第七話 竜の王子と壊れた天使
翌朝、朝食を摂った後、僕は城下にいるルヒエルに使いを出し、僕の所へ来て貰うようにお願いした。天使の彼なら彼女のことで何か知っているかもしれないし、この手の問題で一番相談しやすかったからだ。実際、やってきたルヒエルに簡単に事情を話すと、彼もその子を気にしていたらしく、快く協力を申し出てくれた。
他の子達も着いてくると思ったが、意外なことに今日はみんな自宅待機を決め込んだらしい。聞くと真っ先に(家捜し目的で)着いてくる筈のナナが、自室にこもって終始ご満悦。理由は僕の子供のアルバムを見て変なにやけ顔をしている目撃例で丸わかりだろう。『良かったな、貴き者の犠牲によっていろいろな意味でみんなが救われたのだ』そんな言付けをしてきたファーザス君に妙に腹がたった。本当に王子権限をフル活用して強制的に仕事の手伝いをさせようか。
「こんな可愛い子を奴隷にしていただなんて…。イグっち…、いやイグウィル王子、まずば僕のナカマを助けてくれたことに感謝するよ、ありがとう…」
彼女の様子を一通り見ると、ルヒエルは頭を下げてきた。傍らの彼女を見ると昨日と同じ先生の部屋、昨日と同じ体勢のまま全く動かずに眠っているけれど大丈夫かな。こうしていると彼女が眠り姫になったように思えてくる。
「いや、お礼を言われるようなことを僕は出来なかったよ。お礼なら僕のかわりに先生に言って欲しいな」
「おや、イグウィル君。随分と良いことを言ってくれますね。それではちゃんと朝晩竜神として崇めてもらえるのですね」
…先生、こういう場面ではたとえ王子でも謙遜すべきって教えなかった?
「ところでルヒエル、さっきこの子をナカマって呼んでいたよね?やっぱり彼女は天使で間違いないということかな」
「間違いないね。この半精霊体で出来た翼をもつのは天使しかいないもの。ああ、半精霊体って簡単に言えば物理の領域から半ばはみ出た存在のものさ。物体と霊体両方の性質を持っているから、実体と視覚の有無は本人の意志で変えることができるんだ。気分によって大きさが影響するという欠点もあるけれどね」
「ええと…。つまり天使の翼って本人の意志で実体ごと隠せるし、精神状態によって形が変わる特徴があるってことかな、ルヒエル?」
「そういうこと。彼女の場合だとこの小さな翼だからね…、余程酷い目に
遭っていたんだろうな。こんな首輪の跡まで残して可愛そうに…」
そう言うと、未だに眠る彼女の頭をルヒエルは優しく撫でた。
「残念だけれど、彼女がどこの世界の天使までかは分からないな。僕らの同郷ではないみたいだけどね」
「あれ、ルヒエルのコロニーの子だと思ったけれど違うのかな?天使の子は滅多にいないから、てっきりそうだと思っていたよ」
「そうだと良かったのだけれどね。僕らの所の天使はみんな羽耳を持っているからすぐ分かるんだ。あ、羽耳って今見ているこっちの普通の耳のことじゃなくてこっちの耳さ、ほらっ」
そう言うと、ルヒエルは頭の左上側についている大きな耳状の羽を指さした。
「結構目立つだろう、これって。僕らの種族だとこの羽耳が片側についているんだ。雄は左側、雌は右側ってね。でも、この子には痕跡すらみつからないだろ?隠すにはちょっと大きすぎるし。おそらくこの子は他世界の閉鎖的な天使のコロニーから、ひとりだけ無理矢理連れてこられたのだろう。どうやったらあいつがそんなこと出来たかが最大の謎だけれどね」
「言われてみれば確かにそうだな…」
レイレイ君が天使の町に潜入してこっそり天使の女の子を誘拐…というのは絶対にないだろう。何しろ、悪魔の角も翼も隠さない変装だから、あっというまに袋だたきにされるだろうし。そういえば、あの悪魔は動乱で彼女を手に入れたって言っていたな。その言葉をそのまま信じるつもりは無いが、調べてみる価値はありそうだ。
「何か情報がないかあたってみるよ。でもうちって他の天使種族と交流があるのは少ないからね。手がかりなしだったら勘弁してくれ。」
「わかっているよ。それでもアドバイスまた貰えたら嬉しいかな、天使の関係者って滅多にいないから本当に助かったよ」
