役者は揃いて頁を捲る‐‐ライオット・シュタイン 1
「何だこれ!」
腿をこれでもかと振り上げて早朝の道路を爆走する男の姿があった。彼の名前はライオット・シュタイン。ドリームシティで暮らす青年である。
叫ぶライオットの左腕には白髪で白い司書服を着た少女が抱えられ、その後方からは額に呪言の札を貼り付けた物言わぬ集団が垂直ジャンプを繰り返しながらライオットを追っている。
「お答えします。あなたは『全知の書』争奪戦の参加者となりました。あなたを追っているのは屍の王、ミン・ヤオが放ったキョンシー達です。自己紹介が遅れました、私はリアン。全知の書、691471286491ページ目の番人であり、今回の進行役兼勝利条件をやらせてもらう者です。以後お見知りおきを」
「ごめん! 訳分からない! 良く噛まないね! つか君軽いね! 羽根のようだよ!」
やけくそに成りつつも、ライオットは少女へと律儀に言葉を返した。
何故、この様な状況が生まれているのか。事の起こりは三十分前。ドリームシティに本日の夜明けが訪れた時に遡る。
*
ライオット・シュタインは夜明けのドリームシティを歩いていた。白く吐かれる息に冬の訪れを感じながらライオットはその黒髪を掻きながら大きく欠伸する。
「何だって徹夜に成るのかねぇ」
ライオットは何でも屋「チミモウリョウ」で働いている。と言ってもチミモウリョウにはライオットとサクラという美麗な上司しか居ない。偶にヘルプでボブと言う狸腹のハッカーが現れるが、主に仕事をしているのはライオットとサクラだった。
サクラはその美麗な見た目に反して大雑把な上司だ。基本的に勘で行動し、それで上手くいくのだから良いのだが、稀にその勘が大いに外れる事があった。
そして、昨日、その勘が盛大に明後日の方向へ向いてしまったのだ。昨日受けていた依頼はドリームシティに消えた宝石ブルールビーを探し出す事だったのだが、サクラの勘に従った結果、マフィアと警察とサイキッカーが入り乱れる大騒動に成ったのである。
ここでドリームシティの事を説明しよう。この町には普通の人間では無い人種が多数生活している。超能力者から魔法使い、果てには人造人間にまで様々だ。信念も人種も全てが入り混じったドリームシティの姿は夢の様に刻一刻と移り変わり、何時醒めるとも分からないまどろみの中に居る。
ライオットはドリームシティ育ちであり、何時の間にかサクラの元「チミモウリョウ」で働いていた。もっと安定した仕事に就くはずの将来プランだったのが、人生何が起きるのか分からない、諦めるしか無いだろう。
まあ、そんな訳で、平常運転のドリームシティと誤作動を起こした上司の第六感が噛み合った結果、ブルールビーを巻き込んだ騒動は泥沼化し、つい先ほど、正当な持ち主のリリス・オリオンへとブルールビーが渡る事で終結した。
ボロボロになり死屍累々の顔をしながら報酬を受け取った後、サクラはオフィス兼自宅で崩れ落ち、ライオットは帰宅中と言う訳である。
「……ああ、頭イテー」
寝不足時の頭痛を感じながら、ライオットは止まらない欠伸を噛み殺して、一歩一歩足を進めて行く。一晩中走り回った足は重く、ベッドに倒れ込めばすぐに意識が落ちるに違いない。
愛しのベッドが待つ部屋へほとんど無意識にフラフラ歩いていたライオットは運が悪く、タイミングが絶妙だったと言うしかないだろう。
ドンッ。
「ん?」
ライオットの眼前。歩数にして三歩の距離に、脈絡も無く、何かが落ちて来た。
見るとそれはとても分厚い古びた本である。ライオットの上半身より少し小さいくらいの大きさで、厚さは拳大。所々が色落ちしてボロボロな赤褐色の表紙。これには文字も装飾も何も無く、一見して何の本なのか分からなかった。
「何処から落ちて来た?」
ライオットは顔を顰めながら本が落ちてきたであろう方向を見上げたが、そこにはただ夜明け近くの青白い空が広がっているだけで、誰かが本を落としたようにも、何かから本が落ちた様にも見えなかった。
「……」
寝不足で鈍った判断力の手伝いもあったが、ライオットはそれなりの好青年であり、人並みの好奇心がある人間だった。落とし物は気になるし、つい先ほど色々と世話に成った警察に届けようとも思うのだ。
