第三章 その2
第三章 その1の続きです。
翌日。朝ごはんを食べてすぐ、ワタシは地図に示された場所に移動した。《イクシード》の力で瞬間移動をしたのだけど……
「……《イクシード》。地図と違う場所よ、ここ。」
ワタシは何故かどこかの駅の近くに移動していた。地図の場所は山の中だったのに……
『かかっ。確かにその場所に移動したのだがな……途中で不可解な力を受けてこっちに飛ばされた。《デアウルス》の仕業か……』
「招待しておいて……」
「キャメロン・グラント様ですね?」
ワタシがやれやれと肩を落としていると後ろから話しかけられた。その人物はにやにやしたスーツ姿の男で、《デアウルス》の使いだと言ってワタシを車に乗せた。
車に揺られること約一時間。ワタシはこじゃれた建物の前に立っていた。詳しい事を聞こうと思ったらスーツ姿の男はさっさと帰ってしまい、一人ポツンと残されたワタシは建物の入口をにらみつける。
「……入っていい……のよね。」
『……』
「? 《イクシード》?」
『かかっ。ああ。確かにあいつが中にいるな。』
「じゃあ行くわね。」
妙に広い駐車場を横断して、ワタシは建物の中に入った。
どこぞのホテルのような内装で、シャンデリアがぶら下がっている。ソファやテーブルが並んでいて、ロビーと呼んで差支えない空間なのだけど誰もいない。
「……日本のことわざで言えば、鬼が出るか蛇が出るかというやつね。」
『かかっ。出てくるのは気持ち悪い生き物だ。』
「? どういう意味よ。」
『よく来た。』
突如響くドロドロした声。電話越しでも気味が悪かったけど、直に聞くとゾッとする。ワタシは声のした方に視線を向けた。
「え……」
正面の階段の上。そこに目を背けたくなるようなモノがあって……矛盾しているけど、目を離せなくなった。
それは、一言で言えば気持ち悪い何かだった。
ドロドロのヘドロの塊……不快な色をしたスライム。その表面には脈動する管や化膿した傷口のようなグチュグチュしたモノがいくつも張り付いている。人に嫌悪感や不快感を与えるモノを凝縮したようなそれは、しかし生物のようにうねっている。
そこまでなら、ワタシは反射的に目を背けることが出来たと思う。だけどそうじゃなかった。
一メートルくらいの身長のその身体の正面に、まるで剣で切られたような痕がななめに走っている。何かで切った傷口を無理やり広げたような痛々しいその痕には、昆虫の複眼のように無数の眼球が敷き詰められていた。
「目は口程に物を言う」ということわざが日本にはあるけど、たぶんそれはまぶたも含めての「目」だ。まぶたの無いむき出しの眼というのは実に無機質で感情が読み取れない。だけど確かな視線を……その眼、一つ一つがワタシを捉えていると身体で感じる。
無数の眼と目が合ってしまったらもう目を背けることなんてできない。《イクシード》と出会ってから今まで、感じることのなかった感情がワタシの心の中から染み出してくる。
純粋な、「恐怖」。
相手は名乗っていないし、ワタシはその姿を知らないわけだけど、確信を持って言える。
あれが《デアウルス》だ。
『初めまして。ついでに……久しぶり。吾が《デアウルス》だ。』
「……キャメロン・グラントよ。」
ワタシが恐る恐るそう言うと、ワタシの中からピョンと《イクシード》が出てきてワタシの横に着地した。
『かかっ。久しぶりだな、《デアウルス》。相変わらずで残念だ。』
『お主も相変わらず。飾り気のない容姿であるな。』
『かかっ。そっちは装飾過多だろう?』
……ヴァンドローム同士の会話は、《パンデミッカー》の中では珍しくない光景だった。同種族だからか、ヴァンドローム同士の場合はランクに関係なく会話が可能らしい。まぁ……そもそもランクなんて人間が勝手につけたモノだしね。
見慣れた光景……それでも会話している者が共にSランクとあってはワタシも緊張するわね。
『積もる話もあるが、まずは部屋に案内しよう。ついてきてくれ。』
そう言って《デアウルス》は背を向けた。慌てて追いかけたら……すぐに追いついた。
『かかっ。それも相変わらずだな。場所を言ってくれれば移動するぞ。』
『ふむ……そこの部屋だ。』
ワタシたちはわずか数メートル先に扉が見える部屋に瞬間移動した。なぜならあまりにも……《デアウルス》の移動速度が遅かったからだ。
部屋は普通の応接室だった。向かい合うソファにはさまれたテーブル。部屋の隅にはコートかけ。極々一般的なその空間で、白衣の女と真っ白いぬいぐるみはヘドロの塊と向かい合って座った。
『さて、吾がお主らを招いたのは――』
『かかっ。その前に聞きたいことがある。』
《デアウルス》の眼がワタシの横に座る《イクシード》に向けられる。
『かかっ。お前、どうやって我らの場所を突き止めた。』
《イクシード》のその問いの意味するところがわからず、ワタシはとりあえず《デアウルス》を見た。すると《デアウルス》はワタシの方を見て笑った……気がした。
『《イクシード》。キャメロン・グラントが困惑しているではないか。ふむ、説明ついでに解説しておこう。』
……ちなみに《デアウルス》はソファというよりは座椅子に近いモノに寄りかかっている。脚がないからね。
『吾にはお主らの言うところの五感が……視覚しか存在せぬ。見てわかるだろうが。』
「過剰にあるようね。」
『昆虫に比べれば少ないはずだが。無論、視覚だけでは生活に困る。吾にはお主らにはない感覚……第六感のようなモノがあるのだ。』
「虫の知らせって奴かしら。」
『そんなところだ。吾はな、誰がどこで何をしているのか。それを把握できるのだ。』
「……え?」
『知覚範囲はこの星全域だ。』
「ちょ、ちょっと待って! 把握できるって……しかも星全域!?」
『かかっ。理解しようとするな、キャメロン。五感しか持たない者に五感以外の感覚は理解できん。要するに、こいつに耳はないが、目の前でしゃべっている我やキャメロンが何を言っているかは把握できてしまうのだ。』
「そんな感覚が……地球規模で……?」
『うむ。今、ここイングランドでくしゃみをした人間の数も、日本で熱を出している子供の数も、アメリカの大統領が小難しい書類に目を通していることも……アフリカで後ろ右脚を怪我したシマウマと、それを狙うライオンも……全て把握できる。無論、無尽蔵に情報が流れ込んでくるわけではない。知りたいと思ったことが選択されて吾の知識となるのだ。』
信じられない。見えも聞こえも臭いも触れも味わいもしないのに対象のことが全てわかる感覚だんて……まさに規格外。《デアウルス》に目をつけられたら、そいつは四六時中その行動を監視されてしまうのね。
……あら……それなら……
「《イクシード》、あなたのさっきの質問はどういうこと? どうやって突き止めたって……」
『かかっ。こいつの第六感はな、防ぐことが出来るんだ。つまり、《デアウルス》に存在を知覚されないようにな。』
「そんな都合のいい方法があるの?」
『かかっ。見られたくなければ姿を隠す。聞かれたくなければ遠くに離れる。感覚に知覚されるのを防ぐというのはそんなに難しいことではないだろう。《デアウルス》の場合は、こいつの感覚に知覚されることを「許可しない」と思うだけでいい。』
「許可?」
『かかっ。要するに拒絶だ。』
『その通り。例えば吾ら以外のSランクの居場所だが……野生の方に特化した連中の場所はわかるが、知性の方に特化した連中はその場所がわからない。彼らは吾の能力を知っている故、吾に知覚されることを許可しないのだ。だからわからない。』
ワタシは《デアウルス》の話を整理する。
「許可……つまりこうね。あなたのことを知らない者は許可も何もないから知覚可能な対象。あなたのことを知っていて、あなたに知覚されることを良しとしない者は知覚不可能。」
『そうだ。故に、お主らが所属していた《パンデミッカー》たちは把握できない。』
突然の名前が出てきて少し驚くワタシ。でも……この話題を避けられないのは当然ね。ワタシは元、そこのメンバーなのだからね。
「そう……かもね。《デアウルス》という存在のことは全員が知っていて、《ヤブ医者》の指揮官だっていう認識があるから……知らず知らずにあなたを拒絶しているのね。」
『かかっ。我は《デアウルス》に知覚されることを良しとは考えていなかったし、元であるキャメロンには《デアウルス》に対する拒絶が無意識に頭の片隅にあったはずだ。だから聞いたのだ。どうやって突き止めたのかを。』
方法はいくつか思い浮かぶ。ワタシや《イクシード》本人ではなくて、その周囲の人間を調べればいい。例えばキョーマを監視していれば、ワタシたちの居場所はすぐにわかるはず。
だけど……そもそもワタシたちがどこの誰と接点を持っているかはワタシたちを調べなければわからないこと。どうしたってわからないはずなのよね。
『お主らは勘違いをしているな。』
《デアウルス》はワタシたちを見て笑った……気がした。
『別に吾はお主たちを探していたわけではない。いや、そもそも何も探してなどいなかった。』
「なぞなぞ?」
『そうではない。吾の感覚だがな、何も生き物限定の感覚ではないのだ。どこかの山が噴火したことも、今にも弾かれそうな海の底のプレートも、まわる風も知覚できる。そして今より三十年ほど前から、頻繁な空間移動を知覚するようになった。』
「空間移動?」
『ある場所にいた者が一瞬で遠く離れた場所に移動することだ。』
「それって……まさかワタシたちの……」
『かかっ。瞬間移動か。確かに今から三十年……正確には二十八年前から、我はキャメロンの望みで何度も瞬間移動を行ったな。』
「それを怪しく思って……」
『いや、怪しいなどと思わぬ。Sランクにおいてその能力は珍しくない。どこかのSランクが世界をまわる旅でも始めたのかと考えていた。』
「瞬間移動が一般的なの……恐ろしいわね。」
『そして、その瞬間移動がここ数年、パタリと止んだ。』
「……日本に住み始めたからね。」
『長い事行われていたモノが行われなくなる。それは充分に興味の対象であろう? だから吾は最後に移動した先……日本をよく眺めるようになったのだ。』
……たぶん《デアウルス》の持つ第六感で表現すると、日本の方を知覚するということを眺めるって言うのね。
『かかっ。そしたら……我らを見つけたと。』
『そんなにあっという間に見つけたわけではない。』
《デアウルス》の眼が全て天井を向いた。人が何かを思い出す時に上や左右に目をそらすことは珍しくないけど……その眼でやられると怖くてしょうがないわね。
『吾は……暇さえあれば面白い事をしている《お医者さん》を探し、それがある一定以上の領域に達している者を《ヤブ医者》に誘っている。かつて日本人の《ヤブ医者》はいたがすでに引退。今はいない状況だ。』
「《ヤブ医者》にも引退なんてあるのね。」
『当然だ。年を取った、病気になった、怪我をした。何らかの理由で治療を行えなくなった者は《お医者さん》と呼べぬ。かかっているのは常に他者の命であり、行うことは歴史から絶えて久しい戦闘。中途半端な者はいらぬ。』
「そう。」
『その日本人の《ヤブ医者》は単純に年であった。引退は仕方のないことだったのだが……正直、日本人は一人欲しい所なのだ。』
「随分評価が高いのね。」
『そうではない……あの独特な人種が欲しいのだ。一辺倒の面々にならぬようにな。』
「? どういうこと?」
『うむ。《お医者さん》の治療法というのは魔術、錬金術と呼ばれているモノが大元だ。故に、そこには宗教というモノは大きく関わって来る。この《お医者さん》の治療法は誰かのそれに似ているなと思ってみれば、同じ信仰を持つ者だったということは多々ある。』
「それに対して、日本人は信仰心が希薄ってわけね。」
『そうだ。加えてどこぞの宗派のイベントをお祭りにしてしまう。そんな国……国民性だからこそ、日本人の《お医者さん》というのは独特な治療法になりやすい。《ヤブ医者》の中に一人は欲しい特異性なのだ。』
……《デアウルス》が《ヤブ医者》という連中をどういう集まりにしようとしているのかイマイチわからないけど……要するに色んな奴がメンバーであって欲しいわけね。
「それで、今の話とワタシたちを見つけたことがどうつながるのかしらね。」
『元々あった日本人の《お医者さん》に対する興味とさっき言った瞬間移動の件が合わさってな。吾は……日本の《お医者さん》を片っ端から眺めることにしたのだ。』
『かかっ。片っ端か。』
『スタートはその引退した《ヤブ医者》。そいつの弟子から弟子へ。弟子から弟子の知り合いと広げていった。』
「気長な話ね……」
『そうして先日……一人の有望株を見つけた。高い技術力と日本古来の術式。名を卜部相命と言う。』
「卜部!?」
『そうだ。』
こんなところで彼の名前が出るなんてね。ただ者じゃないと思っていたけど、《デアウルス》に目をつけられるほどなのね……
『しかし、本人はすでに引退を考えていてな……残念ながら諦めた。だがその卜部を見ていて面白い人物が浮かび上がった。』
『かかっ。それがつまり……』
『キャメロン・グラント。お主だ。』
「そこでワタシにつながるのね……」
『卜部はキャメロンという《お医者さん》に大変興味を持っており、治療法も知らぬのにえらく信頼している。気になって調べようとしたら……なんと吾ではその者を知覚できなかった。それはつまり、キャメロンという人物は吾のことを知っているということだ。《ヤブ医者》と《医者》の上層部、そして《パンデミッカー》しか知らぬはずの吾をな。』
『かかっ。普通に《パンデミッカー》だと思わなかったのか?』
『《パンデミッカー》が普通に《お医者さん》をするというのか?』
『かかっ。なるほど。』
『吾は調べつくした。卜部相命から始まり、キャメロンという人物の周囲にいた人間を追い続けた。その足跡をな。そして気づいたのだ。キャメロンの足跡と瞬間移動の足跡が同じであることに。吾は興奮した。』
「……どうして。」
『お主らの言うSランクである吾らは確かに、安息を求める。しかしそれを実践して他の生き物の中に住もう実際に行動する者は少ないのだ。吾の知る限り、それは《オートマティスム》くらいだ。故に考えた。キャメロンという人物は《オートマティスム》が見つけた安息の家なのか。それとも他のSランクが人と共に行動するようになったのか。』
……話を聞く限り、Sランクの連中っていうのは……互いが互いを知っているのね。《イクシード》と《デアウルス》は知り合いみたいだし、今別のSランクの名前も出た。その昔、Sランクが一同に会したことでもあったのかしらね……
『そして、吾は今まで思いもしなかったルートでキャメロンという人物に最も近い人物を見つけた。』
「ルート?」
『お主の周囲の人間で……《医者》だが《お医者さん》のことを積極的に調べている人物が見つかった。そしてその《医者》の息子がお主と頻繁に接触していた。安藤享守という少年だ。』
『かかっ。やっぱり最終的につながるのはキョーマか。』
「うむ。こうして吾は頃合いを見計らい、キャメロン・グラントに電話をかけた。そして電話の向こう側に……お主を見つけたのだ、《イクシード》。」
『かかっ。まぁ何はともあれ、お前が我らをどうこうしようとしている訳ではないことがわかって安心だ。』
『ふむ? 一応用はあるのだが。』
用? 単純にたまたま見つけた昔馴染みと会っているというだけではないのということね。
『キャメロン・グラント。お主、《ヤブ医者》になる気はないか?』
「はぁ?」
ワタシはずいぶん間抜けな声をあげた。隣に座っている《イクシード》も驚いたような……そぶりを見せた。
「……改めて言うことじゃないけど、ワタシは元。たくさんの《お医者さん》を……殺しているのよ?」
『知っている。《ヤブ医者》も何名か被害を受けたと聞いている。』
「じゃあ……どうして……」
『今のお主は立派に《お医者さん》ではないか。』
「……! それは……仕方なくの成り行きよ。」
『ふむ? ではお主は、今行っている治療という人助けを別の目的達成のための副産物だと言うのか? 評価するべき対象ではないと?』
「そうね……ワタシが人を救いたいとか思ってやってるわけじゃないわ。色んな《お医者さん》がいるでしょうけど、そこだけはぶれちゃいけないんじゃないかしら……」
『心配するな。《ヤブ医者》のほとんどは自分の欲望のために突き進んだ結果、規格外の《お医者さん》になってしまった者だ。』
「……それでもワタシは人殺しよ。」
いつか《イクシード》とも交わした議論を前に、ワタシは目を伏せる。
『……お主の理論を借りるなら……』
《デアウルス》のパックリ開いた傷口のようなところが細くなる。
『お主が行った殺人は《イクシード》の家探しの過程であろう?』
「! なんでそれを……」
『これくらい予想できる。お主らの瞬間移動は『異常五感』を発症している少年に出会った時に終わったのだからな。話を戻すが、殺人が目的でないなら、その行為はお主の言うところの「仕方なくの成り行き」であろう? ならば殺人は評価に値しない。』
「そんな屁理屈……」
