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お医者さん  作者: RANPO
第四章 「運も実力のおうちっていウヨ?」
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第四章 その3

第四章 その2の続きです。

 小町坂に会えて満足そうな宇田川さんと、変な時間に起こしたせいで目が開いてるのかどうかわからないことねさんと、いつも通り元気なライマンくんを引き連れて、オレたちは再びアメリカへと移動した。目的はもちろん、『四条』の会合だ。

 結局、オレたちが日本にいる間……んまぁ、と言っても二日も無いんだが、その間は例の青年は現れなかったようだ。

 一応、小町坂の所から戻った後、みんなには眼球マニアから聞いた話をそのまま話した。《パンデミッカー》がまた来るかもしれないという話を。

 というか……《デアウルス》が《ヤブ医者》を集めたのなら、襲撃はほぼ確実だ。オレとしてはことねさんたちには日本にいて欲しいわけなんだけど……同時に、確かな戦力を置いていくというのも不安に感じる所だった。

 これはキャメロンから教わった事だが……《パンデミッカー》と戦う事になった時、誰々がいるから安心みたいなことは考えない方がいい。つまり、集められる戦力は集めておけという事だ。

 《パンデミッカー》が使う力というのはつまりヴァンドロームの『症状』だ。それらは千差万別で、得意不得意というのが生まれる。今の所、全てのヴァンドロームに対して有効な治療法が無いのと同じで、例え相手がEランクのヴァンドロームの『症状』を使っていても、《ヤブ医者》が誰一人対処できないという場合もあり得る。

 その一例が、この前のアリベルトだろう。あの場で動くことが出来たのは、治療法は一切関係なく、Sランクをその身に宿すオレとことねさんだけだった。

 既にヴェーダという《ヤブ医者》を倒している《パンデミッカー》……スッテンや眼球マニアの超技術、鬼頭の剣術があっても安心はできない。

 ……んまぁ……《お医者さん》の卵である三人を戦力として連れて行きたいと感じるオレも随分情けないんだが……

 最終的には本人たちの意思を優先し、結局全員行くことになった。ま、宇田川さんはどちらにしても『四条』の会合に行くわけだけど。


 アメリカの時間に合わせて夜中に日本を出発したオレたちは、丁度朝を迎えたスクールの校門に立っていた。

『オ、キタナ。』

 校門にはスッテンがいた。

『キトートナンジョーハモウカイジョウニイル。カイゴウガハジマルノハゴゴラシインダガ……シュッセキシャヲナガメルナラ、ハヤメニイッタホウガイイダロウ。カイゴウガハジマッタラサスガニナカニハハイレナイダロウシ。』

 オレたちが何かを言う前に、スッテンの指が鳴ってオレたちはどこかの建物の中にいた。

「いきなり移動させるなよ……ここは?」

『カイジョウノホテルダ。』

 ホテルの……ロビーだろうか。もっと和風な感じになっているのかと思っていたが、内装はいじっていないようで、何の変哲もないロビーだった。たぶん、これが東条家が主催の場合の方針……みたいなモノなんだろう。

 ただし、そのロビーにいる面々の服装は和風そのものだった。

「キモノ! サムライ! オダイカンサマ!」

 ライマンくんが嬉しそうに騒いでいるが、実際そんな感じの服装の人物だらけなのだ。洋服を着ている人はちらほらとしかいない。

「それじゃ、お姉さんは宇田川の所に行くわね。」

 そう言って宇田川さんは相変わらずの幽霊スタイルでどこかへ行ってしまった。

『ンン。ドウスルカ。ノゾキニキタトハイッテモ、ムカンケイナニンゲンガポツントタッテイタラフシンガラレルナ。』

 鎧姿のスッテンが不審がられる事を気にし出した時、オレたちの前に誰かが立った。


「ようこそおいでくださいました。」


 そう言って丁寧に頭を下げたのは、オレと同い年くらいの青年だった。

「鬼頭新一郎先生からお話は伺っています。安藤享守先生、スッテン・コロリン先生、溝川ことねさん、ライマン・フランクさんですね?」

 和服だらけの会場において、随分とラフな格好の青年だった。いや、ラフというわけでもないか。水色の襟付きポロシャツに……スーツのズボンとジーパンを足して二で割った感じの……カジュアルなビジネススタイル? とでも言えばいいのか。そんな感じのズボンをはいている。

 普通に日本人だから黒髪なんだが、伸ばした後ろ髪を首の両側から前に出していて、なんだか女性っぽい髪型をしている。

 笑顔の似合う……というかずっとニコニコしている、人当たりの良さそうな印象で、どこぞの喫茶店でバイトしている爽やか大学生……みたいな感じだ。

 ただ一つ、《お医者さん》っぽい変な部分は、腰に『東』と書かれたひょうたんをぶら下げている点だ。

「おや、やはり気になりますか?」

 なんとなくひょうたんに視線が行っていたオレに気づいたその青年は、やれやれという表情で……しかしニコニコと呟く。

「まったく、時代に合いませんよね。いつまでも古めかしい限りですよ。重要なのは会合の中身だと言うのに、皆が皆そろって和服ですし……まるで装備だけは立派な初心者山ガール、山ボーイのようですよ。」

「そ、そうか……ところであんたは……?」

 オレがそう尋ねると、青年は一瞬きょとんとし、そしてニコニコ顔でくすりと笑った。

「おやおや、これは失礼しました。ふふ。いえ、この会合でわたしは名乗った事が無いモノで。いやいや、狭い中で偉くなった気になってはいけませんね。」

 青年は姿勢を正し、キリッとした……ニコニコ顔でこう名乗った。

「わたしは東条蒼葉。現東条家の長であり、本会合を取り仕切っている者です。何かご不便等ありましたら、なんなりと。」

『トージョーアオバ……ン? トージョーケノオサ? オマエガカ?』

「ええ。ちなみにこのひょうたんは、東条家の長の証です。」

 と言いつつも、随分と軽めに摘み上げてぶらぶらとひょうたんを見せて来る青年……東条だった。

「ヘー。日本のトップって聞いたからもっとおじいちゃんかと思ってタゾ。」

「よく言われます。東条家の仕来りでしてね。長になる人間は二十から三十歳の間と決まっているのです。東条家は常に新しい考えを求めている家風ですから。ライマン・フランクさんが想像したおじいちゃんのトップとなると、『四条』では北条家になりますね。」

 東条はそう言いながら、「こちらへどうぞ」とオレたちを促す。ロビーを突っ切り、部屋の並ぶ廊下に入り、そして一つの部屋の前で止まる。

「鬼頭新一郎先生。《ヤブ医者》先生方がお見えに。」

 扉が開き、顔を出したのはもちろん鬼頭。

「んー、来たか。悪いな蒼葉。手間かけた。」

「いえいえ。東条としては大歓迎ですよ。それでは。」

 東条はそう言ってニコニコとその場から去って行った。オレたちは鬼頭の部屋に入る。

「わ、わわわ……み、みなさん、来た、んですね……」

 建物が建物なだけに部屋は洋室なんだが、ベッドの上に人形のように座っている和服姿の詩織ちゃんはなんだが面白かった。

「詩織ちゃんも会合に出席するんですか?」

 ことねさんがそう聞くと、申し訳なさそうに頷く。

「わ、わたしも一、応、南条家の、人、だから……」

「んー……つーか、現南条家の長は詩織の母親だ。」

『ナルホド。ソレハシュッセキシナクチャイケナイナ。オサハセシュウセイナノカ?』

「んー、大概な。ただ、詩織の場合はレアケースっつーこともあるし……どうなるかな。南条家の弟子の誰かがなるって噂だが。」

「わ、わたしはそれ、で、いいんです、けど……」

 詩織ちゃんがぼそぼそとそんな事を呟く。

『シカシ……ハナシハカワルガ、アマリキタイシテイタヨウナバショデハナイナ。』

「んー? 何を期待してたんだよ、『四条』の会合に。」

『ゥワァタシハ、『ハンエンタクカイギ』ノヨウナイメージデココニキタカラナ。ドンナオモシロイニンゲンニアエルノカトワクワクシテイタノダガ……フルメカシイダケノシュウダンニシカミエナクテナ。』

「んー……さっきの蒼葉が充分面白いんだがな。」

『トージョーガカ?』

「んー……どーでもいいが、この場には東条って苗字の奴は結構いるからな。蒼葉って読んどけ。」

『ン、ソウカ。』

「んー、あいつはあんな普通の雰囲気出してるが……あいつは水を使って術式を組み立てる。」

「……それくらい普通なんじゃないのか? 小町坂も時々血とかで術式を作るぞ?」

 オレがそう言うと、鬼頭はチッチッチと指を振る。

「んー、血は粘り気があんだろ? 乾けば固まるし。だから魔法陣とか文字をかくのに使えるんだ。だが水はそうはいかない。あんなさらっさらの物体で魔法陣をかくんだぞ? しかも無色透明で何かいたかもよくわかんねー。どこにでもあるし、血と違ってほぼ無制限に使えるが、術式をかくのには向かないモノ……だったはずなのに、あいつは水でオッケーなんだ。どういうテクニックなのかわかんねーがな。」

『ホウ。オソラクシャボンダマノヨウニカイテンヲクワエテヒョウメンノ――』

「んー、科学の講義はわかんねーよ。とにかく、そんな変人って事だ。《ヤブ医者》みてーだろう?」

『ホカノ『シジョー』モソンナカンジナノカ?』

「んー……会ってみるか? 歓迎はされねーだろうが。」

『フム、オモシロソウダ。』

「んー、会合までは時間あるしな。ちょうどいい暇つぶしだ。おい詩織……詩織?」

 鬼頭が詩織ちゃんを呼ぶが、詩織ちゃんはベッドの上で俯いている。

「んあ! おい、詩織! 起きろ!」

「! ふあ……」

 どうやら寝ていたらしい。

「ったく、やっぱりこうなったか。会合終わるまでは頑張れ。」

「は、はい……」

 そう言いながらも詩織ちゃんは船をこぎ出す。そう言えば時差ボケがどうとか前に言っていたな。そうか、詩織ちゃんは時差の影響をもろに受けてしまうタイプなんだな。

「んー……詩織が眠るとまずいからな。わりぃ、『四条』の紹介はできねーわ。」

『マズイノカ?』

「んー、まぁな。あ、確かお前ら北条派の知り合いがいたよな? そいつはどうした。」

「宇田川さんなら自分の家の所に行くって言って……」

「んー、よし。北条派の連中がどの辺りにいるか教えてやる。あとはそいつに頼め。」

 ついさっき別れたばかりなんだが……とあんまり気乗りしない気分でいると、部屋のドアが開いて何故か当の本人が現れた。

「いたいた。ちょっと来てほしいんだけど。」

「……だレダ?」

「お姉さんよ。」

「エエ!?」

 ライマンくんが驚くのも無理はない。宇田川さんは幽霊スタイルから綺麗な和服姿になっているのだ。相変わらずニヤリ顔ではあるんだが、服が変わるだけでこんなに印象が変わるとは。

