<第1話> 俺、鎧になりました
23歳俺、ただいま6浪中。
そして難なく今年のセンターも見事スルーし、7浪が確定がした。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際……少し……あ……紫だちたる……の細く……たる?」
春というよりはまだ肌寒い三月上旬。
家の裏山の無駄に面積の広い公園の斜面で、俺は空を見上げていた。
特に何もしていない。
自宅が居心地が悪いのと、妙に寝つきが悪かったからである。
俺はずっと勉強が苦手だった。
小学生のころ、いや記憶はないが、保育園のころかもしれない。
浪人中とかいいながら、俺は全く勉強をしていなかった。
する気もない。
ただなんとなく、浪人生だと言い張って、母の保険金で祖父母と生活している。
父はどこかに行った。
それでも俺は高校を卒業をした。
割かしいいとこの高校だ。
進学校といえなくもない。
それはひとえに母のおかげであった。
母のおかげ、というか、まぁ、鉄拳制裁だ。
他人はDVだというかもしれないが。
俺はそれが合っていたのだろう。
俺は母を嫌っていなかったし、俺はそれでなんとか勉強できていたのだから。
それがなくなった。
つまり、母が死んでしまった。
別に涙は出なかった。
でも最後に聞いた言葉だけは覚えている。
必ず誰かと結ばれて幸せになりなさい。
そう言われた。
それだけはなんとかしようと思った。
「でもなー」
勉強嫌いの怠け者。
拳で言わなければ全く耳を貸さない。
そして無駄に怒られ続けてきただけにタフさがある。
マイナス方向のタフさだ。
こんな俺と誰が結ばれたがるというのか。
昔、中学の教師に言われたことがある。
お前は格闘技をやったほうがいい。
格闘技じゃなくてもいい。
柔道、ボクシング、レスリング、プロレス、剣道、なんでもいい。
体を張ってぼこぼこにやられるスポーツをやれば、お前は大成する。
別に俺は体格がよかったわけじゃない。
平均身長の平均体重くらいだ。
俺はその言葉に耳を貸さなかった。
結局、中学も高校も帰宅部を続けた。
「…………」
わからないな。
就職するか。
いや、でもな。
「…………」
お得意の先延ばし戦法を使うことにした。
目をつむって、俺は羊さんをひたすらカウントしていく。
一匹……
★
次に目を開けると、羊さんが二匹いた。
でも、よく見ると変わった羊さんだ。
肌が真っ黒で、そこまで毛がなくて、二本の角が頭から生えている。
しかも、筋肉マッチョのおっさんみたいだ。
というかおっさんだ。しかも明らかに人間じゃない。
いかつい顔をして、俺の方をじろじろ見ている。
まるで魔王みたいな羊だな、という感想を抱いた。
おっさん型二足歩行魔王羊が口を開いた。
『名を名乗れ、黒き動鎧よ』
ナヲナノレ。
名をなのれ……。
ああ、名前か。
こういうときはこういうのが礼儀だったな。
「相手に名を訊くなら、、まず先に自分から名乗るのが礼儀だ」
「陛下に向かって無礼であろう!!」
そう激昂したのは白ヒゲを生やした老人っぽい羊だ。
というか老人だ。しかもかなり小柄で、下半身がもはや羊じゃない。
サソリだ。
下半身がサソリの老人みたいな羊……いやもはや羊ではない。
「這いつくばれ動鎧!!」
――ジョークジョーク俺の夢ごときでそう怒るなって……ってあれ?
ダンッ!!!!
俺の視界が後方へと一気に吹っ飛ばされ、二人の姿が遠くに見える。
がしゃんッと音を立てて、俺はヒンヤリした床に尻もちをついた。
――ってぇ……。
『ギルタブリル、こやつには磔の魔術を使用した。そうだな?』
「その通りでございます陛下……おそらくですが、この者には高レベルの魔術耐性がございます」
『ほお、それは僥倖。愛娘への贈り物なのだ。それぐらいはなくてはな。よくやったギルタブリル』
「はっ、ありがたき幸せ」
声につられて、俺が視線を上げるといつの間にか二人が目の前に立っていた。
15メートルほど吹っ飛ばされた気がしたが、俺が気を取られた一瞬が移動したのかこいつらは。
『その恐れ知らずに免じて一度だけお前の非礼を赦そう。
我が名はルドラーク。ルドラーク=デル=アッシェンバッフィアである』
三メートルは優に超えているであろう巨体の男を前にして、俺の全身は震え上がっていた。
威圧感、プレッシャー、無頼漢。どれもちがう。
目の前にあるのは覇王の風格だ。
覇王の支配力が俺に絡み付いて離さない。
『さあ、お前の真名を訊こうか』
その圧倒的存在を前にして、俺はチビったかと思った。
小学一年生の頃布団の中でお漏らしした感覚がフラッシュバックしたのだ。
俺はつい気になって、そこでようやく気付いた。
俺は、鎧になっていた。
★
不思議と違和感はなかった。
まるではじめからこの黒く染まった鎧が自分の肉体であるかのように思えたのだ。
鎧はまさに俺の皮膚であり、顔であり、足であり、腕なのだ。
それ以下でもそれ以上でもない。
だが問題になったのは名前だ。
ルドラークとか思いっきり外国の名前みたいなおっさんにたいして、
日本人風の苗字三文字、名前三文字の名前を言うか?
いいや、ない。
断じてない。
俺の美に反している。そんなものはないが。
とにかく名前を言いたくなかった。
だから。
「名は持っていない」
俺の言い訳に、ルドラークは顎をなでる。
思案気な表情で、ギルタブリルに視線をやる。
『ほお、珍しいな。ありうるのか』
「はい、低い確率ではありますが……そのほとんどが自我を持たない者たちです」
『ふむ……』
「この者が虚言を吐いている可能性もあります。尋問の執行を進言いたします」
――尋問?
物騒な雰囲気がながれる。
『この者は魔術耐性を持っているのではなかったか?』
「はい、そうではありますが……」
『お前が実験台となる必要はない。エルジェに見極めさせよ』
「危険です陛下! お嬢様はまだお若く……」
『わが娘を愚弄するのか?」
「いいえ、そののようなつもりは!」
『ならば、エルジェに任せる。こやつを支配できぬのでは素質がないということだ』
「はっ……」
――おっ、なんだかうまくいったんじゃないか?
何を言っているのかさっぱりわからないが、この場は誤魔化せたようだな。
『では、披露は明日の夜に執り行う。せいぜい楽しみにしておれ、名もなき動鎧よ』
ルドラークが背を向け、鉄の扉を開け、その奥の階段を上っていく。
老人がそのあとを追う。
キィと音を立てて、扉が閉まる直前、ルドラークの声が響く。
『逃げ出したいのなら逃げ出せばよいぞ。逃げ出せるものならばな』
バタンッ――
そして静寂に包まれる。
ひんやりとした空気の石畳の部屋。
俺はぽつりと一人で尻もちをついたまま。
ぼうっと扉の方を見る。
そして気づく。
――え? 放置された?