先程よりも心なし軽くなった足音を三回鳴らし、ライオットは足元の本を拾い上げ、古びたページが破けないようにゆっくりと開いた。
瞬間、開かれた本のページが燦然と輝き出した。
「!」
赤、青、黄、緑、紫と煌びやかな網膜を焼く程の強さを持った光の前にライオットは驚き、持っていた本を放り出す。パタンと自然落下に近い放物線を描いたその本は丁度いい具合に背表紙を地面にして、光り輝くページを空へ、ライオットへ向けた。
ミラーボールを激烈にした眩さにライオットは左腕をかざして、一歩足を引く。
本から発する光は踊り、辺り一体を包み込む。堪らずライオットは眼を閉じた。
瞳を閉じ、腕をかざしてもなお、ライオットは網膜に光を感じる。あのまま眼を開いていたら失明していたかもしれない。
だが、突如として発生した激烈な輝きは、脈絡も無く消失した。
痛みを覚えるほどの色鮮やかな眩しさが断線した懐中電灯の様にパッと消え、恐る恐るライオットはかざした腕をどけた。
けれど、至近距離で太陽よりも強い光を浴びたライオットの瞳は中々に回復せず、はっきりと目の前にある物が見えるようになるまでに十数秒の時間を要した。
はたして、そこには真っ白な少女が居た。
「……はい?」
ライオットは、本と入れ替わるように現れた、長い白髪で白い司書服を着た少女へ、つい間抜けな声を出した。
少女は淡々と台詞を読み上げる様にライオットを見つめて問い掛けをした。
「おはようございます。ライオット・シュタイン。あなたは私を勝ち取る事ができますか?」
「……はぁ?」
――どういうこと?
そうライオットは言葉を続けようとしたが、それは叶わなかった。
トンッ。トンッ。トンッ。
と、軽やかで規則正しい音が後方から聞こえたためである。
見るとそこには異様な風貌の人間達が居た。
服装は何れも中華風。誰もが両腕をピンと前に突き出していて、ゆったりとした袖がダランと地面へ伸びている。どうやら女は白を、男は黒基調とした服を着ている様だ。
だが、このような服を着ている集団にならライオットも出くわした事があった。数年前にドリームシティを訪れた雑技団の格好と似ている。
ライオットの眼に止まった〝異様〟はその額にある。
瞳が閉じられた集団の額には、何やら赤い文字で漢字が書かれた札が貼られていた。
「……何だ?」
ライオットの疑問に答える言葉は無く、されど、ライオットの言葉への反応はすぐさま現れた。
トーンッ。
額に札を貼った集団は一息に八メートルほど跳び上がり、その血の抜けた青白い手から伸びた黒い爪をライオット達へと突き出したのだ。
*
「思い出しても訳分からん!」
「最初から説明しましょうか?」
「そんな余裕があるように見えるかなっ?」
キョンシー一団の爪は刻一刻と近付いていき、ライオットの服を掠り始めている。
「なお、ここで追加情報です。キョンシーの爪には毒があります。少しでも血液に混ざりましたら神経が麻痺し、最悪の場合呼吸困難に陥って死にます」
「情報ありがとう! 状況が悪化しただけだよ!」
リアンと名乗る少女の淡々とした言葉にライオットやけくそに成りながら、何とか右手でズボンからスマートフォンを取り出して画面も見ずに短縮ダイヤルをかけた。チミモウリョウで働いている内に身に付けたスキルである。
ライオットの電話先はサクラの携帯電話。困った時には美女の第六感。今こそ上司に指示を仰ぐのだ。
『……お掛けになった電話番号は現在電波の届かない所にあるか、電源が入っておりま――』
「あいつまた充電してねぇ!」
ずぼらな上司への敬意など瞬間的に消失し、苛立たしげにライオットはスマートフォンをポケットへ戻し、チラッと後方を見る。
キョンシー達の数は十を越え、いずれも足首だけを使ったぎこちない跳躍で十数メートルの距離を縮めていた。
また、周囲を見てみると、騒がしい一団に何だ何だと、店先や家の窓からちらほらとライオット達の姿を見ている者達が居る。彼らに助けを求めたい物だが、都合良くこの場に居て尚且つ切り抜けられる人材にライオットは心当たりが無かった。
しかし、ライオットは声を上げた。助けてくれる人材が思いつかなかったからと言って、助けを求めない理由にはならない。
「誰でも良いからヘルプミー!」