『……吾の……根本的な考え方だがな……過去などどうでも良いのだ。今、もしくは未来に有益な何かを残す可能性があるのならばそれは認めるべきだ。だいたい、昔に殺人を起こしたから今後もそれを起こすかもしれないという考え方が吾にはわからぬ。今までしなかった者がしないとも限らぬのに何を言うのか。《パンデミッカー》という過去を捨ててお主を見るとどうだ? Sランクの一角である《イクシード》の力を借りて生み出した《お医者さん》としては破格の技術を持っている。安藤医師から任された患者をしっかり治療している。一人の少年の体質を改善しようとしている。一人の少年に自分の技術を伝えようとしている。恩人に恩を返そうとしている。非の打ちどころがないではないか。』
「それでもワタシは! 人殺しで……」
『なぜ人殺しは《ヤブ医者》になってはならんのだ?』
「そんなの、当然じゃないの!」
『行動よりもその理由、目的の方が大切なのだ。《医者》は他人の腹を切り裂いて中をこねくり回し、死なせてしまっても「全力を尽くした」の一言で事を終える。なぜなら《医者》の目的が殺人ではなく、救命だからだ。ひどい副作用のある薬を飲ませるのも、壊死した脚を切り落とすのも、歯を引き抜くのも、目をくりぬくのも、その目的が救命であれば問題はない。そうであろう?』
「それは……でも……」
『お主の行動理由は恩人のため。古今東西、他人の為に動く者の行動は過程を如何に批判されようと、目的が判明した瞬間に正義となる。人を一人殺すにしても、自分のために行う者と他人のために行う者とでは世間の目は異なるであろう?』
《デアウルス》はその身体を、まるで首を傾げるように傾ける。
『一体何が気に入らないのか、吾にはわからぬ。理論のない意見は感情だ。お主のそれは感情だろう? 役に立たない善人と役に立つ人殺し……善人を選ぶのが感情であり、人殺しを選ぶのが理論だ。結果を得たいなら後者であるべきだ。』
「……たまに《イクシード》との会話でも思うけど……あなたたちは本当に効率を重要視するのね。」
『考え方の違いは当然だ……吾らは根本的に異なるからな。』
「種族が?」
『いいや。性質だ。この星に生きる全てとSランクの違いがわかるか?』
「違い……能力とか知能とか……」
『子孫の有無だ。』
ワタシは《イクシード》の話を思い出した。
『動物、植物、昆虫……微生物でもいい。全ての生き物は増殖する力を持っているが、吾らにはそれがない。種族が違うなどというレベルの違いではないのだ。別の生き物ではなく、別の存在だ。』
《デアウルス》が身体を傾け、人間でいうところの……ため息をつく感じの姿勢になる。
『議論が平行であるならこれ以上は無意味であろうな。吾の考えは伝えた。時間をおいてまた尋ねるとしよう。』
《デアウルス》のその一言で、ワタシが《ヤブ医者》になるならないの話は終わった。ワタシはなんとなくモヤモヤした気持ちになったから早く帰ろうと思った。だけど《ヤブ医者》という存在が急に身近になったことで、あれを聞いておきたいと感じた。
「……《デアウルス》。あなたは《ヤブ医者》をどういう集団にしようとしているの?」
『……さてな。吾もよくわからぬ。』
「は……? 自分の行動理由がわからないの?」
『行動理由はわかるが、その行動の目的はわからぬ。』
「意味がわからないわね……それじゃあ、どうしてあなたは《お医者さん》側にいるの……?」
ワタシの質問に、《デアウルス》は……なんとなく寂しげに答えた。
『お主、誰かと約束を交わしたことはないのか?』
時間にすれば数時間。だけど丸一日を費やしたような疲労を感じて、ワタシは和室に転がった。
「…………」
『かかっ。《ヤブ医者》うんぬんに関して我は特に何も意見はない。好きにすると良い。』
「こんなときだけ放り出さないでよ……」
ワタシはそのことを考えたくなくて、別の話題をふる。
「ところで……《デアウルス》の症状ってなんなのかしらね。他のSランクなんて初めて見たけど、やっぱりあなたみたいに特殊なの?」
『かかっ。名前通りだ。』
「? 《デアウルス》って意味のある言葉なの?」
『かかっ。それがそのまま何かの単語というわけではないが、あるモノを意味する単語をもじっているはずだ。』
「症状を意味する単語ってこと?」
『かかっ。我だってそうだろう? イクシードとは英語で「超える」という意味だ。『異常五感』は五感全てが普通の域を「超える」症状だ。だから我は《イクシード》なのだ。我を《イクシード》と呼んだ《お医者さん》はそう言っていた。』
「初めて聞いたわね……」
『かかっ。ヴァンドロームの名前はその全てが症状に関係のあるモノだ。人間は単純だが覚えやすい名前を考えるものだ。』
「じゃあ、デアウルスってどういう意味なの?」
『かかっ。「起源」、「始まり」を意味するどこかの言葉をもじったモノだな。』
「始まりの症状? なにそれ。」
『かかっ。あとは自分で考えてみるといい。』
「ちょっと……」
『かかっ。あいつが敵にまわったら答えを教えよう。』
ワタシ三十九歳、キョーマ十四歳。
ワタシは罪な女だったということが判明した。
《デアウルス》の申し出に対して一切の返事をしないまま、足早に時間が通りすぎていく。というか、ワタシが受ける意思を持った瞬間に電話がかかってくるのだと思う。《デアウルス》はきっと、キョーマを足掛かりにして常にワタシたちを眺めているのだろうと思うから。
季節は冬で、キョーマは中学二年生。なんだかんだと「受験」という言葉があちこちに顔をのぞかせる。
『かかっ。国によって色々制度に差はあるが、日本における義務教育は中学校までだ。その先に進みたいならば、相応の実力を示さなければならない。』
「キョーマはどうするの?」
ワタシはワタシの後ろに立っているキョーマに話しかけた。どうして後ろにいるかと言うと、ワタシの髪をとかしているからだ。
「オレは《お医者さん》になるよ。だけど、父さんも母さんも高校は出ておけって言うね。オレもなんとなく、そうした方がいい気がするよ。」
「偉いのね。ワタシなんて小学校も卒業してないのに。」
『かかっ。必要なことは我がその頭に叩き込んだからな。文字通りに。』
「《イクシード》の力ってのは知ってるけどさ……親は何も言わなかったの?」
「特に何も。自分の事業の成功の方が喜ばしかったみたいね。」
『かかっ。突然膨大な金を手に入れると、人間は面白おかしく狂うものだ。キャメロンが空を飛ぼうと、あの親たちは笑っていたな。』
もはや顔も思い出せないワタシの両親。なるほど、ワタシは絶頂の人生と引き換えに家族を失ったのかもしれないわね。
「高校ねぇ。そういえばキョーマは頭いいの?」
「本人に聞かないでよ……成績はぼちぼちだ。」
「そう。まぁどこに行こうとも行けなくともワタシは構わないけどね。」
「嫌なことを……」
「それで……ルルはどうするのかしらね。」
「るる?」
「最近会わないけど? 喧嘩でもしたのかしら?」
ワタシはにんまりしながら後ろに立つキョーマを見る。
『かかっ。キャメロン、息子の女の子事情を問い詰める親の顔になっているぞ。』
「どんな顔よ。」
「別に喧嘩はしてないよ。なんとなく会話しなくなっただけ……」
「小さいころから髪をとかしてあげるような関係でしょうに。チョコももらってたじゃない。」
『かかっ。キャメロン、息子をひやかす親の顔になっているぞ。』
「どんな顔よ。」
「髪をとかしてたのは……おままごとのあれだし……チョコは……まぁ……」
「あら? まさか他に好きな人がいるのかしら?」
『かかっ。キャメロン――』
「うるさいわね。」
キョーマはワタシの髪をとかし終え、ちゃぶ台をはさんで向かいに座った。
「なんというかさ……同年代に……そういう感情っていうのがあんまりわかないんだよ。」
「?」
「たぶんそれは、キャメロンのせいなんだよね……」
「??」
「キャメロン、今何歳?」
「何よ突然。確か……三十九よ。」
「でもどう見たって二十代でしょ?」
そう。ワタシの外見はキョーマに出会った頃から変わっていない。
あの頃は外見と実年齢に少し差が出るのねってくらいにしか考えていなかったけど、そうじゃなかった。ワタシの身体は二十代で成長を……いえ、老化を止めた。
何千何万年の時を生きる《イクシード》には、それこそ段違いの『元気』が内包されている。それを体内から受け続けた故にこうなった……と、《イクシード》は言っている。
別に不老不死なわけじゃない。単純に、寿命が延びたらしい。いつか《イクシード》はキョーマの中に移るけど、それでもワタシは三百年くらい生きられる身体なのだとか。
「その……小さい頃からさ……こう……大人の女性っていうのかな。そういうモノを身近で見ててさ……その……えっと……」
「???」
『かかっ。つまりな、キャメロン。お前とキョーマが出会った時、お前は三十歳のそろそろおばさんとも呼ばれるかもしれない年齢だったにも関わらず、美しい二十代の姿だった。そしてその姿を、お前はキョーマに見せ続けてきた。物心というと幼稚すぎるが、色々なものに興味を持つ多感な頃に美人のお姉さんがずっと傍にいたとあってはな。同年代に欲情するのも難しいやもしれんということだ。』
「……つまり……」
ワタシは少しドキドキしながらキョーマを見た。
「キョーマはワタシに惚れていたの?」
「……それはなんか違うと思うけど……」
『かかっ。それに、まだまだ中学二年生のキョーマが「大人の女性」などという色気のある言葉を使ったり、その年にしては物わかりがよかったりするのも恐らく、「大人の女性」たるキャメロンのせいではないか? 母親以外の異性との接触が、同年代ではなく年上というのはいささか異常なのかもしれないな。』
「……というか《イクシード》。あなたさっき美人て……」
『かかっ。ああ、言ったな。』
「ちょ、ちょっと! 二人してワタシをからかってるのね!」
「からかってないよ……」
『かかっ。キャメロンのこういう耐性の無さは我のせいだな。かかっ!』
時々、ワタシは二人にドギマギされる。なんだか心地いい日常の会話。絶頂の人生の中にはなかった、他人がいるからこその幸せ。
ふと昔を思い出す。果たして《イクシード》はこんなにおしゃべりな生き物だっただろうか。ワタシが《イクシード》と会話するようになったのは《パンデミッカー》に入った頃。平凡な日常とは縁遠い世界にいたにせよ、あまりに口数が増えた。
そしてワタシ自身も――
きっかけは言うまでもない。だから、ワタシたちが未だに伝えていない事実をキョーマが知った時、逆に知らないがゆえに巻き込まれてしまった時、一体どうなるかが恐ろしい。
ふと覚えてしまった恐怖を抑え切れなくて、ある日ワタシは卜部を訪ねた。
「ふふ。あなたからやって来るとは珍しいですね。」
晴明病院の院長室は前に来た時より物が減っていた。ワタシが部屋を見回していると卜部はワタシの心を読むように呟く。
「ようやく……ですね。」
「引退?」
「あなたに出会って十年になろうかというのに、あの頃すでに引退を考えていたわたしが未だにここにいることがおかしいのです。」
「弟子が心配?」
「いいえ。わたしは安心していますよ。ですが彼らがわたしを止めるのです。」
卜部ももうかなりの年のはず。正確な年齢を聞いたことはないけど、孫が小学校に通い始めてもいいくらいね。
「まだ教わっていないこと、教わりたいことがあるとね。中にはとっくにわたしを超えている《お医者さん》もいるというのに。」
なるほど。《デアウルス》が目をつけるだけのことはあるってわけね。弟子がそこまで言うほどの実力者。
「それで、キャメロンさん。今日は?」
呼び捨てでいいと言っているのに未だにさんをつける卜部。
「……ワタシを占ってほしくてね。」
「あなたをですか……では報酬はあなたの治療法を教えてもらうということでどうでしょう?」
卜部らしくないその言葉に、ワタシは面食らう。
「いきなり報酬の話をするなんて、随分ガメツイわね。」
「あなたとは長い付き合いですし、《お医者さん》のことについて多くを話しましたが……あなたの治療法だけは未だに教えてもらっていませんので。」
「確かにワタシは……ちょっとアレだから秘密にしてたけど、そんなの……診療所に来ればいいだけの話じゃない。」
秘密と言ってもその程度でばれていいと思うくらいの秘密。真っ当な《お医者さん》にワタシの《イクシード》と一緒に生み出した技術を話すというのは少し抵抗があった。なんとなく自分から話すのはしなかったというだけで、キカッケがあれば普通にしゃべったと思う。
「ふふ。キャメロンさん、秘密には二種類あるのですよ。」
「種類?」
「秘密そのものが重要な秘密と、秘密を知ることこそが重要な秘密です。」
「意味が分からないわね。」
「要するに、その秘密はあなたの口から聞きたいということです。」
「……わかった。それでいいわ。」
「ふふ。では何を占いますか?」
ワタシは少しの間の後、こう言った。
「隠し事を話すべきか否か。」
ワタシと卜部は、付き合いは長くても親友というわけではない。だけど卜部は何も聞かずにせっせと占いの準備を始めた。これが年の功ってやつなのかしらね。
院長室じゃできないとのことで、ワタシたちはSMの部屋に移動する。
「え、占いするんすか? 院長が?」
「少し場所を借りますね。」
「まじっすか! 見学させてもらいます……っつーか他の奴にも教えないと……」
そう言ってSMは慌ただしく部屋から出て行った。
卜部は部屋の真ん中にろうそくを並べている。
「……毎回毎回違うのね。」
「何がですか?」
「占いの方法よ。初めて見たときはチョーク。その次は藁人形で、その次見た時は鏡だったわね。」
「違う事を占いますからね。」
卜部は「当然のこと」という顔をする。
「そういうものなの?」
「ええ。何度も言うように、占いは学問です。求める答えによってやり方も異なります。足し算の答えを出すのに割り算は使いませんよね。」
卜部はろうそくに火をつけながら続ける。
「タロットカードのように、絵柄や向きで様々な組み合わせを持つ方式であるならともかく、路地裏で水晶玉片手に占い師を名乗る者は偽物ですよ。水晶玉だけで未来や運勢は占えませんから。」
「ふぅん。」
ワタシは暇つぶしもかねて、卜部に聞いてみる。
「どんな学問にも、それを初めに研究しようとした人がいるわよね? 占いにおいて、それは誰になるのかしら。」
「占いそのものの開祖というのは……いないと思いますよ。それぞれの占いの初めの一人はいると思いますが。」
「そうなの?」
「宗教と同じですよ。誰か一人が世界をまわって広めたわけではないのに、世界各地で「何かを信じて生きる」という生き方が流行した。人間が生きる上で必須のモノだったのでしょうね。昔は、一つの村に一人の占い師……もしくは祈祷師、祭司というのがいたものです。」
そんな話をしている内に占いの準備が整い、ついでに見学者がたくさん部屋に入ってきた。
晴明病院には現在、卜部を除いて五人の《お医者さん》がいる。初めて会った時から少し増えたわけだ。その五人に加えて、彼らの助手や弟子。合計で二十人近くの見学者がそろった。
「……あなたの技術は伝えたんじゃないの?」
卜部に促され、並べられたろうそくの中心に移動しながらワタシは言った。
「また数学に例えますが、足し算の技術は教えても、一足す一のやり方と三足す五のやり方をわざわざ教えないでしょう? これは教えた技術を用いて成せることの一つです。彼らは全てを見たいようですけどね。」
卜部は扇子を取り出してワタシの正面に立った。そしてゆらゆらと扇子を動かして、滑らかな動きでろうそくの火を消していく。中には扇子の風では消えないろうそくもあったのだけど、卜部は気にせず続ける。たぶん、消える消えないが占いの結果につながるのね。
そんな光景が三分くらい続いたところで卜部の動きが止まった。
「……終了です。キャメロンさん、どうぞこちらへ。」
ワタシと卜部は院長室に戻る。
「占いの結果を伝えます。」
「ええ。」
「よくわかりませんでした。」
「……は?」
「あ、すみません。結果は出たのですが、その結果にわたしが困惑しているのです。」
「どういうこと?」
「……キャメロンさんが知りたいことは、隠し事を打ち明けたことで人間関係がどうにかなってしまうのでは……ということですよね?」
「……そこまでは言ってないはずなんだけどね。ええ、そうよ。」
「占いによりますと……心配している人間関係は壊れたりしません。むしろ今より良くなるでしょう。ただ不思議なのは、打ち明けても打ち明けなくても同じ結果になるようなのです。」
人間関係……キョーマとの関係には問題がなくて、今より良くなる。それはとてもいい情報ね。だけどそのあとがおかしいわね……
「……話しても話さなくても同じって……」
「そうですね……例えば、キャメロンさんが話さなくとも、誰かがその内容を伝えてしまう……とかですね。」
《パンデミッカー》のことを他の誰かが話す? ワタシ以外となると《イクシード》しかいないけど……それはないわね。他にワタシの過去を知っているやつ……まさか《デアウルス》?
