彼らは噂に翻弄され、噂に生きる。
大正十二年九月一日、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件、それから第一次石油ショックの際に発生したトイレットペーパーの買いだめ騒ぎ、そしてナチスドイツによるユダヤ人の大虐殺。これらは人間の深層心理にくすぶる偏見や差別、漠然とした不安や恐怖が織り成す行動だ。我々ほとんどの人間にとって事実なんてものはどうでもいい。我々人間は事実よりも主観的真実と信念を大事にする。それはなぜか?
物事の真相はたった一つだが、真実は観点によって変わってくる。誰かにとっての真実だと思っていたことが他人にとっては真実ではない場合もある。真実とはいわば我々が創り出すフィクションである。ただし全員がそれを信じ、それが真相だと認めればそれはやがてノンフィクションとなる。この世の中もそんなフィクションのピースが集められ作られたパズルのような物なのだ。真実の敵は嘘なんかではない。本当に怖いのは一人一人の真実を勝手に真相にすり替えてしまう信念やそれを伝染病のごとく広める流言である。
三浦家
三浦家のリビングに置いてある薄型テレビからは女性アナウンサーの緊張感のある声が流れていた。『たった今、昨日の未明、大田区田園調布の住宅街で発生した殺人事件についての最新情報が入ってきました。昨夜逮捕された乾亮介容疑者が警視庁の取り調べで初めて供述した模様です。警視庁によりますと、乾容疑者は罪を認め、自分がやったと述べているそうです。また情報が入り次第お伝えしていきたいと思います。』テロップには『衝撃!高級住宅街で一家惨殺事件!』と出ていた。
三浦健治はカーテンの隙間から家の外の様子を窺った。朝早いのにもかかわらず多くの報道陣が群がっていた。
『まったく、しつこいな』ぶつぶつと文句を言いながらも外の様子が気になって仕方がなかった。
『仕方ないでしょ、人が殺されたんだから。大事件よ、大事件。まぁもう少し迷惑にならないようにやってほしいですけどね』妻の和代がちらりと外に目をやりながら言った。
健治はカーテンを閉め、食卓に腰を下ろし朝食のトーストに手を伸ばした。
『熱っ』慌てて手を離した。
『焼きたてなんだから気をつけてくださいね、でもすぐに冷めちゃうから早めに食べて』
健治は恐る恐る指先で食パンの端をつまみあげた。驚くことにもう熱くはなかった。
『出勤するとき大丈夫かしらね、構わないでほしいわ』眉間に皺を寄せ煩わしそうに窓の外を見た。
『早めに出るとするか』無意識にため息が漏れる。今朝は大事な会議がある。記者なんかに構っている暇はなかった。
『こう言っちゃ不謹慎かもしれないけど、迷惑よ本当』
健治は頷いた。誰もが内心そう思っているに違いなかった。
『引越してきたときからちょっと嫌な予感がしたのよ。お隣の田島さんもおっしゃっていたわよ。なんか違う気がしたのよね。ねぇ、あなたもそう思わなかった?』妻の問いかけにふとこの数ヶ月間のことを思い出した。確かに、何かが違った。
向かいの家に杉下家が越してきたのは六月の上旬のころのことだった。梅雨時前の晴れ晴れとした青空と突き刺すような陽射しが印象的だった。三浦家は田園調布三丁目の宝来公園から五百メートルあたりの場所にあった。道を挟んだ向かい側に建つ一軒家は二年ほど前から空き家だった。和代はいつも前の家を羨ましそうに眺めては愚痴や嫌味を夫の健治にぶつけてきた。三浦家よりもひと回り大きく、三階建の白い近代的な家だった。三浦家も側から見れば十分なほど見栄えは良かったが、白い巨塔のように聳え立つそれには到底敵わなかった。三浦はいつも見下されているような気がしてならなかった。妻を諦めさせるためにも早く新しい住人が来てくれと願っていた。そんなとき、どうやら誰かが向かいの家に引越してくるらしいという噂を聞き、内心ほっとした。
『なんかね、実業家らしいわよ。四人家族なんですって』隣人の田島美代子が少し興奮気味に近所中に言いふらしていた。
『でもどんな人たちなのかしらね』和代も興味津々だったが健治は新しい住人のことなどどうでもよかった。正直なぜ周りがそんなに首を突っ込みたくなるのか全く理解できなかった。
越してきて早々新しい住人は挨拶に来た。三十代半ばだろうか、細身で長身の男が妻と思われる同じく三十代くらいの女を引き連れやってきた。
『初めまして。昨日お隣に越してきましたスギシタと申します。色々とご迷惑をおかけすることもあると思いますがどうぞよろしくお願いいたします』つまらない物ですが、と言って女が紙袋を差し出した。