「ミョン! なんだかすごく美人ダゾ! 馬鹿にも胃腸ダナ!」

「意味がわからないわ。馬子にも衣裳でしょ……って失礼ね。」

「お化け服も好きだけどこっちもいイゾ。そっかー、ミョンは美人だったんダナ……」

 なんだか久しぶりに会った親戚のおばちゃんみたいにしみじみと嬉しそうなライマンさんに対し、少し顔を赤くしつつも意地の悪い顔をしている宇田川さんが反撃する。

「ライマンだって、それなりの格好すればそれなりになると思うわよ? 髪伸ばしてスカートとかはいて……」

「髪伸ばすのはいヤダ。」

「何でよ。」

「小っちゃい時に女の子らしくしましょうねってお母さんに言われて伸ばしてた髪がブランコで遊んでる時に鎖に絡まって痛い思いしたンダ。あの時、僕は髪を伸ばさないって決めたンダ。」

「……ライマンにしちゃ真面目な理由ね。」

「失礼ダナ! 下敷きの中にも冷気ありダゾ!」

「何よ、その夏に嬉しい下敷き。」

 親しき中にも礼儀ありだろうな、とオレが思っているとスッテンがガショガショ音を出しながら両手を振る。

『ホイホイ、ガールズトークハソノヘンニシナイカ。ウダガワハナニカヨウガアッテキタンダロウ?』

「あ、そうよ。安藤先生たちの事を話したら。お姉さんのお父さんが会いたいって。」

『ンン? 『シジョー』ハ《ヤブイシャ》キライナンジャナカッタノカ?』

「確かに全体的にそんな空気だけど、それは『四条』の本家の話よ。分家になると色々な人がいるわ。少なくとも、お姉さんのお父さんは鬼頭先生以外の《ヤブ医者》が来てるって言ったら嬉しそうにしたわよ。」

 という事で、東条がせっかく案内してくれた鬼頭の部屋を五分と経たずに後にして、宇田川さんに連れられて北条派が集まっているという部屋に来た。いや、部屋というかホールだな。どうやらこの建物、こういう会議とかチャリティーとか用に大きな部屋がいくつもある建物らしい。

「ホージョーは習字で術式を描くってコマッチが言ってタゾ。みんな習字の先生なノカ?」

 ライマンくんがそう言ったのは、小町坂の話だけのせいではない。そのホールにいる和服姿の人々の大半が、何故か腰から筆をぶら下げているのだ。

「墨と筆が絶対ってわけじゃないわ。北条の術式は黒いモノで描くのが基本なのよ。」

「そッカ。ミョンはオセロで術式描くもンナ。」

「碁石よ。」

「小石? サンズノカワダナ!」


「はっはっは。そこはおそらく、賽の河原だね。」


 指してる場所は結局同じだが、微妙な違いにツッコミを入れつつ和服姿の四十くらいの男性が近づいて来た。

「あ、お父さん。」

 男性に対して、宇田川さんはそう言った。

「ん、ミョンのお父さンカ?」

「そうよ。」

「どうも。」

 柔和な笑顔で軽くお辞儀をする宇田川さんのお父さん。

「お父さん、この二人が《ヤブ医者》の安藤先生と……コロリン? 先生よ。」

「これはこれは。私は妙々の父、宇田川蓮です。」

「安藤享守です。」

『スッテン・コロリンダ。』

「鬼頭先生以外の《ヤブ医者》には初めてお会いしました。どうぞよろしく。」

 軽く握手をするオレたち。そして何故か宇田川さんのお父さんはオレとスッテンを交互に見た後、オレの方を不思議そうな顔で見つめてきた。

「……なんですか……?」

「……いえ……失礼な事を言いますが……《ヤブ医者》の方と言うのは独特の雰囲気があるようで……鬼頭先生とコロリン先生からは同じような印象を憶えます。」

「印象……ですか。」

「ええ。この人が《ヤブ医者》だと紹介された時、証明書を見なくとも、ああ、確かにそうだなと確信の持てる雰囲気……ですかね。そういうモノが安藤先生からは感じられないので……」

『アッハッハ。キョーマニハ《ヤブイシャ》ノカンロクガナイトサ。』

「何だよ、《ヤブ医者》の貫録って……」

『ダガ……コノキョーマハタシカニ《ヤブイシャ》ダ。ソレモ、ゼンニジュウハチニンノウチ、イチバントンデモナイギジュツノツカイテダロウナ。』

「そう……なのですか。」

 宇田川さんのお父さんが意外そうな顔でオレを見る。そしてオレがどんな技術を持っているのかという事を説明したのは、スッテンではなく、何故かことねさんだった。

「先生は《お医者さん》の中で唯一、切り離しをせずに治療が行える人なんです。」

「! 切り離しをせずに!? 『食眠』状態のヴァンドロームに攻撃を加えることが出来るのですか!?」

「はぁ……まぁ。」

『アッハッハ。トンデモナイダロウ?』

 何故かスッテンが自慢げにしゃべるのを見ながら、オレはことねさんをチラ見する。ことねさんはいつも通りの半目顔だったが、何故か左手を腰に当てていた。基本的にことねさんはだらんと腕を垂らしている事が多く、腕組みしている所も滅多に見ない。要するに、少し珍しいポーズをしていた。

 いや……あれは《オートマティスム》なのか?


「《ヤブ医者》じゃと?」


 突如、ホール全体に響き渡る声。見ると、ホールの奥の方からつかつかと誰かが歩いて来た。

「奇天烈な事しかできぬ文字通りのやぶ医者が、北条になんのようじゃ!」

 カンッと杖で床を叩いたその人物はかなりのおじいさん……いや、じいさんだった。あの柔らかく、紳士的だった卜部先生とは真逆で、絵に描いたように腰の曲がった身体に将軍様みたいな威厳たっぷりの和服を着ている。

 まるで仙人のような髭をゆらし、こちらを見上げているはずなのに見下ろしているかのような高圧的な態度。伝統、家柄、そして年齢。そういういかにもなモノこそが全てだと豪語しそうな……そう、一言で言えば偉そうなじいさん。

 我ながら妙に悪口だらけの印象になったが……一目で直感した。

 オレはこのじいさんが嫌いだ。


『オオ。ナンダカソレッポイノガキタゾ。』

 スッテンがあごに手をあてて興味深そうにじいさんを見る。

「なんじゃお前は! ふざけておるのか! これはどういうことじゃ、宇田川!」

 明らかに不機嫌なじいさんに対し、宇田川さんのお父さんは静かに答える。

「私の娘が通っているスクールの縁でこちらに来られた《ヤブ医者》の方々です。鬼頭先生とも親しいようです。」

「スクールじゃと? だから言ったのじゃ! 仮にも北条の分家だというのに、あんなくだらん場所で学ばせるから、こんな奴らがこの大事な日に紛れ込むのじゃ!! これだから宇田川は分家の底辺なのだぞ!」

「承知しております。故に、藁をも掴む思いで外に手を伸ばした次第です。」

「ふん! 選択を誤ったな、宇田川。まったく、伝統は大事じゃが、こういう実力の無い家が名前だけで居座ることができてしまうのは悪い点じゃな! その辺り、もっと考えるべきのようじゃ。」

「お言葉もありません。」

「いつまでも席があると思わぬことだ。北条に名を残したくばそれに恥じぬ行いをせい! こんなネズミを入れるなど言語道断じゃ!!」

「申し訳ありません。」

 散々喚いたじいさんはつかつかとホールの奥へ行き、そこで待っていた腰の低い人々に恭しく扱われていた。

 正直かなりイラッときたのだが、それよりも宇田川さんのお父さんの対応に感心した。これがカッコイイ大人というやつか。

「お見苦しい所を。」

『カマワナイ。アアイウノハ《イシャ》ガワニモタマニイルカラナ。シカシアノタイドカラスルト……アノジーサンガ?』

「ええ。現北条家の長、北条黒陵様です。」

「クロタカ? ミョンの家のその上の一番偉い人なんだロウ? 結構普通の名前ダナ。ホージョーナムアミダブツとかだと思ってタヨ。」

「お姉さんの名前は宇田川だからああなってるだけ……ってすごい名前ね。」

「なんだか、ただの偉そうなおじいさんって感じでしたね。」

「ことねさん、ぼそりと怖い事を……」

『イヤ。タダノジーサンデハナイゾ。』

「? どの辺が……あ、その兜でなんか見たのか、スッテン。」

『ニホンケイ……イヤ、ソレイゼンニジュツシキニツイテハソンナニクワシクナイガ、アノジーサン、カラダジュウニジュツシキガカカレテイタゾ。タブン、イレズミダナ。』

「身体じュウ? 耳鳴りホーイチダナ!」

「それは辛そうだけど、たぶん、耳無しだよ、ライマンくん。」

「そう、ソレ。」

『カラダニジュツシキヲカクトイウコトハ……ヘタヲスルト、アノカラダデニクタイキョウカヲスルノカモシレナイナ。』

「見ただけでそこまでわかるのですか?」

 宇田川さんのお父さんがびっくりしている。

『ナニ、タダノスキャンダ。クウコウデモツカワレテルフツウノギジュツダ……』

「でもそれって……」

 宇田川さんがニンマリしながらスッテンを見る。

「あのじいさんの裸を眺めたってこと? あ、もしかしてお姉さんたちも見られているのかしら?」

『アッハッハ。カガクシャニヒツヨウナノハジセイシンダ。ゥワァタシモ、ソレハネントウニオイテヒビイキテイル。オンナノハダカヲミヨウト、コノキノウヲツカッタコトハナイ。マ、シンヨウシテモラウシカナイガナ。』

「じゃあなんであのじいさんはスキャンしたんだ?」

 オレがそう聞くと、スッテンは本当に興味深そうにこう答えた。

『アンナニコシガマガッテイテジュウシントカハドウナッテイルノカキニナッタノダ……』

 ほんの数秒、少し上を見ながら黙り込んだ後、スッテンはふと顔を戻した。

『ヨシ、ホージョーニハアエタナ。アトフタリダ。』

「? と言いますと?」

 宇田川さんのお父さんが首を傾げる。

『ゥワァタシタチガココニキタノハ、ニホンノトップニタツ『シジョー』ガドンナ《オイシャサン》ナノカヲミルタメダ。トージョーニハサッキアエタカラナ。アトフタリダ。』

「なるほど。それでしたら……妙々、案内してあげなさい。」

「いいわよ。」

「というか……ミョンは会合には出ないんだロウ? 本当にここにいるだけなノカ? ひまダナ。」

「会合には出ないけど……その前に各家ごとの顔合わせみたいのがあるのよ。北条なら北条派の本家と分家のね。お姉さんがここに来た……というか分家がここに来る理由はそれよ。でもそれもあと一時間くらい待たないと始まらないの。だから案内するわ。」