「どういうことなのかはわかりませんが……悪い結果ではなくて良かったですよ。どれだけ経験を積もうと、悪い事を伝えるのには慣れませんので。」
そう言うと卜部はパンと手を叩いた。
「ではキャメロンさん。報酬を受け取ってもよろしいですか?」
「……そうね。」
他の誰か。とりあえず考えるのは後にしましょう……
「……《イクシード》。」
『かかっ。いいのか?』
「ええ。」
ワタシの独り言に首を傾げる卜部は、ワタシの背中から人形のようなモノが飛び出したのを見て目を見開いた。
「……ヴァンドロームですか。」
「ええ。Sランクヴァンドローム、《イクシード》よ。」
『かかっ。はじめましてではないが、会話をするのははじめてだな。』
「《イクシード》……これが……いえ、あなたが……『異常五感』の《イクシード》ですか……」
「あら、知ってるの?」
卜部は大きなため息をつきながら椅子に沈み込む。
「特に知ろうとせずとも、長い間《お医者さん》をやっていると、ふと飛び込んでくるのですよ。Sランクの話が。」
人型マシュマロの《イクシード》を、目を細めて眺めながら卜部は語る。
「《イクシード》を初めに確認した《お医者さん》はアリストテレスと言われています。まぁ、当時は《お医者さん》という仕事はありませんでしたが……彼の残したいくつかのモノは後の《お医者さん》に影響を与えました。その後、名前はわかりませんがとある《お医者さん》の前に姿を現し、その際に《イクシード》という名前がつけられたとされています。」
『かかっ。そうだったか?』
「そして……その《イクシード》に名前をつけた《お医者さん》はとある仮説を立てています。歴史上、英雄や超人と評された人物の中には、《イクシード》にとりつかれた故にその名を残した者もいるのではとね。『異常五感』を御することのできる強い精神があれば、超人と呼んで差支えない。」
『かかっ。確かに、たまにだがそういう頑張る奴もいたな。』
「《お医者さん》の中にはSランクを追い求める方も多いですが……とりわけあなたは、先の理由で注目度が高いのですよ。お会いできて光栄です。」
卜部は《イクシード》からワタシに視線を移す。
「……とりつかれているのですか?」
「少し違うわね。ワタシに害を及ぼしているわけじゃないし……関係は良好ね。」
「そうですか。……強いて言えばこの十年、あなたの外見がちっとも変わらないということが、害とは言いませんが影響なのですね。」
「そうね。でも外見なら……あなたもほとんど変わってないじゃない。」
年を取ったからといって腰が曲がることもなく、相変わらず「紳士」な雰囲気だ。
「一定の年齢を超えると、あまり変わらないのですよ。しかし……あなたの治療法を知りたいと願って最初に紹介されたのが《イクシード》さんということは……あなたの治療法は五感に関する技術なのですか?」
《イクシード》さんて……初めて聞くわね。
「察しがいいわね。……というか……《イクシード》はもういいの? もう少し驚くかと思ったのだけどね。」
「ふふ。驚いていますよ。年を取ると顔に出さずに驚くことができるようになります。」
「そうなの?」
「ええ。確かに《イクシード》さんは驚きですが……今は一層、あなたの方が興味深いのです。」
「そういうものかしらね。」
その後は意外に普通の会話になった。つまり、普通に互いの技術を話し合う《お医者さん》の会話に。所々驚いたりびっくりしたりする卜部ではあったけど、最終的には「なるほど。」の一言で片づけてしまった。
ワタシの技術はかなり異質のはず。なにせ倒す相手であるヴァンドロームと一緒に開発した技術なのだから。
いえ……それ以前にもっと聞くべきことがあるはずなのよね……
「卜部。」
「はい?」
「聞かないのね。」
「聞きたかったことは全て聞くことができましたよ? 切り離しの痛みを起こさない治療法……素晴らしいですね。こちらの動けなくする術と合わせればどんな患者様でも――」
「そうじゃなくて。どういった経緯で《イクシード》と出会ったのかとか……」
「そのような技術を持っていてどうして《ヤブ医者》ではないのか……とかですか?」
「……」
「興味がないわけではありません。ですが、わたしはわたしの性分として、人の過去を聞くことが嫌なのですよ。」
ワタシは驚いた。この卜部という人物とはそれなりに長い付き合いになっているけれど、これほどハッキリとマイナスの意思を口にしたところは初めて見た。
「どうしてか……聞いていいかしら?」
「わたしが占い師だからです。」
「意味がわからないわね。」
「……初めてお会いした頃に、わたしは占いと予言や未来予知の違いを述べましたね。しかし今から言う事は占い師であろうと未来予知能力者であろうと同じ事だと思います。」
卜部は頬杖をついて笑った。
「過去の話は聞きたくない。だって過去は変えられないではありませんか。」
「? 当然じゃない。」
「ええ、当然です。普通であれば普通に受け入れることのできる事実です。しかしわたしは占い師。未来に選択肢を見る者です。「今」は無数の選択肢を選ぶ瞬間であり、無限の可能性に満ちています。「未来」は「今」よりももっと多くの可能性を孕んでいます。しかし「過去」は……一択です。「未来」を見る故に「過去」の一択がひどく恐ろしく見えるのですよ。何をどうしても、変えることのできないもの……だから嫌なのです。人の過去を聞いて得た感情はどうしても変えられません。」
過去を聞いて得た感情……ね。
もしも卜部がワタシの過去を知ったなら、《お医者さん》として生きてきた卜部が知ったなら、ワタシを軽蔑するだろうか。《パンデミッカー》の所業を良く知っている卜部と、よく知らないキョーマとでは違いすぎる。
キョーマでは良い結果かもしれなけど、卜部では……
そう考えると確かに、過去は怖いわね……
「過去を知って良い結果になる場合は良いですが、その逆では目もあてられない……二つに一つのバクチをして今が望まない方向に行ってしまうのなら、わたしはバクチを打ちたくないのです。」『かかっ。ただの臆病者ではないか。』
「ええ。臆病故に、先を知りたがるのですよ。」
『かかっ。まったく、昔から人間は未知をこわがるのだな。未来であれ、人種であれ、生物であれ。しかしそんなこわがりな中にふと現れる怖いモノ知らずが時代を変える。』
「ふふ。臆病者が人間であるなら、もしかすると……変化をもたらす偉人と言うのは人間の突然変異、Sランクなのかもしれませんね。」
『かかっ。我がヴァンドロームの何かを変革すると?』
「かもしれませんね。」
勝手な妄想だけど。
《イクシード》が何かを変革するのなら……きっとそれを実行するのはキョーマなのではないかしらね。
晴明病院からの帰り道。聞きたかったことを聞けたし、良い答えも得たワタシは、それでもキョーマにワタシたちが何者だったかを語ることに対して恐怖を抱いていた。
そんなワタシの微妙な心境を感じてか、《イクシード》が……無いけど口を開く。
『かかっ。既にキョーマには《パンデミッカー》のことを話してはいるが、何らかの感情を持つほどの関わり合いはない。』
「それでも、ワタシたちがそうだったと聞けば、具体的な行動に興味を持つわ。それを話すことが……ね。」
『かかっ……そうか……そういえば……』
「何?」
『かかっ。さっきの卜部の話だ。他の誰かが話してしまうというアレ……我とお前、それと《デアウルス》以外にもいるな。我らの過去を知る者が。』
「? いたかしら……」
『かかっ。当の本人というか……《パンデミッカー》の連中だ。』
ワタシははっとした。
ワタシも《イクシード》も、あの夜を境に《パンデミッカー》を過去のモノとして扱っている。だけど……ワタシは連中を壊滅させただけで全滅はさせてない。
上から四番目の男。アリベルト・ヘイムを、ワタシは殺していない。
ワタシが連中を壊滅させたあの時。ワタシがよく日本に行っていたという事を知っているのはアウシュヴィッツだけだ。そのアウシュヴィッツが死んでいるのだから、あの後アリベルトがワタシを追うことはできないと思っていた。
でも思い返してみる。アウシュヴィッツはワタシの行動を予測してアリベルトを逃がした。その時に伝えた可能性はなかったのか。キャメロン・グラントが今、日本に出かけているということを。
そんな可能性にも気づかなかったなんて我ながら甘すぎる。だけど……それは当時のワタシには仕方のないことだったと思う。
いざとなれば瞬間移動でどこにでも行けるワタシは、この生活が……今の日常が離れたくないと思うほどに光り輝くと思っていなかった。
『かかっ。あの頃、何をどうやったところでアリベルトは我らに勝てない。それを理解しているから我らもゆったりとしていたが……そろそろ十年。我は、アウシュヴィッツの最後の言葉を思い出してしまうぞ。』
「今夜壊滅する《パンデミッカー》だが……次に復活する時はそう遠くない。そして、その時キャメロンはこの世にいない。」
ワタシは、今更になってあの天才が残した言葉を頭の中に響かせる。
それなりに恐怖した。ワタシの日常を壊しかねない存在がいることに気づいた。
だけど同時に、ワタシの今までの人生で感じたことのない感情が心を満たす。
『かかっ……キャメロン?』
「大丈夫……」
ワタシの中の恐怖を塗りつぶす感情。
「キョーマに手を出したら、ワタシが許さないわ。」
ワタシ四十歳、キョーマ十五歳。
《イクシード》が自分にコンプレックスを持っていることがわかった。
季節は秋。キョーマの受験が迫って来る。今でもワタシと《イクシード》の……なんていうのかしら。修行? を毎日受けて、ワタシたちの技術を習得している。だけどそれが終わるとそそくさと家に帰って勉強している。
「最近は泊まって行かないのね、キョーマ。」
「うん……やっぱり自分の机に向かうのが一番集中できるんだ。」
「何言ってるのよ。ここでも勉強してたじゃない。」
「あれは……勉強と言うよりは復習っていうのかな。ちょっと違うんだよ。」
「そうなの?」
『かかっ。解くべき問題が明確なモノを解くのと、解く問題がわからないから経験を積むために解くというのは、だいぶ異なるだろうな。期末テストは出題範囲が確定しているが、受験はその範囲がテストの倍以上なのだ。一段階上の集中が必要なのだろう。』
《イクシード》が部屋の隅っこでキョーマが持ってきた参考書のうちの一冊を読みながらそう言った。目もないくせにどう「読んでいる」のやら。
『そういえば、キョーマは図書館とかには行かないのか? 人間は集中したい時はそこに行くものだと何かで読んだが。』
「他人がたくさんいる所で……オレは勉強できないかな。いくら静かでも。」
「ふぅん。」
勉強とは距離を置いて久しい。今を生きる学生の大変さというのは、なかなかわからないわね。
『かかっ。頑張ることは良いことだが、これからどんどん寒くなるからな。身体には気を付けることだ。』
「そうね。本番で風邪じゃしゃれにならないわね。」
ワタシと《イクシード》がキョーマの身体の心配をしたというのに、キョーマ本人はワタシたちを半目で見つめてこう言った。
「服を着てない人と万年便所サンダルの人に身体の心配をされても……」
ワタシと《イクシード》は顔を見合わせる。
『かかっ。我が服を着ていないのは当然と言うものだ。服を着ているのは人間だけだろう?』
「ワタシのこれは……五感を使う者として常に感覚を鋭敏にするために……」
「なんで便所サンダルなのさ。」
「だって、日本じゃトイレにサンダルが並んでるじゃない。ワタシはいつもサンダルなんだから、初めからそのサンダルを履いていれば効率的でしょ。」
「どこのトイレもそうってわけじゃないよ……」
キョーマはワタシをじっと見て呟く。
「前にも言ったけど……キャメロンはオシャレしないよね。サンダルもそうだけど服も……半袖か長袖のシャツに長いスカートっていう格好をいつもしてる……《イクシード》のせいっていうのは聞いたけど……お店に並んでる服とかを見て欲しいとか思わないの?」
正確に言えば大きめのシャツとロングスカート。どっちも五感、特に触覚を鋭敏にするために、あまり肌を圧迫しない服を着ている。《イクシード》は、『かかっ。ならミニスカートの方がいいんじゃないか?』と言うけれど、それはちょっと恥ずかしいのよね。
「思わないわね。そもそも、ワタシはこの白衣を着るようにって《イクシード》に言われてるし。」
「え、そうなの!?」
キョーマが《イクシード》に視線を移す。
『かかっ。我が住む以上、我好みにしたいのだ。我と同じ色に。』
「じゃあオレもいつかは万年白衣に?」
『かかっ。体操服でも良いぞ? あれもいい白さだ。』
「それこそ寒々しいよ……」
『かかっ。あとは割烹着やエプロンか。しかし《お医者さん》ならば白衣の一択であろう?』
「なんでそこまで同じ色にこだわるのさ。」
キョーマが、ワタシも興味を持っていることを聞いてくれた。
『かかっ。これはオシャレだ。オシャレとは自分を良く見せるための行為だろう? 我自身は特徴のない姿をしているが、我の家がそれと同じ色であれば、そこに統一性という一つの美しさが生まれるのだ。』
「《イクシード》……あなた今自分を特徴のない姿って言ったの?」
『かかっ。言ったぞ?』
「角付き人型マシュマロが特徴ないって言うのね……」
「ぶふっ! マシュマロ……」
キョーマが吹き出した。対してマシュマロ……《イクシード》はその小さな身体でプンプンと怒りを示した。
『かかっ! 失礼な!』
「あなたほど特徴的な外見もないでしょ?」
『かかっ。《デアウルス》を見た後でもそう言うのか? キャメロン。』
「あ、あれはあれで特徴的だけど……」
『かかっ。キャメロンもキョーマも、他のSランクを見ていないからそんなことを言うのだ。その昔、当時存在しているSランクのうち、野生に特化していない方が勢揃いした事があったのだが……我の無個性さと言ったらなかった……』
「そんな、全《お医者さん》が卒倒するようなイベントがあったことに驚きね……」
『かかっ。《デアウルス》はあんなんだから大いに目立っていた。他にも、人間で言うところのドラゴンのような奴や腕が二、三十個ほどついている奴もいた。純粋な人型は我だけだった……』
しみじみと昔を語る老人のような雰囲気を醸し出す《イクシード》。だから話題を変えようとしたのか、単純に空気を読めないのか、キョーマが尋ねる。
「《イクシード》や……えっと《デアウルス》だっけ? それ以外のSランクは今何やってるんだろうね。」
『かかっ。我のように安息地を求める奴もいるだろうな。どの時代に現れるとも知れぬその存在を追い続ける……無限の時を生きる我らにはちょうど良い目的だ。』
「キョーマを見つけたあなたには、もう目的がないのね?」
『かかっ。Sランクにとっての安息地、つまり我にとってのキョーマというのはな……例えるなら冬の日の朝の布団の中のようなモノだ。外になんて出たくなくなり、そこで延々とうつらうつらしていたくなる。しかも我の場合はキョーマと仲良くなれた。時々やって来る面倒事に挑むという適度な刺激もある。目的はないが、素晴らしい生活だな。ちなみに、Sランクにとっては『元気』は嗜好品であって摂取しなければならないモノでもない。キョーマには害は与えない。たまにくれればそれで良い。』
つまり、《イクシード》はこれ以上に何かを望まないということね。Sランクにとりつかれていると寿命が格段に延びる。ちゃんと考えたことはないけど、キョーマと《イクシード》はこの先数百年、数千年の付き合いになるってことなのかしら?