日曜日だったため健治も家にいた。和代に促され健治も応対した。初対面の人間との会話はあまり得意ではない。何を話せばいいのかさっぱりわからない。幸い和代はそれが得意だった。家族構成や引越してきた経緯など根掘り葉掘り聞いていたが健治の耳には何ひとつ入ってこなかった。話の内容よりも杉下徹という男とその妻の杉下花の二人が醸し出す空気が妙に引っかかった。夫は一見おとなしそうだが表情や言葉の端々から見え隠れする強気な姿勢を健治は見逃さなかった。妻の花は美人で愛想がよかった。和代の話に熱心に耳を傾け幾度も勉強になります、と繰り返していた。
一見、二人とも人当たりのいい温厚な人物に見えるが、人と接することの多い健治にはどうしても何か引っかかった。具体的に何が引っかかったのかと問われると分からないが、一言で言うと、不自然だった。しかしそのときは気のせいだと自分に言い聞かせた。
杉下徹と花には二人の子供がいた。長女が八歳で長男が五歳。長女は母親に似て鼻筋の通った可愛らしい顔をしていた。ハキハキと挨拶をする活発な女の子だった。対照的に弟の方は内気で気の弱そうな顔をしていた。姉弟でこんなにも違うものなのかと不思議に思ったのを覚えている。三浦の子供たちはもう成人してもう何年も前に二人とも家を出て行った。不思議なことに子供たちが家を出て行ったときも然程寂しくもなかった。和代は生き甲斐を失ったかのように一時期落ち込んではいたが、すぐに趣味にはまりそれなりに楽しそうにやっている。子育て中に放棄していた自分の時間を大いに満喫しているようだった。
杉下夫妻は近所の家のことがとても気になるようだった。特に三浦家から四軒ほど離れた福武家に興味を抱いている様子だった。福武家は田園調布3丁目で一番と言っていいほどの豪邸だが、住人のことに関して三浦はほとんど知らなかったうえに見かけたことさえ無かった。妻の和代の話ではどうやら資産家らしい。福武家はあまり近所付き合いをしないため全く情報が入ってこなかった。三浦自身は然程興味なかったが、暇で噂好きの主婦には格好の話の種だった。福武家は見るからに豪邸で目を引くのは確かだが、杉下夫妻の関心度は異常だった。家族構成や主人の職業、さらには生活パターンについてまで質問してきた。和代でさえほとんどの質問に答えられなかった。しばらくすると諦めたのか、飽きたのか、短く挨拶をした後そそくさと立ち去って行った。
それからしばらくは特に気になることもなかった。あの日以来家には訪ねて来なかったし、すれ違う度に挨拶を交わす程度だった。三浦も仕事で大きなプロジェクトを任されたばかりの時期で忙しくてろくに妻の話に耳を傾けていなかった。唯一違和感を覚えたのはある日出勤中に杉下徹と思わしき人物が駅前でビラ配りをしているのを目撃したときだ。三浦は運転中にサイドミラー越しに見ただけだったので見間違えかもしれなかったがあれは確かに杉下だった。高級住宅街に引っ越してきた男が一体なぜ駅前なんかでビラを配っていたのか、そのときはそれほど気にならなかったが今となっては何か引っかかる。
記者 松尾
『なんでこんな朝っぱらから取材なんですかね?昨日二時間しか寝てないんですよ?』
『仕方ない。取材ってのは時と場所を選ばないからな。お前ももっとシャキっとしろ、そんなんじゃ他社の連中に持ってかれるぞ』松尾は気怠そうにしている平野に言った。まったく、これだからゆとり世代は困る。
正直なところ、ベテランの松尾もかなりきつかった。ここのところまともに睡眠をとれてなく、一日中張り込んでいることが多かった。立て続けに大きな事件が起きて取材と原稿の執筆の繰り返し作業だった。そんな中、また大きな事件が起こり、朝の五時からずっと高級住宅街のど真ん中で寒さを凌いでいた。師走の風は肌を突き刺すようで目も開いているのが辛かった。急に呼び出され慌てて支度を整えたため、スーツは皺だらけの上にコートを羽織ってくるのを忘れた。
『それにしても多くないですか?朝早いのにこれだけの記者が集まるなんて普通じゃないですよ』
確かに普段に比べて報道陣の数が格段に多かった。松尾たちも会社から連絡を受けてすぐ駆けつけたはずなのに現場に到着したときにはもう記者たちでいっぱいだった。
松尾は毎朝新聞社に勤めてもう二十年以上経つ。新聞社の記者になったのは収入が安定しているからという理由だけだ。かつてはフリージャーナリストに憧れ世界各地を飛び回ってみたいという思いが強かったが、四十を越え、今となっては特にジャーナリズムに情熱を燃やしているわけでもなく、ただただ取材のためにあちこち駆けずり回る日々を送ってきた。別に目玉となる記事を書かせてもらえるわけでもなく、後輩を携え取材に出向き、取材の基本を教え込むことくらいが松尾の役割だった。そのことに対して不満は無い。家族もなく、恋人もいない松尾にとって昇進や出世などはどうでもいいことだった。同期の連中はどんどん昇格していったが、傲慢で口うるさい上司に媚び諂ってまで上を目指そうとは思わなかった。