 ということで、オレたちは宇田川さんに連れられて建物の中を移動する。

「まぁ、お姉さんはただの分家の人だから……各家の長と話をするってことはできないわよ?」

『カマワナイ。トオメデドンナヤツカダケワカレバ、ゥワァタシハマンゾクダ。』

「わかったわ。じゃ、まずは近くの西条からね。」


 近くというか……階を一階移動しただけだった。オレたちはドアが開かれているホールの入口付近に立ち、そこから中をのぞき込む。

 北条の《お医者さん》が筆をぶら下げている感じに、西条派の面々も腰や腕、首なんかに何か……白いモノを身に着けていた。よくは見えないが。

『ホウ。ニホンナノニ、マルデクロマジュツノシュウダンダナ。』

「何でだ?」

『レンチュウガミニツケテイルシロイモノ、アレハホネダ。』

「骨!? なんの……」

『ンー……アレハドウブツノモノダナ。ツマリ、ニンゲンデハナ――イヤ、ニンゲンノホネヲツケテイルヤツモイルナ。』

「心配ないわ。」

 宇田川さんは意地の悪い……ものすごく意地の悪い顔でニヤリと笑う。

「人骨を身に着けている人のそれって、基本的に先祖の骨だから。」

「お墓から掘り返したノカ?」

「掘らないわよ。お墓の中に納骨されてるんだから。そっちは土葬が基本だろうけど、日本は火葬よ。」

「へー、お墓の周りでパレードするノカ。」

「仮装じゃないわよ……」

「あの、宇田川さん。」

 スクールの二人の面白い会話にことねさんが入る。

「なに?」

「骨を使ったり……墨だったり。その、発動する術式の効果もそれぞれの家で特徴があったりするんですか?」

「もちろんよ。術式において対価は別になんでもいいけど、術式を組み立てる物……つまり魔法陣を構成する材料っていうのは術に影響を与えるわ。」

「何を使って作ってるかで、なんとなく術の効果とか種類がわかるんダゾ。」

 ライマンくんがエッヘンというポーズになる。しかしそんなライマンくんに宇田川さんが半目でつっこむ。怖い。

「アナタの術式はどんな達人が見ても効果がわからないじゃない……独特の感性で組み立てられてるから。」

『ドクトクカ。《ヤブイシャ》ノソシツアリダナ。アッハッハ。』

「ほ、ほんトカ!」

 ライマンくんが笑う鎧を嬉しそうに見つめる横で、宇田川さんの解説が始まる。

「西条の術式は……ま、材料からもわかるかもしれないけど、「死」とか「衰退」って感じの効果が多いわね。要するに、呪いよ。」

「ヴァンドロームに呪いをかけるんですか。」

「そうよ。あ、でも呪いって聞いてイメージするような……こう、不幸が続くみたいな効果じゃないわよ? ヴァンドロームの視力を奪ったり、方向感覚を狂わせたりして、一時的に弱体化させるような術式よ。ま、話によると禁術に分類されはするけど、西条にはヴァンドロームを即死させる術もあるとか言うわね。」

「なるほど……じゃあ、さっきの偉そうなおじいさんの所……と言いますか、ミョンさんたち北条派はどんな術式を?」

「アナタまでミョンって呼ばなくても……」

「きっと日本人にも言いにくい名前なンダ。」

 いつの間にかライマンくんが宇田川さんの隣にいた。そしていつの間にかスッテンがオレの後ろに立っていた。

『『シジョー』ノジュツシキコウザカ。キイテオコウ。』

「大げさね。えっと、北条の術式は水と冷気……つまりは氷ね。」

「西条が呪いで北条は氷ですか。なんだかジャンルが違いますね。」

「どっちかって言うと西条が特殊なのよ。」

『コオリカ。ヴァンドロームヲコオラセタリ、コオリノトゲトカデコウゲキスルノカ?』

「そんな所よ。でも北条の真骨頂はやっぱり水と冷気なのよね。」

「? どういうこトダ? 氷じゃなイカ。」

「簡単に言うと水と氷かしら。色んな形に変化する水と、その形を固定化する冷気。変幻自在の攻守ってのが北条のうたい文句ね。」

『ソウイウコトカ。タシカニ、カタチヲカエルコウゲキトイウノハヤッカイナモノダ。』

 呪い使いに水使い。いよいよもってRPGの魔法使いみたくなってきたところで、オレはふと思い出す。

「あれ? でも水を使うのは東条じゃなかった? 鬼頭の話じゃ東条蒼葉の特技はそれだって……」

「使うモノと術式の効果は必ずしも一致しないのよ。特に術式においてはね。」

「そーだぞ、安藤先セイ。魔法陣に組み込むモノは、何かの意味を持たせたモノなンダ。僕の術式ならまず、けん玉が――」

「ライマンのは参考にならないわよ。アナタにしかわかんないんだから……」

 ライマンくんがぶーたれるのを横目に、宇田川さんが説明を続ける。

「東条は術式に水とか葉っぱを使うわ。意味するところは「生命」、「活力」ってところね。効果は回復とか強化……主に自分を強くして戦うの。」

『ホウ、アルバートタイプカ。アノホソイオトコガニクダンセンヲスルノカ……』


「ここで何しちょる?」


 突然、そんな言葉が聞こえた。オレたちは宇田川さんの説明を受けていたから、なんとなく輪になって話をしていたのだが……その輪を影が覆った。

「……!」

 オレは声の主であり影の主を見て息を飲んだ。

「人の出入りがある思うて扉を開けておいたら、なんやチラチラと覗き見て……そのふざけた格好からして……紛れ込んどるっちゅー《ヤブ医者》やな?」

 デカい。アルバート並の大男だった。ただし、アルバートが筋肉のせいで実際よりも大きく見えるのに対し、この男は素でデカい。体重とかで言えばアルバートを超えるかもしれない。だがだからと言ってお相撲さんみたいではなく、がっちりした体形だ。

 和服揃いの中で一人、柔道着を着ているその男は頭を角刈りにし、かなり不愛想な顔をしている。

『フザケタカッコウナラ、オタガイサマジャナイノカ?』

「なんやと?」

 大男がスッテンに睨みを利かす。対するスッテンは……少なくともオレの印象ではいつも通りのヒョウヒョウとした態度。

「《ヤブ医者》がこん会合になんの用や。おいたちの技術、盗みに来たんか?」

『ウーン。ベツニゥワァタシガヌスミタイトオモウホドノモノハマダミテナイナ。』

「ほう?」

 スッテンとしてはいつも通りなんだが、どうもケンカを売っているようにしか見えない。これはちょっとまずい気がするな……


「秋虎ぁっ!」


 険悪な雰囲気の中に威勢のいいよくとおる声が響く。


「そろそろ五十にもなろうって男が、何をちっさい事で客人を威圧してんのさ! でっかい身体のくせに、あんたのタマぁBB弾なのかい?」

 外で会えば確実に道をゆずる大男に対してとんでもない事を言ってのけた人物は、これまたとんでもなかった。

 その人物は女性だった。しかもかなり小さい。ことねさんと同じくらいの身長の女性……いや、この若さだとまだ女の子って言った方がしっくりくる。

 髪をオールバックにしつつも一束だけアンテナのようにひょっこりと前に出し、着物を着ているのだが両肩をはだけさせ、サラシを巻いた胸を恥ずかしげもなく見せている。

 体格と年齢に対して性格がマッチしていない……そんな違和感を覚える小さな女の子は、堂々たる態度で大男の前に立ち、下から睨みつける。

「おぬしは……」

 大男は反応しづらそうな、どう対応すればいいのか迷っている風な顔になる。

「まったく、西条家の長、西条秋虎ともあろう男が情けない。少しは大人になりな! いつまでもおしめのとれないガキじゃないんだから。」

「……」

「どうにもあんたじゃ客人の世話も満足にできないみたいだから、あたいが連れてくよ? 文句はないね?」

 そう言うと、女の子はスッテンの手を引っ張り、スタスタと歩き出した。

「さ、お前さん方。こっちだよ。」

オレたちは何が何やらという感じに一緒にその場を退散した。



 女の子に引っ張られてついたところは、南条という札がかかっているホールだった。

「すまなかったね。どーにも《ヤブ医者》ってモンに過剰なんだよ、連中。」

 何の躊躇もなくホールの中をズンズン進んでいく女の子。南条の関係者だとは思うんだが、周囲の目は少し嫌なモノを見るそれだった。

「ほら、一応申し訳程度には食べ物も用意してあんだ。この辺り、適当につまんでおくれ。」

「あー……えっと……」

「遠慮しなくていいんだよ? お前さん方は南条で世話を見るのが筋だから――痛っ!」

 突如女の子の頭上に空手チョップが落ちる。

「お前、どこにいた!」

 チョップをしたのは鬼頭だった。珍しく口に何もくわえていない。というか、珍しく怒ってる。

「痛いじゃないか! なんだい、そもそもあんたがきちんとしないからこうなるんだよ! あんたの客人でもあるんだろう?」

「お前が出て来なきゃ俺がやったわ! この馬鹿が! つか、服をちゃんと着ろ!」

「いいじゃないか。粋だろう?」

「後で詩織が大変な事になんだよ! 前もそうだったろーが!」

「そうだったねぇ。何でだろうね。見られても恥ずかしくない、いいもん持ってるのにねぇ?」

 そう言って女の子は自分の胸をクイッと持ち上げた。

「! まさか!」

 いきなりことねさんが驚く。それに対してオレたちも驚く。そしてことねさんはおそるおそるという感じで女の子を指さし、こう言った。


「詩織ちゃんですか?」


 ? 詩織ちゃん?

「あっはっは! 正確に言えば、この身体が詩織だね。」

 高らかに笑う女の子の着物を直しながら、鬼頭がため息をつく。

「……んー……紹介すると、こいつが詩織の中に住んでいるBランクヴァンドローム、《ノーバディ》だ……」




 私が詩織ちゃんに会った時、詩織ちゃんが言っていたのはこういう話だった。

 詩織ちゃんの頭の中には《ノーバディ》というヴァンドロームが住んでいる。私の左手に住んでいる《オートマティスム》のように。

 通常は十数センチある《ノーバディ》だけど、詩織ちゃんの頭の中にいる《ノーバディ》は数ミリ単位。住んでいるからと言って害はないんだけど、そんな所にいるから治療もできない。だから詩織ちゃんは鬼頭先生の下で《ノーバディ》との共存というのを目指している。

 《ノーバディ》が発症させる症状は『夢遊病』。だからなのか、詩織ちゃんが寝ている間は身体の支配権が《ノーバディ》に移るらしい。



「んー……詩織の奴、やっぱり時差ボケで寝ちまったんだ。んで、こいつが出てきた。」

「よろしく頼むよ!」

 普段顔の見えない詩織ちゃんだから、髪をあげると本当に別人に見える。あのオドオドした詩織ちゃんから想像しにくい、パッチリとした目で……何と言うか、元気の良さそうな人の顔だ。