「うん。それは別にいいけど。じゃあ、他の……安息地を探さないSランクは?」
「そうよね。他の生物を圧倒する力を持ってるんだから……世界征服も夢じゃないわよね。」
『かかっ。世界征服など目指しては安息地を求める我のようなSランクと争うことになる。それは面倒だし、下手をすれば負けて死ぬ。ひたすらに、嗜好品たる『元気』を食べて生きているんじゃないか?』
「なんかSランクって自由だね。」
『かかっ。何もすることのない休日に突入した人間のようなモノだ。』
どうでもいいけど、《イクシード》の例えは段々と人間がテーマになってきたわね。
ワタシ四十一歳、キョーマ十六歳。
キョーマが知らなかった甜瓜診療所のカラクリ仕掛けを教えた。
高校に無事進学することが決まったキョーマのお祝い。
んま、安藤家と藤木家とワタシらでキョーマとルルの高校合格おめでとうパーティーはやったのだけどね。
ワタシたちはワタシたちでお祝いをしたいと思ったのよね。
『かかっ。ルルは何やら聞いたことのある名前の高校に行くそうだな。』
「なによ、ヴァンドロームが聞いたことのある高校って。」
『かかっ。つまり、高校や塾などのパンフレットを見ていると必ず出て来る有名校ということだ。』
「相変わらず変な知識が豊富ね。」
「ちょっと二人とも。今日は修行しないってどういうことなのさ。」
ワタシと《イクシード》がしゃべっていると畳に座っているキョーマがそう言った。
「今日は……キョーマのお祝いっていうことで、この診療所の秘密を教えてあげようと思うのよ。」
「秘密? 卜部さんからもらったんでしょ……?」
『かかっ。そうなんだがな。もらった直後に色々と改装したのだ。日本なんだからって理由でな。普段は使わないが、この建物には様々な仕掛けがある。』
「……オレ、ここに何度も泊まったんだけど……」
「普通に生活してたら気づかないわね。さ、まずはこっちよキョーマ。」
ワタシは甜瓜診療所の生活スペースのうちの一部屋、キョーマが泊まる時に使う部屋に来た。
泊まる時に使うと言っても、別にお客用の部屋というわけではなく、ほとんど「キョーマの部屋」となっている。キョーマの私物も多い。
『かかっ。家にはもう置く場所がないと言って持ってきた絵本、どんどん増えていくな。』
「本屋さんを名乗れるわね。」
「毎回、買ってから置き場所が無いことに気が付くんだよ……」
「そんなキョーマに嬉しいお知らせね。実はこの部屋、隠し収納スペースがあるのよ。」
「え?」
ワタシは床の一部を三回叩く。するとガコンという何かがはまった音がして、床に線が入った。そこに指を突っ込んで引き上げる。
「うわ! 何これ!」
「だから、隠し収納スペース。ま、本来はいざって時の隠れ場所だけどね。大人三人が寝っ転がれる広さよ。」
「いざって時って……キャメロンは誰かに命を狙われてるの?」
「ニンジャ屋敷にはこういうのあるんでしょう?」
「知らないよ……」
「日本人なのに? 自国の文化は知っておきなさいよ。」
「文化って言うか……なんというか。んまぁ、でもこのスペースは嬉しいかな。」
次に、ワタシたちはキョーマの部屋の隣に移動する。
「物置だね……ここにも仕掛けがあるの?」
「隠し扉があるわ。ここに。」
壁の一部を押すとそこがへこみ、すぐ隣がバタンと開いた。
「……どこに通じてるの?」
「外よ。この建物の裏手の森の中に出られるわ。いざって時の脱出経路ね。」
「また……」
『かかっ。敵に囲まれたときに有効だな。』
半目のキョーマを引きずって、今度は診察室に入る。
「え、ここにも!?」
「ええ。壁のここを押すと……」
診察室の床の一部がバカッと開く。
「地下の隠し部屋に行けるわ。結構広いのよ?」
「そこはなんのために……」
「修行部屋かしら。術式とかを広げてみるにはちょうどいいわね。」
『かかっ。ちょっとしたスポーツもできるな。』
《イクシード》のその言葉で、ワタシはふと思い出す。
「そういえばキョーマ。高校には野球部あるんでしょう?」
「なにさ、いきなり。無い所を探す方が難しいよ。」
「なら、コーシエンってのには行けるの? なんだか楽しそうじゃない。」
高校生がやる野球大会は、この国ではかなり盛り上がる。セーシュンってやつね。
「行けないと思うよ。そんなに強くないし。」
『かかっ。残念だな。』
「そう……野球……ねぇ、野球は何人でするのかしら。」
『かかっ。九人だな。だが、球を打つ人間と球を投げる人間、そして球を受ける人間がいればメインの部分が構成可能だな。』
「へぇ。ちょっとやってみましょうか。」
ということで、ワタシたちは近くの店からバットとボールとグローブを買ってきて診療所の駐車場で野球に挑戦した。
「ワタシはバッターね。」
買ってきた金属製のバットに自分の名前を書くワタシ。それを見たキョーマはぷぷっと笑った。
「キャメロン、字、下手だね。」
「失礼ね。日本語はバランスが難しいのよ。」
「なんで英語じゃないの?」
「? キョーマが読めないじゃない。」
「知ってる人の名前くらい読めるよ……」
『かかっ。しかしキャメロン、いきなり名前を書くとは……役を交代したりしないのか?』
「変かしら? この前テレビで見たバットにはそれを使ってた選手の名前が書いてあったじゃない。」
何故かその名前があるだけで、そのバットに高値がついていたけど。
「ああ……でもキャメロン、あれはサインだよ。もう使わないバットで……ほら、有名人がサインを書くじゃない。あんな感じなんだよ。」
「そうなの?」
『かかっ。普通は書かないな。まぁ、どっちでも良いが。』
言いながら《イクシード》がグローブを抱えてワタシの横に立った。
「《イクシード》はキャッチャーか。じゃあオレがピッチャーだね。」
キョーマに野球の経験は確か無い。でもボールを投げるくらい誰にでもできる。バットだって、当たるかどうかはわからないけど誰でも振れる。
でも……《イクシード》にキャッチャーが務まるのかしら……小さいから両手で抱えてるけど。
「行くよー。」
キョーマが球を投げた。ボールは放物線を描いて《イクシード》の方に向かう。テレビで見るみたいにまっすぐ突き刺さるようなボールは素人には投げれないわね。
「ふん!」
タイミングを計ってバットを振る。
『かかっ。見事な空振りだな。』
「う、うるさいわね……もう一回よ!」
気まぐれで始めた遊びだったけど、意外なことにこの三人野球はその先も度々行われた。ボールを投げるのもバットを振るのも、飛んでいったボールを探しに行くのも、仕事柄あんまり動かないワタシにとってはいい運動になった。
ワタシ四十三歳、キョーマ十八歳。
キョーマの才能が明らかになった。
キョーマは高校三年生。《イクシード》によれば、人間が人生で最も勉強する時期とのこと。要するに二回目の受験というわけね。
でもキョーマには関係がない。大学には行かないからだ。
大学というのは専門的なことを学ぶ場所と聞く。将来やりたいことの為に、それを目指す人を支援する組織が大学。だけどキョーマがやりたいこと……やりたいと言ってくれたことは《お医者さん》だ。
キョーマが治療に使う技術はワタシと《イクシード》が教えたモノになるわけだから、それを教えられる場所は甜瓜診療所だけ。だから大学に行く意味がない。
『かかっ。本来なら《医者》としての知識をある程度身に着けるために《お医者さん》を目指していても医学部に進むことが勧められるんだがな。既にキョーマにはある程度の「人間の身体」に関する知識を教えた。』
これは《イクシード》の言い分だけど、大学に行って人体の開き方を学ぶよりは、人体そのものを知り尽くす方が手っ取り早いとか。
治療を行う時に学問化された特定の方法が用いられる理由は、それが最適だから。つまり、人体のことを知り尽くしていれば、何も知らなくても自然とその「特定の方法」で治療することになる。
本質を理解していれば、やり方なんて知る必要がない……らしい。
「どう? キョーマ。ワタシの身体を覗いた感想は。」
「へ、変な言い方するなよ……」
あとは卒業するだけのキョーマに、ワタシと《イクシード》はワタシたちが教える技術の集大成、『身体支配』の伝授を行っていた。
つまり、他人の身体にアクセスして身体の情報を引き出したり操ったりする技術。
「どんな感じがする?」
「なんか……変な感覚だ。今までに感じたことのない……表現しにくいな……」
今キョーマはワタシの手を握っている。そして教えた通りに自分の神経をワタシの神経に接続している。状態で言えば、ワタシの身体に侵入した状態。
『かかっ。神経をつなぐということは他人の五感情報も得るという事だ。キョーマは今、キャメロンが日頃感じている世界を感じているのだ。』
『身体支配』のため、キョーマにとりついていて姿が見えない《イクシード》の声が頭の中に響く。本来ならとりつかれているキョーマにしか聞こえないんだけど、神経をつなでいるおかげでワタシにも聞こえる。
『かかっ。まったく同じ身体を持つ者というのは存在しない。少し身長が伸びるだけで見える世界が変わるように、ちょっとしたことで認識される世界は姿を変える。キョーマとキャメロンで言えば、身長はもちろん、男性と女性ということで身体つきも異なる。また当然ながら五感の精度も違う。キョーマの身体で感じる世界とキャメロンの身体で感じる世界には微妙な差がある。それが違和感として伝わっているのだ。キャメロンの神経に接続し、キャメロンの五感情報を得ているキョーマにはな。』
キョーマは手を離し、自分の手を見つめた。同時に《イクシード》がひょっこり出て来る。
「思ったより簡単……だな。神経を動かして他人につなげるっていうのは……」
『かかっ。それはキョーマが『異常五感』だからだ。キャメロンの場合は我がとりついて初めて『異常五感』となるが、キョーマは初めからその状態。今回は初めてという事で我がとりついていたが、その気になればキョーマは自分一人の力で他人の身体に接続できるはずだ。』
「その為の訓練……『異常五感』で自分の身体を支配する練習はたくさんしたものね。まぁ、さすがにアレをする時は《イクシード》の力で細胞の急速成長をしなきゃだめだけどね……」
「アレ?」
「その内話すわよ。」
ガン細胞のは……最後の最後になるわね……
「……ところでキャメロン。」
「なに?」
「もしかして、昨日寝違えた?」
ワタシは首を片手でおさえて答える。
「そうなのよね。やっぱり、今のワタシって顔の角度が変かしら? 痛いと無意識にかばうからね。」
「いや……今接続した時に首のあたりにぼんやりと「痛み」が見えたから……」
ワタシと《イクシード》は、キョーマのその一言に驚愕した。
「……わかったの? ワタシの首の「痛み」が……」
「そりゃあ……だって神経をつなげてるんだし。」
『かかっ。これはすごいな。』
「え、すごいのか?」
《イクシード》はぴょんとはねてワタシの膝の上にきてキョーマの正面に立った。
『かかっ。生まれた時から行っている事だから誰も気に留めないが、一つの身体を制御する為に行われている脳と各部位の情報伝達の量は計り知れないモノがある。人体を小宇宙に例えることがあるが、あれはまさにというところだ。人体を機能させるのに一体いくつの器官が働いているか……五感も、例えば視覚とひとえに言っても、どれほどの情報処理の後に風景として認識されていることか……』
「つまりねキョーマ。今初めて他人の身体に接続したあなたが、他人の身体に走る数え切れない情報の中から「痛み」を見分けられたことがすごいのよ。」
キョーマは目をぱちくりさせる。
「そ、そうなのか……あ、でも逆に言えば「痛み」しかわからなかったけど……」
『かかっ。痛覚にだけ敏感に……なるほど、そういうことだったのか。』
《イクシード》が右手で左手をポンと叩く。
「一人で納得しないで欲しいわね。」
『かかっ。今思えば随分昔の話だが、キョーマと初めて会った頃のことだ。キョーマは五感の内、触覚だけ制御できていなかっただろう?』
「そうね。」
『かかっ。あれは偶然ではなかったのだろう。つまり、『異常五感』であるキョーマなわけだが、中でも触覚が飛び抜けているという事だ。別に異常の程度は同じと限らないからな。』
「なるほど……ていうか《イクシード》。キョーマにとりついた時点で気づかなかったの?」
『かかっ。我にとっては五感全てが異常な時点でパラダイスなのだ。個々にどれほどの差があるかなど気にしたことがなかった。』
「ぬけてるわね……」
ワタシと《イクシード》の会話を聞いていたキョーマがふと尋ねる。
「でも……なんで触覚が飛び抜けてると痛覚に敏感になるんだ?」
『かかっ。痛みを感じ取れるのは触覚だけだろう?』
「あ、そうか。」
「触覚が抜群に良い『異常五感』……神経を動かすのも結局のところ触覚で制御するわけだし、まさにワタシたちの技術を受け継ぐためにいるのね、キョーマは!」
『かかっ。才能という奴なのかもな。』
「ピンポイントな才能だな……」
「いずれはワタシよりも上手に『身体支配』を扱えるわね。あ、でもキョーマ。」
「ん?」
「やらしいことに使っちゃだめよ?」
ワタシがにんまり笑いながらそう言うと、キョーマは顔を赤くした。
「な、なに言ってんだよ!」
「相手の身体を支配するんだものねー。思い通りだものねー。ワタシはほら、そういうのに興味を抱けない人生を送っちゃったからあれだけど、キョーマは健全な男の子だもんねー。」
「使わないよ!」
『かかっ。それに、やたらめったら使うことはお勧め出来ないしな。』
笑えるムードの中、《イクシード》は真面目な声でそう言った。
「そ、そうなのか……?」
キョーマが恐る恐る聞く。
『かかっ。『身体支配』はな、「他人の身体に接続している」という事実をしっかりと認識していなければならないのだ。例えば、欲望に歯止めが効かなくなって他人の身体を自分の身体のようにコントロールしたりしたら……それで終わりだ。元に戻れなくなる。』
「戻れない? 接続が切れなくなるってことか?」
『かかっ。その通りだ。他人の神経を他人のモノだと思っている間は問題ないが、それを自分の神経のように扱うと……「この神経は自分の身体のモノだ」という風に脳が勘違いしてしまう。自分と他人の境目がわからなくなるのだ。』
「……気を付けるよ。」
ここに来て明らかになったキョーマの高い資質に満足したワタシは、キョーマが家に帰った後、同じような気持ちであろう《イクシード》にその話題で話かけようとした。だけど《イクシード》は畳の上でぼんやりと座っていた。
キョーマと過ごすようになって、《イクシード》は身体の外にいることが多くなった。必要ない時でも外に出て本を読んでたりするし……だからなのか、そののっぺらぼうな顔にも表情が見えるようになった……ような気がする。
今、《イクシード》は不思議そうな顔をしている。たぶん。
「……《イクシード》?」
『かかっ……おかしいな。実に変だ。そう思わないか?』
「キョーマの才能? うまく行き過ぎてるとかそんなことかしら?」
『かかっ。キョーマのことじゃない。我のことだ。』
「?」
『かかっ。キャメロン……我はな、さっきキョーマと出会った頃のことを……「昔」と言ったのだ。』
「昔じゃない。あれから十年以上経つのよ?」
『かかっ。我を何歳だと思っているのだ? 人間にとっての十年なんぞ、我にとっては昨日くらいの感覚だ。そう、その程度だったのだ。なのに我は「昔」と言った。今も、あの頃を懐かしい気持ちで思い出せる。これはどういうことだ?』
ワタシは驚き、そして嬉しい気持ちがこみ上げてきた。
「……時間感覚は記憶と密接らしいわよ?」
『かかっ……どうした、いきなり。』
「青春時代があっという間なのは実質数年しかないから。だけど老後があっという間なのは思い出がないから。「あの頃は」って思える記憶があるかないか。それが時間感覚に影響を与えるって話よ。要するに……《イクシード》、あなたはこの十年が楽しかったんでしょ。」
『かかっ……そうだ。そうだとも。探し続けた家を見つけたのだ。嬉しいし楽しいに決まっている。そして……お前とキョーマと過ごしている。そうだな……実に楽しい。』
《イクシード》は、ふと顔をこっちに向けてこう言った。
『かかっ。お前に与えたのはこの世の絶頂……我が持っているのは最強の力。どちらも他人が羨むモノだが……なぜかな、ひどく孤独なモノだ。我には今の……いわゆる普通がとても素敵なモノに思える。』
「ふふ。そうね。基本的に、生き物って無いモノねだりなのよね。きっと。」
ワタシ四十四歳、キョーマ十九歳。
ついに卜部が引退した。
そろそろ引退ですと言ってから十年も院長をしていた卜部が、ついに今日引退する。
とは言っても、別に突然《お医者さん》でなくなるわけじゃないし、明日からは病院に顔を出さないとかそういうことじゃない。書類上、晴明病院の院長をやめるということだ。
変化があるとすれば、晴明病院の面々が、卜部を「院長」と呼べなくなることくらいね。
「それでも院長として最後の日だし……オレ、挨拶してくるよ。」
そう言ってキョーマが晴明病院に行こうとするので、ワタシたちも行くことにした。診療所をあけるなんて何てことだと、キョーマの父親に小言を言われそうね。
『かかっ。卜部もついに引退か。』
「やっとよね。引退だからって《ヤブ医者》への勧誘を諦めた《デアウルス》が可哀想でならなかったわよ。」
「《デアウルス》……『半円卓会議』の司会だっけ。」
「そうよ。その内会えるわよ。キョーマが《ヤブ医者》になればね。」
「そんな簡単に……」
「簡単よ。ワタシたちの技術は既に評価されてるし。その気になればワタシも明日から《ヤブ医者》よ。」
高校を卒業したキョーマは甜瓜診療所に引っ越してきた。んまぁ、それ以前からキョーマの部屋はあったし、大した移動じゃなかったけどね。
キョーマが引っ越しをして、正式に甜瓜診療所の一員になった時、ワタシも経験した面白い現象が起きた。
「そんな軽くなれるものなのか……手続きとかは……」
「いらないわよ。《デアウルス》が認めるかどうかだけ。ほら、《お医者さん》の免許だっていつの間にかお財布に入ってたでしょ? あんな感じよ。」
「ああ……あれには驚いた。いつ撮ったのやら、顔写真付きの免許書みたいなのが財布に入ってるから……」
『かかっ。《デアウルス》の仕業というわけではないらしいがな。《ヤブ医者》の一人が謎の技術で《デアウルス》が指定した人物にそれを送り付けるのだ。《ヤブ医者》になるとその証明書の片隅に《ヤブ医者》と表記される。』
「嫌な表記だな……」
《お医者さん》の証明書が証明するのは、その人物が《お医者さん》であるということと、ある程度の医療行為なら許可されているということ。腹をかっさばいたりするような行為でなければ《医者》としても動ける。
「引退するといつの間にか無くなったりするのかな。」
「どうかしらね。卜部に聞いてみましょう。」
不思議なモノで、引退という言葉が重なると卜部が随分な老人に思えてきた。いや、実際かなりのおじいちゃんなはずなのだけど、相変わらず背筋はピンとしてるし紳士的な雰囲気だからイマイチ実年齢がわからない。今日は年を聞いてみようかしらね。
晴明病院に着くと、院長がお出迎えしてくれた。
「ようこそ。」
「ようこそって……なんで入口で待ってるのよ。」
「ふふ、占いですよ。しかし丁度良かった。あなたたちに紹介しておきたい人物がいるのですよ。」
そう言って、卜部は院長室にワタシたちを案内する。部屋に入ると、そこにはもう卜部の私物は無く、すっきりとした……いえ、殺風景な部屋になっていた。
「新しい院長は誰なのかしら? SM?」
「ふふ。ずばりその新しい院長を紹介しておきたいのです。」
卜部が部屋の中にある電話で誰かを呼び、ワタシたちは深く沈むソファに座った。
「卜部、あなた明日から何して過ごすの?」
「今後は院長のアドバイザーのような立ち位置です。彼はまだ若いですから、わたしたちのサポートが必要なのです。」
「? なんだか変ね。それだと次の院長がまだ若いということになるけど?」