僕の言葉に気にするなと言いたげに、右手を挙げるとルヒエルは迎えに来た侍女に連れられて部屋を出て行った。お礼はいらない…と笑っていたけれど、後で偶然手に入った アヴァロンのレアカードを全部あげるつもりだ。
「これで帰る家が見つかるといいですね、先生。僕らも情報部に天使のことをかけあってみますか?」
「それがいいでしょう。けれど彼女の正体がばれないように注意して下さい
ね。一騒ぎになったら、面倒事に巻き込まれて余計辛い思いをするでしょう
し。今の彼女には安住の地と安らぎが必要です」
「分かっていますよ。あとは落ち着くまでここで保護して、その後彼女の家まで送りとどける。それが先生の考えているシナリオかな?」
僕の問いかけに先生が口を開こうとしたとき、背後からかさっというかすかな音が聞こえてきた。振り向くと、眠っていた彼女が起き上がり、じっと僕のことを見つめている。薄桃色の毛と青い髪は光で鮮やかに照らされていたが、目は昨日同様に暗く淀んだままだ。
でも良かった、無事に目が覚めたみたいだな。
「おはよう。もう身体は…」
大丈夫かい聞こうとした所で、口がきけないことを思い出した。いけない、どうやって会話すればいいのか考えてなかった。身振りじゃわからないだろうし。
彼女も何かを探すように辺りを見回している。やがて、近くにあった先生の事務机に目を向けると、ベッドから起き上がり、乗り越えるようにして椅子へと座り込んだ。伸ばした手にはインクボトルに葉を加工して作られた万年筆、そして端に置かれていた紙の束を手元に引き寄せている。
「良かった、どうやら筆談ができるようですね。ただ、私の筆記用具を無断で使うのは、…って話すことは出来なかったですよね?ああ、大丈夫。使って良いですよ」
苦笑する先生をよそに彼女はペン先にインクをにじませると紙にペンを走らせる。その手つきはとてもゆっくりとしたものだったけれど、その間僕らは何も言わず彼女と綴られていく文字を見守っていた。
『たすけてくれて ありがとう』
用紙にはこう小さく綴られていた。文字も僕らが使う共通文字だし、字も少し震えているけれどハッキリと読める。良かった、これなら筆談で意思疎通が出来るだろう。
「どういたしまして、可愛いお客さん。ここはドラゴニア王国カポック宮殿にある一室です。ああ大丈夫、結界を張っていますから、君を酷い目に遭わせる悪魔は決してココには来ませんよ。」
「僕はイグウィル=ユグドラシル。この国の第一王子をやっているよ。こちらがミーティス、僕の教育係さ。大丈夫かな、僕らの言葉は分かるかい?」
「イグウィル君そこまで。そんなに一杯いっても分からないですよ 」
先生がしたとおり、字を書く彼女の手が止まっていた。いけない、やっぱり質問が多すぎたかな。それにしても僕の事を王子と聞いても驚いた様子はないみたいだ。悪魔から第一王子に献上することって聞かされていたせいだろうか。
「っと、じゃあ聞きたいことを紙にかいてくれるかい?もしなかったら今度は君のこと教えてほしいな。とにかく言い…いや書きたいことなら何を書いても構わないから」
「あ、それなら部屋の片付けも得意かどうかということも聞いて下さい。採用基準として重要ですし」
「え…!?先生、この小さな子にも自分の部屋の整理整頓頼むつもりです
か!?」
「え…いやまさか…。冗談に決まっているじゃないですか」
「嘘ですよねきっと?顔は嘘を隠せても仕草に違和感ありましたよ。小さいときに嘘を言いかけたとき、『異界じゃ嘘つきは泥棒の始まりというのです
よ!』といって叱ったことありませんでした?」
「いやいやいや、だからまず少しは先生の言うことを信じましょうよねぇ。そうもがちがちに考えると老けるのが早くなっちゃいますよ」
「先生!!!」
しばらくの間こんな道化じみた会話が続いたけれど、僕も先生にもこの会話にちょっとした意図があった。彼女がこの話でどう反応するか見たかったからだ。そうでなくても、彼女に漂う暗い雰囲気を少しは気分がほぐせるならいう気持ちがあった。ただし地が少なからず混ざっていたのも間違いない。場合によっては本当に彼女を部屋係に採用していたでしょう、先生?