「ああ……噂に聞いてた姉御肌南条詩織っていうのはアナタだったのね……」

 ミョンさんが納得した顔でそう言うと、《ノーバディ》……さんはひらひらと手を振る。

「いやだよ、姉御肌なんて。まだ七十年くらいしか生きてないさ。」

『オバアチャンジャナイカ。』

「失礼だね!」

「というか、ヴァンドロームってそんなに長生きなんですか?」

 私はそう言いながら先生を見る。

「《ノーバディ》は特殊かな。ほら、『夢遊病』ってさ、一緒に住んでる人がいないと気づく人がいなかったり、そもそもいたとしても結局その時間はみんな寝てるから……つまり、気づかれにくいヴァンドロームなんだよ。だからなんだかんだその生き物の『元気』を全て食べて次に行くんだ。食事を邪魔されずに十分な『元気』を捕食できるのなら……ヴァンドロームって結構長く生きるんだよ。」

「そうなんですか……」

 今の先生の言葉を聞いて思い出す。ヴァンドロームは『元気』を食べ、それを食べつくされると生き物は死んでしまう。この気の良さそうな《ノーバディ》さんも……きっと何人もの人を……殺してきたんだ……

「んー……お前は仕方のない事を面倒に考えるんだな、溝川。」

 何となく下を向いていた顔を上げると、鬼頭先生がポケットから出したポッキーをかじりながら笑った。

「んー、お前の考えてることはわかるぞ。お前は、この《ノーバディ》だって何人かの人間を死に追いやっていると思い、こいつとの距離感を掴みづらいと考えている。実際その通りで、こいつのせいで死を向かえた人間はそこそこいると思うぜ? なぁ?」

「ん? そりゃまぁね。人間がメインってわけじゃないけど、それでもいくらかは食べたさ。」

 あっさりと言う《ノーバディ》さん。

「んー、別に思い悩む事は否定しねーし、そういう問題にぶつかるってのは自分の左手との共存を目指すお前には必要な事だろうな。《オートマティスム》だって、記録によれば何人かの人間を死に追いやってる。それも『元気』を食べつくしてではなく、勝手に動く自分の手に我慢できなくなって狂い死んだ。んま、記録によればってだけで……《お医者さん》側が把握してない狂い死にが何件あったかなんてわかんねーがな。」

「……」

「だがな、溝川。お前とそいつはそうなってないじゃないか。」

「……?」

 私がどういう意味かわからないという顔をすると、鬼頭先生はポッキーをくわえながらも真面目な顔になった。

「お前の命が危ういってんならともかく、そうなってないなら気にするな。顔も知らないどこかの誰かの死について考えるのはやめておけ。死に思いをはせるのは身内の時だけにしておくことだ。でないと、頭がパンクする。特に……こういう生死の狭間を見る職業ではな。」

 少しその場の空気が真剣な感じになったのだけど……

『オオ? キトーガナニヤラセンセイッポイコトヲイッテイルナ。』

 スッテンさんのとぼけた声でいつもの雰囲気に戻った。


「鬼頭っ!」


 ――と思いきや、すぐさま緊張の走る声がした。

「この大まぬけ! うちに恥をかかせるな!」

 声の方を見ると、ホールにいた人たちがわきによってその人の為に道をあけているのが見えた。

「西条のデカ物から嫌味を言われちまったじゃないか! 腹の立つ事だよ!」

 なんて言えばいいのだろうか。ツカツカ……セカセカ……とにかく足早に歩いているのは確かだけど、妙に品がある。和服を一切乱れさせることなく、その人……その女性は歩いてきて鬼頭先生の目の前で止まった。

「何のためにうちの大切な娘を《ヤブ医者》なんぞにあずけてると思ってるんだ? あぁっ?」

 お宿の女将さんがするような、髪をくるくるっと巻いた髪型。黒地に赤で炎のような模様が描かれた着物。女性にしてはかなりの長身。そしてキリッとした、睨みの効いたカッコイイ顔立ち。

 色々と表現できるけど……たぶん、この一言に尽きる。

 極道の人だ。

「まー姐さん、そんな怒らなくてもいいじゃないか。客人の手前、恥ずかしいもんだろ?」

 日本刀と鮮血が似合いそうなその女性に対し、《ノーバディ》さんが気さくにそう言った。

「あん? ああ、あんたか。あんたも、共存するならするで分をわきまえな!」

 なんだかすごかった。姉御肌と言われている《ノーバディ》さんと見るからに極道なその女性の会話は妙に迫力がある。

 鬼頭先生と《ノーバディ》さんが一通り怒られた所で、棒付キャンディーを舐めつつも申し訳なさそうな鬼頭先生が女性を紹介する。

「んー……この人は南条朱夏。詩織の母親で、南条家の長だ。朱夏さん、こいつらは――」

 私たちの事を紹介しようとした鬼頭先生を片手で制し、極道の女性……南条朱夏さんは私たちをその鋭い目で眺める。

「そっちの白衣が安藤、そこの小さい子が溝川だろ。詩織から何度か聞いてる。そんでそっちの髪の長いのが、北条のとこの宇田川。そっちのベレー帽は知らないな。それと……その鎧は中に誰か入ってるのか? それとも誰かの手荷物か?」

『ハイッテルゾ。《ヤブイシャ》ノスッテン・コロリンダ。』

「ふざけた格好と思いきや、名前も釣り合うそれとはな。ま、ここまでいくと潔いけど。」

 ここに来て何故かよい評価をもらったスッテンさん。

「ぼ、僕はライマン・フランクダ。スクールで勉強してて、今は安藤先生のとこにイル。」

「スクール? 東条が喜びそうな客人だな。」

 そこまで言うと、南条朱夏さんはピッと姿勢を正し……いや、元からすごく姿勢よく立ってるんだけど、とにかくキリッとする。

「鬼頭から紹介されたけど……うちは南条朱夏。現南条家の長を務めている。そして南条詩織の母だ。きっと、あんたらに対しては『四条』の一角という肩書よりも詩織の母って方で接するべきなんだろうな。安藤、溝川。いつも娘が世話になっている。」

 そう言いながら深々と頭を下げる南条朱夏さん。私と先生はそろって「いえいえそんな」と言いながらあたふたする。なんだかこっちが悪い事をしているような気分にさせされる。頭を下げてはいけない人が私たちの目の前で下げている……みたいな感じだ。

『ンン? ホージョートサイジョーノトキトマタチガウナ。アノフタリハテキイムキダシダッタガ。』

 頭を上げた南条朱夏さんにスッテンさんがそう言った。

「《ヤブ医者》に対する態度の話か? 心配するな。南条家も《ヤブ医者》は嫌いだ。よくわからない奇天烈集団が《お医者さん》の大事な決め事をしているなんて、冗談じゃない。」

『……イッテルコトトタイドガトモナワナイゾ。』

「そうか? そうだな……わかりやすく言うと、例えばうちは……《ヤブ医者》は嫌いだが鬼頭はそこそこ信頼している。実際、詩織を色々と助けてくれている。そして《ヤブ医者》は嫌いだが、安藤の事はきっといい奴なのだろうと思っている。詩織の話の中にたまに出て来るが、溝川と一緒に、詩織に良くしてくれているようだ。」

『ナニガイイタインダ?』

「あはは。よーするにさ。」

 詩織ちゃん……じゃなくて《ノーバディ》さんがニシシと笑う。

「《ヤブ医者》みたいな変な奴らが色々決めるって事は嫌だけど、別にだからって《ヤブ医者》の鬼頭や安藤を全否定はしないってことさ。」

 肩書や所属だけでその人を判断しないという事だろうか。なんだか……色々とカッコイイ人だ。

「それで……詩織はいつ起きるんだ?」

 南条朱夏さんが《ノーバディ》さんの方を見る。

「そうだねぇ……熟睡とまではいかないけどお昼寝って程軽い眠りでもないね。四~五時間はこのままかね。」

「まったく……またあんたが『四条』に出るのか。北条と西条がうるさく言うな……」

「んー、悪いな朱夏さん。時差ボケ考えてあっちで寝かしときゃ良かった。」

「そういうのも含めてあんたに任せてるんだよ? しっかりして欲しいところだな……さっきは大声で怒鳴って悪かったな……みっともない事だよ。」

「んー……普通に俺の落ち度だ。」

「あたいも気を付けるべきだった。気にしないでおくれよ、姐さん。」

 なんだか……鬼頭先生と《ノーバディ》さんと南条朱夏さんは不思議な関係だ。立場的に上下関係があるようで、本人たちもそれを意識してるんだけど……そこまで縛られてもないフランクな関係。

 私に……私と先生にも結構色々あって、先生とキャメロンさん、《イクシード》さんにも色々あって……色々な色々が色々と絡まって色々な関係を、絆とか信頼とかを生んでいる。なんだかすごいなぁ……

 と、柄にもなく人生みたいなことを考えた私は少し恥ずかしくなって下を向く。すると変な光景が見えた。

 いつの間にか、私の左手が食べ物の置かれているテーブルから食器を一つ持ち上げているのだ。その食器は、きっとテーブルの真ん中に置いてあるお肉を切り分けるのに使うんだと思う……ちょっと長めのナイフだった。

 最近は勝手に動く事が少なくなっていた私の左手は、器用にナイフを回転させて……まるでダーツをするかのようにナイフを持ち――

「! っとと、うわっ!」

 私の身体を振り回しながら、それを投げた。


「ぎゃあっ!」


 離れた所……ホールの壁際でそんな声がした。

「なンダ?」

 ライマンさんが声の方を背伸びして見ると、スッテンさんが何事もなかったかのような口調でこう言った。

『コトネガトウテキシタナイフガダレカノミギテヲカベニヌイツケタ。』

 みんなが一斉に私の方を見た。一瞬ビクッとしたけど、先生だけは他のみんなと視線が違っていた。私はそれにホッとする。

「スッテン、周囲に警戒してくれ。敵だ。ことねさん、こっちにおいで。」

『ケイカイ?』

「なんでもいい。怪しい人物はいないか調べてくれ。オレは壁に縫い付けられた誰かを見て来る。」

 先生は私の左手を掴もうとしたけど、一瞬考えて右手を握り、声のした壁際の方に向かった。


「ちっくしょう! いてぇ! があああっ!」


 壁際に行くと、刃の根本まで深々と壁に突き刺さっているナイフ……そのナイフと壁の間に自分の右の手の平を貫かれて動けずにいる人物が大声で喚いていた。その人は和服を着た……結構な年齢のおじいさんで、こんな人から乱暴な口調の喚き声が出てる事に違和感を――

「って、あれ……?」

 私はそのおじいさんの顔を良く見る。そして思い出す。

「せ、先生! このおじいさん、小町坂さんの病院に来た人です!」

「それって……《ミスユー》が奪われた時の?」

「そうです!」

 ニック・フラスコの事件の前、小町坂さんが倒そうとしていた《ミスユー》が奪われる事件があった。あの時、小町坂さんが突き飛ばし、私が病院の出口まで送って行ったおじいさん……あとで先生に話したらそのおじいさんが犯人だったかもしれないと言われた。

 そのおじいさんが、何故かここ、アメリカで開かれている『四条』の会合の会場にいる。

『オイキョーマ。』

 後ろからガショガショと歩いて来たスッテンさんがそのおじいさんを指さす。

『コノカイジョウ……トイウカ、『シジョー』ノカンケイシャハゼンイン、ジブンガショゾクスルイエノアカシミタイナナニカヲミニツケテル。ホージョーハフデ、サイジョウハホネトイッタカンジニナ。ダガソノジイサンハソウイウシュウイトトウイツセイノアルモノヲヒトツモミニツケテイナイ。ゥワァタシタチヲノゾケバ、ソノジイサンダケガナ。』