SMを含め、この病院にいる《お医者さん》は、お世辞にも若いと言える年齢じゃないはず。誰もがベテランと呼べる域だし……院長として若いとかそういう意味かしらね。
「その通りです。三十も超えていませんから。」
「は? それ……ただの新米じゃない。」
「ふふ。キャメロンさん。ここは《お医者さん》であるわたしが建てた病院ですよ。そして、《お医者さん》の世界というのはどうにも常識的な考えを超える傾向があります。」
卜部がからかうように笑うと院長室の扉が開いた。
「お待たせしたっすね。」
SMが入ってきて、その後ろから見慣れない顔が現れた。
腰辺りまで伸びた黒髪。日本人の昔の服装。一見女に見えるのだけど、その気だるげながらも鋭い目つきからは……なんて言うのかしらね。キリッとした男気とでも言うのかしら? そんな妙な迫力を覚える。自信の表れ? まぁとにかく、そんな雰囲気のおかげで女とは思えず、必然的に男と認識することになった男。
生まれる時代を間違えたプレイボーイのなりそこないって感じかしらね。
『かかっ。時代が時代なら光源氏になってたかもしれんな。』
よくわからない誰かの名前を口にする《イクシード》。
「ふふ。彼が新しい院長の小町坂くんです。」
「こま……もう一回言ってくれる?」
「小町坂くんです。」
「噛みそうだわ……」
ワタシがそのコマチザカに視線を移すと、気だるげな表情がビクッとなって緊張した顔になった。
「俺……自分は小町坂篤人です! お会いできて光栄です、グラントさん!」
「キャメロンでいいわ……」
何故かわからないけど妙にワタシに対して緊張しているコマチザカアツンド。
「……なんでワタシはこんなお偉いさんみたいな扱いなの?」
「ああ。それは院長のせいっす。」
ワタシの疑問に答えたSMの言葉に、院長こと卜部が驚く。
「わたしの? なぜそこでわたしが登場するのですか?」
「いや……だって院長、キャメロンのことを何も教えてくれないじゃないすか。おれらが知ってるのは、キャメロンが《お医者さん》で、院長があげた診療所にいるってことくらいっすよ? どんな治療法だとか、そもそも何者とか……そういうことをおれらは知らないんすよ。」
「何を言いますか。わたしだってキャメロンさんの治療法を教えてもらうのに十年近くかかったのですよ? それをあっさりと教えてしまっては……なんだか悔しいじゃないですか。」
卜部がなんだか珍しいことを言った。
「院長がそんな風に何も教えないから……おれらの中じゃキャメロンは「院長が認める凄腕の《お医者さん》」って認識なんすよ。だから小町坂もこんなに緊張してるんす。」
「ふふ。事実ですがね。」
卜部のその言葉にSMとコマチザカは息をのんでワタシを見た。尊敬とか憧れとかは面倒だから、ワタシはそれを流して卜部に問いかける。
「……ワタシのことはどうでもいいわ。ワタシは、そのまだまだ若い奴が院長になる理由が聞きたいわね。さっきの話じゃ、まだ二十代ってことでしょ?」
「そうですね。ですが将来のことを考えますと……適切な選択だと考えています。」
卜部が深々と今日で座るのが最後になる椅子に座ったのを合図に、SMとコマチザカもソファに座る。
「……病院の在り方について、わたしの考えをお話ししましょう。患者様は、怪我をしたり病気になったりしても、病院に行けば大丈夫と考えています。そう思ってもらうことは嬉しいですし、わたしたちもそうあるべきでしょう。ですがそれは非常に難しいことです。《医者》で言えば、機材や技術を持った人間の有無。《お医者さん》で言えば、用いる治療法とヴァンドロームの相性……この世に存在する全てのケガ、病気に対する治療法、その全てを一つの病院に集約させることは不可能です。患者様の期待に応えられないのは残念ですがね……」
卜部は本当に残念そうに……いえ、悔しそうに頭を抱える。
「ならば……せめて病院は、このケガ、この病気の治療ならば、この病院に行けば大丈夫。そういう状態になるべきです。全てを中途半端にできるよりも、何かに特化して、それなら任せてくれと言えるように。幸い、病院はあちこちにありますからね。」
「ふぅん。それで、この晴明病院は何を特化させるのかしら?」
「させるも何も、すでに特化しているのですよ。わたしが院長として建てた病院なのですから。晴明病院の特化部分は《お医者さん》の、日本系の治療法ですよ。」
「なるほどね。」
「そんな晴明病院の院長になる人物は、もちろん日本系の術式の専門家であり、達人であるべきです。」
「それなら……それこそSMとかでいいじゃない。」
「現状は。ですが……さっきも言いましたが将来を考えるとそうはならないのです。」
「更なる発展のためにはってことでな。」
ここでSMが口を開く。
「晴明病院の《お医者さん》は、それぞれが元々に技術を持っていて、院長の指導で成長した。そして今ではそれぞれが、特定の分野において院長を超える技術を持っている。そうやって出来上がった、日本系術式におけるいくつかの高み……それを次に伝えようと思ったらどうするかってことなんだ。」
「? それぞれが弟子を持ってそれぞれに伝えて行けばいいじゃない。」
「せっかく高い領域に達した技術が複数もあるのに、それを何人かにわけるってのは確実だが進化があまり見込めない。」
そう言いながらSMがちらりとコマチザカを見た。
「……まさか……卜部を初めとするこの病院の《お医者さん》の技術を……そこのコマチザカに集約させるって言うの?」
「そうです。」
卜部が真剣な表情でワタシを見る。
「わたしはご覧のとおりで、他の《お医者さん》も相応に年を取りました。今更、その中の誰かに全てを集約させることはできません。ですから若い方に全てを教え込み、それらを組み合わせるなり何なりして起こる更なる発展を、わたしは望んでいるのです。」
「それぞれが長い時間をかけて作り上げたモノを……複数、一人に教えるって言うの?」
「ふふ。それがまったく別分野の高みならば不可能でしょうが、幸い全て日本系術式ですからね。共通点も多いですし……一人の人間に集約させることは可能です。」
「……とんでもないことをやろうとするわね。確かにそれなら、院長はそこのコマチザカであるべきでしょうね。でもやっぱり……卜部、あなたらしくない……何というか……強引というのかしら。」
「ふふ、そうですね。客観的に考えて、いくら同じ分野の技術とは言え無謀でしょう。投手も打者も極められるわけがないように、フォワードとゴールキーパーを完璧にこなすことができないように。ですがね……そんな当たり前を覆してしまう可能性を、わたしは……わたしたちは小町坂くんに感じたのですよ。」
「え?」
「キャメロンさん。あなたがあなたのその前人未到な技術を安藤くんに教えているのは、彼にそれを習得できるだけの能力を感じたからなのでしょう?」
「……!」
「あなたが言う、強引な考えと行動を起こしているのは……小町坂くんが日本系術式において天才的だからなのですよ。」
……ワタシは、キョーマを《イクシード》の家として探し当てた。だけどもし、ワタシと《イクシード》が生み出した技術を誰かに継承させることを第一の目的として行動していたら……キョーマは……卜部の言うところの天才。才能ある人物ということだ。
面白いわね。つまり卜部は、自分の技術と自分の教え子たちが高めた技術、それらを全て引き継げる、そして引き継がせたいと思う才能に出会ったということ。それがコマチザカアツンドという人物なのね。
「……そう。それはいい出会いをしたわね。それとも、これも占いで得た事なのかしら?」
「ふふ。どうでしょうね。」
卜部はあいまいに笑い、キョーマの方を見た。
「安藤くん。」
「は、はい。」
「わたしとキャメロンさんが良い関係を築けたのと同じように、同年代として……小町坂くんと仲良くしてくれませんかね。」
「はぁ……まぁ。」
「ふふ。」
晴明病院でしばらく話をした後、卜部院長引退記念パーティーの出席を約束して、ワタシたちは診療所に戻った。
「でもすごいな。小町坂さん、もう院長ってわけだろ?」
「キョーマもなる? 所長に。」
「え、診療所の場合は所長なの?」
「診療「所」だし……そうじゃないの?」
『かかっ。こんな小さな場所に堅苦しい役職をつけても仕方がないぞ。キャメロン先生とキョーマ先生で充分だろう。』
「そうね。でもワタシとしては、ドクター・グラントってのも捨てがたいわね。」
『かかっ。いつも名前で呼ぶように言うクセにか?』
「それとこれとは話が別よ。」
ふと時計を見る。そろそろ四時ね。
「ん。晩ご飯の準備するか。」
キョーマが壁にかけてある買い物袋を手に取った。
キョーマが住むようになってから、ワタシたちは交代でご飯を作っている。とは言っても、ワタシもキョーマも料理が上手なわけじゃない。適当におかずを買ってきてご飯を炊いているだけだ。
ただ、最近はキョーマがちゃんとした料理に挑戦している。ワタシはご飯に質を求めていないから、おなかが膨れればそれでいいんだけど……手料理っていうのは面白いことになるからなんとなく好きね。
「買い物に行ってくる。」
キョーマが出かけた後……いえ、正確に言えばキョーマがこの場からいなくなったからこそ、ワタシはとある考え事をする。
『かかっ。どうしたキャメロン。難しい顔をして。』
「……ラッキーで出会えたみたいな言い方だったけど、たぶん卜部も探してたのよね。後継者っていうのをさ。」
『かかっ。だろうな。人間は簡単に残せて羨ましいと思っていたが、受け継ぐ者を探すという行為を必要とするのは変わらないのだな。それがどうかしたか?』
「……卜部は、コマチザカに全てを教えることで、さらなる発展を望んでいる……誰かに何かを受け継がせるってことは、その人物に自分を超えるだろうっていう可能性を見出すってことよね。」
『かかっ。必ずしもそうではないだろうが……高みに達した者が行うのであれば、そうである事が多いだろうな。』
「そうなると……気になるのよね。アリベルトのことが。」
『かかっ。なるほどな。』
《イクシード》にはワタシが考えていることが伝わったようだった。
「あのアウシュヴィッツが選んだ後継者。それなりに人数がいた《パンデミッカー》の中からアリベルトを選んだ理由……ランカーだったからとか、ワタシに対抗できないから仕方なくとか、そういう理由以外の何かがあった可能性。」
『かかっ。つまり、アウシュヴィッツは思っていたかもしれないということか。アリベルトなら、《パンデミッカー》を今よりも一段階上に持っていくことができるのではないかと。』
「……アウシュヴィッツは言ってたわよね。《パンデミッカー》は復活するって。アウシュヴィッツが言うのだからそれはほぼ確実。それを行うのはアウシュヴィッツが選んだアリベルトという男。ワタシがいた時よりも強大な力を持って復活する可能性は高いわよね……」
『かかっ。あの頃の連中を基準に考えるのは危険ということか。』
「《パンデミッカー》がより強力な力と共に復活して、最悪の状況になるとしたら、それはどういう状況かしらね。」
『かかっ。そうだな……それはたぶん、我とキョーマが連中の手中に収まることだろう。』
Sランクヴァンドローム、『異常五感』の《イクシード》と、『異常五感』を発症し、ワタシたちの技術を受け継いだキョーマ。
「…………Sランクのパーフェクトマッチ……」
アウシュヴィッツの異常さを知っているワタシにはわかる。アウシュヴィッツは戦闘向けじゃなかったけど、戦う力を持ったパーフェクトマッチなら……軍隊だって相手に出来るかもしれない。
実際、《イクシード》とキョーマの組み合わせなら……
『かかっ。連中はヴァンドロームを操る技術を持ってはいたが、それはSランクに通じなかった。少なくとも我には。だがもしもそれが改良され、我にも通じるモノとなったなら……そしてキョーマを意のままに操れるなら、無い話ではないだろう。感情を操る症状などいくらでもあるのだから。』
「確かに、それは最悪ね。そうなったら《パンデミッカー》は誰にも止められない。」
物事を悪い方に悪い方に考えて至る可能性。だけど……あり得なくない話。あのアウシュヴィッツが託して、予言した。《パンデミッカー》の復活。
『かかっ。この考えに至れたのも何かの幸運なのかもしれないな。これが占い師、卜部に起因する事だというのならなおのこと。』
《イクシード》はピョンと飛び出し、診察室から新品のノートを一冊持ってきた。
『かかっ。我らはキョーマに技術を教えた。傍から見れば……とんでもない技術を。力になり得る技術を。教えた者には教えた者なりの責任があるだろう。』
「責任?」
『かかっ。世界を滅ぼす兵器を作ったのなら、その壊し方も残すべきということだ。』
「どういうことよ。」
『かかっ。さっき考えた最悪のケース。我とキョーマが……言うなれば敵になるというケース。そうなった時のために、我らは……我らの技術をキョーマ以外の形で残さなければならない。我とキョーマを倒せるようにな。』
「意味が分からないわね。仮にあなたとキョーマが敵になったとしたら、それは無敵の存在でしょう? 何をしたって勝てないわよ……」
『かかっ。それは違うな。キョーマが戦うとして、その時使う技術は何だ? ビームを撃ったり、火を吹いたりするか? そうではない。キョーマが力として使うのは我らが教えた技術だ。相手の五感を支配し、相手の身体を支配する。……まだ教えていないがガン細胞も使うだろう。強力な力だが、対抗することはできるはずだ。その技術を知っていればな。』
「……つまり……もしもの時の為に、ワタシたちの生み出した技術を……例えばそのノートに記しておくってこと?」
『かかっ。そうだ。勿論、それなりの暗号化をしてな。やたらめったら広まるのも考えものだろう?』
「……そなえあればうれいなしってやつね。」
『かかっ。そんな所だ。だがそれを言うのなら……この最悪のケースにならないよう、キョーマにも連中と戦う力を教えておくべきか。』
「何のこと?」
『かかっ。さっきも言ったが、ガン細胞のあれだ。連中に捕まることがないように。』
「……あれを教える……戦う力を教える……当然、その理由を聞いてくるわよね……」
『かかっ。《パンデミッカー》という連中の存在は教えてあるから自衛のためなり何なり、理由はつけられるが……これは、随分と先延ばしにしているアレを話す機会なのかもな。』
キョーマが帰ってきて、夜ご飯を食べて、お風呂に入った後。ワタシたちは和室でキョーマと向かい合った。
「……話ってなんだ? キャメロン。」
「いい話ではないわ……悪い話よ。」
「……キャメロン……?」
「《パンデミッカー》、覚えてる?」
「……《お医者さん》と逆の立場で……ヴァンドロームを操って悪い事をする連中……だっけ。昔に壊滅したって……」
「ええ。だけどそのメンバーが全員いなくなったわけじゃない。残党がいるのよね。」
「……」
「そいつらは《パンデミッカー》を復活させる。もしかしたら、もう復活しているのかもしれない。そして《パンデミッカー》にとって、ワタシたちの持つ技術。いえ、力は色々な意味で興味の対象。連中がいつワタシたちの前に現れてもおかしくない。だからキョーマ、あなたに戦う力を与えたい。」
「たたかう……?」
だんだんと、無意識にしゃべりが早くなっていくワタシ。
「『異常五感』による『身体支配』を自分の身体に行うことで、常人離れした動きを可能とする技術。そして、《イクシード》の力を併用することで得る化け物の力。」
「キャメロン? 何を言ってるんだ?」
「暴走させて増殖する細胞を急速成長させて意のままの形を与える。暴走する細胞とはつまりガン細胞のこと。それを《イクシード》の力で成長――」
「キャメロン!」
キョーマがワタシの名前を大きな声で叫んだ。
「いきなりなんなんだよ……《パンデミッカー》が壊滅したのは十年以上前の話なんだろ? ざ、残党? 今になって現れたのか? そういうことも……あるのかもしれないけど……な、なんでオレたちを狙うんだよ。そりゃ、キャメロンと《イクシード》の技術はすごいけど……だって《ヤブ医者》でもないのに……そんなに有名なのか? それに……戦う力ってなんだよ! 『異常五感』と《イクシード》の力って……まるで昔から……そういう技術を二人が持ってたみたいな言い方……」
「持ってたわ。だからこそ、《パンデミッカー》は壊滅した。」
「え……」
キョーマの表情が固まる。ワタシは少し目を逸らして話を続ける。
「当時最強だったワタシだから、壊滅させることができた。当時連中に怪しまれることなく近づけたワタシだから、殲滅することができた。《デアウルス》にすら見つけられない本拠地を知っているワタシだったから……皆殺しにできた……!」
「キャメ……ロン……」
「だってワタシは……《パンデミッカー》だったのだから。」
キョーマの目が見開かれる。
胸の中が痛い。
「《パンデミッカー》として行動した。多くの《医者》と《お医者さん》を殺した。戦う力が身に着いた。《ヤブ医者》とも渡り合える戦闘力を手に入れた。気づけば……《パンデミッカー》のナンバーツーになっていた。」
「…………」
「キョーマを見つけた。キョーマを手に入れた。必要がなくなった。だから全員殺した。でも全員じゃなかった。生き残った奴がいた。そいつらはワタシを恨む。そして知る。キョーマという存在を。最強のワタシが育て上げた弟子を……殺すため、手に入れるため、奴らは来る。だから教える! 戦う力を!」
「…………」
「…………」
沈黙。聞こえるのはワタシの鼓動。見えるのは強く握られ、膝の上に置かれたワタシの両手。感じるのは恐怖。思い浮かぶのは次に耳に入る言葉。
人殺し。
犯罪者。
敵。
悪。
見損なった。
残念だ。
さよう……なら……!!
長い。あまりにも長い静寂。
《イクシード》への恩返しのために、どうせあの時無くなっていた命だと思い、手段を気にせず、目的に向かって進んだ。それしか、やろうと思うことがなかった。
目的を達成した。新しい目的が出来た。やらなきゃいけないことが増えた。
それの達成に注力した。
そしたら得てしまった。十五年の間には見つけられなかった居心地のいい場所。
他人と深く関わることで得られる幸せ。
同時に覚えた。過去の行為への罪の意識。
良い事も悪い事も、比較するモノがなければ成り立たない。
幸せを知らなければ不幸を知ることはできない。
善行を行うには悪行を理解しなければならない。
素敵な幸せを与えてくれたキョーマが、今はワタシの罪を糾弾する立場。
この幸せを得た対価が、今の罪悪感と恐怖。
ワタシが「得る」には、こんなにも支払わなければならないモノがあった。
「オレはさ……」
聞きなれているはずのその声が、突きつけられた刃のように背筋を凍らせる。
「知っての通り、絵本が好きだ。」
……
え……?
「どうして絵本が好きなのと聞かれたら、オレはこう答える。面白おかしい発想が詰まっていて、全てがハッピーエンドだからってな。でもこの言葉だけじゃ好きな理由を表現し切れていない。長々と説明するのが面倒だからさらっとしか言わないわけだけど、今はきちんと説明しようと思う。」
ワタシは混乱する。キョーマがなんの話をしているのかわからない。
「絵本ってさ、どれもめでたしめでたしで終わるんだよ。読者として想定されているのが子供だから。謎が残るような、考えさせられるような、そんなモヤモヤを楽しむ文学は子供にはわからない。単純明快なハッピーエンドなのはその為だと思うよ。大人になると……例えば、そんな幼稚な物語では感動できないとか、大人としてのプライドとか、色々なモノがあってあんまり読まない。読むとしたら、子供に読み聞かせるくらいだろ? たぶん大多数が、知識や感性の整った状態で……絵本を文学としてじっくり読もうとはしない。」
……キョーマは……絵本の話をしているの?
「でもオレはすすめたいね。今一度、絵本を読むことを。すぐに気づくと思うんだ。子供の頃大好きだったその物語が、意外に残酷で、悲劇で、絶望的な物語だったことに。」
絵本が残酷?