彼女はというと、王子らしくないこのやりとりを聞いていたが、特に反応がない。あれ、もしかして滑ったかな?
と、彼女は再び紙に目を落とすと。ゆっくりと文字を書き始めた。何を書くのか幾分軽くなった気持ちから笑顔で紙をのぞき込む。ところが、その書かれた文字を見るなり僕は笑顔のまま凍り付いた。
『たすけてくれて ありがとう』
『たすけてくれて ありがとう』
「え、これって…!?」
冗談で書いている…そう思いたかったが彼女の顔に表情はなかった。よく見ると視線は書いている文字から外れているのに寸分も違わず同じ筆跡だ。なんだろう、冷たい霧に縛りつけられたような嫌な苦しみが伝わってくる。
『たすけてくれて ありがとう』
『たすけてくれて ありがとう』
先生に目を向けたが、先生も険しい顔で首を横に振っていた。更にまだ文字が綴られ
『たすけてくれてありが…』
「も、もういいよ!」
たまらずに、僕は大声で彼女に声をかけた。叫び声に近かったかもしれない。
僕の言葉に、彼女は少しだけ文字を綴った後、書くのをやめてうつむいてしまった。
「その…お腹がへったろう?朝食の残りで良かったら、家族用の食堂においで…ね。この出入り口出て階段上ればすぐだから? 今日はパティおばさんが作ったシチューにクロワッサンだから絶対に美味しいって…ね」
(イラスト:ヒドラ作)
笑顔を浮かべたつもりだったけど、きっと生きていた中で一番酷い顔をしていただろう。彼女は、僕の言葉を聞いてもじっとしていたが、やがて食堂に続く部屋の出口には目を向けずベッドへと潜り込んだ。
程なくして彼女の静かな寝息が聞こえてきたが、僕も先生も何も言えなかった。ベッド脇の椅子に腰掛けるが、出てくるのはため息だけ。背後の羽と尻尾がずしりと重みを増したように感じてくる。正直僕もベッドにこのまま横になりたい気分だった。
「先生…今のはだいぶ堪えましたよ。」
「やられましたね。完全に心が折れています。私もこういう経験無いわけじゃありませんが…、それでも良い気分にはなれません」
先生はそう言うと頭を振った。
「彼女の居た世界を聞き出して、帰してあげるつもりでしたが、これでは頓挫させるしかありませんね。このままじゃ見捨てて放り出すのと一緒ですよ。」
「とりあえず、彼女は暫く部屋で静養してもらいましょう」
ただ…と先生が言葉を続けてくる
「イグウィル君に王子の資格問題を一つだけ。君は、彼女がまだ心を残していると思いますか?治る見込みはあると思っていますか?」
「先生、答えが分かっていて聞いていますね?」
僕はそう答えると、先ほどまで彼女の綴っていた紙へと目を向けた。
『たすけて』
書きかけの紙には、ここまで書かれた所で終わっていた。何となく、この文字だけが少しだけ大きく書かれているように僕には見えた。
(イラスト:ヒドラ作)