「部外者だな?」

 スッテンさんの後ろから南条朱夏さんが……かなり怖い顔でやって来た。

「こうやって直接見ればわかる。《お医者さん》も《ヤブ医者》も、共に他人を助けるって事をし、また目指してる人間だ。だがあんたは……その逆に見えるな。」

 南条朱夏さんがスッと右手を横に出す。すると誰かがさっと南条朱夏さんの横に立ち、その右手に何かを持たせた。

「溝川、お手柄だ。こんな敵意だけの奴を見逃していたうちの落ち度、大事に繋がる前に防いでくれたな。まったく、恥ずかしい事だよ。」

 南条朱夏さんが手にしたのは日本刀だった。鬼頭先生が使っていたような五メートルもあるモノではなく、常識的な、普通の長さの日本刀。だけど……それを抜いて刃をおじいさんに突き付けた南条朱夏さんは尋常じゃない迫力だった。

「どこのもんだ。」

 対しておじいさんは、そのおじいさん的な容姿からは想像できない……追い詰められた悪者みたな、これまた迫力のある表情だった。そしておじいさんはこう叫んだ。


「カール! いるんだろう! 助けろ!」


 誰かの名前を呼んだおじいさ――カール? 聞いたことが……


「いきなり名前を呼ばないでくださいよ……きっとあなたは拷問されたらすぐに口を割るタイプですね……」

 声がした。だけどどこから声がするかはわからない。ホール全体に響くような……そんな声だった。

「先生、カールって……」

 私がそう言うと、先生は険しい顔になった。

「うん……カール・ゲープハルトだね。スッテン、そのじいさんが今呼んだのは《パンデミッカー》の名前だ。『症状』はわかんないが、そいつは姿を透明にできる。」

『ホウ。ソレハヤッカイダナ。オンドセンサーデミテミヨウ。』

 そう言った後、五秒くらい黙ったスッテンさんは首を傾げた。

『……アヤシイヤツハイナイナ……マサカカンゼンニヒカリヲシャダンシテイルノカ?』

「? 何で温度センサーなのに光なんだ?」

『セキガイセンヲツカマエルカラナ。』

 先生も私もイマイチわからずに?を浮かべていると、あっはっはと《ノーバディ》さんが笑い出した。

「機械に頼っちゃだめさ! ここぞって時にモノを言うのは、やっぱ自分の感覚だよ。」

 そう言いながらテーブルの上のフォークを手にした《ノーバディ》さんは目を閉じて数秒黙りこみ、そして勢いよくフォークをどこかへ投げた。

 不思議な事が起きた。飛んでったフォークは、何かにぶつかったわけでもないのに、空中で飛び跳ねた。まるで、何かに弾かれたみたいに。

「そこだね? 姿を現しな!」

 会場内の人たちが、落ちたフォークからある程度の距離をとった。それなりに人だらけだったホール内にぽっかりと空いた人のいない空間。その真ん中が、まるで蜃気楼のように一瞬歪む。

「こうも簡単に見つかるとは……そこの《ヤブ医者》の目はかいくぐれたというのに。」

 歪んだ空間に人が現れた。上も下も、髪の毛も含めて真っ白な服装の男……前に高瀬船一と共に甜瓜診療所にやってきた《パンデミッカー》、カール・ゲープハルトがそこにいた。

「一体どんな手品で自分の居場所を?」

「手品じゃないさ。元から備わってる人間の能力をそのまま使っただけさ。」

「ほう?」

 所謂敵陣のど真ん中……という状況にも関わらず、カールが教えて欲しそうな感じに腕を組んだ。実際、私も気になったから《ノーバディ》さんの方を見る。

「あんた、映画を観た事あるかい?」

「? ええまぁ。」

「映画を観てる時ってのはさ、映画に集中したいけど……例えば隣でペチャクチャとしゃべる奴がいたらイライラするだろう?」

「そうですね。」

「そこがさ、人間のムダなんだよ。」

 《ノーバディ》さんは耳に手を当てて目を閉じる。

「聞きたい音だけ聞けばいいものを、その時はどうでもいい音まで聞いちゃってさ。終いにはしっかりと解析しちゃって会話の内容まで理解しようとする。そんな事に脳の演算能力を使うんなら、本当にしたいことにだけ全ての演算能力を使った方がいいに決まってる。そう思わないかい?」

「……まさか……それがあなたの能力ですか。」

「違うさね。あたいと詩織の能力さ。あたいが普通とはちょっと違う感じに生まれた事と、そんなあたいとマッチした身体を持つ詩織。二人が組み合わさって初めて出来た事さ。この、脳の完全統合はね。」


 脳の統合。普通、脳は記憶を担当する場所、計算を担当する場所、感情を担当する場所と色々な担当に分かれて機能している。それを《ノーバディ》は完全に統合してしまったと詩織ちゃんは言っていた。

 脳が持っているびっくりするくらいにすごい情報の処理能力……それを百パーセント一つの事に使える……それが《ノーバディ》さんが起きている間の詩織ちゃんなのだとか。


「この場にいるけど見えない誰かを探す……まず、視覚は遮断するだろう? 見えないのに動かしていても意味がないからね。味覚も遮断して残るは音と匂いと空気の感覚。南条の面々のしゃべり声なんて無視して、料理の匂いも省く。正体がわかってる情報を除いて行けば、正体がわからない情報が見えて来る。それが何かってところまではわからないけど、それがどこからの情報なのかはわかるってことさ。」

「……つまり、人間の能力……いえ、人間の身体の限界値を引き出す力という事ですか。普通はどんなにあがいても辿り着けない限界値に、脳の統合という道で辿り着く。これはまた厄介な事ですね。」

 カールは、まるで「いやーためになる話を聞いた」という風な感心顔をする。

「まいりましたね。見ての通り、自分もそこの彼も戦闘向けではなく、偵察向けの症状を使います。元々皆さんに何かをするつもりなど無く、ただ単に日本系術式の頂点が現在どんな感じなのかを見に来ただけなのですがね……きっと皆さんは自分たちをすんなり帰しはしないのでしょう?」

 カールがやれやれという顔でそう言うと、南条朱夏さんが壁に縫い付けられたおじいさんに刀を向けたまま、横目でカールを睨みつける。

「部外者がこそこそ嗅ぎまわってる時点でその通り。《パンデミッカー》とわかった今はそれ以上に。その辺りは当然だろう? それとついでに……あんたは今、見ての通りと言って自分とこの年寄りを偵察向けと言ったが……うちらはこの年寄りの症状を知らないんだが?」

「え?」

 少し驚いたカールは壁のおじいさんを見た。

「あれ、まだその姿なんですか? 何してるんですか。この危機的状況をご老体で切り抜けようとしてるんですか?」

「馬鹿言うな! このナイフが抜けない限り、戻った所で動けねーだろーが! とっとと助けろ!」

「……正直、自分はあなたが嫌いですがね。この状況、あなたの協力無しには切り抜けられない気がします。」

 そう言った後、カールはまるで野球選手か何かのように慣れた動きで滑らかに、何かをおじいさんに向けて投げた。

「うっし!」

 それを左手で受け取ったおじいさんは、受け取ったそれで何かをした。すると深々とナイフが刺さっている壁が砕け、ナイフが抜ける。そして素早く床を転がって南条朱夏さんから距離をとった。

「礼を言うぜ、カール!」

 おじいさんがその容姿に似合わない事を言った瞬間、その容姿が……セリフに似合うそれになった。

「え?」

 私が思わずそう言うと、先生が隣で呟いた。

「若返ったね。」

「若……!? ど、どういうことですか?」

「厳密には、あれがあの男の本来の容姿。さっきまでは歳を取っていたんだよ。」

『ナルホド。オソラクアヤツッテイルヴァンドロームハ《ロケットクロック》ダナ。ショウジョウハ『ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリアショーコーグン』ダ。』

 相変わらず、スッテンさんが知らない言葉を言うと呪文にしか聞こえない。私が先生を見ると、先生は苦笑いをしながら解説してくれた。

「『ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群』。もしくは『ウェルナー症候群』。わかりやすくいうと『早老病』だね。文字通り、急激に歳をとるんだ。」

『ヴァンドロームヲトリツカセルトリツカセナイデホンライノネンレイトジーサンノネンレイ、フタツノヨウシヲキリカエラレルワケダ。タシカニ、テイサツヨウダナ。』

 一瞬で老人の姿に慣れる症状と、身体を透明にできる症状……この前の事件で出会った《パンデミッカー》と比べると、確かに攻撃向きじゃない。

 そしてこの場には日本系術式の使い手が百人近くいて、《ヤブ医者》もいる。私は、この前ほど危ない状況じゃないなと、ホッとする。

 だけど――

「何が偵察向きだ。」

 そう言ったのは南条朱夏さん。

「今、そこの年寄りもどきが使ったのは術式だな。それも略式……それが出来るって事はそこそこの術式使いという事だ。」

 略式……ライマンさんがこの前の事件で使った、省略術式の事だ。術式を発動させるのに本来必要な過程をいくつかとばして発動させる方法。ただし、発動時間とか威力が落ちるっていうモノだ。

「ヴァンドロームがいないと発動しない術式だが……あんたらのように常にヴァンドロームを連れている変人連中なら、いつでも使える魔法になる。隠れる方法と攻撃する方法を持っている奴を、ただの偵察要員とは普通思言わないがな。」

「本職ではありませんよ……」

 そう言いながらカールがポケットから取り出したのは何本かのマジック。ちなみにおじいさん……だった人もマジックを持っていた。たぶん、さっきカールが投げたのだろう。

「おい、カール! 赤色は無いのか!」

「……その立場で文句を言いますか。持ち歩いて下さいよ。」

「おれはお前みたいに見えなくなるわけじゃねーんだ! 怪しいモノなんか持てるか!」

「そこまで考えておきながら、なぜ『四条』に溶け込む努力を一歩怠ったのやら……」

 見るからに仲の悪い二人。敵なんだけどなんだか笑えるその光景は唐突に断たれた。


「!! があああああっ!?!?」


 おじいさんだった人が叫び声をあげる。何故なら、おじいさんだった人の右手が突然燃え出したのだ。

「な、なんだぁっ! なんな――ぎゃあああああ!」

 右手の火はそのままに、次は右肘辺りから火がでる。次に右肩、首の右側面……まるで火が右手から段々と腕の中を通って上に登って行くように燃えていく。


 パチン。


 誰かが指を鳴らす。するとおじいさんだった人の右腕を包んでいた火が消えた。

「致命傷ではないから安心しな。あんたみたいなクズを殺して人殺しにはなりたくない。」

 床の上を痛そうに転がっているおじいさんだった人の焼けた右腕を片足で踏みつけ、さらにあがる絶叫を毛ほども気にせずに、南条朱夏さんは呟いた。

「もっとも、この右腕は二度と動かず、一生呼吸に難儀するがな。」

「……一体何を……」

 ここで初めて、カールの顔から余裕が薄れた。

「まさかあんた、こいつがあんたからマジックを受け取った時にうちがぼけっと傍に立ってただけだったと思ってるのか? どんな事を、どんな武器を持ってるのか見ておこうと思ってわざと何もしなかったんだ。そしたらナイフが刺さった壁に略式を描き始めたからな。術式使いと判断し、その略式が発動する前にうちの略式をかけておいた。」