「シンデレラっているじゃないか。魔法使いのおばあさんとか、キラキラの舞踏会に王子様。素敵だよな。でもさ、彼女は最初、継母の連れ子……姉たちにいじめられてたんだ。童話の始まりが昼ドラみたいなドロドロ状態から始まるんだ。周囲に味方のいない……絶望的状況だよ。灰かぶりなんて呼ばれて……陰険陰湿極まりない。」
…………
「白雪姫っているじゃないか。彼女なんか、見ず知らずの、ただの嫉妬深いおばあさんに毒殺されるんだ。意味が分からない。通り魔に遭うようなモノだ。日本の昔話だと……さるかに合戦とか。あれ、終盤のさるは可哀想だよ。よってたかってリンチ状態だ。カチカチ山なんか、相手を丸焼き、傷口に唐辛子を塗りたくって最後には溺死させるんだ。ほら、ある程度の知識と常識で語るとなんとも酷い話だよね。それが絵付きで子供に読まれてるんだ。」
……キョーマは、ずっと下を向いてしゃべっている。
顔が見えない。
絵本の話なんか……
ワタシは、今のあなたの顔が……見たいけど……見たくない。
「そんなとんでもない物語がさ、ハッピーエンドとして描かれてるわけなんだ。結構色んなキャラクターが死んだりしてもね。どうしてかわかる? キャメロン。」
「……知らないわ。」
「要するにさ、誰にとってのハッピーなのかって話なんだよ。残酷な目にあったキャラクターや、そんな物語を読んだ読者じゃない……主人公にとってのハッピーなエンドなんだよ。」
「キョーマ! ワタシは……!」
「絵本の世界はさ、第三者から見てどんだけ酷い話だろうと、主人公が幸せならそれでハッピーエンドで、それを物語のハッピーエンドとするんだ。」
「キョーマ!」
「キャメロンは人をたくさん殺したんだよね。」
突然。ワタシの胸に突き刺さる鋭さを持った言葉が放たれる。ワタシはどうでもいい話をするキョーマに対して感じ始めていた怒りが、ついさっきまでの恐怖に一瞬で変わるのを感じた。
「人を殺すってことはさ、結構悪いことだよ。残酷で、悲劇で、絶望的。」
「……!」
「でもさ……それはキャメロンの物語を読んだ人の感想なんだよね。」
「……なにを……」
「オレが絵本を好きな理由は……ここなんだ。周りからしたら随分と酷い評価をされる物語を生きてきても、最後に主人公は幸せになるんだ。主人公にとってのハッピーを掴むんだよ。」
「……」
「オレ……はさ。まるでシンデレラみたいな物語の始まり方なんだ。今でこそ『異常五感』っていうモノってわかるけど、昔はさ……ただ、みんなと違うってことしかわからなかった。想像してみてよ、キャメロン。自分と同じ人がどこにもいないんだ。敵じゃないけど、味方でもない。絶望的な始まり。だけどオレの所にも来たんだよ……魔法使いが。」
「それって……」
「読者からしたらどうかな。魔法っていう非常識的なモノに運よく助けられたシンデレラと、運よく魔法使いに見つけてもらったオレは、運任せで、現状を何とかしようと一度も行動しなかった受け身なキャラクターだ。批判しやすい生き方だ。どうせ運が良かったとかなんとか言われるかもしれない。だけどオレは、オレの物語をハッピーエンドで終わらせるんだ。…………まだ二十年くらいしか生きてないオレだけどさ、オレは絵本の世界をお手本に、そういう人生観で生きて行こうと決めているんだ。」
『かかっ!』
《イクシード》の声がした。いつの間にか、ワタシの横に立っている。
『かかっ。絵本だのなんだの! 要するにキョーマ、お前の生き方はつまり、終わりよければ全て良しということか!』
「まぁね。……キャメロンのしたことはさ、悪い事だよ。オレが、キャメロンの物語を読者として読んだとき、キャメロンという主人公に抱くのは……もちろん、悪いイメージだよ。でもそんなこと気にしなくていいと思うんだ。」
「気に……しない……?」
「罪を償うとか、罰を受けるとか、オレに……責められたいとか? 思うところは色々あると思う。どうするべきだとかなんとかかんとか……何をしたっていいと思うんだ。それでキャメロンが納得できるのなら…………ただ、オレが唯一、聞きたいとすれば……言うとすれば……」
キョーマは、慈悲を与えるわけでもなく、笑うでもなく、泣くでもなく、なんてことない、いつもの表情でワタシに聞いた。
「キャメロンの物語は、ハッピーエンドに向かってる?」
《デアウルス》は言った。例え悪い事をしても、目的がそれでないなら、別にいいじゃないかと。目的に達するための手段であるならなんでもいい。無機質で機械的な考え方。
そしてキョーマは言った。悪い事をしようが、それに対して罪を感じようが罰を受けようが……別に何をしたっていいけど……ワタシが、ハッピーエンドを迎えられるのか。
キョーマはその人の……価値……評価……そういう類のモノを、その人自身が決めるべきだと言っている。
法を破れば罰を受ける。その罰を素直に受けようと、逃げようと、そうやって生きていく自分が、果たして自分にとってのハッピーエンドを迎えることができるかどうか。そこに重点を置くべきだと言っている。
人殺しと罵られて生きていくことを誠実だと思うならそうすればいい。そんな生き方は嫌だと言うのなら、全てを胸の内にしまい込めばいい。その行動を評価するのは、自分だと。
一見、とても優しくて甘い、蜜のような生き方だけど。
残念、これはとても……心に負担がかかる生き方だと思う。
要するに、自分の行動全てに自分で責任をとるということ。罰を与えるのも自分で、褒めるのも自分。
黙々と他人の評価を受ける方がどんなに簡単なことだろうか。考えなくていいのだから。
「……キョーマ、あなたってひどいわね。」
「そうかな……」
「何年も……モヤモヤして、もしも……その、嫌われたらどうしようって思って言えなかったことを決心して言ったのに、あなたはこう言うのよ。「オレはどうも思わないけど、キャメロンはどう思うのさ?」って。」
「どうも思わないわけではないよ。ただ、その過去があってキャメロンは今幸せなのか、この先も幸せなのか心配になったかな。でも……まぁ……」
そこでキョーマは目をそらす。
「キャメロンが……殺した人の中にオレの知り合いがいたりなんかしたら、オレは淡々と人生観を語ることはなかったと思うよ。結局……顔も名前も知らない誰かを殺したって言われても……ね。それに、オレにとってキャメロンは家族なんだ。そんな過去を知ったところで、いきなりキャメロンを嫌いになるわけないよ。」
「そ……そう……」
「うん。」
キョーマは怒らなかった。悲しまなかった。落胆しなかった。いつもと変わらなかった。
ワタシがワタシで自分を評価するに、ワタシは罰を受けるべきだと思う。だけどそれをすると今の幸せが離れてしまう。それは嫌だ。
だからワタシはキョーマの持論に乗っかる。
ワタシは、ワタシのハッピーエンドを目指すために、今までの生活を続けることにした。
後日、ワタシと《イクシード》はガン細胞の扱いをキョーマに教え始めた。と言っても、ワタシと違って『異常五感』を発症していて、すでに『身体支配』を行えるキョーマにとってはそれほど難しいことじゃない。どこをどういじれば細胞が暴走を始めるかは《イクシード》からの人間の身体についての授業から学んでいるわけだから、そこをいじればいい。そして『身体支配』の要領で暴走した細胞……ガン細胞を操る。唯一難しい点と言えば……
『かかっ。キョーマ、これでは腕が一本増えたのと変わらないぞ。』
「そう言われても……」
キョーマが背中から小さな腕を一本生やしてわたわたしている。
『かかっ。せっかく自由な形を与えられるのだ。何も器用なだけでひ弱な人間の腕を作らなくてもいいんだぞ。』
人間の身体にはなかった形を作るということが難しいのよね。
今でこそ、ワタシは尻尾や翼を生やすことができるけど、最初はできなかった。形のイメージはすぐにできるし、イメージ通りに細胞を組み立てることも難しくない。問題は、それを動かすための神経や筋肉の配置の仕方。
ワタシたちは鳥が羽をバタバタさせて飛ぶことを知っているし、その仕組みも知っている。だけど、その羽にどういう風に神経が走っていてどういう筋肉が何を動かしているかは知らない。新しい器官を生み出すのはいいけど、きちんと動くように設計するのは難しい。ホントなら生物学とかを学んでやるんだろうけど、ワタシはなんとなくで組み立てている。一時的なモノだし、精密な動きを必要としなければ適当でも動けばいいのだしね。
「変に疲れるな……これ。」
キョーマはせんべいをかじりながら一休みする。
「……このガン細胞を操る技術ってさ……実はすごいことだよね……」
『かかっ。ガン細胞を難なく治療できるということか?』
暴走させた細胞を操ったあとは、もちろん元に戻す。それはつまり、ガン細胞を治療するということ。『身体支配』によって細胞をコントロールできるワタシやキョーマには朝飯前なことだったりする。
「なんていうか……世間に発表するべきなんじゃないかって思うけど……」
『かかっ。正論だが、生憎とこの技術は誰にでもできるモノじゃない。『異常五感』を発症していないのなら、我がとりつく必要があるが我は我しかいない。そして、言わずもがなだろうが、『異常五感』の発症者は極めて少ない。発表したとこで使える人間が現状ここにいる二人だけとあっては……面倒なことになる。』
「世界中のガン患者が殺到するわね。金持ちから順番に。」
「そうか……なら、この技術を誰にでも使えるように改良とかできないのかな。」
『かかっ。可能性はあると思うが、それを行えるのはキョーマやキャメロン以外の人間だ。』
「? なんでさ。」
『かかっ。現在この技術を扱えるキョーマとキャメロンは……こう言うのもあれだが、普通の人間とは違う。そんなお主らが普通の人間のために技術改良を行うことはできない。なぜなら普通の感覚を知らないからだ。普通の五感をな。程度としてこのくらいが平均というのを知っていても、それ以上を知っている段階で普通を理解しているとは言えんのだ。』
「そんなもんか……」
キョーマはお茶をすする。
……普通の人間か……
「そういえばキョーマ。」
「ん?」
「ルルは最近どうしてるの? しばらく見てないけど。」
「るるは……高校出た後に医大に入った。《医者》を目指して勉強中だけど……」
「ふぅん。」
「なんだよ、突然。」
「いやね、小さい頃からあなたたちを見ているワタシとしては、二人の関係が気になる感じなのよね。」
『かかっ。キャメロンがいつかの顔になっているな。』
「うるさいわね。で、どうなのよ。」
「どうって……たまにメールするくらいだよ……なんか知らないけどいつもプリプリしてるんだよな、あいつ。」
「メールでわかるの?」
「なんというか……文面からそんな感情がにじみ出て来るっていうか……」
「へぇー……それじゃあ……あなたのお父さんは何してるのかしら、今。」
「またいきなりだな……そういえば何してるんだろう?」
まぁ、ずっとここにいるキョーマに聞くのは間違ってるわね……
「……思っている以上に、キョーマってここにいるのね。」
「?」
「周りにいた人が今何をしているかわからないくらいに、ここに引きこもっているということね。」
「ひき……んまぁ、そうだけど……キャメロンと《イクシード》から教えてもらった事を学校に行く感じで学ぼうとしたら結構大変だと思うよ? 住み込みでっていう形は必須じゃないか?」
「そう?」
「そうだよ……」
『かかっ。我らに限らず、《お医者さん》の技術というのはそういうモノだ。卜部のとこの小町坂も多くの先達から色々と学んでいるのだろう。あの病院の院長をしながら。』
「コマ……コマチア……コマチ、ザカ……もそうだけど、ルルも《医者》を目指して頑張ってる……よかったわね、キョーマ。頑張る同世代が多いじゃない。」
「まぁ……」
「卜部もそうしたわけだし、ワタシも引退かしらね?」
『かかっ。あとは若い者にというやつか。』
「何言ってんのさ。キャメロン、まだ四十代でしょ。卜部さんまであと二十年くらいあるじゃんか。」
「? なんで二十年なのよ。」
「え? だって定年って六十くらいじゃ……」
「六十ねぇ……結局聞けずじまいだったけど、あの卜部が六十歳とは思えないわね。なんかもっと上そうだわ……八十とか。」
『かかっ。若く見えるにもほどがあるな。』
「そうね。でも……二十年か。二十年もしたらキョーマもおじさんね。怖いわね。」
『かかっ。数えられるだけ良いではないか。』
「あなたはね……」
ワタシにはあんまり何もないのだけど、キョーマにとってはそこそこの節目。
来年、キョーマは二十歳になる。
ワタシ四十五歳、キョーマ二十歳。
わたしも長いこと《お医者さん》をしてきましたが……こうして出会ったのは初めてですよ。
ふふ。引退してからも初めての出来事に遭遇するとは……先人の言う、「長生きはするものだ」という言葉は、真実を語るモノだったのですね。
はい? ああ、彼女のことですか。ふふ、確信は持っていませんでしたがね……そうではないかと思っていましたよ。
ですが彼女は……かつてその名を冠していたとしても、そのものだったわけではありません。これだけは確信を持って言えます。彼女はそういうことを目的に行動する……いえ、できる人ではありません。一人の人間を、あれほどの愛情を持って育てることのできる人ですから。
ですからわたしはさっき言ったのですよ。「こうして出会ったのは初めて」だとね。
……! 恐ろしいですね。まさかこれほどの力になるとは。
わたしたちが倒してきた彼らにも、これほどの潜在能力があったということですか。Sランクの存在もあることですし……いつか人間という種がどうにかされてもおかしくありませんね。
おや? なるほど。そういえばあなた方の思想はそういうモノでしたね。なるほど、この力を知っているのなら納得ですね。
しかし納得はしても受け入れはしませんよ。わたしにも守りたいモノがあるのです。
自分で言うのもなんですが、わたしほどの実力でも占うことのできない事柄があります。それは、遥か先の未来です。人類がどうなるだとか、地球がどうなるだとか、そこまでいくと占いの結果は真っ白ですよ。
ですがそれが良い。一択しかない過去やいくつかの選択肢の少し先の未来とは異なり、無限の選択肢が広がるその先。どうなるかわからないということは、どうにでもできるということです。
年をとりますとね、見えるのですよ。自分の先、到達点、限界というモノがね。しかし若い皆さんにはそれが見えない。見えないというのは見ることが出来ないという意味ではなく、存在しないということです。そう、遥か先の未来のように、無限の選択肢で光り輝いている。
ふふ、若い皆さんはとても眩しい。その輝きを守りたい……年長者が下のモノを見守るのはそういう理由なのです。
これから来る彼らの時代に、あなた方のような悪意を残してはいけない。だからここで、わたしが何とかするのです。
ふふ。何ができるかと? いけませんね。日本系術式だからと、わたしを下に見るのは。
例え話ですがね。学校のとある学年のとあるクラス……その四十人の学生さんたちがテストを受けたとします。一人が満点で、他は六割ほどの点数。このクラスを平均化しますと、どうしても六割ほどの点数になります。
そのたった一人の存在を知らない者が、そのクラスの平均を見てこう言います。ここにいる学生は皆が六割ほどの点数なのだと。
何が言いたいと? 要するにですね、まとめや平均だけを見てそれを判断してはいけませんということです。
あなた方が知っているのは三十九人の実力であり、一人の実力を知らない。
特殊な効果の術だらけの日本系術式に、他の術式に類を見ない攻撃力を持った術式があることを、あなた方は知らない。
はったりと? ふふ、少々格好つけた言い方をしますとね。日本系術式における最大の攻撃力……それを使わなければならないような相手に、そうそう出会わないのですよ。大抵、特殊な効果の組み合わせで終わらせることができるのです。
何故うそだと思うのですか? わたしは、この分野に関してはあなたよりも専門家ですよ?