昔から周りに『お前は上昇志向が欠けている』とよく言われていた。中学も公立で十分と思っていたが親や教師に強引に勧められ仕方なく有名私立校を受験し合格した。大学受験の際も自分では二流大学で十分と思っていたが担任に『絶対受けた方がいい』と強く推され、結局慶政大の政経学部を受験し、余裕で受かった。同じ学部の学生たちは皆、上昇志向が強かった。そんな周囲との温度差を感じながらの大学生活は松尾にとって多少窮屈ではあったが、純粋に政治や経済について学べる環境がありがたかった。四年という月日は風を斬る矢のように過ぎ去っていった。大学院に進むかどうか一時期悩んだが、両親の意向で就職することに決めた。リクルートスーツに身を包み、十社以上受け、全ての会社から内定の通知を受けた。官僚という道もないわけではなかったが、薄汚い政治屋の手足となって働く気は到底なかった。ちょうどその頃、松本サリン事件が世の中を騒がせていた。平和という居心地の良い生ぬるい湯船に浸かっている日本の国民にとってあの事件は驚天動地の事態だった。松本サリン事件とは1994年6月27日に長野県松本市で猛毒サリンが散布され死者八人、負傷者660人を出した事件である。ずさんな捜査と身勝手な報道で無実の人間を罪人にでっち上げた冤罪未遂事件でもある。後に怪文書によってオウム真理教の犯行だと判明した。この事件のニュースを松尾は大学最後の年、自宅のアパートのブラウン管テレビで見ていた。テレビのニュースを見ながら疑問を抱いていた。こんなにもマスコミの力は大きかったのかと思い知った。あたかも河野という男が犯人だという認識を視聴者に植え付けていったー松尾も最初はその報道を信じて疑わなかった。しかし、それが誤った報道だと知ったときの衝撃は半端なかった。何よりもマスコミの報道を鵜呑みにし、信じきっていた自分に腹が立った。そのとき初めて報道の仕事に興味を持った。どうせなら自分の目で視たい、耳で聴きたい、自分の頭と心で理解し、受け止めたい、そう思った。そうして筆記試験と二度の面接の後、日本の新聞社の中でも最大手の毎朝新聞社に就職した。入社してすぐ、希望が通り社会部に配属になった。最初の数年間は地方の支部で勤務。入社五年目にして警視庁記者クラブに配属になった。警視庁には幾つかの記者クラブが在籍していて、毎朝新聞はその中でも最大規模の五社会に入っていた。五社会とは大手新聞社の夕日新聞、朝日経済新聞、毎読新聞、産政新聞、そして毎朝新聞からなる記者クラブで、警視庁の二階の片隅にあった。四方八方書棚で埋め尽くされていて狭いスペースに記者たちが窮屈そうに肩を寄せて仕事をしていた。松尾の最初の仕事はサツ回り(警察まわり)だった。自分の書きたい記事を書かせてもらえることは少なく、殆どが上司から指示されたものについてだった。時には苦い思いをすることもあり、遣る瀬ない思いも嫌というほど味わった。周りの人間は特ダネにこだわった。そのために警察の人間に金魚のフンのようにまとわりつき、『夜討ち朝駆け』なることをやっていた。松尾は特ダネだの独材だのには関心が無かった。それよりも、手元にある情報で、自分の腕と頭で勝負したかった。警察が出す広報文を元に地道に取材をし、記事を作り上げていく、なんといってもその作業が好きだった。自分の記事が一面に載ったときの快感はとても心地の良いものだった。自分の手塩にかけて育てた子供が自立して羽ばたいていくような感覚。その分、記事が好評だったときは鼻高々だったが、悪評されたときはとても心苦しい思いをした。警視庁記者クラブにいたおかげで警察関係者にも人脈ができ、内部情報にも詳しくなった。七年ほどで異動になり、それから地方を回り、五年ほど前からまた警視庁記者クラブに配属となった。
今朝はキャップの石松から電話があり、急いで現場に向かってくれと言われた。断る間もなく電話は切れた。愛車のトヨタハリヤーを全速で飛ばし現場に向かった。田園調布辺りの土地勘が無いため、少しばかり時間を食ったが電話があってから三十分ほどで到着した。後輩の平野は十分ほど遅れてやってきた。どうやらかなり慌てていたらしくシャツの色とネクタイが不釣り合いで左右の靴下の色も紅白になっていた。そんな平野を一瞥し、自分の身なりを確認した。藍色のネクタイにグレーのジャケットとスラックス。全体的に地味で、センスの良いコーディネートとは言えないが仕方がない。
『お前ちゃんと寝癖直しとけ』
『直せたと思ったんですけどね』そう言い平野は眠たげな面持ちで髪をクシャっとしたが寝癖というものは難敵でなかなか言うことを聞かない。
閑静な高級住宅街の中心に数十人の記者やカメラマンが集まっているにもかかわらず、辺りは闃然としていた。誰もが息を殺し、ある一点を見つめ、ただひたすらその瞬間を待っていた。あの不気味な青白い扉が開く瞬間を。