「!? 彼がマジックを受け取って略式を発動させるのに二秒も無かったはず……それを……彼が術式を描いた後に動いて彼よりも早く術式をかけたと!?」

 カールが驚愕する。イマイチピンとこない私は先生を見る。先生は私の視線に気づき、今のこう例えた。

「例えると……AからZまでのアルファベットを順番に書くとして、あの男がHくらいまで書いたところで南条朱夏さんはAから書き始めて、結果先に書き始めていたあの男よりも早く書き終えた……みたいな?」

 ……要するに、術を組み立てるのが物凄く早いという事か。

「何も驚く事じゃない。あんたらがうちの術の為に色々用意しててくれたからな。」

「どういうことですか……」

「術式発動の最低条件であるヴァンドロームはあんたらが持ってきた。そして、南条の術式を組み立てるのに最も適したモノ、即ち血を、その年寄りもどきは親切に右手から出していてくれたからな。」

 血……そう言えば小町坂さんが南条家は血を使うって言っていたような……

「んー……北条が氷と水なら、南条は炎なんだ。」

 ぬっと隣に鬼頭先生が立つ。

「組み立てるのに使うのは基本的に赤いモノ。花びらとかでもいいんだが……元々代償が髪の毛だったり腕の一本だったりしてっから、血は最も相性がいい。命と直結するってんで術式の材料としてはかなりの力を発揮するしな。」

「じゃ、じゃあ今の術は……」

 私がおそるおそる言うと、鬼頭先生はニヤリと笑う。

「右の手の平から出た血を元に術式を組み立て、そこから……腕の中を通る血を伝って首まで火を登らせた。つまりあれは、腕の中から火を出してんだ。」

 身体の中から焼く炎。単純に考えれば……南条朱夏さんがあの刀を振るい、それによって少しでも傷を受け、血を流したのなら、そこを入口に体内を焼かれてしまうのか……

「さ、残るはあんただけだ。往生際は、良くしなよ?」

 元からそうだったのだけど、本人が余裕な顔だったからそう感じられなかった。だけど今、カールは真に追い詰められた顔をしていた。

「……これは厳しいですが……確率が無いわけではありませんね。」

『ホウ。』

 スッテンさんが興味深そうにカールを見つめる。……たぶん、見つめてる。

『《ヤブイシャ》ガサンニンニジュツシキツカイガヒャクメイイジョウ。コノジョウキョウヲヌケラレルトイウノカ。』

「……自分は、《パンデミッカー》内では数の少ない、術式使いです。」

 カールは手にしたマジックで先生を指す。

「この場において……いえ、相対したのなら確実に厄介なのは安藤さん、あなただ。あの人の技術を受け継いだあなたに勝てる《パンデミッカー》はいるのやらという状況……しかし、勝とうとせずに逃げるだけなら自分に分があります。」

「……透明になる症状の事を言ってるのか?」

 先生がそう尋ねる。だけど透明になっても《ノーバディ》さんなら見つけられるから、その症状では逃げられないはずだ。

「違います。安藤さん……あなたやそこの『エイリアンハンド』は圧倒的な力を持っています。ですがあなた方には弱点がある……そう、術式の知識が皆無なのです。」

 突然先生と同列にされた私はびっくりする。だけどその後の、術式の知識が無いっていうのは本当の事だ。

 先生に《お医者さん》を教えたのはキャメロンさんで、キャメロンさんは元々《お医者さん》じゃない。使う技術は『異常五感』を使った特殊な治療法。だから先生は術式の事を、かじった程度しか知らない。そんな先生に習っている私も同じだ。だいたいの概要は知っていても、詳しい中身は知らないし、術の一つも発動できない。

 術式には色々な効果がある。西条の呪いみたいに、ちょっと動けなくしたり、動きをにぶらせたりってこともできる。そういう術に対して、私も先生も何もできないのだ。

 例え、身体の中にSランクのヴァンドロームがいたとしても、効果が全くないって事はきっとない。

「そしてスッテン・コロリンと鬼頭新一郎……この二人の《ヤブ医者》も術式使いではありません。一般的なモノには対処できるかもしれませんが、少し複雑なそれになれば、対応できないでしょう。」

 カールの推測に、スッテンさんは堂々と頷いた。

『タシカニナ。キトーガドウカハシラナイガ、ゥワァタシハジュツシキニツイテ、チシキハアルガケイケンハナイ。ショウジキ、タイショトイワレテモナンノコトヤラトイウカンジダナ。マッタク、コンナコトナラジュツシキニツイテノケンキュウヲモットヤッテオケバヨカッタカ。シカシアノトキハアレノケンキュウニボットウシタカッタシナァ……』

 なにやら一人でぶつぶつと言うスッテンさん。

「んー……俺も実際の所はちんぷんかんぷんだな。やれと言われたらできねー。」

 何故か正直に答える《ヤブ医者》の二人の呟きが終わると、カールは視線を南条朱夏さんに移した。

「という事は、ここにいる術式使い全員に勝てれば、自分はそこそこの確率で逃げられるというわけですね。」

 カールの表情に余裕が戻って来た。だけど――


「それは『四条』に勝つということか、若造。」


 ついさっき聞いた声がホールに響く。

「……あんたら……何しに来たんだ、あぁ?」

 南条朱夏さんが不機嫌に睨みつけた先、ホールの入口に立つ三つの人影。

「ヴァンドロームのいないはずのこの場所で誰かが術式を発動させた気配を感じたのじゃ。そして来てみれば……ふん、《パンデミッカー》とはの。」

「こうして見るのは初めてだが……生意気にも術式を使うんか。」

「……」

 何故か楽しそうな顔の北条さん。さっきとまるで表情が変わっていない西条さん。そして明らかに不機嫌そうな顔をしている東条さん。

 『四条』のトップが勢揃いした。

「おい、ここは南条の部屋だ。部外者が首つっこむな。」

「は! 何が部外者じゃ。お主所有の部屋でもない所で何を言う。」

「老頭児が曲がった腰引っさげてわざわざ階を移動してまで突っ込む話じゃないって言ってんだ。」

「阿婆擦れが。お主だけで処理できるのかも怪しいもんじゃ。儂にやらせい。ここしばらく骨のあるのとやっておらんのじゃ。」

「あんたの戦闘欲なんざ知るか。」

 カールが蚊帳の外に放り出されるくらいに睨みあう二人の横、西条さんが一歩前に出る。

「おぬしら、喧嘩しちょるなら……ここはおいが行く、観戦しちょれ。」

「西条! あんたの出る幕でもないんだよ!」


「黙りなさい。」


 遂に三人の口喧嘩になったなぁと思っていたら、三人の誰よりも迫力のある声色で東条さんが呟いた。

「分を弁えて欲しい所です。北条と西条は論外なので口も挟まないで下さい。南条!」

「あん?」

「この部屋が南条のだという主張、その理屈で言うならば、そもそもこの会合の取り仕切りは東条です。会合に紛れ込んだ者への対処はこちらの領分。わたしがこの場に駆けつけた以上、おとなしくしていてもらいます。」

 さっき会った時とは全然違う迫力のある……凄味のある表情。あのニコニコ顔はどこに行ったのか。なんというか、伊達に一つの流派の長をやっていないんだなと思える。

「……ああ。そうだな。悪かった。」

 東条さんの冷たい視線に対して意外と素直に、南条朱夏さんはため息をついて刀をしまった。だけど残りの二人はそうならなかった。

「なんじゃ! 儂らが論外とは!」

 北条さんが怒りを露わに、杖を振り回す。そして西条さんは腕を組み、やっぱり表情を変えずに東条さんに提案する。

「東条、別に誰がやろうと侵入者を排除できるのならいいんじゃろ? おいは最近運動不足なんや。ちょっと出張らせてもらえんかって――」

「口を挟まないでと言ったはずですが?」

 ゾッとした。東条さんのこの迫力はよく言うところの、「普段怒らない人が怒ると怖い」というやつだと思う。東条さんに会ったのはさっきが初めてで、そんなに会話もしてないけど……きっといつもあのニコニコ顔の人なんだろうと思える雰囲気があった。だから、今の東条さんをすごく怖いと感じる。

「会合に侵入者など、取り仕切っている東条の不始末です。故にその筋を通させて欲しいと、そう言っているのです。あなた方はそんなに東条の名に泥を塗りたいのですか?」

「……東条の言う通りだ。あんたらも、他人の馬鹿な理由で名を汚されたくないだろ。戦ってみたいとか、運動不足とかな。」

 ……なんとなく。今の『四条』の在り方……みたいのが見えた気がする。本当になんとなくだけど、東条と南条。北条と西条。この二つに分かれているみたいだ。

 ……単純に、本人たちの歳が近いからかもしれないけど……

「……別に誰からでも、自分は構いませんがね。一人ずつ来てくれるというのは嬉しい話ですし。」

「余裕じゃの?」

「まぁ……ここにいる術式使いに勝つと言ったのは、虚勢でもなんでもない、ただのできそうな事ですからね。」

 カールがそう言った次の瞬間、『四条』の四人の足元が光った。

「なんじゃ!?」

 光った床から出てきたのは光の鎖。それが『四条』の四人にグルグルと巻き付いた。

「気づかんかった……おぬし、いつの間に術を?」

 西条さんが感心した顔でそう言った。言いながら、西条さんは鎖に抵抗しているけどビクともしない。あんな大きな身体の人を完全に身動きできなくするということは、かなり強い力なんだろう。

『オオ。アノオトコノアシモト、イツノマニカマホウジンガカカレテイルゾ。』

 スッテンさんがそう言ったので私はカールの足元を見た。カーペットの床に……マジックで描いたような魔法陣が光っていた。

「んー……カーペットの上なんて、描きにくい床にあそこまではっきりとした術式が描けるのか?」

『フム。タダノマジックヤペンキナドデハナイナ、アレハ。ナニカトクシュナモノダ。』


「なるほど、マジックはフェイクですね。本命は靴の裏でしょうか。」

 縛られたままで、東条さんが冷静にそう言った。

「想像もつかなかったのでは? 人間相手に術式をぶつける機会のないあなた方では、術式にフェイクを混ぜるなんて……ヴァンドロームには意味の無さそうな事ですから。」

「確かに、多くの《お医者さん》や《ヤブ医者》を相手にしているそちらとでは……こういう戦いにおいてこちらが不利ですか。まぁそれはそれとして……随分妙な術式ですね……」