さぁ……泰山府君の御前に跪きなさい。
日本には成人式という習慣がある。年齢が一つ上がったというお祝いは誕生日でいいとして、成人式というのは子供から大人になったお祝いだそうだ。
子供から大人になるという切り替わりを、何を基準にするかというのは国によって、もしくは部族によって様々……らしい。《イクシード》が言うには。
日本では、その基準を年齢と権利で決めているようね。つまり、二十という年齢を境にそこそこ色んな権利を得るということで、大人の仲間入りとするみたいね。
『かかっ。成人式は一月だな。』
「来年じゃない。なんだか面白そうだから楽しみなのに。」
「なんでキャメロンが楽しみなのさ。」
「色々とハジケるんでしょ? SMが言ってたわ。」
「それは悪い方のハジケだと思うけどね……」
そんないつものどうでもいい会話をしていたある日、滅多に鳴らない、ここ甜瓜診療所の電話が鳴った。滅多過ぎて、ワタシたちは突然響いたその音が電話のそれだと気づくのに五回ほどのコール音を聞き流した。
「もしもし……えぇっと、キャメロン……じゃないわね。こちら甜瓜診療所よ。」
慣れない電話にあたふたしていると、電話の向こうから聞き慣れた声がした。
『キャメロン! よかった、いたか!』
「その声はSMね。珍しいわね……なに?」
『卜部先生が倒れた!』
数分後、ワタシたちは晴明病院の屋上にいた。
電話の後、ワタシは診療所の玄関に向かった。だけどここには車はもちろん自転車もないことに気づき、ワタシは《イクシード》の前にペタリと座り込んだ。
「《イクシード》、緊急なの。瞬間移動をお願い。」
『かかっ。卜部が倒れたとあってはな、拒む理由はない。いや……そもそも何であれ、拒む理由はないか。だが久しぶりなのに加えて、今回はキョーマもいる。座標の確認を行うから少し待て。』
そう言って《イクシード》はあごに手をあてて何やらぶつぶつ言いだす。
「キャメロン? どうしたの? さっきの電話は……」
ああ……《イクシード》が何も聞かなかったから当然のように考えていたけど……電話の声を拾うという行為は、キョーマの場合それをしようと意識しないと無理よね。
「卜部が倒れたそうよ。」
「! 病気!?」
「いえ……それならワタシに電話しないわ……」
「? どういうこと……?」
『かかっ。行くぞ。』
他の人の目を考慮してわざわざ屋上に瞬間移動したワタシたちは下の階に降り、廊下にいた《医者》をとっ捕まえて卜部の居場所を聞き出し、そこへ向かった。
「!? キャメロン!?」
その場所に行くとSMが驚きの声をあげた。
「で、電話を切ってから十分と経ってないぞ!? どうやって……」
「ワタシのことはどうでもいいわ。卜部は?」
ワタシがそう尋ねると、SMは険しい顔になる。
「……全力を尽くしてるところだ。」
ワタシたちとSMの前には扉が一つ。その上には赤く光る文字。
「手術中……?」
キョーマが深刻な顔でそう呟いた。
「全身に酷い打撲、骨も数か所折れているが……まずいのは内臓。内出血を起こしてる。」
「そう……」
ワタシは、特に何も考えず、当然のようにSMにこう聞いた。
「それで、何でワタシを呼んだの?」
ワタシは《お医者さん》であって《医者》じゃない。まぁ、ワタシの技術を使えば何とかなってしまうケガもあるにはあるけど、折れた骨は治せないし、溢れる血液の処理の仕方も心得ていない。
そもそも、SMはワタシの技術を知らない。さっきキョーマが言ったように何かの病気であっても同じこと。ワタシ……SMたちの中では凄腕の《お医者さん》ということになっているワタシを呼ぶということはつまり、《お医者さん》やヴァンドローム絡みの何かがあるということ。
そう……思ったのだけど……
「何で? 質問の意味が分からないな。」
SMは本当に、意味が分からないという表情で続ける。
「キャメロンは卜部先生の友人なんだろ? 卜部先生が倒れたんだ、連絡の一つも入れるに決まってるだろう。」
ハッとした。そしてふと振り返る。この数分間のワタシの行動を。
あの電話の内容が、もしも「キョーマが倒れた」とかだったなら、その時何をしていようとも、ワタシはキョーマのところに駆けつける。それは確信を持って言える。
だけど今回は卜部だった。ワタシとしては……ただの古い知り合い程度の認識だったのだけど、ワタシは何も考えずに……そう、反射的にここまで来た。キョーマがそうなったらこうするだろうという行為を卜部に対しても行ったわけだ。
キョーマがワタシに、今までなかった楽しい日々をくれた。キョーマから色々なモノをもらった。「キョーマは」「キョーマこそ」「キョーマだけは」……ワタシの中で特別な存在であるキョーマのことばかり頭にあった。
だけど……どうやら、ワタシの楽しい日々を構成する大切なモノの中には、卜部も入っていたらしい。きっと、目の前にいるSMも、ルルも、キョーマの父親も……彼らに何かあったなら、ワタシは今と同じように動くんだろう。
ふふふ……気づけば大切なモノばかりなのね。
「キャメロン? おい、大丈夫か?」
SMが心配そうにワタシを見る。
「……ええ。ごめんなさいね。ちょっと混乱してたわ。」
ワタシは深呼吸をする。
「……卜部は、どうしてそんな大けがを?」
「ああ……おれにもよくわからないんだ。うちの病院に救急車が来たと思ったら、中にいたのは卜部先生だった。」
「そう……何か気になることはなかった? 運ばれてきた卜部に。」
「卜部先生には……左手の小指と薬指が無かった。」
「? どういうこと?」
「切断されてたんだ……どうしてそうなったのかはわからない。ただ、全身の傷は打撲とか打ち身なのに対してそこだけ切れていたから……」
「……卜部が倒れてたところに行ってみるわ。」
「あ、待て。卜部先生と一緒に運ばれてきた患者が……一応いるんだ。」
「? それならそいつに色々聞けばいいじゃない。」
「聞けないんだ……別にケガはしてないんだがな……」
SMに案内されて、ワタシは一つの病室に入った。何人かの《医者》がその患者にいくつかの質問をしているけど、その患者は何も答えない。
「精神に何らかの異常が見られるんだ。何かに……ひどく怯えている。」
「恐ろしいモノでも見たのかしらね。」
手足をだらんとさせて気力というモノが感じられない男。確かに、何かを聞き出すのは不可能ね。少しがっかりしつつ、何気なくその患者を見ていると……ふと目が合った。瞬間、その患者の両目は限界まで見開かれ、震える口からか細い声が聞こえた。
「キャメロン……グラント……」
頭が真っ白になるのを感じた。
思い出したのだ。その患者の顔を。
そして、全身を真っ黒な何かが包んだ。
「キャメロンッ!!」
突然、キョーマがワタシの右腕を掴んだ。
気が付くと、ワタシはその患者の首に右腕を伸ばしていた。
『身体支配』を行う状態の……右腕を。
患者がそれまで以上に怯え、わめく中、ワタシはキョーマに引っ張られて廊下に出る。
「どうしたんだ、キャメロン。あの患者さんを見た瞬間に、なんか怖い顔になったぞ……」
「……《パンデミッカー》よ……」
「え……?」
「あの男は《パンデミッカー》……名前は知らないけど、昔見たことある顔だった……」
そんな奴が卜部と一緒に運ばれてきた? 絶対に何かある。
「キョーマ、あなたはここにいなさい。」
「現場に行くのか? オレも行くよ! もしも《パンデミッカー》なら、キャメロンが一番危ないんだぞ!」
「ダメよ……キョーマはここにいなさい。」
「キャメ――」
キョーマの言葉を全て聞く前に、ワタシは瞬間移動で再び屋上に移動。
『かかっ。懸命だ。いくらキョーマが我らの技術を持っていても、実戦の経験はないからな。』
「……卜部が倒れてた場所はわかる?」
『かかっ。《デアウルス》じゃないんだからな、そんなモノわかるかと……いつもなら言うんだがな。今回はさすがにわかる。何か大規模な術式が発動した……そんな気配というか匂いというか……そんなモノが向こうの方からする。加えて、その方向にはパトカーとかのサイレン音が響いている。』
「……移動して。」
『かかっ。』
移動した先には人だかりができていて、テレビで見たことのある警察の黄色いテープが張り巡らされ、街の一角をかこっていた。
そこは駐車場だった。建物と建物の間にあるようなそこそこの広さしかない駐車場。だけどその駐車場は、まるで映画の世界のようだった。
駐車してあった車はひっくり返り、両サイドの建物に追いやられている。そして駐車場の中心には大きなクレーター。まるで隕石でも降ってきたかのような惨状。
『かかっ。あそこを見ろ、キャメロン。』
勝手に動く右手が指さす方向を見る。そこにはクレーターが出来た時に吹き飛んだのであろうコンクリートの瓦礫が積み重なっていた。そしてその瓦礫の表面には……
「漢字……それも印字されたモノじゃないわね。チョークで書かれたような……」
『かかっ。おそらく、卜部がここで術式を発動させたのだろう。《パンデミッカー》と戦うために。』
「……! まさか……指が無かったのって……」
『かかっ。術式の代償かもしれんな。最早髪の毛で発動させることのできる今の時代に指を二本要する術式……奥義か、はたまた禁術と呼べるレベルの代物だろう。』
「直接的な攻撃力の乏しい日本系術式にこんな破壊を生む術があるっていうの……」
『かかっ。あの《パンデミッカー》が何らかの症状でこれを引き起こしたのかもしれんがな。どちらにせよ……奴は卜部のケガと無関係ではないだろう。』
「……ついに来たっていうの……ワタシに復讐しに……」
『かかっ。本命にして最強のお前を倒す前に、お前と関わりの深い仲間を消しておこうということか……特に、日本系術式の使い手は《パンデミッカー》内でも戦いにくいということで有名だったしな。しかし生憎、卜部に返り討ちにされたのだろう。卜部自身も深手を負ったが。』
「精神を崩壊させるほどの術式とはね。でもそれほどの実力を示してしまったのはまずいわね。一度戻るわよ。」
晴明病院に戻ったワタシは、手術室の前に立ち尽くしているSMに話しかける。
「キャメロン、どこに行ってたんだ?」
「現場よ。」
「現場って……ここから何キロかはあったはずなんだが……」
SMの疑問ももっともだけど、それを説明するのは面倒ね。
「SM。今回の件、原因はワタシにあるわ。」
「え?」
「先に謝る。ごめんなさいね。そして謝るついでに頼み事をするわ。」
「お、おい……」
「病院内の《お医者さん》全員に、なんでもいいから攻撃系の術式をいつでも発動させられるようにしておくように伝えて。お札でも何でもあるでしょ?」
「なんだよそれ! それに術式? ヴァンドロームでも攻めて来るってのか!」
「攻めて来るのは人間よ。」
「はぁ? 人間には術式は――」
「問題ないわ。相手は《パンデミッカー》だから。」
「《パンデミッカー》……だって?」
SMの顔は微妙なモノだった。
《パンデミッカー》は確かに、《お医者さん》にとっての脅威だった。だけど全ての《お医者さん》が恐怖していたわけじゃない。
いくら《パンデミッカー》でも《お医者さん》になりたての新米なんかを倒しにわざわざ動かない。その当時にそれなりの実力を持っていた《お医者さん》を優先的に始末していった。
だから《パンデミッカー》の全盛期だった頃にそこそこの実力を持っていた者と、今現在そこそこの実力を持っている者とでは、《パンデミッカー》に対するイメージが異なる。
前者にとっては恐怖の対象でも、後者にとってはおとぎ話なのよね。
ワタシが壊滅させてからもう十五年。都市伝説になりつつあるのかもしれないわ……
「キャメロン、意味が分からないぞ。さっきから何を言ってるんだ? 卜部先生は《パンデミッカー》に襲われたっていうのか? それがキャメロンのせい?」
「理由どうこうは後で詳しく話すわ。とにかく、卜部は《パンデミッカー》を倒したの。追撃が来る可能性は高いわ。あなたは卜部の弟子なんだから、全力で守りなさいね。」
「守るって……あんたはどうするんだよ。」
「キョーマを守るわ。キョーマはどこ?」
「……さっきの患者の所だ。」
「そう。」
ワタシは振り返り、手術室をあとにする。そんなワタシに、SMは尋ねた。
「キャメロン……あんたは何者なんだ……」
その質問に、ワタシはこう答えた。
「元、悪者よ。」
さっきの病室に足早に向かう中、《イクシード》が話しかけてくる。
『かかっ。随分な変わりようだな。』
「何が?」
『かかっ。さっきさらりと告げていたではないか。自分が悪者だったと。《パンデミッカー》だったと言ったわけではないが、少し前の……キョーマに真実を話すことに怯えていた頃には考えられない。』
「……そういえばそうね。」
『かかっ。我のせいとは言え、他人と関わらない人生を送ってきたお前が、今では自分がどう思われようと他者を救おうと動いている。愉快なことだ。』
「こっぱずかしいことを言わないでよね……」
『かかっ。』
病室に入ると、不思議な光景が目に入った。数人の《医者》が遠巻きに見つめる中、キョーマが例の患者の手を握っている。
「キョーマ?」
「! キャメロン!」
キョーマはワタシを見るとほっとした顔になり、患者から手を離した。
「何をしてたの?」
「『身体支配』。記憶とかをのぞけないかと思って。」
「……接続してたのね……」
その技術を教えたのはワタシと《イクシード》なわけだけど、こうもさらりと活用されると驚く。『異常五感』を発症しているキョーマには《イクシード》がとりつく必要がない。一人で『身体支配』が可能……もちろん、悪用はしないだろうけど……これじゃまるで超能力者か何かね。
「でもダメだった。何というか……記憶がバラバラで……」
「卜部の術式が砕いたのよ。それより、ここから移動するわよ。」
「え、ここを離れるのか? 卜部さんがまた狙われたりしたら……」
「その可能性は高いけど、ワタシがいるとさらに面倒なことになるわ。」
「?」
「ワタシは、かつて連中の中で最強だったのよ。キョーマも見たでしょ、こいつがワタシを見た時の怯えっぷりを。卜部をもう一度襲う可能性は確かに高いわ。何せ、《パンデミッカー》を一人精神崩壊させたんだからね。連中も一層気合いを入れるでしょ。だけどそこにワタシがいると……どんな強引な手段を使うやら。連中の攻撃方法が悪化するのよ。」
「そんな……」
「大丈夫よ。それに、狙われてるのはワタシや卜部だけじゃないわ……」
「他にも?」
「あなたよ、キョーマ。」
「オ、オレ? 何でさ。」
「最強であるワタシの弟子だからよ。さ、行くわよ。」
ワタシはキョーマの腕を引っ張り、廊下を早足に進んで晴明病院から出た。
時刻は午後二時。まさに日中という時間帯。真昼間という奴ね。こんな時間に襲撃をかけてくるなんて、基本的に暗殺とかを主にしていた《パンデミッカー》らしくない。
でもまぁ……相手がその《パンデミッカー》に五年もいたワタシだし……いつものやり方じゃダメだと思ったのかしら。
「ちょ、キャメロン! な、なんでオレが狙われるんだよ!」
スタスタと、早足で甜瓜診療所に向かうワタシの後ろを同じく早足でキョーマが追う。
「ワタシの弟子だから。正確に言えば、ワタシの技術を持っているからね。」
「技術を? 『異常五感』を使った技術のことか?」
「そうよ。連中はワタシを恐れているけど、それはキャメロン・グラントを恐れているんじゃなくて、《イクシード》とワタシが持っている技術を恐れているの。技術を学んだキョーマは第二の脅威……になりかねない。そう、今のキョーマにはヴァンドロームとの戦闘経験がないから、連中からすれば今がチャンスってわけね。」
『かかっ。他にも、キョーマをさらって我らの技術の全てを聞き出し、我らの倒し方を探ろうとしているのかもしれんな。』
「そもそも卜部を襲ったのもそういう理由だと思うしね。」
「え? どういうことだよ。キャメロンの仲間だからってわけじゃないのか?」
「違うわよ。連中からすればね、卜部という人物はワタシとかなりの頻度で接触している《お医者さん》。それはつまり、ワタシの技術に関する何らかの情報を持っているかもしれないということにつながるのよ。」
そう……《パンデミッカー》にいた頃のワタシは、仲間とか友人とかを作ろうと思わなかったワタシ。連中からすれば、「キャメロン・グラントに仲間なんてあり得ない」って感じね。
「何にせよ、キョーマが連中に狙われる可能性は高いのよ。」
「わ、わかった……」
『かかっ。しかし妙だな。』
《イクシード》が首を傾げた。ちなみに今、《イクシード》はワタシに小脇に抱えられている状態。いつもなら外に出る時はワタシかキョーマの中にいるのだけど、今は出てきている。とりついた状態だととりつかれた方にしか声が聞こえないからだ。
「なにが妙なんだ?」
『かかっ。定石として、標的が複数いてその場所がバラバラの場合は同時に襲うモノだ。特にその複数の標的同士が知り合いだったりする場合はな。』
「……? そうなのか?」
『かかっ。片方だけ襲うともう片方が警戒してしまうだろう? 襲撃への対策をたてられてしまうわけだ。つまり、卜部が戦っている時……我らが診療所でのんびりしていた時、外には敵がいたかもしれないということだ。』
「その可能性はかなり高いわね。電話の後すぐに瞬間移動したから、攻撃を逃れられたのかもしれない。」
『かかっ。かもしれんが……それだと襲撃のタイミングがズレすぎだと思うがな。まぁ、連中の都合は知らんが。』
「ちょっと待てよ二人とも。んじゃ、なんだ。オレたちは……すでに敵が来てるかもしれない診療所に向かってるのか?」
「そうよ。」
「なんで!」
「敵がそこにいるのなら好都合。いなかったとしても診療所にいるべきなのよ。」
『かかっ。最早狙われているという事は確定事項だ。ならば我々が考えるべきは連中とどこで出会うかなのだ。』
「どこで……?」
ワタシは、《パンデミッカー》で過ごした五年間、《お医者さん》との戦いをいくつか思い出しながら、少し胸のあたりをモヤモヤさせながら語る。
「……ワタシはいいけど、キョーマ。さっきも言ったようにあなたには戦う力があっても経験がないわ。ああ、一応言っとくけど別に責めてないわ。そんな経験、しなくていいものだしね。」
『かかっ。経験のないキョーマは、我らが守らなければならない。だが、敵がいつ、どこから来るのかわからない状態で誰かを守るというのは容易ではない。』
「だからね。もしも敵の居場所がわかっているのなら、そこに行けば確実に襲われるという場所があるのなら、その場所に行って敵と戦うべきなのよ。」
『かかっ。それに今日、敵に出会わなかったとしても、診療所は我らの地の利が最大の場所だ。下手に移動するよりも立てこもった方が良いのだ。』
「な、なるほど……」
「ちなみに、瞬間移動しないのはすでに敵がいる場合を考えてのことよ。ワタシたちが瞬間移動できるってことは連中も知ってることだしね。罠の一つも設置してるかも。」
「りょ、了解……なんというか、さすがだな。」
キョーマがそう呟いたので、ワタシはニンマリ笑ってこう言った。
「……それはつまり、さすが元ってことかしら?」
「そ、そういうことじゃ……」
「いいわよ。キョーマのおかげでなんだがふっ切れてるから。」
『かかっ。』
甜瓜診療所が見えてきたあたりから、ワタシたちはこそこそと姿を隠しながら近づいていった。外から見る限り、異常はないわね。
「一応、なんの物音もしないけど……」
耳をすまして音を聞くキョーマ。『異常五感』のキョーマが集中して音を聞こうとしたなら、建物内の物音は人の鼓動でも聞こえる。
「……念には念を入れましょうかね。例の隠し通路から入るわよ。」
診療所の裏手にまわり、隠し扉から地下の通路に入り、ワタシたちは自分の家にこっそりと侵入した。
「誰もいないみたいね。」
『かかっ。とりあえず一安心ではあるが……いないならいないで、やはり襲撃のタイミングのズレが気になるな。』
「来たけどいないから帰ったとか?」
「一度退いたって言うならあり得るわね。」
『かかっ。とりあえず、いつ襲撃が来てもいいように準備を――』
『これはこれは。』
《イクシード》が言い終わる前に、変な所から声がした。
『一体どこから入ったんだ? 入口はずっと監視していたというのに……まさか罠の可能性を考えずに瞬間移動したのか?』
声のする方を見ると、和室に置いてあるテレビの上……リモコン入れにしている何かでもらった木の箱があった。
「……小型マイク……」
木の箱の裏にそんなモノがくっついていた。
『まったく……帰ってきたら中から声がするように偽装して一発罠にはめようと思っていたのだが。』
「キャメロン! 外に誰かいる!」
耳に手を当てながらキョーマがそう言った。
「《イクシード》。」
『かかっ。』
《イクシード》がワタシの中に入り、ワタシは『異常五感』を発症させる。確かに、診療所の入口に誰かが近づいてくるわね。
「キョーマはワタシの後ろに。でも目の届かないとこには行かないでね。」
「わ、わかった。」
ワタシは診療所の入口、ガラス張りの扉を背にして立つ。キョーマは扉の後ろから、ガラス越しにワタシを見ている。
「写真は見たが……本当にあの頃と変わっていないんだな。」
ワタシたちと十メートルほどの距離をおいて、男が立ち止まった。
そこそこの年齢……四十代半ばというところかしらね。丸メガネに上下ぴっちりとしたスーツ。ネクタイもしめて、まるでこれから大事な会議なのだと言わんばかりのサラリーマン姿。そんな男が手にした無線機をぽいっと地面に放りながら、ワタシたちを睨みつけた。
「……キャメロン・グラント。」
ワタシを視界に捉えるや否や、親の仇でも見るかのような顔になる男。
「……最近の《パンデミッカー》じゃ、ワタシの名前をフルネームで呼ぶのが流行なのかしらね。」
「ほう……見た目は変わらずとも、中身には多少変化があるのだな。冗談を言えるようになったのか。私たちと一定の距離を保ち、慣れ合うことはなかったお前が。」
「あなたたちと仲良くなる理由がなかったもの。ワタシに必要だったのはアウシュヴィッツの力だけ。」
「……ああ、そうだったな。」
「と言うか……あなた誰? ああ、こんな奴もいたかしらねってくらいにしかあなたを覚えてないんだけど。」
「そうか……お前はランカーの上位しか名前を憶えてなかったな。なら私の名前など聞いたこともないだろう。私はランカーではなかったからな。だが、別に今更名前を憶えてもらおうとは思わん。」
「そう。」
無駄話をしながら、ワタシは周囲の様子を、五感をフルに使って把握する。意外なことに目の前の男しか、ワタシたち以外には人間がいない。
まさか……自分で言うのもあれだけど、ワタシ相手にランカーでもなかった男一人だけ? どういうこと……?
