主人よ。
今この瞬間から、オマエの全てをささげなさい」
言って、すっと右手を差し出してくる。
手の甲を上にむけて、俺を待っている。
――これは……。
なんとなく、膝をついて上体を前へ屈めてみる。
するとエルジェイドの右手が目の前にきた。
これはあれだろう。
周りの様子を確認しつつ、ゆっくりとその右手を下から支える。
俺に眼球はない。
だから視線もばれないはずだ。
慎重にエルジェイドの表情を確認した。
――いける。
嬉しそうな表情を見ながら、その手の甲に口の部分をそっとあてた。
今の俺に柔らかい鎧の唇はなくとも、エルジェイドの柔らかいお手々の感触がわかる。
非難の声は聞こえない。
――間違ってないよな……?
少しでも無礼を働いたらすぐさま殺されそうな予感がする。
『その者は名を持たない。つけてやれ、エルジェイド』
――いきなり現れんなよ……おっさん。
――魔物はどいつもこいつも神出鬼没のテレポーターなのかよ。
「まあ、そうなの。そうね、うーん」
思案気に少女が顎に手をあてている。
その指の先をみる。
ほくろだ。
青紫の瞳が輝く左目、その左下にほくろがある。
「長い名前がいいわね。短く略して呼べるような、そうね。
クラディウス。クラディウスにしましょう」
クラディウス。
その名前が少女の口から発せられたとき。
ズキンとまるで剣で心臓を貫かれたかのような感覚が俺をおそった。
そこから熱いオーラを俺をおおい、その名が俺に染みわたっていった。
これこそ俺の本来の名前であるという錯覚におちいる。
「クラディウス。一生ワタシに仕えなさい、いいわね?」
ひざまずいたままに、俺は頭をたれた。