 妙と言えば二人ともすごく丁寧なしゃべり方なのに臨戦態勢というのが妙だけど……東条さんの言う通りだ。カールの術式は少し妙だった。

 出てきたのは鎖。それはいいんだけど、その鎖には何故か……えぇっと、名前はわからないけど、神社のしめ縄とかにくっついてる白くてギザギザした紙がぶらさがっているのだ。わかりやすく言えば、しめ縄の縄が鎖。

「……ライマン、あれって……」

 ふと呟いた宇田川さんの横、いつもとは違う真剣な表情のライマンさんがいた。

「ウン。日本の神道と西洋魔術……北欧神話のグレイプニールの具現ダナ。元々鎖には縛る意味が強いけど、そこに日本系術式の結界とか領域、聖域みたいな概念がくっついてすごく強い鎖になってるンダ。組み合わせとしては簡単で、たぶん僕でもできるけど……あれをたったあれだけの魔法陣で発動できるなんて……あの人、相当すごい人ダヨ。」

 私は……私はぼそりと呟いた。

「あれってライマンさんですよね、先生……」

「ひどいこと言うね、ことねさん。だってほら……ライマンくんは優秀だからうちに来たわけだし……ね?」

 普段が普段だからあれだけど、ライマンさんはすごい人だった。

 ……先生といい、ライマンさんといい、普段とのギャップがひどいなぁ……

「ふふふ。自分があなた方に勝てると思っているのはですね。自分に術式の深遠を教えてくれた方が……あなた方があなた方以上だと認識している人物だからですよ。」

「? わたし達以上……?」

「聞いたことはあるはずですよ……」

 カールはどんどんと余裕のある顔になっていく。そして次の言葉で完全に余裕のある状態になった。


「彼の名は、卜部相命です。」


「んなっ!?」

 そう叫んだのは『四条』ではなくて先生だった。

「卜部さんが……《パンデミッカー》のお前に……? そんなわけあるか!」

 先生がそう言うと、カールはきょとんとし、そして笑った。

「ふふ、誤解させましたね。別に手とり足とり教えてもらったわけではありませんよ。ただ、彼の術式を見た事があるのです。もっとわかりやすく言えば……自分はあの時あの場所にいたのですよ。」

「……何の話だ。」

「あの人、もしくはあなたの中の住人から話を聞いていませんか? 卜部相命がその指を代償にして勝利したあの戦いを。」

「!!」

 先生は目を見開いた。私も、つい最近その話を聞いたばかりだから驚いた。

 カールが言っているのは……先生の先生、キャメロンさんが亡くなったあの日……《パンデミッカー》の襲撃を受けた卜部さんが日本系術式の禁術を使ってそれを返り討ちにした戦いだ。

「あの時は……正直、いくらあの人の仲間と言っても所詮は日本系術式。大した攻撃力はないと認識していました。しかしまぁそれでも、万が一という事がありますからね。当時最強の攻撃力を持つと言われていた《パンデミッカー》が卜部相命を始末しに行きました。そして自分は、万が一の万が一、保険の保険として、姿を隠して最強の彼の後ろにいました。最強の彼が負けそうなら、透明を活かして卜部相命を攻撃するために。」

 姿を隠してあの戦いを見ていた……私はもちろん、先生も聞いただけの話だけど……車がひっくり返って地面が陥没するような戦いを……卜部さんの全力を、カールは見たのだ。

「自分は透明になるしかできませんから、専ら攻撃手段は術式でした。ですから……衝撃を受けましたよ。卜部相命の戦いには。普通の使い手なら発動させるのに一分はかかる術式をコンマ数秒で発動させてしまう、あの術式の効率化、制御する技術。芸術でしたね。そんな感じで……そう、勉強になる戦いだと思っていた自分は、卜部相命の最後の術を見た時、恐怖で腰が抜けました。姿が見えていないのに、自分は這いつくばりながら必死に物陰に隠れましたよ……」

「……卜部相命の……禁術ですか。」

 東条さんは、その冷たい眼に少しの驚きを見せた。それは他の『四条』も同じで、特に北条さんは欲しくてたまらなかったモノをついに見つけたというような驚きと喜びの混じった顔をしていた。

「お、おい若造! 教えろ、教えるのじゃ! その術式の属性は! 方角は! 名は! 呪文はなんじゃ!」

 北条さんの反応に、南条朱夏さんを縛っている鎖を何とかしようと引っ張ったり叩いたりしている《ノーバディ》さんがうへーという顔になる。

「なんだいなんだい、いきなりさ。欲しがりの子供みたいだよ。ねぇ、姐さん。」

 そう言われた南条朱夏さんだったけど、その顔は冷静ながらも興奮を隠せないという表情だった。

「! ……姐さんもそこまで興味あるのかい……」

 南条朱夏さんは深く息を吐く。

「……当たり前だろ……日本系術式の頂点と言われた男の奥義だ。小町坂が受け継いだとか言われているけど本人は話をそらすばかりでまともに答えない……それ程のモノなのかと、珍しく『四条』の全員一致で調査していた事だ……まさかそれを……それの発動を見た事のある奴に会えるとはな……」

 『四条』のカールを見る目が変わったところで、カール本人はやれやれという反応。

「ふふ。そう色々聞かれましてもね。自分の専門は西洋術式ですよ? ましてや禁術……その術の詳しい事がわかるわけないじゃないですか。呪文も長すぎて、どこからが術の名前だったのかもわかりませんでしたよ。ただ……」

 カールは身動きの取れない『四条』を一瞥して自信たっぷりにこう言った。

「あれを見た事で自分はステップアップしました。術の可能性の大きさを知りました。技術の存在を理解しました。一目見るだけで……畑違いの自分が成長できる程の術式だった……それは確かです。」

「……確かに、この鎖は容量の少ない魔法陣にしては強力ですね……この効率が、あなたの学んだことの一部ですか。」

「その通りです。まぁ、もしも自分が負けるようなら……そうですね。卜部相命の禁術で何が起きたかくらいは、教えてもいいですよ。」

「……そうですか。」

 他の『四条』よりは興味なさげにそう言った東条さんは、腕は上がらないけど動かすことのできる手で腰にぶらさげているひょうたんを器用に取った。そして栓を抜き、それを空いているもう一方の手に傾ける。中から出てきたのは透明な液体……たぶん、水だ。

 水でぬれた片手を自分を縛る光る鎖にあてる。すると金属がひずむような音とともに鎖が壊れた。

「おお……やりますね。」

「西洋術式に関しては無知なのですがね……なまじ日本系術式が混じっているおかげで壊せました。」

 首を鳴らし、肩をまわす東条さんはひょうたんを持っている手を思いっきり上に振る。するとひょうたんの中の水が吹き出し、放物線を描いて東条さんに落ちた。バシャッと水をかぶった東条さんはびしょ濡れになる。

 ……たぶん、普通はそういう風にしか……水をかぶっただけにしか見えない。だけど私には、左手のせいか、もっとすごい瞬間が見えていた。

 空中から落ちて来る水の塊が東条さんに触れる直前、東条さんのひょうたんを持つ手が小刻みに動いた。それはまるでバーテンダーがシャカシャカとシェイクをするような……慣れない人には絶対に出せない速さで動く手首。

 高速のスナップを受けたひょうたん……いや、ひょうたんから出ている水は手首の動きに合わせて、まるで生き物のようにうねり……空中にある模様を浮かび上がらせた。そう……魔法陣だ。

 ほんの一瞬だけど、魔法陣の形になった水をかぶった東条さんは、気が付くとその身体が青白く光っていた。

「……! 今の水で術を……?」

 カールもかなり驚いている。

「……」

 びしょ濡れになった東条さんは、黙ったままで何かの構えをとった。詳しい事はわからないけど、あれはきっと何かの武術の構えだ。

 宇田川さんが言っていた。「生命」や「活力」を意味する水を使う事で、自分自身を強くするのが東条だと。

「見かけによらず、武闘派でしたか。術式使いの対決かと思いきや、そちらは近接格闘とは。」

「……一つ言っておきますが……」

 東条さんの構えを見て軽く笑ったカールに対して、さっきから一度もニコニコ顔を見せない東条さんが淡々と言った。

「わたしの武術は古流のそれです。スポーツの部類に片脚を突っ込んでしまっている柔道や空手……映画のエッセンス程度のカンフーなどと同じと考えないで下さい。わたしの技は、あなたの命を奪う事が出来ます。」

「……そうですか。そちらも忘れないようにお願いしますね。自分は、多くの人間を殺してきているという事を。」

 ピリッとした緊張が両者に、そしてホール内に走った。

「……雨傘流無刀近接ノ構……」

 何の前触れもなく、予備動作もなく、まさに水のような滑らかさで、かつ物凄い速さで東条さんがカールに迫った。

「一の型、攻の七、《白波》!」

 かなり人間離れした速さで放たれた東条さんの回し蹴り。だけどカールはそれを後ろにさがる形でかわした。

 だけど今回もまた、私にはもっと違う光景が見えていた。

 東条さんの脚がカールの脇腹付近、十数センチというところまで迫った時、東条さんの脚は一瞬止まった。

 というのも……たぶん術式なんだろう、カールを覆うように透明な膜のようなモノが出現したのだ。バリアーと言えばわかりやすいかもしれない。

 バリアーにぶつかって止められた東条さんの脚だけど、それもほんの一瞬の出来事で、何事もないかのようにバリアーを砕いて東条さんの脚は再びカールに迫った。

 だけどその一瞬の停止を逃さず、カールは後ろに飛び退き、蹴りを避けたのだ。

「いい蹴りですね。」

 ピョンと後ろに飛び退いたカールは、トントンと後ろにさがりながら同時に物凄い動きをした。

 まるでタップダンスが何かのように、カールの脚が床に術式を描いていくのだ。そしてダンッとカールが両脚で地面に着地すると、その術式が……映画でたまに出て来る閃光弾みたいな光を発した。

「……!」

 離れた所で見ている私でさえ目がチカチカする閃光、目の前で見てしまった東条さんはしばらく何も見えないだろう。一、二歩後ずさる東条さんは苦い顔で両目をつぶっていた。

 そしてそのスキを逃すまいと、カールが再び脚で術式を描き始めた。「描き始めた」と言っても、私がそう思った頃には既に描き終わっていて、今度は光の玉がいくつか出現し、東条さんの方へ飛んでいった。

 思わず危ないと叫びそうになったけど、何も見えていないはずの東条さんがすぐさま構えたのでびっくりして出かかった声がのどの辺りで止まった。

 目をつぶったまま、東条さんは飛来する数発の光の玉を拳や脚で瞬く間に打ち落としてしまった。

「なっ!?」

 さすがにカールも驚く。だけどその「驚く」という一瞬のスキで東条さんがカールに肉薄した。

「九の型、攻の八、《渦潮》!」

 平手打ち……ああいや、こういうのはたぶん掌打と言うんだろう。ねじりを加えて放たれた東条さんの右腕が、貫いてしまったんじゃないかと思うくらいに深々とカールのお腹に突き刺さった。