「……今更だけど、一応聞くわね。何の用かしら?」
「用はない。殺しに来たのだから。」
「卜部も?」
「ああ……あの院長か。あれは……そう、ちょっとしたおまけ、お土産程度のモノだ。捕まえてお前の技術の一端だけでも聞き出せればと思ったんだが……あの院長は何も知らないようだしな。とりあえず今は放っておく。」
「おまけ……それにしたってずさんね。同時に攻めて来ないなんて。」
「……それをするのは二つのターゲットの重要度が同じ時だ。」
「それでも、あなたの言うおまけから攻めるなんて……変な順番ね。」
「おまけではあるが、あれにはそこそこの意味があった。お前の動きを見るという意味がな。」
「ワタシの……?」
男はニヤリともせず、淡々と話す。
「あの院長が倒れたという知らせを聞いた時、お前はすぐに駆けつけた。まるで家族か何かのように。さっきも言ったが、お前は変わった。そしてそれこそが今回の作戦の要。確かめたかったのだ。その変化をな。」
「作戦……ね? それは、あなたが一人でワタシを倒す作戦のことかしら?」
「そうだ。」
そう言いながら、男は上着の胸ポケットから何かを取り出した。
「キャメロン・グラント。お前はこれを知っているか?」
それは透明なカプセルだった。十ミリくらいの長さで……中に何か入っている。液体じゃない……何かの……肉?
「知らないわね。」
「そうだろうな。これはランカーだけがその存在を知り、そして一人一つずつ所持していたモノだ。お前以外のランカーがな。」
ワタシ以外のランカーが? そんなモノがあったとはね……
「それはつまり、本当の意味で《パンデミッカー》じゃなかったワタシには渡せなかった代物ってわけね。」
「そうだ。これはな、『神』の肉体だ。」
突拍子もない単語が男の口から飛び出した。
「……『神』の肉体? キリストの遺骸でも掘り起こしたのかしら?」
ワタシがそう言うと、男は軽くため息をついた。
「ふん。『神』と聞いてキリストが出るところが、お前にこれの事が知らされなかった理由だな。」
? 『神』と聞いて思い浮かぶモノ……あとはブッタとかかしら?
……待って……あいつは、《パンデミッカー》……!
「……まさか……」
《パンデミッカー》にとっての『神』とは……つまり、遥か昔に封印されたというとあるSランク……《パンデミッカー》が復活させようとしているヴァンドローム!?
「アウシュヴィッツは……既に見つけていたの……『神』を……」
「当たり前だ。復活させようとしているのに、復活させる対象の場所がわからないわけないだろう。アウシュヴィッツさんは封印されている『神』の身体の一部を切り取り、ランカーに渡していたのだ。色々な……意味を込めてな。」
男はカプセルを眩しそうに見つめ、不意に呟いた。
「……キャメロン・グラント。なぜ私たちが『神』を復活させようとしているか理解しているか?」
「……ヴァンドロームに選ばれた人間だけを残して、他を殺すため……だったかしら?」
「そういう言い方をすると、まるで私たちが勝手に決めて勝手に行動しているようだが……それは違う。私たちの行動は、世界の意思だ。」
「何言ってるのかわからないわね。宗教の勧誘なら他を当たりなさい。」
「何を言う。私たちの考えを最も理解できるはずのお前が。」
「ワタシが……?」
男はカプセルから目を離し、ワタシを見る。
「Sランクの力は強大だ。魔法や超能力としか表現できない。しかしな、それは別に世界の理を超えた代物ではない。ただ単に、私たちでは理解できないだけなのだ。文字通り、人知を超えているだけだ。そう……かつてこの地を支配した恐竜が原始人の知恵を目の当りにしたら、得体の知れない力に見えただろう。そして原始人からしたら、今を生きる人類の技術力は自分たちの理解を超えるモノだっただろう。言っている意味がわかるか、キャメロン・グラント。」
「……」
「ヴァンドロームはBランクあたりから人間並みの知能を持つ。これがどういうことかわかるか? Bランクの時点で人間と同等、Aランクともなれば人間以上の生き物ということだ。」
だんだんと男の口調に熱が入って来る。
「……つまり、あなたはこう言いたいの? ヴァンドロームは、人間の次にこの世界を支配する生き物だと。」
「そうだ。Sランクの力がそれを示している! 旧世代の力は新世代には到底及ばない!」
「……それじゃなに? 《パンデミッカー》はいずれ人間を滅ぼす連中を崇めているわけ?」
「これまでの歴史だとそうなる。だが、今は少し様相が異なるのだ。人間には……ヴァンドロームと戦えてしまう力があるという点でな。」
「?」
「確かにSランクには敵わない。だがAランクまでなら戦えてしまう。一方的に滅ぼされることがないのだ。加えて、ヴァンドロームからすれば人間はえさだがこれまでのえさの概念とはいささか違う。私たちは他の生き物を殺して食べるが、ヴァンドロームは生きている状態で食べる。戦える力と、これまでとは異なる形の捕食関係。わからないか? 共存が可能なのだ。」
「共存ねぇ……確か、そんなことを研究してる《お医者さん》もいたわね。」
「連中と一緒にしないでもらおうか。連中の共存は人間が主だ。だが私たちの言う共存はヴァンドロームが主だ。人間が手を差し伸べて一緒に生きて行こうというのは傲慢すぎる。私たちはヴァンドロームに譲歩してもらう立場だ。本来、滅ぶべきなのだから。」
「……」
「ヴァンドロームにとりつかれるというのは即ち、選ばれたということだ。一緒に生きて良いとな。逆に言えば、選ばれなかった人間は滅びなければならない。その選別を行うために生まれたのが……この『神』だったのだ!」
男はカプセルを高らかに掲げる。
「だと言うのに《お医者さん》の連中はあろうことか『神』を封じてしまった! だからやり直すのだ! 人間の選別を!」
「……どうしてそこまで……」
「圧倒的な力を知ってしまったからだ。抗うことのできない力を。だがこびへつらうのではない。導いてもらうのだ。その力で。」
《パンデミッカー》にいた頃は、ここまで狂気じみた考えは聞かなかったけど……それは聞かなかっただけで、全員の胸の内にあったというのかしらね。
もしも……もしもワタシが《イクシード》の力を体験していなかったら、アウシュヴィッツの天才的頭脳に惹かれて、《パンデミッカー》の考えに心酔していたかもしれない。圧倒的な力や奇跡を起こしたという事実は人間を従わせてしまうものだから。
まったく、ワタシに圧倒的な力を見せつけた奴が家を探しているだけの人型マシュマロで良かったわね。
「んまぁ、正直どうでもいいわ。あなたがどんな思想の下に動いていようと、結局ワタシたちを殺しにかかるんでしょ? ワタシは、それに応戦するだけよ。」
『身体支配』を自分の身体にかけ、ワタシは細胞の暴走を促し始める。だけど臨戦態勢なワタシに反して、男は構えもせずに立っているだけだった。
「応戦か。そんな必要はない。戦いにはならないのだからな。」
そう言って、男は手にしたカプセルを手放した。カプセルは地面に落下し、割れた。
「!!」
瞬間、ワタシは理解した。
正確には、ワタシにとりついている《イクシード》の反応から理解した。そしてワタシと《イクシード》は同じ思考の下、同じ結論にたどり着いた。
キョーマを守る。
「!? キャメロン!?」
ワタシは扉を乱暴に開け、ガラス越しにこっちを見ていたキョーマの腕をつかんだ。そしてワタシの身体から腕、そしてキョーマの腕へと《イクシード》が移動した。
「ちょ、なんだよ、いきなり! どうしたんだよ!」
『かかっ。この攻撃は我しか防ぐことが出来ない! Sランクである我しか! そして……我がとりつくことができるのは一度に一人だけだ!』
「……どういうことだよ……おい、キャメロン!」
キョーマに腕を引っ張られながら、ワタシは男を見た。
「……つまり、これがあなたの狙いってわけね。」
「そうだ。お前は変わった。孤独で無敵だったお前に……弱点が出来た。そこの青年はお前の弟子……お前の技術を引き継ぎ、お前を凌ぐ可能性を持っているのだろう。だが少なくとも……今は脅威ではない。早めに摘みたいのは山々だが、現状の脅威を排除しなければ復興のための時間が稼げない。私たちは……アリベルトは、お前を真っ先に消すことを決定した! 何よりも、《パンデミッカー》を滅ぼしたお前を生かした状態で、新生はあり得な――」
そこで、男は血を吐いた。尋常でない量の血を。
だけど男はその血を見て嬉しそうに話を続ける。
「……『神』の肉体……これには、『神』の引き起こす『症状』の一片がある。肉体の一部故、その効果範囲は半径二十メートルという程度……だ、だが……指令を下す脳が無いからな……リミッターは働かず、発症した者は確実に死ぬ! お前を殺すには……充分――がはっ!」
男がさらに血を吐き出す。身体の各部位からも、血がにじみ出る。
「素晴らしいだろう……これが選別の力……『神』の『症状』、『ウイルス感染』だっ!!」
『ウイルス感染』……どんなウイルスかは知らないけど、Sランクヴァンドロームのそれとなれば、ウイルスの力が発揮される条件というのも思いのままでしょうね。
特定の対象のみに死を運ぶ『症状』ってわけね……
「……そしてもちろん、そんな肉体の欠片じゃあ……《パンデミッカー》の技術でヴァンドロームを操るってこともできない。つまり、その『症状』はあなたにも襲い掛か――」
口から血が噴き出した。一体何がどうなれば体内からこんなに血が出るのか。
視界もぼやけてきた。頭が痛い。
「く、くくく。どうして私がこんなスーツを着ていると思っている? 死ぬとわかっているのだ、キッチリとした格好で死にたいだろう?」
男は、目から血を流しながら高らかに笑う。
「ここはジャパンだろう!? カミカゼ、バンザイアタック、成功だ!」
ワタシは、ふらふらとキョーマの横に座り込む。
「キャ、キャメロン!」
「キョーマ…………たぶん、《イクシード》が話したと思う、けど……これは《イクシード》にしか防げない攻撃なの……なんたって、Sランクのヴァン、ドロームが放つウイルス攻撃なんだから……ガン細胞をどうこうしたって……人間には防げないわ……人間が、これに対抗するとしたら……それは、Sランクに体内に、入ってもらって……身体を融合させて……人間の身体を、むしばむウイルスを倒してもらう……こと……」
「……! ……! だからオレに《イクシード》をとりつかせたのか!? キャメロンはどうなるんだよ!」
「簡単な……計算じゃない、キョーマ。《イクシード》は突然変異のヴァンドローム……この世に一体しかいないのよ……」
「キャメロン! それじゃなんだよ! キャメロンは……キャメロンは!」
キョーマが続きを言わずとも、ワタシの運命なんてわかっている。
だけどね、キョーマ。ワタシの人生は……今から三十五年前に、あの瓦礫の中で終わっていたはずなのよ。
それを《イクシード》が先延ばしにして……キョーマに会わせてくれた。
えぇっと……そう、ウヨキョクセツあったけど、とても素敵な物語だったんじゃないかしら。キョーマじゃないけれど、ハッピーエンドに向かっていたと思う。それを迎えることは……できなそうだけど。
いえ……できるだけの努力はしよう。悔いを残さないように。伝えたいことを伝えるのよ。
「キョーマ……あなたに、これだけは……理解して欲しい……」
「もうしゃべるなよ! い、今なんとか……なんとかするから!」
「今……あなたが目の当りにしている世界がね……《パンデミッカー》の世界……ワタシは、こういう世界で、ワタシたちの技術を磨いてしまったけど……あなたは違うの……」
昔、《イクシード》が言った。ワタシたちの技術は人を殺す技術ではなく、人を殺せる技術だと。だけどそれが当てはまるのはあくまでワタシたち。キョーマには……当てはめて欲しくない。
ワタシは、うまく力の入らない手でキョーマの手を握って言った。
「あなたの技術……その力は人を救える力だからね。」
血を吐いた。もう体内にそれほど血は残ってないと思う。喉が文字通り焼けた気がする。声が……出なくなった。
「かかっ。キャメロンよ。」
ふと上を見る。さっきまで、泣き虫キョーマな顔が見えていたのに、今そこにあるキョーマの顔はとても落ち着いた……いえ、何かを必死でかみ殺している顔だった。
そう……苦渋の決断をした後のような。
「かかっ。本当に、最近の我はおかしいな。ほんの少し前のことを昔と言い……こうしてキョーマの身体の主導権を借りて……お前にお別れを言いたいと思ったりな……」
ああ……《イクシード》。あなた、今そんな顔をしているのね。
「かかっ。我は、我に感情を表現する器官がないことをこれほど悔しいと思ったことは……ない。直接伝えたい……今の我の感情を…………お前が……我の中に……どれほどのモノを残していたかを……! 今になって気づいた我の心を!」
キョーマの身体を借りた《イクシード》は、ワタシの手を握り締める。
カプセルが割れた瞬間、《イクシード》が至った結論がワタシと同じで良かった。ワタシの願いを叶える行動で良かった。
ワタシの大切なモノを守るために決断してくれた……キョーマを選んでくれた恩人に、ワタシは笑顔を向ける。
「かかっ! 技術をキョーマに伝え、我々のうち片方がいなくなった時、それは何かを残したことになる……かかっ! 何を言っていたのか! 既に残していた! 我の中にお前が残したのだ! なら、きっと我もお前に何かを……そうなのだろう……?」
ワタシはクスリと笑い、頷く。
《イクシード》……あなたも、ワタシの大切な日々の一部だった……当然よね。
「かかっ! 一体何年生きているのだ! 何千回生き死にを見ているのだ! 今更気づくなど……おかしな話だ! 共に過ごすだけで良かったのだな……何かを残すには……!」
「くくく。」
意識も朦朧としている中、やけにはっきり聞こえる男の笑い声。《イクシード》もそちらの方に顔を向けた。
「そ、そうか。今のお前……いや、あなたは《イクシード》か。くく、ぐふっ! この最後の時に、Sランクの声を聞けるとは……嬉しい限りだ……」
「……」
「私はもう、一線では戦えない。年を……とった。だからせめて、この命を捧げることにした! 《パンデミッカー》の未来に! そして命をかけて、キャメロン・グラントを殺すと! そのおかげでSランクとの……いいこともあるものだな!」
「かかっ……我の声でそこまで嬉しいか? キャメロンを殺せて嬉しいか?」
「嬉しいですよ。人類の未来のため、《パンデミッカー》のため、その女は死ぬべきだった!」
もうワタシの位置からじゃ《イクシード》の顔は見えない。キョーマ越しだったとは言え、初めて見た《イクシード》の表情があれというのは、最後にしてはあんまり良くないと思う。
「かかっ。死ぬべき……か。」
だけど……《イクシード》も変わったみたいだった。ワタシと同じように、いい方向に。
最後の最後、真っ暗な世界がせまる中、ワタシは、ワタシの恩人……いいえ、違うわね。
ワタシの一番古い友達の、ワタシのための叫びを聞いた。
「きさまあああああっっーーー!!」
悲鳴が聞こえる。たくさんの悲鳴が。
耳をすませて聞いてみたが、その人数は千を下らないだろう。当然だ。こんな大きなビルで、中にはたくさんの店が入っているのだから。客の数は相当なモノだ。
だが大丈夫だろう。さっきアルバートと名乗った《ヤブ医者》が、弟子らしき連中と共に客の避難を手伝っている。崩れている場所もあるが、あの筋肉は伊達じゃないはずだ。
あれが伊達なら《ヤブ医者》ではない。
オレは上を見る。吹き抜けになっているビルの真ん中……高さ的にも横幅的にも丁度真ん中あたりに浮遊している一人の男。症状をフルに使ってこの大騒ぎを起こしている。
きっと、この建物の中に有名な《お医者さん》とかがいたのだろう。んまぁ、細かい事情はあとで確認しよう。オレの役目は、あの男を止めることだ。
オレは目を閉じ、自分の身体に命令を送る。正確には細胞に。
同時に、いつもの笑い方と共にオレの家族が力をかしてくれる。
筋肉を組み立て、神経を張り、そして硬くした皮膚を何層にも重ねて一時的な骨とする。
巨大な翼を背中から生やしたオレは飛翔し、男へと迫る。
男は目を丸くして応戦しようとするがもう遅い。オレは男のアゴに重たい一撃を放つ。
脳震盪を起こした男はバランスを崩し、ふらりと落下し始める。
地面に直撃する寸前でオレは男をキャッチし、そのまま床に転がす。騒ぎを起こしていたヴァンドロームは男が気を失った為にその症状の発症を止めた。
あの気持ち悪いスライムがよこしたのだろうか。後処理を行う人間が大勢やってきて作業を始めた。オレは事態が収拾したと判断し、翼を引っ込めようとする。だがその前にアルバートという《ヤブ医者》に声をかけられた。
「お主……その力は一体……」
詳しく話せばそれなりの時間を要する質問。だからオレは簡潔にこう答えた。
「これは人を救える力だ。」
基本的に……と言いますか、私は暗い物語が書けません。書きたくありません。
しかし今回こんな感じに終わったこの物語、個人的には驚きでいっぱいです。
「何をこの程度」と感じる方もいるかもしれませんが……そう、個人的には。
余談ですが、これを書いていたせいでことねさんとかが一瞬書けなくなりました。
はてさて、彼らはどんなしゃべり方だったか……そんな事を思い出すはめになりました。