「がはっ!」

 身体をくの字に折り曲げ、そしてそのまま数メートル吹き飛んだカールは若干回転しながら床に転がった。

「内臓にそこそこ深刻なダメージを与えました。わたしの勝ちです。」

 色々な攻防があったけど、時間にすれば一分もない勝負だった。たくさんの《お医者さん》、時には《ヤブ医者》とさえ戦ってきている《パンデミッカー》の一人があっさり負けた。この前の事件で見たアルバートさんとブランドーの戦いの方がよっぽどそれらしいすごい戦いだった気がする。

「ぐふ……こうも……簡単に自分が……」

 息苦しそうにカールがそう言ったのが聞こえた。対して東条さんは自分の手を見つめてこう言った。

「あなたの先ほどの攻撃……数種類の呪いが組み込まれていましたね。普通なら、あれに触れた段階であなたの勝利なのでしょうが……わたしの術は人体の活性化です。呪いとは逆方向の術式……相性が悪かったですね。」

 相性……そうか、そういうモノもあるのか。


「さて……この人はどうすればいいんですかね。」

 そう言いながら東条さんは先生の方を見た。

「あー……そういやいつもいつの間にか誰かが連れてってるな……」

『《デアウルス》ノコトダ。ホットケバムカエヲヨコスノダロウ。』

「そんな事よりも。」

 そう言ってツカツカとカールに近づくのは南条朱夏さん。カールがああなったことで鎖も解けたようだ。

「こいつはこの場所に侵入してたんだ。どんな情報を得て、何を誰に伝えようとしてたのか、吐いてもらおうか。あっちの年寄りもどきと一緒にな。」

「……自分、そういう事には口が堅いですよ……」

 顔色一つ変えずにおじいさんだった人の腕を燃やした南条朱夏さんがそれを聞いて目を細める。私はなんだかゾッとした。

「んー? そういやぁ……」

 凄惨な拷問でも始まるのかと私がドキドキしている横で鬼頭先生が間抜けな声で何かを思い出す。

「もしかして、これでスクールの件も解決か?」

 スクールの件……眼球マニアさんが先生たちに話したスクールを襲撃した青年の話だ。

『ウーン。コノオトコノジュツシキデアノハカイガオキルトハオモエナイナ。ベツドウタイガイルノダロウ……』

 スッテンさんはカションカションとカールに近づき、しゃがみこんで顔を覗く。

『オイ。スクールヲシュウゲキシタノハイッタイドンナヤツナンダ? ツギハコノアメリカノスクールナノカ? ショウジキニコタエレバイタクシナイゾ。』

 そう言うと、スッテンさんの右手がガチョンと変形し、五本の指それぞれの先にペンチやらハンマーやらが装着された。

 南条朱夏さんに対しては何も言わないという態度をとったカールだったけど、何故かスッテンさんに対してはそうはならず――


「……何の話ですか?」


 と言った。如何にも何か知っているのにそう言ったのなら別にいい……いや、良くはないんだけど、とにかく、その時のカールの顔は本当に何を言っているのかわからないという顔だった。

『ンン? シラナイノカ。ベツドウタイノコウドウハキイテイナイノカ……メンバーノダレカノドクダンナノカ……』

 スッテンさんは首を傾げながら、私たちの方に戻って来た。

「んー? まさかあいつの言葉を信じるのか? 知らなそうにするのは当然だろうに。」

『イヤ、アノヒョウジョウ……セイカクニエイバ、ガンメンノキンニクノウゴキヤシンパクスウ、コキュウヤコタエルマデノマ……カガクテキニミルトアノオトコハホントウニナニモシラナイ。マァ、キョーマガミレバヨリカクジツニワカルダロウガ。』

 スッテンさんが急に呼ばれてびっくりしている先生を見る。先生は少しの間の後、頭をポリポリとかきながらカールのもとへと移動した。

「……! まさか自分にあれを……!」

 何をされるか……というか、たぶん先生の技術を知っているカールは……殺されるとでも思ったのか、ぎゅっと目をつぶって黙った。

「……ちょっと覗くだけだ……」

 先生がカールの手と握手する。

「接続……開門……」

 まわりの人が何をしているのかわからずに不思議そうな目で先生を眺める事二分程。先生はとぼとぼと戻って来た。

「スッテンの言う通りだ。カールは何も知らない。それとついでに、カールにとりついてたヴァンドロームがわかった。《ナイトウォーカー》だ。」

『《ナイトウォーカー》……ナルホド、ソウイウコトデアアナッタノカ。』

「んー? なんで《ナイトウォーカー》で透明人間になんだよ。」

 《ヤブ医者》三人が集まってカールの『症状』の話を始めたので、もちろん気になっている私やライマンさん、宇田川さんがそそそっと先生たちに近づいた。

 ちなみに詩織ちゃん……の姿の《ノーバディ》さんは南条朱夏さんの隣でとりあえず縄で縛られるカールを眺めている。

『ナンデッテ……《ナイトウォーカー》ノ『ショージョー』ハシッテルダロウ? ソレガ《パンデミッカー》ノイウトコロノリミッターカイジョサレタケッカ、トウメイニンゲンガデキアガッタノダ。』

「ン? 《ナイトウォーカー》の『症状』ってなんだッケ。」

「ライマン……アナタ一応成績優秀者でしょう?」

「ヴァンドローム学は苦手なンダ……覚える事ばっかリデ。」

 そんなライマンさんを見ながら、私は先生にもらったヴァンドローム図鑑を思い出す。

「《ナイトウォーカー》……Dランクのヴァンドロームで、確か『症状』は『紫外線アレルギー』です。」

「さすがことねさん。」

 先生がにっこり笑うので私はなんだか恥ずかしくなって下を向いた。


 紫外線アレルギー。文字通り紫外線が原因となるアレルギーだ。日光アレルギーとも呼ばれ、発症してしまうと外を出歩く時に日傘や帽子が必要になってくる。

 症状はかゆみや腫れ。ひどくなると吐き気や頭痛を引き起こす。

 花粉症と同じである日突然、誰でも発症する可能性のあるアレルギーで一度発症すると完治は難しい。予防策としては、徹底した紫外線対策をして日頃紫外線を浴びないようにするという事がある。ただ、これも花粉症と同じで個人差が大きく、何もせずに過ごして発症せずに一生を終える人もいる。

 ……カールが初めて私たちの前に現れた時、妙にかゆそうにしていたのはこういう理由だったのだ。だけど、なぜこの『症状』で透明人間に……?


『アレルギートハスナワチ、カラダノカジョウナメンエキハンノウ……キョヒハンノウダ。ソレガカラダニフレルコト、ナイブニハイルコトヲキョゼツスルウゴキダ。』

「つまり……カールの場合、リミッター解除したことで《ナイトウォーカー》が紫外線を完全に拒絶したって事か?」

『シガイセンニカギラズ、オソラクヒカリソノモノヲダ。』

「んー? 光を拒絶してなんで透明になんだよ。拒絶って反射するって事だろ?」

『タシカニソウダガ……オソラク、カールノバアイハソノウエマデトウタツシタノダロウ。』

「んー……拒絶の上?」

『ムシダ。』

「無視? 拒絶の上が無視?」

『ソウダナ……タンジュンニヒトノスキキライデカンガエルトワカリヤスイ。スキノシタハフツウ、フツウノシタハキライ、キライノシタハダイキライ、サラニシタニイケバムシダロウ?』

「んー……んな学生みたいな考えかよ……」

『キョヒハンノウハ、スクナクトモソレガソコニアルコトハミトメテオリ、イッシュンデハアルガウケイレテイル。ソノケッカダメダッタカラキョヒスルノダ。ダメダトワカッテイルモノナラフレナイヨウニスル。ツマリヨケルワケダ。』

「えっと……こういう事ですか? 『紫外線アレルギー』がより極端になって、そもそもアレルギーを起こすモノに触れないように身体がなって……結果、光を避ける……つまり透明になった?」

 私たちに物が見えるのは、その物が光を反射しているからだ。だから反射しない物……ガラスとかは透明に、そこに何もないように見える。カールはリミッターを解除した《ナイトウォーカー》を取りつかせる事で自分の身体を光が素通りする状態、つまり透明にした……ということらしい。

「アハハ、それ、もうアレルギーじゃなイナ。」

『モノスゴイカクダイカイシャクダガ、オソラクリミッターヲカイジョスルトソウイウコトモオコルノダロウナ……』

「ちょっと飛び過ぎな気がするけど……Sランクとかを考えるとなぁ。」

 神や悪魔と言われるSランクの存在を理由になんとなく納得しようとしていた私たちに、鬼頭先生がふとこんな事を言った。

「んー……前提が違うのかもな……」

『ン? ナニガダ?』

 スッテンさんの問いに対して、この中で唯一ヴァンドロームそのものに対する研究を行っている鬼頭先生が静かに答える。

「んー……俺らは……ヴァンドロームが、とりついた生き物を『症状』で殺さないように力を抑えてるって考えてるが……本当にそうなのか? 連中には『症状』を引き起こそうって気はさらさら無くて、自分の持つ能力を使って『元気』を取り出そうと試行錯誤した結果自分の能力を弱めに使うって方法に辿り着いて……んでその弱めの力を俺らが見た時、たまたま病気における『症状』と似て見えるだけなんじゃないか?」

『アッハッハ。イチリアルガ、ソウダトシタラドンデンガエシモイイトコロダナ。ヨビカタモカエナイトナ。』

「? ヴァンドロームって呼び方ですか?」

「あれ、ことねさん知らないっけ。ヴァンドロームが何でヴァンドロームって言うのか。」

「え、由来とかあるんですか。」

「ヴァンドロームは英語の『ヴァンガード』と『シンドローム』の合体なんだよ。『ヴァンガード』は「前衛、先鋒」って意味で『シンドローム』は「症候群」。「前衛、先鋒」っていうのは戦争とかで初めに相手に突撃する感じの人たちを指す言葉。「症候群」は、何か一つの原因から生じる色んな症状の事を指す言葉。つまりヴァンドロームっていうのはね、本来なら原因が先にあってその後に症状が来るはずなのに、その症状が原因を置いてけぼりにして真っ先に出て来るところ……原因無しに症状だけを引き起こすところから名づけられたんだ。「先行する症状」、「ヴァンガードなシンドローム」、略してヴァンドローム。」

 もっと最初の方で聞くはずだったように思える雑学を聞き、私は気が抜けた。


 その後、何事も無かったかのようにニコニコ顔に戻った東条さんがカールとおじいさんだった人をどこかに連れてった。たぶん、どこかの部屋に閉じ込めて置くのだと思う。そしてきっと気づいたらその二人はどこかへ行ってしまっているのだろう……と、先生が言った。つまり、《デアウルス》さんが回収するのだとか。

 一応、《ヤブ医者》側で処理するという事が書かれたメモが残るらしいのだけど……今更ながら《デアウルス》さんは謎が多い。この件に関しては、いつの間にかお財布の中に《お医者さん》の免許証を入れる技術を提供したスッテンさんも知らないみたいだ。


 そうして一時間くらい経つと『四条』の各流派ごとの集まりが開かれ、その後には『四条』の会合が予定通り行われた。さすがに会合とかには出席できないから、私たちは家ごとの集まりが始まった辺りでスクールの方に戻った。

第四章 その4に続きます。

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